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幕間2-霧の中で
55.少女、孤立する。
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エルミナージュより出立した一行は、次なる目的地へ向けて歩き出した。朝は爽やかな陽気だったが、日中になるにつれて暖かな陽射しが鬱陶しくなってくる。特に毛皮を着込んだウルフィが厳しそうで真っ先に音を上げて地面にへたり込んだ。
「あつぅいー」
その横で立ち止まったニチカは自分の荷物から水筒を出して皿にそそいでやる。この水筒もオズワルドの発明品でどんな時でも冷やすことのできる魔法瓶のような物だそうだ。
(魔法瓶というか、本当に魔法なんだけど)
苦笑しながらウルフィに差し出す。冷たい水を飲んだオオカミは気力的にも少し回復したのか、しゃんと立ち上がった。
「ありがとー、ニチカは暑くないの?」
「私はまだ平気かな」
確かに汗ばむ陽気ではあったが、このアルカンシエル大陸は全体的に湿度が少なくカラッとしている。日本のジメジメした暑苦しさを経験しているニチカからすればそこまで耐えられないものでは無かった。湿気がないだけでだいぶ不快指数は下がる物なのかと感心する。
しかし目下のところ、暑さよりも彼女を悩ませていることが一つあった。それは……
「ニチカちゃーん、オレも水、水」
「うわ!」
いきなりガバッと後ろからのし掛かられ、少女は持っていた筒を取り落としそうになった。なんとか踏ん張ってその犯人を振り払う。
「びっくりするからやめてっ」
「えー、オレなりのスキンシップなんだけどな」
ヘラヘラと笑う青年は、いきなりかすめるほど近くまで耳に口を寄せたかと思うと低く囁いた。
「なんなら口移しでも構わないよ」
ぞわっとした少女は、その顔に手をやり無理やり引き剥がした。
「そういうのやめてって言ってるでしょ!」
「あははははっ、真っ赤になっちゃってかーわいー」
耳をガシガシとこすったニチカは精いっぱい怖い顔をして睨みつけたが、この青年には大して効果がなさそうだった。
エルミナージュからの道案内人。それは緑の髪が特徴的な青年ランバールだった。ロロ村で対峙したこともあり、ニチカはこの青年に対してまだ少し警戒していた。だがオズワルドに破門されかけた時に助言してくれたこともあり、どういう立ち位置なのかが微妙にわからない。そもそも魔女協会・五老星であるロジカル教授の助手だったのでは?
その辺りをエルミナージュを出たところでぶつけてみると、実にあっけらかんとした答えが返ってきた。
――乗り換えたよ、だってこっちの方が面白そうだし。
なんともアッサリした裏切り行為である。聞けばニチカが校長に直談判に行った時にはすでに、イニに話をつけて『精霊さがし隊』に加わっていたのだというから驚きだ。
イマイチ真意が読めない。やはり信用ならないと結論づけるニチカに彼はスルリと寄ってきた。少女の肩まで伸びた髪を馴れ馴れしく手に取り話し出す。
「それにしても、綺麗な髪だよねー。ねぇ知ってる? 魔力は髪に宿るって一説もあるくらいでさ」
この男がやたらと自分にベタベタしてくる理由をニチカは知っていた。いつの間にかその背後に寄って来た黒い影にキュッと身をすくめる。だがランバールはまるで気づかず笑顔で話し続けた。
「食べたら美味しそう、なーんて」
バシバシッと連続音が響く。ニチカは乱暴に叩(はた)かれた額を抑えた。同じように一撃を喰らったランバールも大げさによろめく。
「さっさと歩け、後がつかえてんだよ」
その犯人は壮絶に機嫌の悪いオズワルドだった。冷え切ったオーラにニチカは怖れさえ感じて後ずさる。だがそんな空気を読まずしてか、ランバールはおちゃらけたように手を振った。
「やだなーセ・ン・パ・イ。女の子はそんなにポンポンはたくものじゃないっスよー」
「俺の行く手を塞いだ時点で同罪だ」
「あれあれ? 怒った? 怒っちゃいました?」
そう、ランバールが自分にちょっかいを出すのはオズワルドを挑発したいが為なのだ。ケンカを売りたいのなら好きにすればいいと思うが、それでこちらにまでとばっちりが来るのは勘弁してほしかった。ニチカとランバールの脇をすり抜けたオズワルドは、少し先で振り向く。
「おい案内人、本当に精霊の居所に心当たりがあるんだろうな? これでついた先が魔女協会だったりしたら……」
「信用ないなぁ、センパイとオレの仲じゃないッスか」
傷ついたように『シナ』を作るランバールだったが、極寒の目を見ると白けたように肩をすくめた。
「はいはいジョーダンです、オレの故郷が風の里なんですってば」
「風の里?」
ニチカは初めて耳にする地名に反応する。風、ということは風の精霊が居るのだろうか。その言葉に振り返ったランバールはニコやかに喋りながら頬に触れてきた。
「そっ、すごいよー。住民みんな飛んでるし、この時期だとちょうど飛行レースなんて開催されてたりでさぁ」
「あの、あの」
振り払うには優しく、受け入れるには馴れ馴れしい手つきにしどろもどろになる。
「あ、なんか急に涼しくなってきた~」
ウルフィが呑気にそういうが、辺りは確実にオズワルドを中心に気温が下がっていた。青い小鳥の姿をしたマナが荒れ狂ったようにそこらを飛び交っている。ニチカは心の中で頭を抱えながら叫んだ。
(どれだけランバールがニガテなタイプなのよぉぉ!!)
