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#28 淫魔を口説く狼
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「もっかいキスしてもいい?」
ドアの前でライラを待っていたレオナルドが突然言った。その話は終わったと思っていたのに、不意打ちである。
「な、なんで」
「したいから。駄目?」
「え、と、駄目?」
何故疑問形で応えてしまうのだろう。ライラを見下ろすレオナルドが、目元を綻ばせた。
「俺とキスするのは嫌?」
「それは、嫌じゃないって、言った……」
(そもそもトゥーリエント家家訓は『キスは挨拶』な訳で、私は淫魔だし、レオがしたいんだし私は嫌じゃないし、別にキスしても、いいので、は?)
心のなかの逡巡が伝わってしまったのだろうか。レオナルドが距離を詰めてくる。
近付いてくる澄んだ水色の瞳に狼狽えた自分が映っている。それはどこか期待しているようにも見えて――ライラは目を瞑った。
レオナルドの唇がおりてきて、ライラのそれに重なり合う。いつの間にか後頭部に大きな手が添えられ、もう片方はライラの背中を包み、引き寄せられた。一瞬で終わると思っていたキスが、終わらない。逃げられない。《怪力》を使えばいい両手は、心もとなくレオナルドのシャツを掴んでしまっている。角度を変えながら優しくされる口づけに、体が勝手に応えている。淫魔の本能か何なのか知らないが、気持ちがよくて頭がくらくらしてきた。
レオナルドが名残惜し気に、焦りも滲ませながら顔を離した。ライラを搦めとるような姿勢のまま、艶のある低音で囁く。
「……俺のこと好き?」
「わ……分かんない」
「ほお。じゃあ分かるまで毎日キスしよっか。そしたら分かるんじゃね?」
無邪気で、可愛くて格好良くて、悪い男の笑みだ。何より愛に満ちている――たちが悪い。
ライラはジャンプして頭突きをした。レオナルドは呻いた。
心臓からあり得ないくらいの音がする。頬も体も何もかもが熱い。このまま灼け溶けてしまいそうだ。
レオナルドが淫魔じゃないなんて信じられない。
(あ、違う。そうじゃない。レオは――)
狼だった。
トゥーリエントの屋敷まではレオナルドが送ってくれた。獣耳が可愛いサツキさんから、まるで新品のように綺麗になった制服を受け取り、履物を借りた。人間界で見たことはあった、赤い紐に黒塗りの下駄である。固くて足指が痛いが、カランコロンときれいな音が鳴って可愛らしい。
頭突きをされたレオナルドは、痛いと言いながらも笑っていて、ライラはそれからまともに顔が見られなかった。その様子が楽しいのか、彼の方は上機嫌だったのだ。
兄たちの帰還はライラが帰宅して小一時間後であった。アルフォードは清々しい顔をし、ファルマスの方は疲れている。話を聞くと、あのあとアルフォードはヘルムと《魅惑》をやり合い、彼を恋の奴隷……下僕にしたらしい。これからしばらくヘルムはアルフォードを恋い慕い、命令されれば何でもするだろうとのこと。あまり見たくない光景である。
ファルマスはシュタイン家別邸内を捜索し、あの地下室で監禁を行っていたであろう証拠を探したらしい。残念ながら羊の姫との関わりは分からなかったが、人間を攫ってきていたのは間違いなかった。学園へ戻ってキャロンに会い、父であるフォレスト宰相閣下にこの事件について報告してもらうよう頼んだ。別邸のある地図や、どのような結界であったのかなど、細かく簡潔に記した書類もすぐ用意したデキる男である。
夕食時、三人は父であるグイードに事の顛末を話した。渋い顔で聞いていたグイードは、最後は疲れたように微笑んで「お疲れ。よくやったな」と言った。隣にいる翠は目を潤ませながら「ライラちゃんが無事で、良かった。お兄ちゃんたちもありがとう」とこぼした。
そんなしんみりした雰囲気をぶち壊すようにドアがバァンと開いた。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! フルーレのお帰りだよ! 皆元気~ってあれ? なんだかしっとりした雰囲気」
背後に金色のダイヤモンドダストを降らせたような、きらきら輝かしい御仁が現れた。アルフォードとファルマスの母、フルーレである。淫魔として最高の美形だと言われているアルフォードを、更に美しくして性転換させたような外見だ。
