魅惑の出来ない淫魔令嬢

葛餅もち乃

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#1 前途多難な学園生活(1)

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 できることはやってきた。何があっても前を向く。だから、どうか――
 自分に誓ってきたのに、圧倒的魔力を滲ませる彼の前に怯みそうになる。
「俺は、お前ら淫魔が嫌いだ」
 眼光は鋭く威圧的なのに、水色の瞳の奥は湖のように澄んでいる。
「特にトゥーリエント家おまえは」
 出だしから、平穏な道が崩れる音がした。

       〇

 襟に紺色の二重線が入った白いシャツ、グレー地にグレーのチェックが入ったジャンパースカート。ちょうど胸の下あたりで体にフィットするよう作られ、スカートにはブリーツが入っている。その上に紺色のブレザーを羽織り、ネクタイを付けるのが学園の制服制度だ。気合を入れるためにも髪はポニーテールにする。
 ライラ・トゥーリエント、十七歳。ここ魔界の東の地、淫魔族トゥーリエント伯爵家の娘である。
 今日は不安と期待で胸いっぱいの、魔界学園入学日であった。


 ライラたち魔族の領域である魔界は、人間界の層と重なり合って存在している。悪意をもって越境した魔の者たちの影響で、人間界ではおどろおどろしく想像されている魔界だが、実際はそれほどでもない。太陽も昇れば月も出る。火の海の地もあれば、天国と称されるような美しい地もある。魔族も恋愛はするし結婚制度もあれば、経済も成り立っており、実のところ人間界にも進出している。
 大きく違うところを挙げるならば、魔形のものであること、魔力を持つこと、そして魔力と魔術の実力主義社会だということだ。ライラの父は類稀なる魔力を有し、魔界において重要な仕事をもつ伯爵家を継いでいる。家格には継承すべき義務と責任がある。
 そして魔力のあるなしで身の振り方は大きく違ってくる。ライラはトゥーリエント家に生まれながら魔力に恵まれなかった。

「ライラちゃんは今日入学式ね。制服も似合ってて素敵」
「ありがとう、母様」

 母の翠がおっとり微笑む。みずみずしい黒髪に、小さな顔に大きな黒い目、小柄な少女のようなのにどこか艶めかしく――魔力を全く持たない生粋の人間である。
 ライラは淫魔と人間の間に生まれた半魔であり、出来損ないの淫魔でもあった。淫魔の十八番である《魅惑》すらできないのである。相手を一時的に虜にさせてしまう魔術で、力ある淫魔ならば相手を傀儡にすることさえ可能だ。
 その代償なのか、ライラには《魅惑》が全くかからない。心配性の父がライラの耐性を試したので間違いない。例外の多いライラの性質の一つであり、トゥーリエント屋敷内だけの秘密である。

 ライラは自分自身でも出来損ないの淫魔だと思っている。原因は性質や魔力だけではない。淫魔であれば見目麗しく妖艶なはずだが、ライラには色気がなかった。
屋敷に勤めてくれている者は皆淫魔であり、その美しいかんばせの中で埋もれる平凡な顔。平坦ではないが大きくもない胸、淫魔には珍しい深緑の眼。他の皆は金髪や銀髪であるのに、ライラだけは漆黒と言っていい黒髪。まるで異端のしるしのよう。眼と髪はずっとコンプレックスだった。

「学園では様々な魔族と付き合わねばならないだろう。他家の淫魔ともだ。なかにはよろしくない輩もいるはずだ。くれぐれも注意して――」
「グイード様、大丈夫ですわよ。お兄ちゃんたちもいるのですし、何よりこの子の《怪力》に敵う者はなかなかいないと仰っていたじゃないですか」
「う、うむ、しかし――」

