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おまけ 「アティ」

後編

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 そんなわけで、国立博物館を出た時、アティは剣を抱えて持っていた。

 現国王が駆けつけて、感動しきりに手を握られ、ソラン王妃が使っていたという、やはりこちらも国宝の剣帯をくれると言ったが、丁重にお断りした。
 どこの学生が、こんな長剣を腰にさげて歩いているものか。今時、剣技競技をしている者だって、持ち運びに剣帯を使ったりしない。専用の鞄に入れるものだ。

 アティもそうしたかったのだが、鞄に閉じ込めると、剣が嫌がってガタガタやりはじめるのだ。『一人で閉じ込められるのは、もう嫌だーっ』と。その声があまりに痛切で、彼女は溜息混じりに折れるしかなかった。

 だが、この時アティは、もう本当に心底うんざりしていた。あと何十年、この喋る剣を持って歩けばいいというのか。冗談ではなかった。とんでもない迷惑だった。これでは学校に行くのも難儀する。それはまだしも、就職はどうするのだ。これを持って出社か? 商談か? ありえない。死活問題だった。

 そこで改めて、こんな国宝を所有していて、壊したり無くしたり盗まれたりすると困るので、とても預かれませんと辞退したのだが、国王は、大丈夫ですよ、と一笑に伏したのだった。

「そもそも、あなた以外に誰も持ち上げられないのです。盗めるわけがありません。それに、重機で引っ張ってもびくともしなかった剣です。人の常識をはるかに超えて頑丈にできています。なにも心配することはありませんよ。なにより、それは本来あなたの剣です。預かっていたのは私たちのほうなのですよ。やっとあなたにお返しすることができて、肩の荷が下りました」
「ですが、私は一介の学生で、けっして剣の主にふさわしい人間ではありません」

 誰の剣だと? 覚えの無い迷惑極まりないブツを、押し付けられてはたまったものではない。アティが控え目に、しかしはっきりと反論すると、国王陛下は、はははははっと楽しげに笑った。

「ふさわしい、ふさわしくないは、気にしなくてよいのですよ。これは、壮大な親孝行なのですから」
「親孝行?」
「ええ。アティス九世とソラン王妃が亡くなった後、その子供たちが相談して決めたのだそうですよ。あれだけ仲の良かった夫婦だ、きっと生まれ変わっても相手を探すだろうと。だから、少しでも早く会えるように、そのお手伝いをしてさしあげようと」

 アティは開いた口がふさがらなかった。しばらくして、信じられない思いで尋ねる。

「まさか、それから延々と?」
「はい。延々と」

 何百年もか!!

「私たちも、王族といっても、もうただの象徴に近いですし、いいかげん王位など廃してしまえばよいと思っているのですが、これがあるばっかりに、なかなかやめられないのですよ。長年の苦労が報われて、本当に嬉しいです」

 にこお、と有無を言わせぬ笑顔を見せる王に、それでもアティは食いついた。

「しかし、ならばなおさら、もう一人の剣の主を見つけるまでは、私が持っているわけにはいきません」
「ああ、それについては、詳しい説明をする者を用意してありますので、後ほどそちらから。突然のことで戸惑っているでしょうが、国宝を右から左にお渡しすることはできないので、とりあえず今夜は、こちらで用意した部屋に泊まってもらうことになります。煩雑な手続きは明日ということで。よろしいですね?」

 物腰は柔らかいが、押しは強い。それでも、国王自ら直接こうして話すなど、しかも対等な態度でなど、本当はとんでもなく破格なことなのだろう。
 アティはしかたなく、おとなしく頷いた。

「わかりました」

 王は立ち上がって、アティに別れの握手を求めてきた。アティも立ち上がり、それに応える。

「あなたは先程ふさわしくないと言っていましたが」

 王はそこで一度言葉を切って、優しく笑った。

「あなたはずっと動じず、堂々としている。まさに伝説のとおり豪胆だ。剣の主にふさわしいと、私は思いますよ」

 アティは曖昧に笑った。豪胆と言われて喜ぶ女子学生は少数派に違いない。
 そうしてアティは、剣を抱えたまま博物館の正門船着き場に横付けされた豪華な小船へと乗り込み、今夜泊まるとかいう部屋へと向かったのだった。



 アティが剣を手にしてから、剣は不思議と黙っていた。鞄に閉じ込めようとした時には喚いたが、それ以外は、さっきのあれは何かの間違いではないかと思うほどだった。
 途中で気付いたのだが、剣の声はアティにしか聞こえてないらしい。剣自身ですら、アティに聞こえているとは思っていないようだった。不幸中の幸いである。アティは聞こえない振りを押し通すことにした。

