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あの動画を載せたの、だーれだ。
あの動画を載せたの、だーれだ。2
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翌朝は予報通り雨だった。土砂降りの雨だけど今の僕にそれがちょうどよく思える。心地のいい快晴の中を歩けるほど能天気ではない。それでも僕は不思議と、いつも通り学校に行く準備をしていた。昨日の出来事は夢だったみたいに制服に着替えてキッチンに降りた。
母さんは朝食の準備をいつも通りしている。いつも通り、僕のお弁当もある。僕はいつも通りおはようと挨拶をした。母さんはおはようと返してくれた。けれどいつも通りの元気な声ではなかった。それに食器を洗ってこっちをちらりとも見ない。いつもは挨拶をすれば一度は僕の顔を見るのに。
そして当り前みたいに言ってきた。
「校長先生から電話でしばらくは自宅学習にしてくれだって、課題は後で先生が持って来てくれるみたい。お弁当は作ってあるからお昼に食べてね。お父さんは先に出てるからお母さん出たら鍵閉めといてね」
いつもより早口な口調で淡々と言って蛇口の水を止めた。そして行ってきますも言わずに出て行った。僕はご飯を食べて言われた通り鍵を閉めた。
僕はやることが無くなってスマートフォンの電源を入れた。着信の通知が三百件以上、全部非通知と、あの動画に映っている正也や健達のLINEグループでのメッセージが大量に、それに僕が殴っていた亮介からも連絡が来ていた。
『あの時光大に殴られて絶交してやるって思ってたし、仲直りはしたけど気まずい感じが続いていたのは確かだけど、あの動画拡散したの俺じゃないから。俺も戸惑ってるし、今さらあの事何も思ってないから』
正直犯人は光大かもしれないと少しだけ疑っていた。仮に本当に拡散した張本人ならこんなメッセージをわざわざ送ってこないと思う。正也達からは心配のメッセージが送られてきていて、やり取りをたどって見ていると犯人探しが行われていた。
光大が一番に疑われていて、それは無いと思うとだけ返した。するとまた非通知から着信がかかってきた。僕はムカついて電話に出てやると「うわっ、でた」という声が聞こえて電話が切られた。きっと僕と同じ高校生がふざけてかけてきているんだと思う。僕はため息をついてSNSを開いてみた。すると背中が一気に寒くなった。僕はまだ事態をあまりにも甘く見ていたようだ。
僕の小学生、中学生の頃のアルバム写真は検索しなくてもトレンドで上がってきていた。それに僕の名前と電話番号が載せられている。それだけじゃない。桑原光大botという名前のアカウントが複数できていた。アイコンは僕の顔写真であの動画の僕のセリフが切り抜かれて投稿されている。ストリートビューで映る僕の家の写真も上がっているし、AIで合成された僕の顔のアダルトな写真まで作られている。コメントには『人生終わり』『反省しろ』『いじめっ子は出てくるな』『死ね』『不細工』あらゆる中傷が書かれていた。僕はトイレに駆け込んで朝食べた目玉焼きとご飯を吐き出した。
口をゆすぐとインターフォンが鳴って先生かと思った。僕は鏡を見て一応身だしなみを整えてから玄関を開けると知らない人が立っていた。二十代くらいで体格のいい男だ。YouTubeのマークがついたTシャツを着ていて、小さなカメラを持っている。そのレンズは僕に向いていた。
「おっ、まさかの出てきました。桑原光大君です。暴力動画が広まって有名になった感想は」僕が勢いよく玄関の扉を閉めると、出てこいよ、と大声で怒鳴ってきた。
僕は鍵を閉めてチェーンロックをかけた。すべての部屋のカーテンがしまっていることを確認して布団の中に潜り込んだ。