 父は固めの銀髪を短く刈り込んでおり、シャープな顎のラインと鋭い目を持つ美丈夫だ。ライラが出来損ないだからか、ものすごく過保護である。

「大丈夫だよ多分。何かあればすぐ報告するから」
「絶対、絶対だぞ。夕食の時間には帰ってくること、あと、男には特に気を付けるように」
「その心配はいらないと思うけど」

 ライラのような出来損ないを、好き好んで寄ってくる男がいるとは思えない。

「お嬢様、これを。お弁当を作りました」

 当家のシェフを勤めてくれているヨハンから、小花模様の巾着を手渡される。たまに料理を教えてくれるヨハンとは仲がいい。ありがとう、と抱きつくとヨハンも抱きしめ返してくれ、つむじにキスをされた。

「学園、楽しんでくださいね。何かあれば相談してくださいね。このヨハン、身を粉にして復讐しにまいりますので」
「う、うん、頑張る」

 過保護なのは父だけではない。家族や、屋敷にいる皆がライラに対して過保護である。箱入りでぬくぬくと育ってきたことは自覚している。だからこそ、学園では頑張らねばならない。

 行ってらっしゃいと手を振られ、屋敷の門を出ると、幼馴染の淫魔が待ってくれていた。家同士の付き合いがあるバーナード家の次男で、エリックという。

「遅い」
「ごめん、こっちの家まで来てもらってるのに」

 彼は淫魔のなかでも容姿に優れている方である。菫色が混じった銀髪は襟足が短く、右側の部分をやや長めに残している。すっきりとした輪郭、髪と同じ菫色の、好奇心旺盛そうな瞳が印象的だ。やんちゃそうな青年であるのに、近づいてみると引き込まれるような甘い色気がある。背はライラが見上げる程に高く、均衡のとれた体つきである。

「まぁ、それはいいんだけど。あ、あいつらは?」
「あいつらって?」
「お前の兄貴たち」
「まだ寝てるよ。ほら、今日は新入生だけだし」

 目に見えてエリックはホッとした。「そうか」
 年が同じことから幼少時に引き合わされた彼だが、昔は意地悪されて苦手だった。それがライラの兄たちにバレたとき、エリックはおそらく酷い目にあったのだろう。彼は彼らが大の苦手である。
 エリックはきょろきょろと辺りを見回したあと、少し屈んでライラの額に口付けを落とした。

「おはようライラ」
「おはよう。別にエリックは我が家の家訓に従わなくていいんだけどな」
「従ってもいいんだろ?」
「学園では絶対しないでね」

 トゥーリエント家の家訓『キスは挨拶、挨拶はキス』だ。いつの当主が決めたのかは知らないが、これがあるからこそ、屋敷の皆は所構わずキスをしてくる。油断していると唇も奪われる。
 エリックは「考えておく」と片方の口角を上げて笑った。聞く気はないらしい。

「ライラ、《転移》はできそう?」

 ライラは苦笑いをした。高度だが基礎的な位置付けの魔術、《転移》ができなければ学園まで行けない。入学日ということで心がいつもより不安定であり、自信はない。
 仕方ないな、という顔をしたエリックが指先を宙に浮かべ、文字を描き始めた。指先から青白い光が出現し、残像となって文字が残る。

「目的地を頭に浮かべながら描いて、自分の周囲を囲むように円を描き、閉じる。不安なら言葉も描けばいい。慣れると魔法陣もいらなくなる。練習あるのみ」
「エリックは秀才だしなぁ。私、変なところに行っちゃいそう」
「別に俺とずっと一緒に行動するつもりならいいけどね。連れてってやるから」

 エリックは左腕でライラをぐっと引き寄せ抱きしめると、一回転して二人の周囲に円を描いた。青白く光る描線からは、同じ色の粒子がきらきらと零れている。転移術で今から学園へ飛ぼうとしている、独特の浮遊感が二人を包んだ。
 エリックはライラを引き寄せたまま、顔を覗き込む。

「で? 俺には挨拶キスしてくれないの?」
「されるのは慣れたけど、するのは慣れてない」
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