たしかにこの軽薄なノリはうざったいが、そこまで嫌うのは何故なのか。動けず硬直していた少女だったが、ふと足元をなでる冷気に気づいて振り返る。
「あれ?」
それは静かに怒る師匠からではなく、はるか前方の山あいから流れて来ているようだった。いつの間にか周囲は少しひんやりとした気温に変わっていて、空を覆う白い霞が太陽をぼんやりと滲ませていた。
「あー着いた着いた。ここは通称『霧の谷』。ここを抜けて風の里に行くんっスよ」
ようやく水先案内人としての務めをするランバールを先頭に、一同は歩みを進めた。進むほどに周りの霧がどんどん濃くなっていく。まるで薄めたミルクの中を泳いでるような気分になりながらニチカはカンテラを取り出した。軽く振ると空気中に向かって呼びかける。
『我がゆくべき道を照らして』
約束の呪文を唱えると、やがてカンテラの中に暖かな黄色い光がポッと宿る。にんまりと笑った少女は嬉しそうに師匠へと報告した。
「見て見て、ちゃんと灯ってるでしょ?」
彼女がここまで得意げなのは理由があった。実はこれはニチカが初めて作った魔女道具なのだ。魔法学校の授業で簡単な魔女道具を作る実習があったので、さきほどの休憩中に組み立ててみたのである。落ちていた小枝を麻紐で縛って枠をつくり、光のマナが好むという白くて丸い石を中心に据える。そしてひらひらと集まってきた光のマナに対して言葉に反応するようお願いをしておく。それだけだが案外上手くいったようで、カンテラは少女を中心にボヤッと光っていた。しかし弟子の初作品を見たオズワルドは眉をひそめて問題点を指摘した。
「なんだその形、マナが逃げ放題じゃないか」
「う、だって閉じ込めるのはちょっと」
授業で習ったカンテラは、ガラス枠に捕獲したマナを光らせる物だった。今回作ったのはマナが自由に出入りできるタイプなので明るさも段違いに暗い。呆れたように半目になった師匠は辛辣に評価を下した。
「こんなもの売り物になるわけないだろ」
「売らないし! これはただの実験であって……あぁっ!」
ニチカの大声に驚いたのか、丸石に留まっていた最後の一匹がひらりと飛び立っていってしまう。少女はガクリと肩を落として落胆した。
「行っちゃったぁぁ」
その横でランバールが笑いながら市販の魔女カンテラを取り出す。命令すると眩いくらいに光り出して辺りを照らし出した。確かにニチカが作ったのは実用レベルではなさそうだ。腰に手をあてた案内人は軽い調子で注意を促す。
「さて、ここからは結構細い道とかあるから気をつけてね」
「また落ちるんじゃないぞ」
「落ちないっ……よう努力します」
すかさずオズワルドから嫌味が飛んでくる。川に落ちた前科を思い出したニチカは縮こまるしかなかった。
霧の谷を進む順番は、カンテラを持ったオズワルドを先頭にして、ウルフィ、ニチカ、そしてしんがりをランバールが務めることになった。ニチカはすぐ目の前でゆらゆらと揺れるウルフィの尻尾をひたすら見つめながら歩いていく。
「……」
みな周囲を警戒しているのか一言も発しない。自分に気配を察するのはムリだとわかっている少女は、ひたすら歩くことに集中した。だが時間が経つにつれ色々と考えてしまう。
この世界に落とされて、だいたい半月と少し経っただろうか。こちらと元いた世界の時間の流れがどのくらい違うかは分からないが、もし同等だとすると立派な行方不明だ。戻ったら都合よく居なくなった時間に戻っていないだろうか。
(お母さん、心配してるだろうな)
そこまで考え、これまであまり母のことを思い出さなかった自分に愕然とする。いくら環境が変わりすぎて動揺してたとはいえ、あまりに薄情すぎはしないだろうか。
(ミィ子も、ゴメン)