布団の中に潜り込んでもあの男の怒鳴り声はしばらく聞こえ続けた。なんでこんなことに。
一週間、二週間、僕は部屋から出ない生活を送った。スマートフォンは電源を入れずに出かけるのも警察署に行く時だけで、それも父さんの車で移動した。事情聴取は安西さんの方と、暴力を振るったことに対する方で別に行われた。暴力の方は冷たい口調の警官が担当だった。
なんで殴ったのか、あの場には誰がいたのか、いつも暴力を振るうのか、暴力を振るわれたことはあるのか、同じような質問を繰り返しされる。
安西さんの方は優しかった。何か変なことは起きていないかと心配してくれて、僕は起きていることを全部話した。そして身の危険を感じたらすぐに110番通報するようにと言われた。話し相手は冷たい口調の警官と安西さんだけだ。部屋から出ないから父さんたちとも話さないし、部屋まで聞こえてきていた母さんの笑い声も聞こえなくなった。
こんな目にあうほど悪いことをしたのだろうかと、時間がある分考える時間が増える。だけど考えすぎるのもよくないと思って気分転換に外の散歩をしようと決めた。父さんたちが働きにいっている昼間のうちに外に出ようと決めた。居留守を使い続けてあの突撃男もいつの間にか来なくなった。
帽子をかぶってマスクをして、箪笥の奥にしまってあった古い黒のジャケットを着た。僕だとばれないようにできる限りの変装をした。人ごみのある道まで来て、ドキドキしたけれど誰も僕だと分からないようで安心できた。そしてようやく胸を張って外を歩けた。久しぶりの外は歩くことだけでも新鮮で楽しかった。土草の匂いや、車の排気ガスの匂いでさえ新鮮に感じた。そして気づけば駅の方まで歩いていた。
僕はお腹が空いて近くの小さな定食屋さんに入った。仕事休憩の作業着を着た人たちが定食を食べている。働いているのは中国人らしく片言の日本語だった。そのおかげか僕が入っても怪しまれることはなかった。チキン南蛮定食を頼んで客席の天井に付けられた小さなテレビを見ていると番組が変わってワイドショーになった。
僕はそれを見るとだんだんと食欲が無くなっていく。テーマは学校教育におけるいじめの現状というテーマで僕のあの動画がテレビに映っていた。動画には全面モザイクと声にも加工がされて、モザイク加工の僕が高い機械音で暴言を吐きながら暴力を振るう。その動画に対して出演者たちが討論していた。
「こんな安全な国で生まれてしっかりとした教育を受けているのにどうやったらあんなに野蛮な子供が育つのでしょうか。私には信じられません。親の顔が見てみたいとはまさにこのことよ。私が親だったら同じことをして分からせます」
「同じことしちゃったら、それも問題になりますけどね」
辛口な意見で有名な評論家がそう言った。テレビの中は一瞬静まり返って司会者がなんとかそれを受け流した。僕は出てきたチキン南蛮定食に手を付けずにお会計をした。帰りの道はすれ違う人全員から指をさされているような気がして早足で帰る。一度顔を上げてみたけれど誰も僕を見てはいなかった。だけど目を背けるとまたみんなに見られているような気がした。僕は部屋の鍵を閉めた。
スマートフォンを触らないでどれくらい日が経っただろうか。テレビも見ずに、学校にも行かずに、友達とも会わずにどれくらいたっただろう。警察署での調書も終わって僕の話し相手はいよいよいなくなってしまった。あの冷たい口調の警官でさえ恋しく感じる。
僕が部屋に籠っていると、部屋の外では怒鳴り合いが聞こえるようになった。父さん達だ。僕のこと、事件のこと、家のこと、いろんなことで揉めているみたいだ。僕には何も意見を言う資格はない。
そして母さんが出て行ったのが分かった。ある日から怒鳴り合いが止まって、キッチンからの良い匂いがしなくなった。お風呂に入る時に母さんの部屋を覗くと服とか鞄とかそういった物が無くなっていた。僕に挨拶もお別れも無く出ていった。僕に文句を言う資格はない。