 小船の中は静かで座り心地は良かったが、一人きりで暇だった。これからどれだけの面倒事が待ち受けているかと思うと、憂鬱でもあった。
 アティは手持ち無沙汰に無意識に膝の上の剣の柄を撫ぜた。ざらざらごつごつという無骨な感触が、案外と心を落ち着かせてくれた。

『なんだ、主、考え事か?』

 剣の呼びかけに、どきりとした。

『生まれ変わっても、おまえたちはいつも同じ癖がある。我が口が利ければ、いくらでも相談にのってやるものを。歯がゆいのう』

 人の好い物言いに、アティの良心がちくりと痛んだ。

 『ずっと待っていた』という叫びも耳に甦った。何百年という想像もつかない時の長さの重みに、なんともいえない気持ちになる。アティは早くも剣にほだされはじめていた。

 彼女は非常に冷静な人間だった。めったなことでは驚きもしないし、動じもしない。今回のように、剣が喋っても。カタカタと後をついてきても。
 だから、彼女自身は自分を冷淡な人間だと信じていた。
 しかし、冷淡と冷静は違う。彼女は自分が案外情が細やかで深いなどとは、少しも自覚していないのだった。



 小船は吸い込まれるようにして、そのまま一つの建物の中に入っていった。そうして案内されたのは、なんとも豪勢な館だった。
 館の地階で船を降り、そこにいた案内人の導くままに、階段を登ってエントランスホールに出る。そして、そこでお待ちくださいと、一人で置いていかれた。

 アティはゆっくりとその場でまわって、あたりを観察した。ホールの両側に左右対称に半円を描いて階段がある。装飾を施された手すりが美しい。天井にはシャンデリア。窓は色ガラスの飾り窓。飾ってある絵画や美術品も高そうで、尚且つ趣味がいい。
 醸しだされている雰囲気が公共の場のようだから、ホテルかとも思ったが、受付が無い。ドアマンもいない。ではなんだと言われると答えようがなかったが、少なくとも個人の邸宅とは思えなかった。

「すみません、お待たせしました」

 シャンデリアを見上げていたために、ちょうど背後にしていた正面扉が開き、駆け込んでくる足音と共に、涼やかな声がホールに響き渡った。
 アティは振り返った。黒髪の青年が荒く息をついて立っていた。深い湖のような青い瞳と視線が合う。その瞳が見開かれた。
 アティも息を止め、目を見張った。突然雷に打たれた心地だった。
 彼から目がそらせない。彼を見失いたくなくて、指一本動かせない。やけに心臓の音だけが、自分の中で大きく響いていた。

『我が神よ、我が主を連れてきたぞ!!』

 剣の誇らしげな声が聞こえた。
 ああ、そうか、と思う。彼は、いや、彼も、宝剣の主なのだ。

「あなたは」

 彼は切なげに目を細め、呟いて右手を差し伸べてきた。でも途中で二人の間に距離があって届かないのに気付いて、手を下ろし、近付いてくる。
 目の前に立った彼は背が高かった。頭一つ分ほど上にある彼の顔を、アティは自然と見上げていた。
 なんて綺麗な男だろうと思う。単に整っているだけでない、生気に満ちていて、目を離せない。

「あなたの名は」

 彼が手を上げ、そっと頬に触れてくる。さっきもこうしたかったのだとわかる。怖々と、まるで確かめるように何度か指先で撫でるのがくすぐったい。

「アティ。アティ・ファング」

 答え終わると、彼は掌で彼女の頬を包むようにした。そして、甘い瞳と声で乞うてくる。

「アティと呼んでもかまいませんか?」

 初対面であるのに、その手も、願いも不躾だった。それでも、アティは不思議と嫌な気はしなかった。むしろ慕わしかった。彼の願いどおりでかまわなかったが、彼女も彼の名を知りたかった。

「あなたの名も、教えてくれるなら」
「ああ。申し訳ありません」

 彼は真摯な表情になると、彼女の頬から手を離し、その場で片膝をついた。騎士の礼で一度深く頭を下げ、顔を上げると、彼女としっかり視線を合わせる。

「私はソラン・ファレノ。ジェナシス領の領知事の息子です。どうぞソランと呼んでください」
「ソラン王妃と同じ名なのですね。その髪も、目も」

 統一王の王妃の名は、ソラン・ファレノ・エレ・ジェナシス。ジェナシス領の領主であるファレノ家の頭領だった。そして、黒髪に青い瞳の美貌の人だったという。性別の差はあれど、ここにいる彼を彷彿とさせる特徴を持っていた。