妹の事も思い浮かべようとするのだが、なぜかこの霧のように霞んでよく思い出す事ができなかった。あんなに仲が良かったのに何と言うことだ。少女は躍起になって面影を追おうとしたが、結果は虚しいものに終わった。そのことに少なからずショックを受けるが即座に自分でフォローを入れる。
(ううん、きっと疲れてるだけ。あんまり色んなことがあったから記憶が混乱してるのよ。早いところ元の世界に戻れるよう頑張らないと)
そこで現状を整理してみる。未だ精霊は『炎』しか集まっていない。残るは『風』『土』そして『水』だ。風はこれからランバールが案内してくれるから目星はついているが、それでも半分。先はまだまだ長い。
(ちゃんと精霊の巫女の役目を果たしてユーナ様を復活させたら、イニに頼んでフェイクラヴァーをどうにかしてもらう。そして向こうの世界に帰るんだ)
そこまで考えた少女はドキリとした。無事に帰れたとして、もうこちらの世界には戻ってこれないのだろうか?
急に鼓動が早鐘のように打ち始めた。アルカンシエルに来てから出会った人たちが次々と浮かび上がる。もしかしたら、世界をまたいだ記憶は持ち越せないのだろうか? 母と妹がよく思い出せないのはそのせいでは?
ニチカは昔よく見た夢のことを思い出した。夢の中で誰かと一緒に遊んだり冒険したのに、目を覚ますとほとんど覚えていないあの感覚だ。
「っ!」
頭を振ってその考えを追いやる。今かんがえたところで仕方のないことだ。まずは目の前の課題をクリアすること。悩むのはその後でいい。
「……え、あれ?」
そこでようやく気づいて足を止める。目の前で揺れていたはずのウルフィの尻尾がいつの間にか消えていた。慌てて振り向くも、緑の髪も、黄色いカンテラの灯りも見当たらない。ニチカは半笑いを浮かべながら呼びかけた。
「ちょっと、悪ふざけはやめてよ、みんな」
だが師匠の意地悪な声も、陽気なオオカミの声も、含みのある青年の声も返ってこない。いつの間にか少女は霧の中で孤立していた。
「あつぅいー」
その横で立ち止まったニチカは自分の荷物から水筒を出して皿にそそいでやる。この水筒もオズワルドの発明品でどんな時でも冷やすことのできる魔法瓶のような物だそうだ。
(魔法瓶というか、本当に魔法なんだけど)
苦笑しながらウルフィに差し出す。冷たい水を飲んだオオカミは気力的にも少し回復したのか、しゃんと立ち上がった。
「ありがとー、ニチカは暑くないの?」
「私はまだ平気かな」
確かに汗ばむ陽気ではあったが、このアルカンシエル大陸は全体的に湿度が少なくカラッとしている。日本のジメジメした暑苦しさを経験しているニチカからすればそこまで耐えられないものでは無かった。湿気がないだけでだいぶ不快指数は下がる物なのかと感心する。
しかし目下のところ、暑さよりも彼女を悩ませていることが一つあった。それは……
「ニチカちゃーん、オレも水、水」
「うわ!」
いきなりガバッと後ろからのし掛かられ、少女は持っていた筒を取り落としそうになった。なんとか踏ん張ってその犯人を振り払う。
「びっくりするからやめてっ」
「えー、オレなりのスキンシップなんだけどな」
ヘラヘラと笑う青年は、いきなりかすめるほど近くまで耳に口を寄せたかと思うと低く囁いた。
「なんなら口移しでも構わないよ」
ぞわっとした少女は、その顔に手をやり無理やり引き剥がした。
「そういうのやめてって言ってるでしょ!」
「あははははっ、真っ赤になっちゃってかーわいー」
耳をガシガシとこすったニチカは精いっぱい怖い顔をして睨みつけたが、この青年には大して効果がなさそうだった。
エルミナージュからの道案内人。それは緑の髪が特徴的な青年ランバールだった。ロロ村で対峙したこともあり、ニチカはこの青年に対してまだ少し警戒していた。だがオズワルドに破門されかけた時に助言してくれたこともあり、どういう立ち位置なのかが微妙にわからない。そもそも魔女協会・五老星であるロジカル教授の助手だったのでは?
