ひねくれ師匠と偽りの恋人

紗雪ロカ@失格聖女コミカライズ

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6-フライアウェイ!

59.少女、電話する。

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 歩くこと一日と少し、一行はようやく霧の谷を抜けることが出来た。ある地点で急に涼しい風が吹いてきてニチカの髪とケープを揺らす。足元さえ見えなかった白い霧が晴れていき、目の前には若葉色に萌える平原が広がっていた。ぐるりと山に囲まれた盆地で、中央に目立つ街が一つである以外は他に何も見当たらない。ザザアと山から降りてくる風が草原を走り抜ける。視覚的にこれほど風を感じられる土地も無いだろう。

「あー、やっと抜けたぁ、この風も久しぶりだな~」

 後ろからやってきたランバールは、手で庇を作り眼下に広がる緑のじゅうたんを見下ろす。懐かしそうに目を細める彼にニチカは聞いてみた。

「この辺り一帯が風の里なの?」
「ん? まぁそうなのかな、明確に領域を主張してるわけじゃないからどこから! って、言われると困るんだけど……この盆地一帯は風の里って言っちゃっても良いかもね」

 後ろの霧からぬっと出てきたオズワルドがその隣に立つ。美しい光景を一瞥するといつものように淡々と言った。

「この盆地は山脈に守られた天然の要塞。風の里は特に目立った資源があるわけでもなし、わざわざ山道登って攻めてくる国もないんだろう」
「センパイずいぶんハッキリ言ってくれる……確かにオレの街は何の特産もない地味国ですけどね」

 ランバールは苦笑しながら中央に一つだけある街を指差した。

「ま、そんな何の資源もない街ですけど寄ってって下さいよ。風の里は観光しても面白いんだから」

***

 街に近づくにつれて風が強くなっていく。しかしそれは不快な物ではなく、身体にまとわりつく子犬のようだった。見上げれば蝶の形を取った緑の元素が抜けるような青い空に吸い込まれていく。ニチカは髪を押さえながら驚いたように言った。

「風のマナがこんなに! 風の精霊がいるって言うのも頷けるかも」
「僕にも見えるよ! すっごい数だねぇ」

 はしゃいで跳ね回るウルフィとは別に、オズワルドはこの風に辟易しているようだった。下から巻き上げられた黒いマントをかなぐり捨て、虚空に向かって吼える。

「うざったい! さっきから俺ばっかり何なんだ!」
「あはは、オールバックになってるよ」

 少女が指さして笑うとますます師匠の顔が険しくなる。その髪はグシャグシャにかき乱され寝起きのようになっていた。ランバールがニヤニヤと笑いながら意見する。

「センパイ好かれてますねー、さっすがー」

 さすが。の意味を考えて、ニチカは以前ウルフィから教えてもらった事を思い出す。

「あ、そっか。風のマナは美形好きって言ってたっけ」
「おわっ!」

 突進してきた風に煽られ、オズワルドが後ろに倒れる。背中をしたたかに打った彼は悶絶しているようだった。二人と一匹の笑い声に、男のオーラにドス黒いものが混じり始める。俯き加減で立ち上がった彼は何やらブツブツと呟き始めた。

「風のマナを黙らせるにはアレを……いや違う、消滅させる、消し炭にしてやる」
「なに物騒な事言ってんの、ほら立って」

 ニチカが苦笑しながら手を差し伸べる横でランバールが慰めるように言った。

「もうちょいの辛抱ですって、街に入ればここよりは影響が少ないはずっス」

 はるか遠くに見える門を見やった男は、その距離を目算して重いため息をついたのだった。

***

 ようやく街を囲う城壁前へとたどり着く頃には、オズワルドだけではなくニチカの毛もボサボサになっていた。ウルフィに至っては爆発して毛玉のようなフォルムになっている。ため息をついた師匠はげんなりしたように言った。