お昼過ぎにキッチンに降りると毎回千円札が一枚置かれるようになった。父さんからだ。今まで食材が沢山入っていた冷蔵庫は父さんのビールだけで埋め尽くされている。食パンも無い。外に出たくはないけれど空腹には勝てないから僕は近くのコンビニで菓子パンとコーラを買いにだけ外に出た。それも三日に一度とか、買いためておく。そんな生活が続いた。
普通の生活が終わって外の世界から隔離した生活へ、でもだんだんとそれも悪くないんじゃないかと思えてきた。部屋に籠れば何も無かったと思えるし、学校に行かなくても文句を言われない。夢に見た終わらない夏休みだ。少し前に買ったRPGのゲームもクリアした。プレイ時間は80時間を超えたけれど五日でクリアした。見ようと思っていた海外ドラマも見終わったしちゃんと面白くて笑えた。朝と夜にはオナニーもした。僕の心は健全に生活は不健全になっていった。そしてまたそれも終わりを告げる。
学校からの連絡で転校をしてくれとの事だった。僕の経歴に傷がつかないようにとの配慮らしい。みんなにお別れも言っていないし、説明もできていない。このまま転校したら僕がただ暴力を振るっただけの悪者になる。だけどもうどうでもよかった。父さんは転校先を勝手に見つけてきた。おばあちゃんの住む家の近くの高校だ。
ここからバスと新幹線を乗り継いで三時間はかかる場所にある。父さんは急に部屋に入ってきておばあちゃん家に当分住めと言ってきた。おばあちゃんには事件のことは話していないとも言った。そっちの大学に進学するから、それに有利な高校に転校するということで話を通しているようだった。ここを離れれば普通に学校に通って普通に卒業できるだろうと、僕に拒否をする資格もない。
荷物をまとめておけとキャリーケースを渡された。それと新幹線のチケットも、日付は明日の十二時だった。急な話で驚いたけれど僕は素直に荷物をまとめた。着替えとゲーム機と漫画やフィギュアと持っていきたい物は沢山あったけれど、ほとんど入りきらずに諦めた。僕にはそんな資格もないはずだ。
「気を付けて、ばあちゃんによろしく伝えてな」
父さんはそれだけ言うと僕を玄関から追い出した。別に追い出されたわけではないけれど、暴力を振るって母さんを出て行かせることになって家庭は崩壊した。そんな息子の顔を見たくはないだろうと思う。僕なら見たくない。
バスに乗って新幹線に乗り継いだ。念のため顔がばれないようにマスクをしていた。だけどしばらく部屋から出ずにいたおかげで、周りから見られているんじゃないかという不安は無くなった。思いのほか誰も僕を見ていない。そう思うと今回こんなことになったのは、本当に僕が悪いのか疑問に思えてきた。
確かに暴力を振るった。だけどあれは僕と亮介の問題であって他の誰かに何かを言われる筋合いはない。それに亮介も、今は何も思っていないと言っている。それならそれで終わりじゃないか。この世で僕以外にも喧嘩をして手を出す人はいるはずだ。それなのになんで僕だけこんな目に合うんだ。僕は悪くない。悪いのはあの動画を撮影してネットに公開した奴だ。
そう思うと僕は無性にムカムカしてきて新幹線の前の席を足で蹴ってしまった。すぐに前の人がこっちに顔を向けてきて、体制を崩してぶつかってしまったフリをして謝った。頭に血が上るのがいけない。僕は安西さんに言われたことを思い出して深く深呼吸をして冷静になろうとした。
安西さんは調書をしている間は一度も僕が暴力を振るった事実について注意してこなかった。事実として起きたことで、動画が拡散している問題をどうにか解決しようとしてくれていた。だけど今日で最後の調書と言う時に、別れ際に僕に言った。目つきはその時だけ真剣で厳しい目をしていた。
