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8-淫靡テーション
81.少女、霧雨を進む。
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霧のように細かい小雨が続いていた。立ち止まって雨宿りするほどではないが、顔に当たるのが鬱陶しい。先日もらったばかりのマントがフード付きなことに感謝しつつ、ニチカは目深にかぶり直して黙々と道を歩く。
普段はもっぱらウルフィとしゃべり、そこに時折オズワルドが茶々を入れてくるというのが旅の光景になっていたが、今日ばかりは皆押し黙って足を機械的に動かし続けた。サラサラと降る霧雨の中を、影は一列になって歩いていく。茶色い一匹。赤い一人。黒い一人――と、その後ろに付くように湿った緑の生き物が一匹。
「!」
気配に振り返った時には遅く、緑のカエルがオズワルドの目の高さまで飛び上がっていた。カエルは体を風船のように膨らませたかと思うと、体内に貯めた水を吐き出す。
「オズワルド!」
少女が慌てて引き返すと、顔中ずぶ濡れになった男は苦い顔で前髪から滴る雫を拭っていた。ケタケタと笑ったカエルが沼地の方へと逃げ、少女とオオカミが後を追おうとする。
「このーっ!」
「やいやいやい、待てぇ!」
「いい、やめろ」
それを静かに引き止め、男は沼の方を顎で示した。
「反撃したほうが厄介な事になる、あの沼で待機してる奴らが一斉に水を吹きかけてくるぞ」
見れば沼の中からビー玉のような目だけを出して、カエルたちがこちらを期待に満ちた眼差しで見つめている。その数ざっと二十匹。その「ぬめら」とした光景にぞっとしたニチカは荷物の中からタオルを取り出した。
「うぅ、アレ系の生き物はちょっと……それより拭かなきゃ風邪引いちゃうよ」
「このくらい平気だ。それより見えてきたな」
少女は師匠の視線の先を追う。けぶるような視界の先にぼんやりと次の町が見えていた。顎を袖でぬぐったオズワルドが簡単な説明をしてくれる。
「あれはユナスの町と言って、精霊の女神ユーナをあがめる女神教の発祥の地だと言われている」
「ユーナ様の?」
驚いて町をよくみようと目を細める。他の建物より一回り高い教会が雨の向こうに見えてきた。耳をピンと立てたウルフィが自慢げに知識を披露し始める。
「僕しってるよー! 天界から降りてきたユーナ様がいっちばん最初に降り立ったのがあの町だって言われてるんだ」
「へぇ、じゃあきっと魔水晶のことは心配しなくても平気ね」
ニチカの言葉にオズワルドは片方の眉を上げてみせた。少女はその表情に違うの?とでも言いたそうな顔をする。
「そんな聖なる伝承のある地なら、女神さまのご加護とかあるんじゃないの? これで行って『毒されてました』とかだったらガッカリ感が半端ないんだけど」
「それは……どうだろうな」
何か含みのある言い方が引っかかるが、師匠は再び歩き出してしまう。
「行けば分かることだ。寒い、さっさと行くぞ」
「あ、待ってよー」
「ごしゅじぃ~ん」
雨はしとしとと降り続く。誘いに乗らず放置されたカエルたちだけが、残念そうにその後ろ姿を見送っていた。
***
まだ日暮れには早いはずだったが、崩れた天候のせいで町中は全体的に薄暗くどこか陰鬱な雰囲気を醸し出していた。一行の気持ちを代表するようにニチカが口を開く。
「うわぁ、なにこの町……暗いんだけど」
そこの曲がり角から幽霊でものっそり出て来そうな町並みにひくりと頬を引きつらせる。早くもウルフィは尻尾をぶわぶわに膨らませてビビっているようだ。通りは人通りもまばらで、なぜか行き交う人は子供たちばかりだった。