「うわ、母上……」「母さん今帰ってきたのかよ」兄弟は小さく呟く。
「んんー? 愛しの翠ちゃんが泣いてんじゃん。何やってんのグイード。やっぱり翠ちゃんは私がもらうべきだったんじゃないの」
フルーレはバチンと指を鳴らすと男に変化した。その美しさは男になっても変わらず、むしろ怪しげな魅力が増してもう手が付けられない淫魔になる。
フルーレは女として生まれたが、男にもなれる特異体質なのだ。そしてどちらかと言うと――男よりも女が好き。
瞬時に移動したフルーレは翠の頤を持ち上げ、キスを迫るべく距離を詰める。翠の方も満更でないキュンとした顔で、ぽんやり見上げている。
「お前ッ! 翠の前で男になるな誘惑するなマジでやめろ! 翠も流されるんじゃないッ!」
べりっと二人を剥がしたのはグイードである。本気で焦っている。
「ええ~? 翠ちゃんの自由じゃん。ねぇ?」
「ごめんなさいグイード様。でもこう、フルーレ様に迫られたら、女は抵抗出来ないと思うのよ……」
「何故!? 翠が愛してるのは俺だろ!? こいつじゃないだろ!?」
「そりゃあ、私って超絶美しいからね。美しさは暴力なんだよ~」
「あら。フルーレ様の魅力は外見だけじゃありません」
「翠!? 翠さん!?」
「グイードってさぁ、翠ちゃんのことになると本当余裕ないよねぇ。それでよく、はじめは翠ちゃんのこと断ってたもんだよ~背中押した私に感謝しな~」
子どもたちそっちのけで大人たちが騒ぎ出す。家族が揃うとだいたいこうだ。アルフォードとファルマスは知らないふりして食事を続けている。
ライラはこの場景が好きである。パンを齧りながら眺めていると、ふいにフルーレがライラと目を合わせた。ふわりと微笑んで、唇が動く。
『頑張ったね』
フルーレは、ライラが狙われている件を察して帰ってきたのだと理解した。今回の事件もおそらく把握している。フルーレはそういう不思議なところがある。
「フルーレ様、ありがとう」
フルーレはバチンとウインクした。そして翠への誘惑に戻り、一応夫であるグイードに
「早く帰れ。彼女だって待ってるだろ。浮気すんな」などと言われている。フルーレに恋人がいることは、グイードにとって浮気ではないのである。政略結婚の水面下で友情結婚をしたグイードとフルーレは、友愛と敬愛が混じり合った関係なのである。
久しぶりに家族全員揃った夜はにぎやかに更けていった。
○
フォレスト宰相には滞りなく報告が届けられた。シュタイン家別邸にはすぐ捜査の手が入るらしい。建物に当時の記憶を呼び覚ます記憶喚起魔術も使い、証拠が上がれば厳罰は免れない。
「父から皆さまへ、感謝と謝罪を、と言付かっていますわ」
翌日の昼休み。アルフォードが指定した棟の屋上で、この件に関わったメンバーが集合していた。ヘルムに魅惑と暗示をかけられていたユキだけは、その一日の記憶がなく心身ともに問題もなかったため、薮をつつくようなマネはしないことに決めた。時折、異常が現れないかファルマスがこっそり経過観察するらしい。
事後処理について説明したのはキャロンだ。この後の展開も、問題のない範囲で教えてくれることになっている。
それと今朝は珍事が起きた。校門でヘルムがアルフォードを出待ちしていたのだ。《魅惑》の影響で――おそらく《魅了》の域に近い――目をハートにして愛を叫びながら薔薇の花束を渡していた。勿論、周囲にいた者は恐れどよめき、高速で噂が広まった。アルフォードは冷徹に微笑んで素通りしていたが、一日中そんな調子である。シュタイン家が行っていた悪事にヘルムが直接関わっていなくとも、《魅惑》が切れたあと彼が学園に来られるかどうか分からない。精神的に。アルフォードのことだ、《魅惑》されている最中の記憶も残しているに違いないのだ。
「それじゃあ、また何かあったら教えてくださいね。ありがとフォレストさん」
「俺も戻るね。三回生のクラスも気軽に遊びにおいでよ」
トゥーリエントの兄弟は報告を聞いて先に帰った。
ここからはライラの番である。キャロンに向き合い、表情を改めた。いつになく真剣である。
「キャロンちゃん……あのね、本当にありがとう。それと、ごめんね。ごめん……」
「ど、どうしましたの?」
ライラは両手でキャロンの手を取りながら、もう一度謝った。そっと、自分から抱きつきにいく。キャロンは心配そうにしながら、抱擁を受け止めた。
「キャロンちゃん、好きだよ。これからも友達でいてね」
「え、ええ。私も好きですわ」
