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おまけ 「アティ」

前編

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「次は宝剣の間だって」

 興奮を隠しきれない様子で友人たちが言葉を交わしている。その後ろをついていきながら、アティは若葉色の瞳であたりに視線をめぐらせていた。

 首都アティアナの旧市街にある国立博物館は、二百年前まで王宮として使われていた場所だ。ここが王都とされた時に築かれたというから、築何千年になるのか、正確なところはわかっていない。
 数多の戦に城壁などは何度も築きなおされたらしいが、これから行く宝剣の間は、創建当時そのままなのだという。

 アティが暮らすウィシュタリア王国の王家には、時々、宝剣の主と呼ばれる者が生まれる。彼らはその名のとおり、王家に伝わる、地上に安寧をもたらすために神から授けられたと言われる宝剣に選ばれ、その主となった。そして彼らは皆、アティスと名付けられ、例外なく偉業を為してきた。
 特に有名なのは九世だろう。かの王は、守護女神と呼ばれた王妃と共に、世界中の戦を収め、各国と和平を結び、戦乱の時代を終わらせた。死後は統一王と諡され、史上最も偉大な王と称えられている。

 宝剣の間は、そんな主たちの遺骸を収める棺であり、今では王城はその棺を守る霊廟でもあるのだった。
 ただし、中に遺骸はない。腐り果ててしまったからでなく、不思議なことに、収められた遺骸は翌日の朝には消えて無くなってしまうからだ。そして、宝剣だけが残されるのだった。

 そんなわけで、ウィシュタリア王国では十六歳になると、重病など身体的に移動が無理な者以外、この霊廟に参るのが義務になっている。
 そうして古の先達の偉業に心を馳せ、ウィシュタリアの国民として恥じぬ大人となるよう、自覚をうながすのが目的なのだという。

 しかし、なんとも胡散臭い話だ。
 と、アティはこの話を聞くたびに思っていた。歴史は学校でしっかり習うし、実物に触れるのが大事だというのなら、歴史的遺跡や遺物を見てまわるだけで充分ではないか。
 なのに、なんでわざわざくだんの宝剣に触れ、あまつさえ、抜く素振りまでしなければいけないのか。

 アティは自分の眉間に自然に皺が寄るのを感じて、ぐりぐりと揉み解した。
 たぶん、私の考えすぎなのだろう。国の危難に現れては、この国を繁栄に導いてきた宝剣の主たち。アティス九世とその王妃以降現れないそれを、今度は範囲を国民全員に広げて、探し出そうとしているんじゃないか、なんて。
 知らず知らずのうちに手を止め、立ち止まり、考え込むアティの眉間の皺が深くなっていく。
 ぜひとも気のせいであってもらいたい。そうでなければ困る。だいたい、どう考えてもおかしい。国の危難だと? そんなものに陥ったとして、それを招き寄せた自称為政者どもにこそ、ちゃんと始末をつけさせるべきだ。宝剣の主が現れたとしても、その人物は、まだたった十六歳でしかない。そんな子供に、どんな責任を負わせるつもりなのか。無茶振りが過ぎる。そんなことを本気で企む杜撰な大人たちが国政を担っているなんて、考えたくもない。

「アティー、早く、こっちこっち! なーに、乙女にあるまじき剣呑な顔してんのー?」

 ディエンナの呼び声に我に返って、アティは急いで友人たちの後を追った。美しい庭園の中を通る回廊を、人波をよけて走る。
 豪華だが品のある佇まいを見せる王城は、緑にあふれた場所だ。彼女は艶のあるこげ茶色の髪を揺らして走りながら、懐かしいような既視感に、生徒の列が続く先を見晴るかした。
 そう、そして、この先の角を右に曲がって、途切れた回廊から木々が茂る庭の奥に入っていけば、小さな建物があるはずだ。初めて行くはずのその場所を、なぜかありありと脳裏に思い浮かべることができた。

 それが宝剣の間。中には人一人が横たわれるくらいの平らな石が置いてあり、亡くなると宝剣の主は、そこに剣を抱いたまま横たえられるのだ。
 アティはどういうわけか、急にとても寂しい気持ちになった。共に生きることはできても、誰もが死ぬ時は必ず一人になる、それを切に感じて。

