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11-リビングデッド・ハート

123.少女、応戦する。

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 書庫の影から顔を半分だけ出して小さな女の子が覗いていた。
 リングのような髪型。ヒラヒラとした薄青の衣。見開かれたサファイアの瞳は動揺を色濃く残していたが、フッと鼻を鳴らすとどこか偉そうに腕を組みながら出てきた。

「いや覗いておらぬぞ。たまたま、たまたま! わらわは通りかかっただけじゃ、妙な声が聞こえたものでちと様子を見にきたところであってな」

 見た目に合わぬ古風な口調で弁明しているがその頬はうっすらとピンクに染まっている。確実に覗きをしていたであろう動揺っぷりだ。それもだいぶ前から。
 見られていた恥ずかしさで声を失うニチカをよそに、オズワルドは不機嫌そうな顔で立ち上がると女の子の首根っこを掴み、まるで猫のようにヒョイと持ち上げた。

「ななな、何をする!」
「誰だ、どこから入ってきた、無断でこの城に入り込んで生きて帰れると思ってるのか」

 空中でバタバタと手を振る青の子は、オズワルドの手をぺしっと手を叩いて逃れる。床に着地した彼女は振り向きざま憤慨したように言い放った。

「ヒト風情が無礼な!! わらわを何と心得る!」
「覗き魔」
「違わい!」
「じゃあなんで赤くなってるんだ?」
「ぐぬぬぬ、ひ、一言言わせて貰うがな、イチャつきおって見てくれと言わんばかりだったではないか! あ、あんな……密着して……熱々な視線を交わして……口吸いを始めおって」
「しっかり見てるじゃないか。有罪」
「待てーっ!! わらわをどこへ突き出すつもりじゃあああ」

 羞恥心で叫び出したくなるのをなんとかこらえ、本当に連れて行こうとするのを制止する。

「待って! その子もしかしたら探してた子かもしれないの」
「探してた?」
「そうですよね? 水の精霊さま」

 かがんで視線を合わせると、あからさまに彼女はぎくぅっと跳ねた。だが視線をそらすと誤魔化すように口笛なんて吹き始める。

「し、知らんのー、わらわはただの不幸な迷子じゃ」
「ルゥリア様」
「なんじゃ?」
「……」
「あああっ!! 謀りおったな!? わらわを嵌めるとはなんたる事を!!」
「いや、単に間抜けなだけだろ……」

 呆れた顔をする師匠にも彼女を取り囲む無数の青いマナが見えたらしい。
 降ろされた彼女はふてくされたように頬を膨らませた。なんとも年相応に見えて可愛らしい。だがこう見えても何千年と生きる精霊なのだ。敬意を払ったニチカは片膝をつくと恭しく切り出した。

「ルゥリア様、お願いです。ユーナ様の為にも力を貸して下さいませんか?」
「んあ? どういうことじゃ」
「私、ニチカって言います。ユーナ様を復活させるためここまでやって来たんです」

 今まで通りに説明し、すでにガザンシルミアノックオックの協力を取り付けたことを腰の魔導球を取り外して証明して見せる。
 その中に渦巻く赤と緑とオレンジ色の光をみたルゥリアはグッと詰まったように顔をしかめて見せた。