「光大君、原因はいろいろあるとしても暴力で解決しようとしちゃだめだ。それをしたら自分が悪者でなくても悪者になってしまう。頭に血が上ると抑えられなくなる時があるって言っていたけど、イライラしない人はいない。イラっとしたら一度深呼吸する。イラっとして一秒で手を出したらだめだ。一度深呼吸、それから行動する。何も考えずに呼吸をするんだ。今回で身に染みたでしょ」
僕は何も身に染みていないことを反省した。だけど悪いのはあの動画を晒したやつで僕じゃないという気持ちは変わらなかった。そう思うと顔を隠す為のマスクが息苦しく感じてすぐに外した。スマートフォンの電源を入れてSNSのアカウントを削除した。非通知からの着信を拒否して、溜まっていたLINEのメッセージを削除した。
これでいろんなことがすっきりした。泥沼に浸かっていた足元が宙に浮いたように軽くなった。
僕はおばあちゃんの住む駅で降りてバスを乗り継いだ。また部屋に引きこもっていた時みたいに向こうでのことから隔離すればいい。おばあちゃんは何も知らないなら、僕は胸を張って普通にここでの生活を楽しもう。
おばあちゃん家についてインターフォンを鳴らすと笑顔で出迎えてくれた。よく来たね、と言って二階にある父さんが使っていた部屋を貸してくれた。
「これからお世話になります」というと、そんなかしこまらなくていいのに、と嬉しそうに笑ってくれた。おばあちゃんは一人で住んでいるから僕が来て嬉しいというのがすごく伝わってくる。おばあちゃんの笑顔で僕は胸が熱くなった。家には僕の居場所はもう無かったし、誰も僕を見て笑ってくれなかったから。
荷物を置いてリビングに降りると、お腹空いたでしょう、とおばあちゃんは僕の好物をたくさん用意してくれていた。コロッケに肉じゃが、卵焼きに豚肉の生姜炒めだ。僕は久しぶりの菓子パン以外のご飯によだれが垂れてしまいそうだった。そしてもう米粒一粒もはいらないってくらいにお腹がいっぱいに食べた。
お風呂も当り前みたいに沸かしてあって体もポカポカで心の底から幸せな気分になれた。僕がリビングのソファで瞼が落ちそうになると、おばあちゃんが風邪ひくから部屋で寝なさいと僕に言った。注意されることでさえくすぐったく感じた。僕は心地よくて宙に浮いた気分で二階の部屋まで戻った。布団に入ると一秒も意識はもたなかった。
翌朝は早く目が覚めた。久しぶりにぐっすり寝れたと思うし目覚めもよかった。時計はまだ朝の五時だけどドアの隙間から朝ご飯の匂いが入り込んできた。僕はお腹が空いて一階に降りると、早いわね、と驚かれた。
「朝ご飯まだかかるからあなたの通う高校から届いた書類でも目を通しておいてくれないかしら。おばあちゃん老眼で小さい文字は読むの疲れちゃって」
リビングの机に透明なクリアファイルに入った書類があった。父さんは新しい高校について何も教えてくれていない。開星高校、高校のパンフレットもあって制服は紺色のブレザーだった。今までは黒い学生服だったから賢そうに見えるブレザーの制服に憧れがあった。
それだけでも儲けものだと、記入が必要そうな書類は無いことを確認してファイルに戻した。そうしていると朝ご飯ができたとおばあちゃんの声が聞こえてきた。
こうして新しい生活が始まった。住み慣れた町を一人で離れるのは心細かったけれど、あの町ではもう息が苦しくて死にそうだったから、これでよかったんだ。
これでいい、気持ちを切り替えていくしかない。おばあちゃんの住むこの町は僕が住んでいたところよりは田舎だ。だけど駅の方に行けば遊ぶところもあるし、何より僕を知る人がいない。もう同じ過ちはしない。
僕は顔を隠さずに堂々とこの街を歩いた。空気は澄んでいて美味しいし車も少ない。自分が通う高校まで歩いてみようと向かってみた。校門の前の信号で止まるとチャイムが鳴って学校の生徒が一斉に出てきた。