その辺りをエルミナージュを出たところでぶつけてみると、実にあっけらかんとした答えが返ってきた。
――乗り換えたよ、だってこっちの方が面白そうだし。
なんともアッサリした裏切り行為である。聞けばニチカが校長に直談判に行った時にはすでに、イニに話をつけて『精霊さがし隊』に加わっていたのだというから驚きだ。
イマイチ真意が読めない。やはり信用ならないと結論づけるニチカに彼はスルリと寄ってきた。少女の肩まで伸びた髪を馴れ馴れしく手に取り話し出す。
「それにしても、綺麗な髪だよねー。ねぇ知ってる? 魔力は髪に宿るって一説もあるくらいでさ」
この男がやたらと自分にベタベタしてくる理由をニチカは知っていた。いつの間にかその背後に寄って来た黒い影にキュッと身をすくめる。だがランバールはまるで気づかず笑顔で話し続けた。
「食べたら美味しそう、なーんて」
バシバシッと連続音が響く。ニチカは乱暴に叩(はた)かれた額を抑えた。同じように一撃を喰らったランバールも大げさによろめく。
「さっさと歩け、後がつかえてんだよ」
その犯人は壮絶に機嫌の悪いオズワルドだった。冷え切ったオーラにニチカは怖れさえ感じて後ずさる。だがそんな空気を読まずしてか、ランバールはおちゃらけたように手を振った。
「やだなーセ・ン・パ・イ。女の子はそんなにポンポンはたくものじゃないっスよー」
「俺の行く手を塞いだ時点で同罪だ」
「あれあれ? 怒った? 怒っちゃいました?」
そう、ランバールが自分にちょっかいを出すのはオズワルドを挑発したいが為なのだ。ケンカを売りたいのなら好きにすればいいと思うが、それでこちらにまでとばっちりが来るのは勘弁してほしかった。ニチカとランバールの脇をすり抜けたオズワルドは、少し先で振り向く。
「おい案内人、本当に精霊の居所に心当たりがあるんだろうな? これでついた先が魔女協会だったりしたら……」
「信用ないなぁ、センパイとオレの仲じゃないッスか」
傷ついたように『シナ』を作るランバールだったが、極寒の目を見ると白けたように肩をすくめた。
「はいはいジョーダンです、オレの故郷が風の里なんですってば」
「風の里?」
ニチカは初めて耳にする地名に反応する。風、ということは風の精霊が居るのだろうか。その言葉に振り返ったランバールはニコやかに喋りながら頬に触れてきた。
「そっ、すごいよー。住民みんな飛んでるし、この時期だとちょうど飛行レースなんて開催されてたりでさぁ」
「あの、あの」
振り払うには優しく、受け入れるには馴れ馴れしい手つきにしどろもどろになる。
「あ、なんか急に涼しくなってきた~」
ウルフィが呑気にそういうが、辺りは確実にオズワルドを中心に気温が下がっていた。青い小鳥の姿をしたマナが荒れ狂ったようにそこらを飛び交っている。ニチカは心の中で頭を抱えながら叫んだ。
(どれだけランバールがニガテなタイプなのよぉぉ!!)