「あの、こんにちは」
通りの向こうから大きな紙ぶくろを抱えた少年がやってきて、ニチカが声をかける。手のあちこちに絆創膏をつけた少年は、一瞬怪訝そうな顔をしたが立ち止まってくれた。
「こんちわ、ねーさんたち旅の人?」
「えぇそうなの。宿を探してるんだけど教えてもらってもいいかな?」
そう尋ねると、少年は自分が今来た道を指さして道案内をしてくれる。
「ここをまっすぐ行って、あの金物屋の看板を曲がった先に『けやき亭』ってのがあるよ。でもあそこはなぁ、大丈夫かな……」
「ヘンな宿屋なのー?」
少女の後ろから覗き込むようにしてウルフィが口を開く。一瞬びくっとした少年だったが悲鳴を上げるようなことはなかった。落としかけた紙袋を抱えなおしながら言葉を返す。
「喋る犬なんて面白いね。宿がヘンっていうか、あそこん家の子はちっちゃな女の子一人だから……」
「?」
宿屋に居る娘が小さいと何か問題があるのだろうか? だが少年は通りの時計を見上げるとあーっと声をあげた。
「もうこんな時間! 仕込みの時間に間に合わなくなっちまう!」
「あ、ありがとうね!」
駆けて行った少年の背中にお礼の言葉を投げかける。少年は向かいの通りの食堂屋に飛び込んでいった。家の手伝いでもしているのだろうか。
とにかく、宿の場所は教えてもらったので一行は移動する。金物屋の半開きのドアから覗くと、カウンターに座ったメガネの男の子と目が合いぺこりと会釈をされた。ニチカは軽く笑い手を振り返す。
「この町の子って、家の手伝いをちゃんとしてるのね。ここかな?」
なんて親孝行なのだろうか。感心しながら宿屋のドアを開けた少女は待ち構えていた人物にポカンとした。
「いらっちゃいませ、よーこそけやきていへ、おつかれでしょお? あたたかなベッドと、ごはんをおやくそくしましゅ」
緑のブカブカな上着を着た幼女が、深々とおじぎをしていたのである。小さな支配人は両手を出すと舌ったらずな口調で続けた。
「さぁおきゃくさま、おにもつをおはこびいたしましゅ」
普段はもっぱらウルフィとしゃべり、そこに時折オズワルドが茶々を入れてくるというのが旅の光景になっていたが、今日ばかりは皆押し黙って足を機械的に動かし続けた。サラサラと降る霧雨の中を、影は一列になって歩いていく。茶色い一匹。赤い一人。黒い一人――と、その後ろに付くように湿った緑の生き物が一匹。
「!」
気配に振り返った時には遅く、緑のカエルがオズワルドの目の高さまで飛び上がっていた。カエルは体を風船のように膨らませたかと思うと、体内に貯めた水を吐き出す。
「オズワルド!」
少女が慌てて引き返すと、顔中ずぶ濡れになった男は苦い顔で前髪から滴る雫を拭っていた。ケタケタと笑ったカエルが沼地の方へと逃げ、少女とオオカミが後を追おうとする。
「このーっ!」
「やいやいやい、待てぇ!」
「いい、やめろ」
それを静かに引き止め、男は沼の方を顎で示した。
「反撃したほうが厄介な事になる、あの沼で待機してる奴らが一斉に水を吹きかけてくるぞ」
見れば沼の中からビー玉のような目だけを出して、カエルたちがこちらを期待に満ちた眼差しで見つめている。その数ざっと二十匹。その「ぬめら」とした光景にぞっとしたニチカは荷物の中からタオルを取り出した。
「うぅ、アレ系の生き物はちょっと……それより拭かなきゃ風邪引いちゃうよ」
「このくらい平気だ。それより見えてきたな」
少女は師匠の視線の先を追う。けぶるような視界の先にぼんやりと次の町が見えていた。顎を袖でぬぐったオズワルドが簡単な説明をしてくれる。
「あれはユナスの町と言って、精霊の女神ユーナをあがめる女神教の発祥の地だと言われている」