「やっとついた……風にこんな殺意を抱いたのは初めてだ」
「ほら機嫌直す、これから街に入るのにそんな目つきしてたら何事かと思われちゃうよ」

 ところが門まであと少しと言うところで、前を歩いていたウルフィがクルッとこちらに向き直った。バウッと一声吠えるとこんな事を言い出す。

「ねぇねぇ! ご主人たちは街に入るんだよね? その前にこの辺りを思いっきり走ってきてもいいかな? 僕が入っても問題なさそうなら連絡くれればいいからさっ」

 それだけ言うと返事も聞かずに飛び出して行ってしまった。意図を察したのだろう、ランバールが頭を掻きながら小さく言った。

「あー、別に大丈夫なのに。風の里は長耳族(ハーゼ)に対して偏見ない方だと思うんだけど」
「ウルフィっていつも明るく見えるけど、やっぱり気にしてるのかな……」

 心配そうに応えたニチカは表情を曇らせる。元いた森の近くでは敬遠されていたというウルフィ。自分と友達になったときの無邪気な喜びが思い出される。だがそのしんみりした雰囲気をブチ壊すようにオズワルドがそっけなく言った。

「いや、あれは単に走りたいだけだろ。あの単細胞にそこまで悩む知恵はない」

 反論しかけたニチカだったが、出かけた言葉をグッと飲み込む。代わりに嫌味を投げつけてやった。

「そうよねー、あなたみたいな図太い神経の持ち主にはわからないでしょうねー」

 少し進化した弟子のやり返しにオズワルドは目を瞬く。だがすぐに腕を組むと平然と言い放った。

「フン、傷つくような心など持つだけ邪魔だ」
「またそういうこと言う! この意地っ張り!」
「誰がだ!」
「だぁぁストップストップ! 二人とも入るっスよ」

 慌ててランバールが止めに入ったので、にらみ合っていた二人はフンと顔を背けた。乱れた髪を手ぐしで直しながらオズワルドは詰所の扉を叩く。

「旅の者です。街に入る手続きをお願いしたいのですが」
「はいよー」

 声が届いたのか門番はガチャリと扉を開ける。と、旅人の後ろでヒラヒラと手を振る緑の青年に気付いたようでひげ面を破顔させた。

「ん? おおお!? ランじゃねーか! 魔法学校はどうした。ついに退学になったか」
「おっちゃーん、おひさー。ガッコは自主休講中。世界を救うお手伝いしてんの」
「ハハハ、そりゃいいや」

 冗談だと思ったのか、門番は詰所に入るようニチカ達を促す。ところが元々この里出身であるランバールは手続きが必要ないのか、彼は一人向きを変えて歩き出した。

「センパイ、オレ先に行って話つけてくるんで後から来て下さい。場所はそのおっちゃんから聞くといいッス」

 それだけ言い残し、風のように去ってしまう。残された二人は書類を書くため狭い詰所の中に案内された。ウォールポケットから紙を二枚引き抜いた門番が朗らかに話しかけてくる。

「この時期に来たってことは、レースを見に来たんだろう?」
「レース?」

 ニチカの声に、おや? と、振り返った門番は書類を二人の前に置きながら意外そうな顔をした。

「それ目当てじゃなかったのかい? なら運が良い、明日は年に一度の大レースが行われる日なんだ。見ていくと良い。あ、そこ名前と同意の欄にレ点入れてくれるだけで良いから。いいよいいよどうせ誰もチェックしてないし」

 ゆるゆるの審査書類に記入しながら、ニチカはさらに突っ込んで聞いてみる。

「レースって、マラソンでもするんですか?」
「まさか! 嬢ちゃん――えー、ニチカちゃんか。ここは風の里なんだぜ? 乗る物と言ったら一つじゃないか」
「??」
「まぁ、見てからのお楽しみってことで。なぁにすぐに分かるさ」