「あやつら、いつの間に」
「お願いします! あなたで最後なんですっ」

 真剣な顔をして頼み込むと、彼女は驚いたように一歩引いた。だが眉をキュッとつり上げたかと思うと叫ぶように拒否した。

「断る! わらわはユーナになんぞ会いとうないわ!」

 予想外の一言に驚いていると、睨み付けたままの彼女の瞳にじわりと涙が溜まっていった。

「置いていかないって……言ったのに……」
「えっ」

 きびすを返したルゥリアは涙を散らしながら逃げ出した。すぐにスッとその姿が消え失せる。

「あぁ! 追いかけよう師匠」
「だな、ここまで来て逃がすかよ。何としてでも――」

 ところがその時、男の身体がビクンッと痙攣した。こめかみを右から左へ貫かれたような感覚が一瞬だけ走る。

「……オズワルド?」

 後ろの気配に気づいたのかニチカは訝しげにふり返る。
 ガクリとうなだれ、手をぶらんと下げた男はゆっくりと目を開ける。

 瞬間、首筋を冷たい手で触られたかのような悪寒が走った。

「どうした? 早く追いかけるぞ」

 冷たい汗がドッと噴き出る。
 男の目はひどく冷たい色を宿していた。まるで出会った当初のような……
 考えるより前に悟ってしまった。これは、オズワルドではない。

「だ……れ?」

 無意識の内に尋ねると、目の前の男は目を細めてフッと笑った。

「こんな時に何を言ってる。自分の師匠の顔も忘れたか?」

 口調こそいつも通りだが、不穏な直感は拭えるものではなかった。ザッと身構えた少女は警戒を解かない。
 それを一瞥した男はつまらなそうに表情を崩す。腰に手をあてると自分の身体のあちこちを点検し始めた。

「つまらぬ、もうばれてしまったか。油断したところを後ろからやろうと思っていたのに」
「質問に答えて。あなたは誰? オズワルドをどこにやったの」
「さてな。そう簡単に答えると思ったか小娘。少しはその足りない脳みそで考えてみたらどうだ」

 言われなくても大体の見当はついている。この冷ややかな視線は玉座で見下ろされた時に感じたものと同じだ。

「口の悪さは父親譲りなのね」

 そう言うと男は――いや、息子の体を乗っ取った白魔は薄く笑った。
 その時、青い目の奥に一瞬だけ紫がよぎったような気がして息を呑む。

「まさか、魔水晶を」
「あぁ、あの妙な力を持った水晶か? 都合が良かったので中身だけ吸収させて貰った。おかげで時間を掛けずとも一気に乗っとることが出来た。たいしたものだな」

 壊れていたからと言って安心するのは早かった。器を変えただけでまだ【傲慢】は活きている。それも厄介な当主をパワーアップさせてしまったようだ。

 緊張したままのニチカの横を平然と通り過ぎ、彼はどこか楽しんでいるように片手を上げた。

「ついて来い、娘。お前は色々知りすぎた、私がじきじきに葬り去ってやろう」

***

 追いかけて屋敷を出ると山の方へと向かう後姿があった。明かりがなければ少しも見えないような暗闇だというのに、彼は全て見えているかのように歩いていく。
 ニチカは慌てて光のマナを呼び寄せ、杖の先を灯らせると小走りで後を追った。

「う、うぐぅぅ」

 降りてくる雪はわずかだがとにかく寒い。吹き付ける風は容赦なく体温を奪っていく。せめてマントは持って来るべきだったと後悔しながら火のマナを呼び寄せる。温めた空気を服の間に滑り込ませるとだいぶマシになった。

 それでもちぎれるような寒さに身を震わせていると、ふと景色に見覚えがあるような気がした。

「ここって……」

 やはりそうだ、天華の記憶の中で歩んだ道程、処刑場への道だ。

 『離別の峠』を越し、たどり着いたのはやはり『禊ぎの園』だった。
 あの夢の光景と同じく黒い森に囲われた雪原が広がる。

 その中央で、まるでステージに立つ役者のように白魔が待ち構えていた。
 嫌に見覚えのある皮肉ったような笑みを浮かべ、彼は語り始める。

「この男は魔導師としては出来損ないだが、この雪原でなら多少は有利に動く。ゼロから生み出す必要がないからな」

 そこで髪に手をやった男は静かに目を閉じる。わずかな魔導風が服のすそをはためかせたかと思うと、その髪からすぅっと黒色が抜けて白銀のような銀髪に変化していった。

「髪を染めたくらいで我が一族から抜け出せるわけでもあるまいに、無意味なことを」

 杖をギュッと握り締めたまま、ニチカは目まぐるしく考えを巡らせていた。
 どうやったらオズワルドを取り戻せる?
 さきほど白魔は「乗っ取る」と言った。つまり師匠の意識は端に追いやられてるだけなのだろうか。