僕と向かいあうようにブレザーの高校生たちが反対側で信号待ちをしている。やっぱりかっこいいと僕は制服に見惚れていた。すると集団の中の一人が僕を指さしたように見えた。目を擦って見ると横断歩道を大型車が通ってそれが見えなくなった。トラックが走り去ると全員が指さして僕を見ていた。
母さんは朝食の準備をいつも通りしている。いつも通り、僕のお弁当もある。僕はいつも通りおはようと挨拶をした。母さんはおはようと返してくれた。けれどいつも通りの元気な声ではなかった。それに食器を洗ってこっちをちらりとも見ない。いつもは挨拶をすれば一度は僕の顔を見るのに。
そして当り前みたいに言ってきた。
「校長先生から電話でしばらくは自宅学習にしてくれだって、課題は後で先生が持って来てくれるみたい。お弁当は作ってあるからお昼に食べてね。お父さんは先に出てるからお母さん出たら鍵閉めといてね」
いつもより早口な口調で淡々と言って蛇口の水を止めた。そして行ってきますも言わずに出て行った。僕はご飯を食べて言われた通り鍵を閉めた。
僕はやることが無くなってスマートフォンの電源を入れた。着信の通知が三百件以上、全部非通知と、あの動画に映っている正也や健達のLINEグループでのメッセージが大量に、それに僕が殴っていた亮介からも連絡が来ていた。
『あの時光大に殴られて絶交してやるって思ってたし、仲直りはしたけど気まずい感じが続いていたのは確かだけど、あの動画拡散したの俺じゃないから。俺も戸惑ってるし、今さらあの事何も思ってないから』
正直犯人は光大かもしれないと少しだけ疑っていた。仮に本当に拡散した張本人ならこんなメッセージをわざわざ送ってこないと思う。正也達からは心配のメッセージが送られてきていて、やり取りをたどって見ていると犯人探しが行われていた。
光大が一番に疑われていて、それは無いと思うとだけ返した。するとまた非通知から着信がかかってきた。僕はムカついて電話に出てやると「うわっ、でた」という声が聞こえて電話が切られた。きっと僕と同じ高校生がふざけてかけてきているんだと思う。僕はため息をついてSNSを開いてみた。すると背中が一気に寒くなった。僕はまだ事態をあまりにも甘く見ていたようだ。
僕の小学生、中学生の頃のアルバム写真は検索しなくてもトレンドで上がってきていた。それに僕の名前と電話番号が載せられている。それだけじゃない。桑原光大botという名前のアカウントが複数できていた。アイコンは僕の顔写真であの動画の僕のセリフが切り抜かれて投稿されている。ストリートビューで映る僕の家の写真も上がっているし、AIで合成された僕の顔のアダルトな写真まで作られている。コメントには『人生終わり』『反省しろ』『いじめっ子は出てくるな』『死ね』『不細工』あらゆる中傷が書かれていた。僕はトイレに駆け込んで朝食べた目玉焼きとご飯を吐き出した。
口をゆすぐとインターフォンが鳴って先生かと思った。僕は鏡を見て一応身だしなみを整えてから玄関を開けると知らない人が立っていた。二十代くらいで体格のいい男だ。YouTubeのマークがついたTシャツを着ていて、小さなカメラを持っている。そのレンズは僕に向いていた。
「おっ、まさかの出てきました。桑原光大君です。暴力動画が広まって有名になった感想は」僕が勢いよく玄関の扉を閉めると、出てこいよ、と大声で怒鳴ってきた。
僕は鍵を閉めてチェーンロックをかけた。すべての部屋のカーテンがしまっていることを確認して布団の中に潜り込んだ。
布団の中に潜り込んでもあの男の怒鳴り声はしばらく聞こえ続けた。なんでこんなことに。
一週間、二週間、僕は部屋から出ない生活を送った。スマートフォンは電源を入れずに出かけるのも警察署に行く時だけで、それも父さんの車で移動した。事情聴取は安西さんの方と、暴力を振るったことに対する方で別に行われた。暴力の方は冷たい口調の警官が担当だった。