 その後ランバールの行き先を教えてもらい、二人は詰め所から出る。振り返った少女は一つ伝言を託した。

「そうだ、後からしゃべるオオカミが来ると思うんです。私たちの連れなんで同じところに来るように伝えてもらっても良いですか?」
「おうしゃべるワンコか! 任せとけ!」

 あまり深く考えない性質なのか、豪快に笑いながら引っ込んで行く門番にオズワルドはめずらしく戸惑っているようだった。真剣な顔をしながら大真面目にボケる。

「なんて平和ボケした街なんだ……俺みたいなのは入れちゃダメだろ」
「師匠、それ自分で言っちゃダメなヤツだと思います」

 一応ツッコミをいれてからニチカは暗い通路の中を進んでいく。明るい出口へ抜けた彼女は目の前に広がる光景に目を見開いた。

「ここが風の里!」

 おとぎ話に出てきそうな、と表現すればわかりやすいだろうか。赤いレンガ敷きの道に、カラフルな壁と白い漆喰がまぶしい三角屋根のかわいい家が軒を連ねている。それらの家は妙に階層が高く、ほとんどが三階以上……中には見上げるほど高いアパートなどもある。柔らかい風が吹き抜け、そこかしこに設置された風車をカラカラと回していた。

 そして、これまで通ってきた街とは決定的に違う点が一つあった。目の前をスイーッと飛んでいく住人たちにニチカは感嘆の声をあげる。

「すごい、みんな飛ぶの上手だ」

 ふわりとホウキに乗った女の人が、買い物帰りなのか紙袋を抱えたまま二階のベランダに飛んでいく。驚くことに、行きかう人々の内、半分くらいがホウキに乗って飛んでいた。だが、目の前を浮遊して通り過ぎた男性を見て、少女はある疑問を抱く。

「そういえば男の人も普通にホウキ乗ってるね?」
「恥ずかしくないのか」

 眉を潜めるオズワルドだったが、その呟きに答えるようにして、唐突に背後から高らかな声が響いた。

「何を恥ずかしがる必要があるのかね!」

 驚いて振り返ると、今しがたくぐり抜けて来た防壁の上に誰かが立っている。逆光のためよく見えないが、声からするに長い髪をなびかせた男性のようだ。

「薔薇?」

 どこからか飛んできた真っ赤な花弁を手のひらで受け止め、ニチカは怪訝な顔をする。それまで普通に歩いていた住民たちが立ち止まって尊敬のまなざしを謎の人物に向けた。

「シルミア様!」
「シルミア様だぞ!」
「あぁ、今日も素敵!」

 目をこらして何とかシルミア様とやらの姿を捉えようとする。薄緑の髪をなびかせた彼は、手にした一輪の薔薇に口付けると優雅にポーズを決めた。

「僕は……美しい」

 ウォォォ!と盛り上がる周囲とは別に、ニチカはポカンと口を開け、オズワルドは呆れた表情を浮かべた。

「はッ!」

 掛け声と共に高台からバッと飛び降りた謎の男は、かすり傷一つ負わずふわりと着地した。その度に花びらが舞って何の演出だとツッコミを入れたくなってしまう。やたらとビラビラした衣装の『シルミア様』は、オズワルドに薔薇の一輪を差し出すとキザったらしく髪をかき上げた。

「僕は美しい……そして美しい物ももちろん大好きだ。美は神が与えたもう才能、君のその美貌は誇って良い」
「寄るなナルシスト」

 べし、と薔薇を払いのけるオズワルドだったが、シルミアは気を悪くした様子もなく今度はニチカの方に向き直った。

「ようこそ可愛い人。今は可憐なつぼみだが、やがて君の美しさは大輪の華を咲かせるだろう。私には分かるよ」
「あっ、あの、こんにちは」

 戸惑いながらも頬を染めて挨拶をすると、彼は深緑の瞳をキラキラ輝かせながら悩ましげに額に手をやった。

「あぁぁ素晴らしい! 今日は何と良い日なのだろう!!」
「!?」

 突然オズワルドの肩を組んだシルミアは、ぶわさぁっとマントをひるがえしポーズを決めた。通りに歓声が巻き起こる。あまり人前に立ちたくない性分のオズワルドは青筋を浮かべてキレかかっていた。