「ねえ、ねえ、アティ。もしも剣が抜けちゃったらどうする?」

 追いついたアティに、ディエンナがさっそく悪戯に笑いながら聞いてくる。

「心配いらない。抜けるわけないから」

 アティが落ち着いて答えると、友人たちはくすくすと笑った。そう言うと思った、と。

「でもねえ、ロマンティックよね。統一王と王妃は、二人とも剣に選ばれた運命の恋人だったんでしょ? もし、剣の主になれたら、運命の相手がいるってことじゃない。はー。そんな相手に出会ってみたいわ~」
「おまえ、この前、また運命の相手が見つかったって言ってたじゃないか。確か、二百五人目の」

 アティは呆れて指摘した。ディエンナは惚れっぽいのだ。いつも誰かや何かに夢中になっている。

「それはそれ、これはこれ。どんな出会いも素敵よね」

 その節操のない考えはまったくもって理解できなかったが、そのおおらかさがディエンナの長所でもある。
 アティは黙って肩を竦めて、優しいまなざしで、ふっと口元をゆるませた。普段はクールすぎるほどクールな彼女が、時折見せるこの顔に惹かれない者はいない。
 それを目にしたディエンナがアティに抱きつき、ぐりぐりと頬をこすりつける。

「アティ、愛してるー!! 私の何番目だったか忘れちゃったけど運命の人ー!!」
「頭突きするな」
「頭突きじゃないもん、親愛の情を表してんだもん!!」
「あー、もー、わかったから、離れろ!」

 他の友人たちに笑われながら、ひとしきり彼女たちは可愛い押し問答を繰り広げたのだった。



 宝剣の間参りの列は、近付くほどに遅々として進まなくなった。
 宝剣に触れるのは、必ず一人ずつと決まっている。石の右側から行き、柄を掴んで引いてみて、動かなければすみやかに手を離し、左側をまわって宝剣の間から出ることになっている。
 たったそれだけだったが、何百人が順番にというと、後ろにいくほどけっこうな時間を待つことになるのはどうしようもなかった。

 そんなわけで、アティたちはすっかり退屈しきって、宝剣そっちのけで、興味はこの後の自由時間に、どこの店で何の土産を買うかに移っていた。
 旧市街は王家御用達の老舗が立ち並ぶ。雑誌や映画で見る憧れの品が、ロングセラーから新作まで、実際に手に取って選べるのだ。女の子として、こんな心躍ることはない。
 ただしアティはそれほど興味もないので、きゃあきゃあと雑誌の切り抜きを見せ合っては、あそこがいい、ここもいいと盛り上がっている友人たちの意見を、聞いているだけだった。

 そうしてやっと順番がまわってきた時には、慌てて切り抜きや買い物リストをバッグにしまっている友人たちの状況を見回して、では、私が先にやるぞ、と輪の中から抜け出したのだった。
 アティは石に近付き、その上に無造作に転がる、宝剣と言うわりには地味な拵えの柄へと手を伸ばした。
 さっさと済ませて、さっさと買い物へ行かなければいけない。友人たちの長大な買い物リストを制覇するには、一分一秒が惜しかった。

『我があるじ!!』

 しかし、歓喜に満ちた男の声が聞こえて、アティは手を止めた。自分が呼ばれたような気がしたけれど、よく考えてみたら、我が主、など身に覚えがない。列に並んだ男子生徒の会話だったかと思いなおし、柄を掴んだ。

『は・や・く!! は・や・く!! 待ちかねておったぞー!!』

 ああ、うるさい、公共の場では少し静かにしないか、と思いながら、妙にしっくりと掌の中におさまるそれを、作法どおりに引っ張ってみた。

 宝剣は自ら主を選び、それ以外の誰の手も受け付けないと言われている。たとえ骸であっても、主にだけ従うというのだ。
 そこにどんな力がはたらいているのかは、わからない。だが確かに、石と宝剣は別の材質でできたものであるにもかかわらず、現代科学の粋を集めた鋼鉄のロープを結びつけ、最も大きな馬力を発揮する重機に引っ張らせても、けっして動かせないのだった。
 つまり、これが抜けた者が、剣の主というわけだ。
 その柄が、どういうわけか、ず、と動いた。