なんで殴ったのか、あの場には誰がいたのか、いつも暴力を振るうのか、暴力を振るわれたことはあるのか、同じような質問を繰り返しされる。
安西さんの方は優しかった。何か変なことは起きていないかと心配してくれて、僕は起きていることを全部話した。そして身の危険を感じたらすぐに110番通報するようにと言われた。話し相手は冷たい口調の警官と安西さんだけだ。部屋から出ないから父さんたちとも話さないし、部屋まで聞こえてきていた母さんの笑い声も聞こえなくなった。
こんな目にあうほど悪いことをしたのだろうかと、時間がある分考える時間が増える。だけど考えすぎるのもよくないと思って気分転換に外の散歩をしようと決めた。父さんたちが働きにいっている昼間のうちに外に出ようと決めた。居留守を使い続けてあの突撃男もいつの間にか来なくなった。
帽子をかぶってマスクをして、箪笥の奥にしまってあった古い黒のジャケットを着た。僕だとばれないようにできる限りの変装をした。人ごみのある道まで来て、ドキドキしたけれど誰も僕だと分からないようで安心できた。そしてようやく胸を張って外を歩けた。久しぶりの外は歩くことだけでも新鮮で楽しかった。土草の匂いや、車の排気ガスの匂いでさえ新鮮に感じた。そして気づけば駅の方まで歩いていた。
僕はお腹が空いて近くの小さな定食屋さんに入った。仕事休憩の作業着を着た人たちが定食を食べている。働いているのは中国人らしく片言の日本語だった。そのおかげか僕が入っても怪しまれることはなかった。チキン南蛮定食を頼んで客席の天井に付けられた小さなテレビを見ていると番組が変わってワイドショーになった。
僕はそれを見るとだんだんと食欲が無くなっていく。テーマは学校教育におけるいじめの現状というテーマで僕のあの動画がテレビに映っていた。動画には全面モザイクと声にも加工がされて、モザイク加工の僕が高い機械音で暴言を吐きながら暴力を振るう。その動画に対して出演者たちが討論していた。
「こんな安全な国で生まれてしっかりとした教育を受けているのにどうやったらあんなに野蛮な子供が育つのでしょうか。私には信じられません。親の顔が見てみたいとはまさにこのことよ。私が親だったら同じことをして分からせます」
「同じことしちゃったら、それも問題になりますけどね」
辛口な意見で有名な評論家がそう言った。テレビの中は一瞬静まり返って司会者がなんとかそれを受け流した。僕は出てきたチキン南蛮定食に手を付けずにお会計をした。帰りの道はすれ違う人全員から指をさされているような気がして早足で帰る。一度顔を上げてみたけれど誰も僕を見てはいなかった。だけど目を背けるとまたみんなに見られているような気がした。僕は部屋の鍵を閉めた。
スマートフォンを触らないでどれくらい日が経っただろうか。テレビも見ずに、学校にも行かずに、友達とも会わずにどれくらいたっただろう。警察署での調書も終わって僕の話し相手はいよいよいなくなってしまった。あの冷たい口調の警官でさえ恋しく感じる。
僕が部屋に籠っていると、部屋の外では怒鳴り合いが聞こえるようになった。父さん達だ。僕のこと、事件のこと、家のこと、いろんなことで揉めているみたいだ。僕には何も意見を言う資格はない。
そして母さんが出て行ったのが分かった。ある日から怒鳴り合いが止まって、キッチンからの良い匂いがしなくなった。お風呂に入る時に母さんの部屋を覗くと服とか鞄とかそういった物が無くなっていた。僕に挨拶もお別れも無く出ていった。僕に文句を言う資格はない。
お昼過ぎにキッチンに降りると毎回千円札が一枚置かれるようになった。父さんからだ。今まで食材が沢山入っていた冷蔵庫は父さんのビールだけで埋め尽くされている。食パンも無い。外に出たくはないけれど空腹には勝てないから僕は近くのコンビニで菓子パンとコーラを買いにだけ外に出た。それも三日に一度とか、買いためておく。そんな生活が続いた。