「えへへ。ありがとう、キャロンちゃん」
ライラはキャロンをぎゅっと抱きしめる。キャロンは戸惑いながらも抱きしめ返してくれる。
ライラの中で少しずつ変わっていく心のありようが、キャロンに伝わるといい。自分は誰にとっても必要でないもの、という思い込みの認識は、皆のおかげで解けていくだろうから。レオナルドやキャロンを、信じてないつもりじゃなかった。本当に大好きなのだ。
「エリックもありがとう。無事に帰還できたよ」
「おぅ。お前、逆に返り討ちにしたんだってな……」
「いや、現に攫われたし、それは私の落ち度の他の何でもない。エリックも、いつもありがとう。小さい頃から友達でいてくれたこと、感謝してるんだよ」
「何だよ急に。別に、今更だろ」
エリックは照れ笑いをする。ライラは心からエリックに感謝していた。幼い頃から知っている気安い関係の幼馴染は、どちらかと言うと兄たちに近いが、家族ともキャロンやレオナルドとも違う、特別な存在だった。
四限の講義は所属クラスでの座学だ。本鈴が鳴る少し前、教室にはほとんどのクラスメイトが帰ってきている。皆ざわざわと雑談しているなか、レオナルドが言った。
「北嶺いつ行く? 予定通り次の休みでいいか?」
「私はいつでも。キャロンちゃんは?」
「任せますわ。もし私の都合がつかなくても、二人で行ってきてくださいな」
キャロンは『二人で』という言葉を妙に強く言った。
「じゃあ次の休みに決めようか。一泊する準備してこいよ。そうだ、エリックの奴も呼ぶか」
「「えっ」」
「せっかくなら北嶺の夜空見せたいし、日帰りは流石にしんどい奥地だから。別荘は一人一部屋割り当てられるくらいの余裕はあるぞ。……この前俺の部屋で寝てたんだから、それくらい大丈夫だろ?」
「レオナルドの部屋で寝たんですの!?」
「ちょっ、待っ、その言い方は語弊がある! ほほほほほら、皆聞いてるじゃん! 何事かって見てるじゃん!」
今やもうクラスメイトたちは耳をダンボにして二人の会話を聞いている。好奇心を隠してもいない。
焦るライラに対し、レオナルドはにっこり満足気に笑っている。余裕たっぷりだ。
「俺ね、分かったんだよな。ライラには案外押して押して押しまくるのが正解なんじゃないかって。気付けばもう逃げ場がなくなってるくらい外堀を既成事実で埋め尽くしたらいいんじゃないかって。場所なんて考えずに態度で示していかないと、ライラにはちゃんと伝わらねーんだろうなってことも」
ライラは絶句した。
キャロンは神妙に頷いている。「それは正解だと思いますの」
『これは、もしかして、公開告白しているのか……?』とクラスメイト一同の声も聞こえる。
「ライラが本気で嫌だって言うんなら、やめるけど」
レオナルドは笑顔を消して真面目に問う。これでは嘘は言えない。ライラは退路を断たれた心地がした。
「い……嫌では、ない……」
「だろ?」
レオナルドは満面の笑みだ。誘導尋問である。外堀が一つ埋まる。キャロンを初め、クラスメイト一同が『うわぁ……』と感心しつつ、彼の新たな一面に引いている。
獲物を定めた狼は強いのだ。
「レオって、こんなんだっけ?」
ライラは顔を真っ赤にして、震える声で訊いた。淫魔よりも、口説くのが上手である。
「いや? 俺自身驚いてる。流石に教室でキスしたりはしないから、そこは安心して」
ライラはあの蕩けそうなキスを思い出してしまった。捕まってしまうと抜け出せない、優しくて熱くてレオナルド以外何も考えられなくなるキスを――レオナルドはそれを思い起こさせようとしてわざわざ言ったに違いない。ついでに『もうキスしたことある間柄なの?』と周囲に思わせる材料にもなる。現に、キャロンの目がそう言っている。
照れやら恥ずかしさでライラはぷるぷる震える。
厄介だ。この狼はものすごく厄介だ。
「あああ当たり前じゃん、ばか―――――!」
なじられているのに、心底幸せそうにレオナルドが笑った。
――終
ドアの前でライラを待っていたレオナルドが突然言った。その話は終わったと思っていたのに、不意打ちである。
「な、なんで」
「したいから。駄目?」
「え、と、駄目?」
何故疑問形で応えてしまうのだろう。ライラを見下ろすレオナルドが、目元を綻ばせた。
「俺とキスするのは嫌?」
「それは、嫌じゃないって、言った……」
(そもそもトゥーリエント家家訓は『キスは挨拶』な訳で、私は淫魔だし、レオがしたいんだし私は嫌じゃないし、別にキスしても、いいので、は?)