「オズワルド! 目を覚ましてっ」

 反応してくれと願いを込めながら鋭く呼びかける。
 だが白魔はクククッと笑うと自分の胸をトンと指した。

「無駄だな、この男の意識は私が呑み込んだ。今頃奥底で過去の己の所業を思い返し絶望しているころだろうよ」

 凶悪な表情を浮かべた彼は両手を広げた。その動きに沿うように彼の周囲の雪が空中へと浮き上がり無数の氷の矢に変化する。鋭い矢じりの先端は全てこちらへ向けられていた。

「処刑の時間だ!」

 そのまま一斉にバッと手を振り下ろす。
 明確な死がまっすぐに発射された。

「っ!」

 だが少女とて無意にここまで旅をしてきたわけではない。即座に左へと転がって回避するとビスビスビスッと今居た箇所に容赦なく矢が突き刺さる。
 このまま大人しくやられるわけにはいかない。射程距離から逃れるべく杖を持ったまま走り出した。

 次なる攻撃が発射された音を耳が微かに捕らえる。クルッと後ろ向きになった少女はかかとで雪を蹴散らしながら瞬発的に意識を集中させた。

『炎のマナよ――』

 空気中から、杖の先端の魔導球から、赤い蝶がぶわりと吹き出しうねるような波を作る。少女の瞳が紅く染まり、振りかぶった杖を斜めに振り下ろし矢を迎え撃った。

『ブラスト!!』

 炎属性の空中爆発が起こり、飛んできた矢が粉々に砕かれる。
 バラバラと落ちた氷の破片の向こうで、白魔が面白そうな表情を浮かべていた。

「なかなかやる。だがいつまで持つかな?」

 肩で息をするニチカは杖を握る手の平にじとっと嫌な汗を感じていた。

 自分の術は近距離が中心だ。離れれば離れるほど威力が落ちる性質を持っている。遠距離射撃を得意とする白魔とはハッキリ言って相性が悪い。防衛一手になってしまう。

 ならばどうするか。おびき出し、あるいはこちらから接近して近距離戦に持ち込むか、もしくは相手の奇をてらう作戦を……立てられるのか? 自分に

「遊んでやるのも悪くない。ここ数百年、本気を出して戦えるような相手すら居なかったからな」

(数百年?)

 聞き間違いかと顔を上げたニチカは仰天した。
 対峙している師匠の口や鼻から大量の血が流れ出ている。
 特に耳からの出血がひどくぼたぼたと雪の上に落ちては朱を散らしていた。

 それに意を介した様子もなく白魔は口元を袖でぬぐう。

「ん? あぁ、やはりこの身体では耐えられぬか」
「な、なん……っ」
「この男の『心の器』は生まれつき欠けていてな。無理に魔導を使い続けるとこうなってしまう。まったく脆くて困るな」

 そんな壮絶な姿だと言うのに、白魔は少しもためらう様子はなく次なる氷の矢を形成する。ごふっと口から溢れた血が黒い服をぬめらと光らせた。

「お願いやめて! それ以上やったら身体が……」
「構わん! 代わりなどいくらでもいるっ」

 何のためらいもなく言われたその一言に目を見開く。

「次の容れ物うつわも目星がついている、この出来損ないの身体はいわば『繋ぎ』だ! 多少ここで壊れても不都合はないッ」

 少女は取り巻くように囲う雪の渦を熱で溶かし、水蒸気の中を抜け出した。
 だがそこを狙ってつぶてが飛んでくる。杖で叩き落としたがいくつか見逃してしまい腕と頬に鋭い痛みが走った。

「そうやって何十年、何百年と私は生きてきた。ハハハハハ! 今なら何でもできる気がするぞ!! あの欲望を転換する銃を仕入れて正解だったな! この男の知識を使えばさらなる強化ができよう!」
『燃え盛る炎のマナよッ、春の息吹をここに――!』

 杖を垂直に構えたニチカはそのまま先端を雪に打ち込む。足元を中心に十メートルほど雪がじゅわっと融けるが、その水が即座に凍り足の皮膚を切り裂いた。

「ッぐ……ぅ!」

 思わず屈みこみ膝をつく。

 ドクドクと血流の流れが耳元でうるさく呼吸が浅くて苦しい。
 負けても勝っても自分かオズワルドが死ぬ。
 どうすればいいか分からない焦りがさらに呼吸を苦しくさせた。

「自分の子どもなのに、どうしてっ」

 たまらず絞り出すように尋ねると、当たり前のことを言わせるなとでも言いたげな声が響いた。

「子など親の所有物でしかない。どう使おうが私の勝手だろう?」
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