たしかにこの軽薄なノリはうざったいが、そこまで嫌うのは何故なのか。動けず硬直していた少女だったが、ふと足元をなでる冷気に気づいて振り返る。
「あれ?」
それは静かに怒る師匠からではなく、はるか前方の山あいから流れて来ているようだった。いつの間にか周囲は少しひんやりとした気温に変わっていて、空を覆う白い霞が太陽をぼんやりと滲ませていた。
「あー着いた着いた。ここは通称『霧の谷』。ここを抜けて風の里に行くんっスよ」
ようやく水先案内人としての務めをするランバールを先頭に、一同は歩みを進めた。進むほどに周りの霧がどんどん濃くなっていく。まるで薄めたミルクの中を泳いでるような気分になりながらニチカはカンテラを取り出した。軽く振ると空気中に向かって呼びかける。
『我がゆくべき道を照らして』
約束の呪文を唱えると、やがてカンテラの中に暖かな黄色い光がポッと宿る。にんまりと笑った少女は嬉しそうに師匠へと報告した。
「見て見て、ちゃんと灯ってるでしょ?」
彼女がここまで得意げなのは理由があった。実はこれはニチカが初めて作った魔女道具なのだ。魔法学校の授業で簡単な魔女道具を作る実習があったので、さきほどの休憩中に組み立ててみたのである。落ちていた小枝を麻紐で縛って枠をつくり、光のマナが好むという白くて丸い石を中心に据える。そしてひらひらと集まってきた光のマナに対して言葉に反応するようお願いをしておく。それだけだが案外上手くいったようで、カンテラは少女を中心にボヤッと光っていた。しかし弟子の初作品を見たオズワルドは眉をひそめて問題点を指摘した。
「なんだその形、マナが逃げ放題じゃないか」
「う、だって閉じ込めるのはちょっと」
授業で習ったカンテラは、ガラス枠に捕獲したマナを光らせる物だった。今回作ったのはマナが自由に出入りできるタイプなので明るさも段違いに暗い。呆れたように半目になった師匠は辛辣に評価を下した。
「こんなもの売り物になるわけないだろ」
「売らないし! これはただの実験であって……あぁっ!」
ニチカの大声に驚いたのか、丸石に留まっていた最後の一匹がひらりと飛び立っていってしまう。少女はガクリと肩を落として落胆した。
「行っちゃったぁぁ」
その横でランバールが笑いながら市販の魔女カンテラを取り出す。命令すると眩いくらいに光り出して辺りを照らし出した。確かにニチカが作ったのは実用レベルではなさそうだ。腰に手をあてた案内人は軽い調子で注意を促す。
「さて、ここからは結構細い道とかあるから気をつけてね」
「また落ちるんじゃないぞ」
「落ちないっ……よう努力します」
すかさずオズワルドから嫌味が飛んでくる。川に落ちた前科を思い出したニチカは縮こまるしかなかった。
霧の谷を進む順番は、カンテラを持ったオズワルドを先頭にして、ウルフィ、ニチカ、そしてしんがりをランバールが務めることになった。ニチカはすぐ目の前でゆらゆらと揺れるウルフィの尻尾をひたすら見つめながら歩いていく。
「……」
みな周囲を警戒しているのか一言も発しない。自分に気配を察するのはムリだとわかっている少女は、ひたすら歩くことに集中した。だが時間が経つにつれ色々と考えてしまう。
この世界に落とされて、だいたい半月と少し経っただろうか。こちらと元いた世界の時間の流れがどのくらい違うかは分からないが、もし同等だとすると立派な行方不明だ。戻ったら都合よく居なくなった時間に戻っていないだろうか。
(お母さん、心配してるだろうな)
そこまで考え、これまであまり母のことを思い出さなかった自分に愕然とする。いくら環境が変わりすぎて動揺してたとはいえ、あまりに薄情すぎはしないだろうか。
(ミィ子も、ゴメン)
妹の事も思い浮かべようとするのだが、なぜかこの霧のように霞んでよく思い出す事ができなかった。あんなに仲が良かったのに何と言うことだ。少女は躍起になって面影を追おうとしたが、結果は虚しいものに終わった。そのことに少なからずショックを受けるが即座に自分でフォローを入れる。
(ううん、きっと疲れてるだけ。あんまり色んなことがあったから記憶が混乱してるのよ。早いところ元の世界に戻れるよう頑張らないと)
そこで現状を整理してみる。未だ精霊は『炎』しか集まっていない。残るは『風』『土』そして『水』だ。風はこれからランバールが案内してくれるから目星はついているが、それでも半分。先はまだまだ長い。
(ちゃんと精霊の巫女の役目を果たしてユーナ様を復活させたら、イニに頼んでフェイクラヴァーをどうにかしてもらう。そして向こうの世界に帰るんだ)
そこまで考えた少女はドキリとした。無事に帰れたとして、もうこちらの世界には戻ってこれないのだろうか?
急に鼓動が早鐘のように打ち始めた。アルカンシエルに来てから出会った人たちが次々と浮かび上がる。もしかしたら、世界をまたいだ記憶は持ち越せないのだろうか? 母と妹がよく思い出せないのはそのせいでは?
ニチカは昔よく見た夢のことを思い出した。夢の中で誰かと一緒に遊んだり冒険したのに、目を覚ますとほとんど覚えていないあの感覚だ。
「っ!」
頭を振ってその考えを追いやる。今かんがえたところで仕方のないことだ。まずは目の前の課題をクリアすること。悩むのはその後でいい。
「……え、あれ?」
そこでようやく気づいて足を止める。目の前で揺れていたはずのウルフィの尻尾がいつの間にか消えていた。慌てて振り向くも、緑の髪も、黄色いカンテラの灯りも見当たらない。ニチカは半笑いを浮かべながら呼びかけた。
「ちょっと、悪ふざけはやめてよ、みんな」
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