心のなかの逡巡が伝わってしまったのだろうか。レオナルドが距離を詰めてくる。
近付いてくる澄んだ水色の瞳に狼狽えた自分が映っている。それはどこか期待しているようにも見えて――ライラは目を瞑った。
レオナルドの唇がおりてきて、ライラのそれに重なり合う。いつの間にか後頭部に大きな手が添えられ、もう片方はライラの背中を包み、引き寄せられた。一瞬で終わると思っていたキスが、終わらない。逃げられない。《怪力》を使えばいい両手は、心もとなくレオナルドのシャツを掴んでしまっている。角度を変えながら優しくされる口づけに、体が勝手に応えている。淫魔の本能か何なのか知らないが、気持ちがよくて頭がくらくらしてきた。
レオナルドが名残惜し気に、焦りも滲ませながら顔を離した。ライラを搦めとるような姿勢のまま、艶のある低音で囁く。
「……俺のこと好き?」
「わ……分かんない」
「ほお。じゃあ分かるまで毎日キスしよっか。そしたら分かるんじゃね?」
無邪気で、可愛くて格好良くて、悪い男の笑みだ。何より愛に満ちている――たちが悪い。
ライラはジャンプして頭突きをした。レオナルドは呻いた。
心臓からあり得ないくらいの音がする。頬も体も何もかもが熱い。このまま灼け溶けてしまいそうだ。
レオナルドが淫魔じゃないなんて信じられない。
(あ、違う。そうじゃない。レオは――)
狼だった。
トゥーリエントの屋敷まではレオナルドが送ってくれた。獣耳が可愛いサツキさんから、まるで新品のように綺麗になった制服を受け取り、履物を借りた。人間界で見たことはあった、赤い紐に黒塗りの下駄である。固くて足指が痛いが、カランコロンときれいな音が鳴って可愛らしい。
頭突きをされたレオナルドは、痛いと言いながらも笑っていて、ライラはそれからまともに顔が見られなかった。その様子が楽しいのか、彼の方は上機嫌だったのだ。
兄たちの帰還はライラが帰宅して小一時間後であった。アルフォードは清々しい顔をし、ファルマスの方は疲れている。話を聞くと、あのあとアルフォードはヘルムと《魅惑》をやり合い、彼を恋の奴隷……下僕にしたらしい。これからしばらくヘルムはアルフォードを恋い慕い、命令されれば何でもするだろうとのこと。あまり見たくない光景である。
ファルマスはシュタイン家別邸内を捜索し、あの地下室で監禁を行っていたであろう証拠を探したらしい。残念ながら羊の姫との関わりは分からなかったが、人間を攫ってきていたのは間違いなかった。学園へ戻ってキャロンに会い、父であるフォレスト宰相閣下にこの事件について報告してもらうよう頼んだ。別邸のある地図や、どのような結界であったのかなど、細かく簡潔に記した書類もすぐ用意したデキる男である。
夕食時、三人は父であるグイードに事の顛末を話した。渋い顔で聞いていたグイードは、最後は疲れたように微笑んで「お疲れ。よくやったな」と言った。隣にいる翠は目を潤ませながら「ライラちゃんが無事で、良かった。お兄ちゃんたちもありがとう」とこぼした。
そんなしんみりした雰囲気をぶち壊すようにドアがバァンと開いた。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! フルーレのお帰りだよ! 皆元気~ってあれ? なんだかしっとりした雰囲気」
背後に金色のダイヤモンドダストを降らせたような、きらきら輝かしい御仁が現れた。アルフォードとファルマスの母、フルーレである。淫魔として最高の美形だと言われているアルフォードを、更に美しくして性転換させたような外見だ。
「うわ、母上……」「母さん今帰ってきたのかよ」兄弟は小さく呟く。
「んんー? 愛しの翠ちゃんが泣いてんじゃん。何やってんのグイード。やっぱり翠ちゃんは私がもらうべきだったんじゃないの」
フルーレはバチンと指を鳴らすと男に変化した。その美しさは男になっても変わらず、むしろ怪しげな魅力が増してもう手が付けられない淫魔になる。
フルーレは女として生まれたが、男にもなれる特異体質なのだ。そしてどちらかと言うと――男よりも女が好き。