「なんなんだコイツは!」
「さ、さぁ」

 ニチカが思わず一歩引いて見守っていると、八百屋の角を曲がり見覚えのある青年がかけて来た。

「あ、いたいた。家に居ないから探したっスよーもう」
「ランバール! 早いとこ風の精霊に会わせろ、こんな変な街はさっさと出る!」

 歌いながら揺れ始める群衆に巻き込まれていたオズワルドは叫んだ。だが案内人は面白そうに笑う。

「やだなぁセンパイ。隣に居るじゃないっスか」
「は?」

 耳を疑った男は左を見る。目のあったナルシストはバチーンとウィンクをしておちゃめに舌を出した。

「その人が里の長にして風の精霊、シルミアっス」

 ランバールの紹介を聞き終えるか否か、そんなタイミングではあったが、色々言いたいことをすべて拳に乗せて鎖骨の辺りをグーで殴っておいた。

***

「あっはっは、まさかランが連れてきたお客様が精霊の巫女さんなんてなぁ~」

 人払いをした後、風の精霊シルミアはそう言ってケラケラと笑った。その姿はオズワルドとそう年の変わらない外見で、精霊らしさは正直ない。彼は相変わらず花を巻き散らかしながら優雅に一礼した。

「では改めて、風の精霊シルミアさ。よろしく」
「あっ、はい! ニチカって言います。お会いできて光栄です!」

 慌てて頭を下げる少女を見て、美貌の精霊はクスリと笑った。

「ユーナとは違ったタイプなんだね」
「シルミア様も、ユーナ様を知ってるんですか?」

 そう言うと彼はチチチと指を振った。動きに合わせて空気が渦を巻く。

「まぁ待ちたまえ、立ち話なんて無作法は僕の美学に反する。積もる話は僕の宮殿で優雅にティータイムを楽しみながら話そうじゃないか」
「はぁ」

 そういうわけで、一行はシルミアの宮殿へ行くことになった。通りを歩きながらニチカの横を歩く師匠がげんなりと愚痴をこぼす。

「ダメだ、どうにもああいうタイプは生理的に受け付けん」
「あはは……」

 どことなくテンションとノリがあの金色の神・イニと近いものを感じるのだろう。その時、通りの真ん中に変な物を見つけてニチカは足を止めた。

「あれ、何ですか?」

 彼女が指さす先、横並びに三つ、人と顔くらいの高さに緑の水晶玉が浮かんでいた。左右の二つにはそれぞれ人が居て、上半身を乗り出し玉に頭を突っ込んでいる。問いかけに答えてくれたのは頭の後ろで手を組んだランバールだった。

「あぁアレ? この人が作った装置でさ、離れたところにいる人と話ができるんだ」

 その説明でピンと来たニチカは、現代世界の文明を口に出した。

「電話だ!」
「デンワ?」

 首を傾げるランバールの後ろから出て来たシルミアが、自信たっぷりの笑みを浮かべながらニチカの手を取った。

「デンワという名称ではないが『風のささやき』は僕の自信作さ! なんならずずいっと試してみるがいい! さぁ! さぁ!」

 グイと押され、玉の中に頭を突っ込む。外からは固そうにみえた玉だが、顔を突っ込むと、とぷりとまるで水のようにニチカを受け入れた。なのに息ができる。ふしぎな感覚だった。外から届くシルミアの声は、壁一枚挟んだように遠い。

 ――話をしたい人物の名前と場所を思い浮かべたまえ、風のマナがその声を運んでくれるだろう!
「え、えーと、誰にしよう?」

 使い方を説明されて、ニチカの脳裏にこれまで出会ってきた人物が次々と浮かび上がる。その中の一人を少女はハッキリと思い浮かべた。

「うん、この人にしよう!」
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