「ユーナ様の?」
驚いて町をよくみようと目を細める。他の建物より一回り高い教会が雨の向こうに見えてきた。耳をピンと立てたウルフィが自慢げに知識を披露し始める。
「僕しってるよー! 天界から降りてきたユーナ様がいっちばん最初に降り立ったのがあの町だって言われてるんだ」
「へぇ、じゃあきっと魔水晶のことは心配しなくても平気ね」
ニチカの言葉にオズワルドは片方の眉を上げてみせた。少女はその表情に違うの?とでも言いたそうな顔をする。
「そんな聖なる伝承のある地なら、女神さまのご加護とかあるんじゃないの? これで行って『毒されてました』とかだったらガッカリ感が半端ないんだけど」
「それは……どうだろうな」
何か含みのある言い方が引っかかるが、師匠は再び歩き出してしまう。
「行けば分かることだ。寒い、さっさと行くぞ」
「あ、待ってよー」
「ごしゅじぃ~ん」
雨はしとしとと降り続く。誘いに乗らず放置されたカエルたちだけが、残念そうにその後ろ姿を見送っていた。
***
まだ日暮れには早いはずだったが、崩れた天候のせいで町中は全体的に薄暗くどこか陰鬱な雰囲気を醸し出していた。一行の気持ちを代表するようにニチカが口を開く。
「うわぁ、なにこの町……暗いんだけど」
そこの曲がり角から幽霊でものっそり出て来そうな町並みにひくりと頬を引きつらせる。早くもウルフィは尻尾をぶわぶわに膨らませてビビっているようだ。通りは人通りもまばらで、なぜか行き交う人は子供たちばかりだった。
「あの、こんにちは」
通りの向こうから大きな紙ぶくろを抱えた少年がやってきて、ニチカが声をかける。手のあちこちに絆創膏をつけた少年は、一瞬怪訝そうな顔をしたが立ち止まってくれた。
「こんちわ、ねーさんたち旅の人?」
「えぇそうなの。宿を探してるんだけど教えてもらってもいいかな?」
そう尋ねると、少年は自分が今来た道を指さして道案内をしてくれる。
「ここをまっすぐ行って、あの金物屋の看板を曲がった先に『けやき亭』ってのがあるよ。でもあそこはなぁ、大丈夫かな……」
「ヘンな宿屋なのー?」
少女の後ろから覗き込むようにしてウルフィが口を開く。一瞬びくっとした少年だったが悲鳴を上げるようなことはなかった。落としかけた紙袋を抱えなおしながら言葉を返す。
「喋る犬なんて面白いね。宿がヘンっていうか、あそこん家の子はちっちゃな女の子一人だから……」
「?」
宿屋に居る娘が小さいと何か問題があるのだろうか? だが少年は通りの時計を見上げるとあーっと声をあげた。
「もうこんな時間! 仕込みの時間に間に合わなくなっちまう!」
「あ、ありがとうね!」
駆けて行った少年の背中にお礼の言葉を投げかける。少年は向かいの通りの食堂屋に飛び込んでいった。家の手伝いでもしているのだろうか。
とにかく、宿の場所は教えてもらったので一行は移動する。金物屋の半開きのドアから覗くと、カウンターに座ったメガネの男の子と目が合いぺこりと会釈をされた。ニチカは軽く笑い手を振り返す。
「この町の子って、家の手伝いをちゃんとしてるのね。ここかな?」
なんて親孝行なのだろうか。感心しながら宿屋のドアを開けた少女は待ち構えていた人物にポカンとした。
「いらっちゃいませ、よーこそけやきていへ、おつかれでしょお? あたたかなベッドと、ごはんをおやくそくしましゅ」
緑のブカブカな上着を着た幼女が、深々とおじぎをしていたのである。小さな支配人は両手を出すと舌ったらずな口調で続けた。
「さぁおきゃくさま、おにもつをおはこびいたしましゅ」
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