瞬時に移動したフルーレは翠の頤を持ち上げ、キスを迫るべく距離を詰める。翠の方も満更でないキュンとした顔で、ぽんやり見上げている。
「お前ッ! 翠の前で男になるな誘惑するなマジでやめろ! 翠も流されるんじゃないッ!」
べりっと二人を剥がしたのはグイードである。本気で焦っている。
「ええ~? 翠ちゃんの自由じゃん。ねぇ?」
「ごめんなさいグイード様。でもこう、フルーレ様に迫られたら、女は抵抗出来ないと思うのよ……」
「何故!? 翠が愛してるのは俺だろ!? こいつじゃないだろ!?」
「そりゃあ、私って超絶美しいからね。美しさは暴力なんだよ~」
「あら。フルーレ様の魅力は外見だけじゃありません」
「翠!? 翠さん!?」
「グイードってさぁ、翠ちゃんのことになると本当余裕ないよねぇ。それでよく、はじめは翠ちゃんのこと断ってたもんだよ~背中押した私に感謝しな~」
子どもたちそっちのけで大人たちが騒ぎ出す。家族が揃うとだいたいこうだ。アルフォードとファルマスは知らないふりして食事を続けている。
ライラはこの場景が好きである。パンを齧りながら眺めていると、ふいにフルーレがライラと目を合わせた。ふわりと微笑んで、唇が動く。
『頑張ったね』
フルーレは、ライラが狙われている件を察して帰ってきたのだと理解した。今回の事件もおそらく把握している。フルーレはそういう不思議なところがある。
「フルーレ様、ありがとう」
フルーレはバチンとウインクした。そして翠への誘惑に戻り、一応夫であるグイードに
「早く帰れ。彼女だって待ってるだろ。浮気すんな」などと言われている。フルーレに恋人がいることは、グイードにとって浮気ではないのである。政略結婚の水面下で友情結婚をしたグイードとフルーレは、友愛と敬愛が混じり合った関係なのである。
久しぶりに家族全員揃った夜はにぎやかに更けていった。
○
フォレスト宰相には滞りなく報告が届けられた。シュタイン家別邸にはすぐ捜査の手が入るらしい。建物に当時の記憶を呼び覚ます記憶喚起魔術も使い、証拠が上がれば厳罰は免れない。
「父から皆さまへ、感謝と謝罪を、と言付かっていますわ」
翌日の昼休み。アルフォードが指定した棟の屋上で、この件に関わったメンバーが集合していた。ヘルムに魅惑と暗示をかけられていたユキだけは、その一日の記憶がなく心身ともに問題もなかったため、薮をつつくようなマネはしないことに決めた。時折、異常が現れないかファルマスがこっそり経過観察するらしい。
事後処理について説明したのはキャロンだ。この後の展開も、問題のない範囲で教えてくれることになっている。
それと今朝は珍事が起きた。校門でヘルムがアルフォードを出待ちしていたのだ。《魅惑》の影響で――おそらく《魅了》の域に近い――目をハートにして愛を叫びながら薔薇の花束を渡していた。勿論、周囲にいた者は恐れどよめき、高速で噂が広まった。アルフォードは冷徹に微笑んで素通りしていたが、一日中そんな調子である。シュタイン家が行っていた悪事にヘルムが直接関わっていなくとも、《魅惑》が切れたあと彼が学園に来られるかどうか分からない。精神的に。アルフォードのことだ、《魅惑》されている最中の記憶も残しているに違いないのだ。
「それじゃあ、また何かあったら教えてくださいね。ありがとフォレストさん」
「俺も戻るね。三回生のクラスも気軽に遊びにおいでよ」
トゥーリエントの兄弟は報告を聞いて先に帰った。
ここからはライラの番である。キャロンに向き合い、表情を改めた。いつになく真剣である。
「キャロンちゃん……あのね、本当にありがとう。それと、ごめんね。ごめん……」
「ど、どうしましたの?」
ライラは両手でキャロンの手を取りながら、もう一度謝った。そっと、自分から抱きつきにいく。キャロンは心配そうにしながら、抱擁を受け止めた。
「キャロンちゃん、好きだよ。これからも友達でいてね」
「え、ええ。私も好きですわ」
「えへへ。ありがとう、キャロンちゃん」