『ぱんぱかぱーん、おめでとうなのだー!! さあさあ、我が主、ずずーいっと、我を抜き放てい!!』

 アティは咄嗟に手を止め、考え込んだ。なんとなく、さっきから頭の隅で疑ってはいたが、信じたくない故に意識から退けていたそれが、当たっていたのだと認めないわけにはいかないようだった。
 宝剣が口を利くなんて。聞いたこともなかったが、こうしている間にも、

『何をしている我が主! さあ、抜くのだ! そしてまた共に、ばっさばっさと敵を屠ってくれようぞ!!』

 などと叫んでいる。
 この平和な時代に、これから何が起こるのかはわからない。もちろん、ウィシュタリア国民としても、一個人としても、微力であろうと、できることならばなんでもしようという心構えはある。
 だがしかし、この銃が全盛のご時世で、剣でどう戦えと? それよりなにより、なんか、これと一緒はイヤだった。特に、ぱんぱかぱーんと言うセンスが、物凄くイヤだった。だったら剣なしのほうがマシだった。
 そこで、そっと剣を押し戻し、そ知らぬ顔で、その場を離れることにした。

『ちょっと、ちょっと、ちょっと、待てーいっ!! 今、我は主のために抜けてやったではないかー!! なぜ置いていくーっ!!!!』

 聞こえない。何も聞こえない。聞こえてなぞ、いるものか。
 足早に歩きだそうとしたアティの腕が、次の順番を待っていたケイトに掴まれた。

「アティ、待って、あの、今」
「次どうぞ」

 躊躇いがちな言葉を、ばっさりと遮る。

「えーと、えーと、でも、アティ」
「たくさん並んでるから、急いだほうがいい。ね?」

 目の端に係員が動くのが見え、アティは駆けだしたいのを我慢して、ケイトの手を穏やかに押しやった。さっさと踵を返す。その時。

『待ーたーんーかーっっっ』

 カタカタカタカタ。何かが軽くぶつかる連続音が聞こえ始めた。
 そこにいた全員の目が、音の発生源である石の上に向けられる。その上で、振動している・・・・・・、宝剣に。
 カタカタカタカタ。ガタガタガタガタ。ガッタン、ガッタン、ガッタン、ガッタン!
 見る間に振動は大きくなり、そのうち剣が飛び跳ね始めた。その度に動きが大きくなっていく。終いに完全に立ち上がると、そのまま唖然として眺めていたアティのほうへと倒れて、石の上から落ちて足元に転がった。その上そこで止まることなく、振動でその身を動かしながら、徐々に近付いて来る。

『酷いではないかー、酷いではないかー、我は主をずっと待っておったのだぞ。ずっと、ずっと、ずうううううっと、待っておったのだぞ。寂しかったぞ。つまらなかったぞ。退屈だったのだぞ』

 アティは思わず後退った。
 とたんに、ガタガタガタガタと振動がはげしくなる。おかげで少しだけ進行速度があがったのだが、一振動で一ミリだから、埒があかない。
 無機物のはずの剣に追いかけられるなど、気味が悪いことこの上なかったが、剣のあまりに必死な様子に、なにか同情めいた気持ちがわきあがってくる。
 その躊躇が、彼女の運の尽きだった。

「おめでとうございます!!」

 いつのまにか傍まできていた係員に腕を掴まれ、それから握手の形に握られ、めでたいとばかりに大きく振られた。

「あなたは宝剣の主に選定されました! いやあ、選定の場に居合わせるなんて、私も感動です!」

 おおっと室内にいた人々がどよめく。
 アティは困惑して友人たちへと視線を向けた。しかし、彼女たちは興奮して、声は出さずにはしゃぎまくっていた。がんばれー! やったね!! などと口をぱくぱくさせて、盛んに手を振っている。

「お手数ですが、それを持って、事務所までご同行願えますか」

 断られるなど考えてもいない全開の笑顔で係員は言った。
 ああ、なんか、遠い昔にも、こんな気持ちになったことがある気がする。
 彼女は今の気持ちを表す言葉を頭の中で探した。なんと言ったか。ああ、そうだ。そう、たとえば、道を歩いていたら犬に噛まれた、みたいな?
 事ここに至って、彼女はようやく、自分が災難じみた貧乏くじを引いたことを、認めないわけにはいかなくなったのだった。
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