血の記憶

甘宮しずく

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望月蒼一郎

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 告白前の緊張は夕食のときから始まっていた。蒼依はふたりの反応が気になって、味もわからない始末だ。

 その様子を晃聖が気づかわしげ見ている。

 蒼太は何か勘違いしているのか、そんなふたりをニヤニヤして見ていた。
 「何か話があるんだろ?」夕食もあらかた終わると、待ちきれないとばかりに訊いてきた。

 蒼依は強張った喉をうるおそうと、お茶を飲んだ。
 何からどう話そうか?野島が訪ねてきたところから?それとも、ずばり引っ越しを迫られている話?兄に『心機一転、引っ越せば』、なんて言われたらどうしよう?それこそ見棄てられた気分だ。なにしろ兄には家族を見棄てた前歴がある。

 その点、晃聖はどうだろう。
 こっそり彼を窺い、目が合ってしまった。頬がほてり、慌てて目をそらす。

 昨夜、晃聖は何度も彼女を求めた。あのときは蒼依も夢中だったが、冷静な今は気恥ずかしくてたまらない。

 「どうした、蒼依?顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃないか?」蒼太がヘラヘラとからかう。
 彼女を見ていたのは晃聖だけではなかったようだ。

 目の端で晃聖がにんまりしている。

 蒼依はますますどぎまぎした。

 「大丈夫か?」兄は楽しそうだ。

 「なんでもない」あたふたと照れを追いやった。
 「それより、父さんが亡くなってたこと知ってた?」動揺が判断能力を狂わせ、いきなり地雷を踏んだ。

 一瞬で部屋の空気が一変した。蒼太の笑みは吹き飛び、妹を凝視している。

 晃聖は息を呑み、同じく深刻な目で蒼依を見ていた。

 「その話、誰に聞いた?」やがて兄が用心深く訊いてきた。

 「望月蒼一郎」

 たちまち兄の顔が険しくなった。

 「私たちの祖父だって言ってた」

 「じいさんは他に何か言ったか?」蒼太の声は波乱を含み、静まり返った部屋に無気味に響いた。

 「ここを引き払って、望月の屋敷に引っ越せ、って」ようやく彼女を悩ませている、祖父の条件を打ち明けた。「そして、兄さんや真崎さんとは二度と会うな、って」

 「あの老いぼれ!」蒼太が端正な顔を険悪にゆがめた。
 そのひと言にいろんな気持ちが込められているようだ。じっとしていられないとばかりに立ち上がり、小さな部屋を歩き回る。眉間に青筋を立て、固く握った拳を振り上げそうな剣幕だ。

 これほど激怒した兄を見たことがなかった。いつも蒼依より冷静で、優しい兄だった。父の不貞を告げたときでさえ、怒りの中には妹への気づかいが含まれていた。

 「きみはどうしたいんだ?」晃聖が割って入って、問いつめてきた。
 必死の形相が、『行くな』と訴えている。

 「行く必要はない!」彼女が答えるより早く、蒼太の声が飛んだ。「あのじいさんは蒼依の幸せなんか考えちゃいない。自分の財産や帝国を守ることしか頭にないんだ。さっさと断っちまえ!」

 「一度は断ったの。ときどき会いにくることで、納得してもらおうとしたんだけど……」

 「聞きやしないだろ?」
 どうやら兄は、彼女より祖父のことをよく知っているようだ。
 「じいさんは何でも自分の思い通りにしたいんだ」

 蒼依はうなずいた。
 「話してる最中に心臓発作を起こして……」あのときの恐怖がよみがえり、震えた。

 晃聖がテーブルを回ってきて、隣にあぐらをかいた。暖めでもするかのように背中に手を回し、さすってくれる。

 「ふん!」蒼太が鼻で笑った。「そんなことで死にやしないよ。じいさんがショックを受けるのは、大事な帝国に何かあったときくらいのもんだ」

 「そんなことない!本当に危なかったの。顔色が真っ青でものすごく苦しそうで、次、断ったら今度こそ本当に……」不吉な想像を口にするのもはばかられ、黙った。

 「くそっ!」

 「ねえ?おじいさまと仲直りできないかな?何度も行き来すれば、引っ越さなくても満足してくれるんじゃ――」

 「無理だ」終いまで言わないうちに蒼太が戻ってきて、目の前にしゃがんだ。
 「望月蒼一郎は妥協するような男じゃない。蒼依が思っているような、センチメンタルな老人じゃないんだよ。じいさんには絶対、近づくな」

 「でも、兄さん――」

 「近づいたら、必ず真崎さんから引き離される。それでもいいのか?」押しかぶせるように訊いてきた。

 隣の晃聖と目を合わせた。

 大きな手が肩をギュッと握り、首を振る。

 気持ちは同じだ。兄に向かって、何度も首を振った。

 蒼太が口元をほころばせた。
 「それなら、言う通りにするんだ。もう親父もおふくろもいない。これからは真崎さんと幸せになるんだ。じいさんのことは俺に任せろ」

 「俺にできることがあったら、何でも言ってくれ。手伝うよ」

 蒼太が首を振った。
 「これは我が家の因縁みたいなものだ。俺が決着つけるしかない。真崎さんは蒼依のそばにいてやってよ。奴らには絶対じゃまさせないから」頼もしくなった兄が、きっぱり言い切った。
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