政略婚~身代わりの娘と蛮族の王の御子~

伊簑木サイ

文字の大きさ
36 / 40
12

エウル、狩りに出る

しおりを挟む
 狩りの朝、公主と叔母上で仕立ててくれたばかりの上着に袖を通した。蒼天を示す青地に、綺麗な刺繍が全面にしてある。王族らしい豪華な服だ。
 今回は特に、結婚して初めての巻狩りへの参加だ。独り者の時の、親父様の傍でおまけとして行動していたのとは違う。結婚して独立してこそ男も女も一人前と見なされるから、今まで以上に血族としての自覚と貢献を求められ、注目されるのだ。
 そして、そんな夫のまとう服の仕立てで、妻も品定めされる。
 ……などという余計なことは、公主には言ってない。

 それでも公主は俺のまわりをちょろちょろとして、細々たしかめてまわっている。仕立て上がった時に一度試着してあるのに、どうしてもできあがりが気になるらしい。心許なげに尋ねてくる。

「……どうだい?」
「ああ。とてもあたたかいし、動きやすい」

 また後ろにまわりこもうとした公主を捕獲し、抱き寄せた。

「ありがとう、耀華公主」
「どういたしまして。でも、半分以上、パタラのおかげ」
「うん。叔母上には、また後で礼を言っておく。でも今は、公主に言いたい。素晴らしいものをありがとう」

 照れくさそうに笑む公主の額に口づけた。そこから、こめかみを辿って、耳にも口づけつつ囁く。

「仕上げを頼む」

 彼女は「ん」と肩をすくめて頬を染め、身をよじって腕の中から逃げだしていった。けれど、口づけた方の耳の後ろで髪を留めていたリボンを解き、それを持ってすぐに近付いてくる。
 彼女に左腕を差し出すと、リボンを二の腕に巻いて縛りつけてくれた。そうして、両手で俺の腕をつかみ、リボンに額をあてる。

「どうかエウルが無事に帰ってきますように」

 ……ああ、結婚してよかった。
 と、こんな時、本当によく思う。愛しい人が、我がことのように俺を心配し、帰りを待っていてくれる。それが、どのくらい幸せなことか。
 やがて彼女が顔を上げると、俺は引き寄せて彼女の帯に手をかけた。

「でっ、でかけるんだろう!?」

 拒みはしないが、あわてたように聞いて、出入り口を気にしている。外が騒がしくなってきていて、いつ誰が呼びに来てもおかしくない。こんな場面を見られたらと思っているのだろう。
 大丈夫だ。何のために俺が出入り口に背を向けていると思う。他の奴にこんな可愛い表情を見せるなんて、もったいないからだ。
 それに、残念ながら、脱がすために帯をといているのではなかった。

「公主には、これを」

 俺はいつも着ている平服の帯を取って、彼女の細い腰に巻き付けた。二周するには長さが足りないが、ただ巻き入れるには端が長すぎる。それで、縛って左の脇に垂れさせた。
 膝をついて、その縛り目ごと彼女の腰を抱きしめて、どさくさにまぎれて胸の間にも――服の上からだが――口づける。

「公主が無事でいますように」

 公主は、ちょっと泣きそうな顔で、俺の頭に抱きついてきた。ああ、甘いいい匂いがする。
 しっかり胸元に抱え込まれ、いくらかふっくらしてきた胸のやわらかさに顔が埋まって、ますます離れがたくなった。
 いや、日暮れまでには帰ってくるし、長旅に出かけるわけでもなんでもないのだが。それでも、別れがたくて、たまらなくなる。
 彼女もそう思ってくれているのが、嬉しくて、愛しくて、「エウル、そろそろ出てきてくれないか!?」と催促されるまで、長い口づけでひとときの別れを惜しんだのだった。



 空は雲一つなく晴れていて、空気はキンと冷えていた。一番最後の出立になり、少々急いで狩り場へと馬を駆る。
 王の居留地を抜ける時、スレイの天幕が見えた。いくつも所有していたはずの奴僕用の天幕はなく、肉を保存しておく小さなものを一つ従えているだけだ。外に積み上げてある燃料の山も小さい。
 ……ちゃんと越冬の準備はできたのだろうか。

 巫覡シャーマンの元で治療を受けていたスレイの一家は――最早、彼と母のレイナだけだが――、スレイの症状が落ち着いたところで、王の居留地の隅に移ってしまったのだった。レイナが、追放された身でこれ以上世話になるわけにはいかないと言い張って。
 症状が落ち着いたとはいっても、傷がふさがっただけで、スレイは未だ一言も喋らず、レイナに世話されて、どうにか生活している状態だと聞いている。……体が動かないのではなく、自ら動かす意思がないのだと。
 彼らには、王の許しを得て公主の身代わりとして一家で囮となり、襲撃を未然に防いだ功がある。だから、親父様は何くれとなく手を差し伸べているのに、それもレイナは断りがちだというのだ。

 心配だった。だが、追放した手前、俺からは何もできない。ままならなさに、奥歯を噛みしめる。
 誰も、おまえたちの死など、望んでいないんだぞ、スレイ。
 そう言って、あいつの胸ぐらをつかんで、揺さぶってやりたかった。
 だけど、今の俺には、「俺のために生きて死ね」とは言ってやれない。その権利は、手放してしまった。

 あいつを生かしたいと思った、どうしても。殺してやった方が楽だろうなんてのは、最初からわかっていた。だが、今、どれほどの絶望にスレイが陥っているのか、想像すら追いつかない事態になっている。
 だとしても、俺の決断が間違っていたとは、考えない。二度と、そんな愚にも付かない考えには捕らわれない。
 スレイは最高の忠誠を俺に示した。ならば俺も、それにふさわしいあるじであると示すだけだ。

 王の銅鑼が響き渡った。戦でも攻撃の合図に使われるものだ。
 俺は右翼を任されている。手をあげ、配下が注目したのを肌で感じ、前へと振り下ろす。『全速力で敵を追い込め』。それが王の指示だ。
 鬨の声をあげ、馬の速度をあげる。獲物を逃がさぬよう横一直線に整然と並び、追い立てる。カモシカの群れが逃げだした。奴らは足が速い上に、持久力もある。馬では追いつけない。弓を構えた者達の前に誘導するのが俺達の役目だ。

 追いながら弓で狙って狩れないわけではない。だが今回は、帝国の皇帝の娘を妻に娶った俺の様子を、各支族の重鎮が、王の巻狩に参加するという名目で見に来ている。少し前からずっと逗留していて、俺が竜血の傀儡に成り果ててないか探っているのだ。
 おかげでこのところ宴に次ぐ宴で、酒にもジジイどもの顔を見るのにも、飽き飽きだった。
 それより可愛くて優しい妻と親密に過ごしていたい、などと言ったら、面倒なことになるだけなので、絶対に顔にも態度にも出せはしないのだが。

 ……ああ、でも、カモシカの角はいい薬になる。近いうちに、個人的に狩りに出よう。
 そう遠くないうちに王の居留地から旅立てるようになるだろう。その時に備えて、公主のためにも、配下のためにも、手に入れておきたい。
 楽しい未来を思い描いて、唇が勝手に笑みを描くのを感じる。
 さてと。ここを頑張らなくちゃな。
 雑念は追い払い、忠実で有能な王の手足であることを示しつつ、彼らに花を持たせる、そんな俺の今日の本当の仕事に専念した。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します

スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」 眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。 隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。 エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。 しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。 彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。 「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」 裏切りへのカウントダウンが今、始まる。 スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

処理中です...