普通の生活が終わって外の世界から隔離した生活へ、でもだんだんとそれも悪くないんじゃないかと思えてきた。部屋に籠れば何も無かったと思えるし、学校に行かなくても文句を言われない。夢に見た終わらない夏休みだ。少し前に買ったRPGのゲームもクリアした。プレイ時間は80時間を超えたけれど五日でクリアした。見ようと思っていた海外ドラマも見終わったしちゃんと面白くて笑えた。朝と夜にはオナニーもした。僕の心は健全に生活は不健全になっていった。そしてまたそれも終わりを告げる。
学校からの連絡で転校をしてくれとの事だった。僕の経歴に傷がつかないようにとの配慮らしい。みんなにお別れも言っていないし、説明もできていない。このまま転校したら僕がただ暴力を振るっただけの悪者になる。だけどもうどうでもよかった。父さんは転校先を勝手に見つけてきた。おばあちゃんの住む家の近くの高校だ。
ここからバスと新幹線を乗り継いで三時間はかかる場所にある。父さんは急に部屋に入ってきておばあちゃん家に当分住めと言ってきた。おばあちゃんには事件のことは話していないとも言った。そっちの大学に進学するから、それに有利な高校に転校するということで話を通しているようだった。ここを離れれば普通に学校に通って普通に卒業できるだろうと、僕に拒否をする資格もない。
荷物をまとめておけとキャリーケースを渡された。それと新幹線のチケットも、日付は明日の十二時だった。急な話で驚いたけれど僕は素直に荷物をまとめた。着替えとゲーム機と漫画やフィギュアと持っていきたい物は沢山あったけれど、ほとんど入りきらずに諦めた。僕にはそんな資格もないはずだ。
「気を付けて、ばあちゃんによろしく伝えてな」
父さんはそれだけ言うと僕を玄関から追い出した。別に追い出されたわけではないけれど、暴力を振るって母さんを出て行かせることになって家庭は崩壊した。そんな息子の顔を見たくはないだろうと思う。僕なら見たくない。
バスに乗って新幹線に乗り継いだ。念のため顔がばれないようにマスクをしていた。だけどしばらく部屋から出ずにいたおかげで、周りから見られているんじゃないかという不安は無くなった。思いのほか誰も僕を見ていない。そう思うと今回こんなことになったのは、本当に僕が悪いのか疑問に思えてきた。
確かに暴力を振るった。だけどあれは僕と亮介の問題であって他の誰かに何かを言われる筋合いはない。それに亮介も、今は何も思っていないと言っている。それならそれで終わりじゃないか。この世で僕以外にも喧嘩をして手を出す人はいるはずだ。それなのになんで僕だけこんな目に合うんだ。僕は悪くない。悪いのはあの動画を撮影してネットに公開した奴だ。
そう思うと僕は無性にムカムカしてきて新幹線の前の席を足で蹴ってしまった。すぐに前の人がこっちに顔を向けてきて、体制を崩してぶつかってしまったフリをして謝った。頭に血が上るのがいけない。僕は安西さんに言われたことを思い出して深く深呼吸をして冷静になろうとした。
安西さんは調書をしている間は一度も僕が暴力を振るった事実について注意してこなかった。事実として起きたことで、動画が拡散している問題をどうにか解決しようとしてくれていた。だけど今日で最後の調書と言う時に、別れ際に僕に言った。目つきはその時だけ真剣で厳しい目をしていた。
「光大君、原因はいろいろあるとしても暴力で解決しようとしちゃだめだ。それをしたら自分が悪者でなくても悪者になってしまう。頭に血が上ると抑えられなくなる時があるって言っていたけど、イライラしない人はいない。イラっとしたら一度深呼吸する。イラっとして一秒で手を出したらだめだ。一度深呼吸、それから行動する。何も考えずに呼吸をするんだ。今回で身に染みたでしょ」