ライラはキャロンをぎゅっと抱きしめる。キャロンは戸惑いながらも抱きしめ返してくれる。
ライラの中で少しずつ変わっていく心のありようが、キャロンに伝わるといい。自分は誰にとっても必要でないもの、という思い込みの認識は、皆のおかげで解けていくだろうから。レオナルドやキャロンを、信じてないつもりじゃなかった。本当に大好きなのだ。
「エリックもありがとう。無事に帰還できたよ」
「おぅ。お前、逆に返り討ちにしたんだってな……」
「いや、現に攫われたし、それは私の落ち度の他の何でもない。エリックも、いつもありがとう。小さい頃から友達でいてくれたこと、感謝してるんだよ」
「何だよ急に。別に、今更だろ」
エリックは照れ笑いをする。ライラは心からエリックに感謝していた。幼い頃から知っている気安い関係の幼馴染は、どちらかと言うと兄たちに近いが、家族ともキャロンやレオナルドとも違う、特別な存在だった。
四限の講義は所属クラスでの座学だ。本鈴が鳴る少し前、教室にはほとんどのクラスメイトが帰ってきている。皆ざわざわと雑談しているなか、レオナルドが言った。
「北嶺いつ行く? 予定通り次の休みでいいか?」
「私はいつでも。キャロンちゃんは?」
「任せますわ。もし私の都合がつかなくても、二人で行ってきてくださいな」
キャロンは『二人で』という言葉を妙に強く言った。
「じゃあ次の休みに決めようか。一泊する準備してこいよ。そうだ、エリックの奴も呼ぶか」
「「えっ」」
「せっかくなら北嶺の夜空見せたいし、日帰りは流石にしんどい奥地だから。別荘は一人一部屋割り当てられるくらいの余裕はあるぞ。……この前俺の部屋で寝てたんだから、それくらい大丈夫だろ?」
「レオナルドの部屋で寝たんですの!?」
「ちょっ、待っ、その言い方は語弊がある! ほほほほほら、皆聞いてるじゃん! 何事かって見てるじゃん!」
今やもうクラスメイトたちは耳をダンボにして二人の会話を聞いている。好奇心を隠してもいない。
焦るライラに対し、レオナルドはにっこり満足気に笑っている。余裕たっぷりだ。
「俺ね、分かったんだよな。ライラには案外押して押して押しまくるのが正解なんじゃないかって。気付けばもう逃げ場がなくなってるくらい外堀を既成事実で埋め尽くしたらいいんじゃないかって。場所なんて考えずに態度で示していかないと、ライラにはちゃんと伝わらねーんだろうなってことも」
ライラは絶句した。
キャロンは神妙に頷いている。「それは正解だと思いますの」
『これは、もしかして、公開告白しているのか……?』とクラスメイト一同の声も聞こえる。
「ライラが本気で嫌だって言うんなら、やめるけど」
レオナルドは笑顔を消して真面目に問う。これでは嘘は言えない。ライラは退路を断たれた心地がした。
「い……嫌では、ない……」
「だろ?」
レオナルドは満面の笑みだ。誘導尋問である。外堀が一つ埋まる。キャロンを初め、クラスメイト一同が『うわぁ……』と感心しつつ、彼の新たな一面に引いている。
獲物を定めた狼は強いのだ。
「レオって、こんなんだっけ?」
ライラは顔を真っ赤にして、震える声で訊いた。淫魔よりも、口説くのが上手である。
「いや? 俺自身驚いてる。流石に教室でキスしたりはしないから、そこは安心して」
ライラはあの蕩けそうなキスを思い出してしまった。捕まってしまうと抜け出せない、優しくて熱くてレオナルド以外何も考えられなくなるキスを――レオナルドはそれを思い起こさせようとしてわざわざ言ったに違いない。ついでに『もうキスしたことある間柄なの?』と周囲に思わせる材料にもなる。現に、キャロンの目がそう言っている。
照れやら恥ずかしさでライラはぷるぷる震える。
厄介だ。この狼はものすごく厄介だ。
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なじられているのに、心底幸せそうにレオナルドが笑った。
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