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ウィシュタリアとゲシャン海域(エーランディア聖国)とエランサ大陸の神話の違いについて

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 元々は同じ神話体系です。


 ただ、ウィシュタリアでは不死人が、神話をほぼ間違いなく語り継いできたために、多神教のまま来ました。

 一方ゲシャン海域では、主神セレンティーアの神託に従わなかった後、大災害が起こり、神託も降りなくなりました。ちょうど罰をあてられたような感じになり、それ以降、特にセレンティーアの加護を取り戻そうという動きになりました。その中で、一神教に近い信仰になっていきました。


 なので、冥界に対する認識も違います。
 ウィシュタリアでは、死ねば女神は生きていた頃のすべてを奪います。体も記憶もです。それでたいへん恐れられているわけですが、ソランの領地ジェナシス領では、それを癒しであり慈悲であると捉えています。

 ゲシャン海域では、「冥界に囚われている神を救い出せ」というお告げがあったために、まるで冥界が牢であるかのようなイメージが根付きました。つまり、死んだ後は、人は魂の姿で冥界に閉じ込められる、というような感じです。
 だから、ヒスファニエは冥界まで迎えに行こうと決心したのです。



 なお、エランサ大陸においては、かなり近年になるまで、牧畜、移住生活が主な生活様式でした。持って歩けるものが財産であり、生活圏を共にする者が家族となります。

 経済活動は物々交換で成り立ち、交換比率が厳密に定められました。馬一頭を贖うには羊は何頭、という感じです。そこで、契約の概念が強くなりました。
 人も財産であり、結婚も一族同士の契約となります。

 また、契約の主眼は等価であることなので、罪においてもその考えが持ち込まれました。
 つまり、生きているうちに犯した罪を償わないと、死後に神によって裁かれると考えます。そこでパルテノス神が想像されました。

 なので、罪人の両手を切り落として放逐するのは、ある意味温情でもあります。残酷な死をもって贖わせ、最も恐ろしい神からの断罪を免れるようにするのです。
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