「ええ。恥ずかしながら、かの王妃から名をいただきました。あなたもではありませんか?」

 王家に生まれ、宝剣の主となった方々は、どの人も若葉色の瞳に焦げ茶色の髪をしていたという。そこでアティの名も、『アティス』からいただいたのだった。

「ええ。そうです」

 彼はアティの返事に微笑んだ。それから、左手を自分の心臓に当て、右の掌を上に向けて差し伸べてくる。貴婦人の情けを乞う仕草に、アティはかがんで、物柔らかに自分の手を彼の手の上に重ねた。

「どうか、あなたの剣となり、盾となることをお許しください」

 古の、主と認めた人に己が身命を捧げることを誓う言葉。今では統一王と王妃の故事にならって、求婚を示す言葉でもあった。
 アティは何の躊躇いもなく、許します、と自然に答えていた。それが当たり前と感じていた。

「その証に、この剣をあなたに与えましょう」
「ありがとうございます」

 彼がアティの指先に口付けを落とす。そして手を取ったまま立ち上がると、剣ごと彼女を抱き締めた。
 アティは完全に彼の腕の中に囲い込まれ、頬が広い胸に押し付けられた。
 そこで、ハタとして違和感を覚える。
 なんか、違う。なんか、おかしい。
 アティは彼の速い心臓の音を聞きながら、考え込んだ。

 剣は我が主とアティを呼んだ。では、ソランは我が神、だろう。もともと剣は、アティス一世の誓願によって、加護とともに神から与えられたものだと言われている。それから彼は生まれ変わるたびに剣の主となって、神との契約を果たしてきたのだと。
 そう、『彼』なのだ。宝剣の主は、今まで例外なく『男』だったはずだ。そしてもちろん、ソラン王妃は『女』だった。……今の二人と違って。

 もぞりと動いて、彼を見上げた。秀麗で精悍な顔が、愛しげに微笑んでいる。どことなく犬のような純粋さと無邪気さが見えて、かわいいと感じる。
 アティは、ソランの可愛さに満足した。大きくても、男でも、この可愛さが愛しかった。
 だから、まあ、いいか、と。彼に笑ってみせた。
 それは、小さくても、女でも、どういうわけか男前という形容が似合う笑顔だった。



 それからの二人のことを付記しておく。
 アティは王都の学校に転校して、家族と離れてこの館で二人で暮らすことになった。どちらかが遠く離れると、察知した剣が震えて喚いてしかたなかったからである。
 ちなみに、けっこうすぐに、アティが剣の声が聞こえることはバレてしまった。あまりのやかましさに、思わず、「やかましい」と怒鳴りつけてしまったからだ。

 恋人としてのあれやこれも、多少離れてやっても剣には筒抜けになっており、いろいろ悩ましく恥ずかしく腹立たしいことも多かったという。
 ただし、剣のほうは無機物なので、まったくいっこうにアティの気持ちを理解せず、どんなに怒られても、思ったこと垂れ流し状態は変わらなかったらしい。
 アティは、このうるさいだけで役立たずの剣をどうしてくれようかと日々頭を悩ませていたが、一転、ある日から手放せないものになった。

 嘘か本当かはわからないが、自称『セルレネレス神に体を乗っ取られた宇宙人』(男性人型)が、ソランを拉致しようとやってきたのだ。なんと、その宇宙人(?)をやっつけられるのが、銃でも大砲でもなく、神剣であるこの宝剣だけだったのだ。
 どうやら宇宙人(?)は、ソランに求愛しにやってきていたらしいのだが、ソランには恋人の敵及び変態認定をされ、やってくるたびに、怒りを込めてけちょんけちょんにやられていた。

 他にもアティの敵は、ソランの親友とか、過保護な姉とかブラコンな妹とか、ソランが全員お友達と爽やかな顔で紹介してくれた一大ハレムとか、あったらしい。

 ソランにも敵というほどではないが、アティをアニキと慕う、アティの地元のやんちゃ坊主たちが休みのたびに押し寄せてきて、いい汗をかいたという。アティの実家ファング家は、南部の大商業都市キエラの名家で、古くから土地の荒くれ者をまとめて王家に仕えてきた家だった。

 二人はとてもにぎやかで騒々しい毎日を過ごしたが、心配していた国家の危難には巻き込まれはしなかった。この時代も、統一王のもたらした平和はきちんと続いていたのだ。
 そうして、数えきれないくらいの笑顔をかわしながら、二人は一生を共にし、離れることなく、幸せに暮らしたという。






 こうして、二人の活躍(?)で、宇宙人による侵略は未然に防がれたのだった。 
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