僕は何も身に染みていないことを反省した。だけど悪いのはあの動画を晒したやつで僕じゃないという気持ちは変わらなかった。そう思うと顔を隠す為のマスクが息苦しく感じてすぐに外した。スマートフォンの電源を入れてSNSのアカウントを削除した。非通知からの着信を拒否して、溜まっていたLINEのメッセージを削除した。
これでいろんなことがすっきりした。泥沼に浸かっていた足元が宙に浮いたように軽くなった。
僕はおばあちゃんの住む駅で降りてバスを乗り継いだ。また部屋に引きこもっていた時みたいに向こうでのことから隔離すればいい。おばあちゃんは何も知らないなら、僕は胸を張って普通にここでの生活を楽しもう。
おばあちゃん家についてインターフォンを鳴らすと笑顔で出迎えてくれた。よく来たね、と言って二階にある父さんが使っていた部屋を貸してくれた。
「これからお世話になります」というと、そんなかしこまらなくていいのに、と嬉しそうに笑ってくれた。おばあちゃんは一人で住んでいるから僕が来て嬉しいというのがすごく伝わってくる。おばあちゃんの笑顔で僕は胸が熱くなった。家には僕の居場所はもう無かったし、誰も僕を見て笑ってくれなかったから。
荷物を置いてリビングに降りると、お腹空いたでしょう、とおばあちゃんは僕の好物をたくさん用意してくれていた。コロッケに肉じゃが、卵焼きに豚肉の生姜炒めだ。僕は久しぶりの菓子パン以外のご飯によだれが垂れてしまいそうだった。そしてもう米粒一粒もはいらないってくらいにお腹がいっぱいに食べた。
お風呂も当り前みたいに沸かしてあって体もポカポカで心の底から幸せな気分になれた。僕がリビングのソファで瞼が落ちそうになると、おばあちゃんが風邪ひくから部屋で寝なさいと僕に言った。注意されることでさえくすぐったく感じた。僕は心地よくて宙に浮いた気分で二階の部屋まで戻った。布団に入ると一秒も意識はもたなかった。
翌朝は早く目が覚めた。久しぶりにぐっすり寝れたと思うし目覚めもよかった。時計はまだ朝の五時だけどドアの隙間から朝ご飯の匂いが入り込んできた。僕はお腹が空いて一階に降りると、早いわね、と驚かれた。
「朝ご飯まだかかるからあなたの通う高校から届いた書類でも目を通しておいてくれないかしら。おばあちゃん老眼で小さい文字は読むの疲れちゃって」
リビングの机に透明なクリアファイルに入った書類があった。父さんは新しい高校について何も教えてくれていない。開星高校、高校のパンフレットもあって制服は紺色のブレザーだった。今までは黒い学生服だったから賢そうに見えるブレザーの制服に憧れがあった。
それだけでも儲けものだと、記入が必要そうな書類は無いことを確認してファイルに戻した。そうしていると朝ご飯ができたとおばあちゃんの声が聞こえてきた。
こうして新しい生活が始まった。住み慣れた町を一人で離れるのは心細かったけれど、あの町ではもう息が苦しくて死にそうだったから、これでよかったんだ。
これでいい、気持ちを切り替えていくしかない。おばあちゃんの住むこの町は僕が住んでいたところよりは田舎だ。だけど駅の方に行けば遊ぶところもあるし、何より僕を知る人がいない。もう同じ過ちはしない。
僕は顔を隠さずに堂々とこの街を歩いた。空気は澄んでいて美味しいし車も少ない。自分が通う高校まで歩いてみようと向かってみた。校門の前の信号で止まるとチャイムが鳴って学校の生徒が一斉に出てきた。
僕と向かいあうようにブレザーの高校生たちが反対側で信号待ちをしている。やっぱりかっこいいと僕は制服に見惚れていた。すると集団の中の一人が僕を指さしたように見えた。目を擦って見ると横断歩道を大型車が通ってそれが見えなくなった。トラックが走り去ると全員が指さして僕を見ていた。
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