血の記憶

甘宮しずく

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疑惑

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 「何度、抱いてもしたくなるなんて、絶倫男になった気分だよ」晃聖が、蒼依の汗の浮いた胸を手のひらに収め甘くささやいた。

 ふたりはついさっき、熱く抱き合ったばかりだ。季節は夏を迎え、湿度の高い空気を扇風機がかき回している。蒼太が頼もしい宣言をしてから、一カ月余りが過ぎていた。
 あれから望月家からは何も言ってこないし、兄にいくら尋ねても『心配しなくていい』の一点張りだ。
 きっと、うまくいったのだろう。もしかしたら祖父と和解して、みんなで訪ねていけるようになるかもしれない。
 いずれにしても、心臓に問題を抱えた蒼一郎を相手に辛い決断を迫られる必要がなくなり、蒼依はホッとしていた。

 蒼依がいかにも幸せそうにはにかむと、彼がたっぷりと長いキスをする。
 「キスする度、きみを窒息させそうになる」

 「なんとか生きのびたみたいよ」彼女は冗談で返した。
 「それより仕事場から十分のところに自分の家があるのに、毎日一時間も車を飛ばしてうちに来るなんて、ちょっとおかしいんじゃないの?」

 「そうだな」晃聖がにっこりして認めた。「でも一時だってきみと離れたくないんだから、仕方ないさ」

 蒼依の部屋には、晃聖の持ち物があふれ始めていた。洗面所には二本の歯ブラシが並び、小さなクローゼットには彼の服がかかっている。

 晃聖はふたつの仕事をかかえ忙しい筈なのに、自由になる時間はすべて彼女のそばにいた。

 ふたりはさまざまな話をした。彼の仕事の話や、これまで蒼依が話したがらなかった苦い思い出を少しずつ話すようになっていた。その中で、ときに怒り、ときに涙を流し、あるいは悔しそうに苦悩に満ちた過去を語った。
 そんな訴えは、晃聖の温かな慰めによって受け止められた。

 兄は兄で彼女を励まし、夢を応援することで勇気づけた。ふたりに再会したとき、こんな日が来ようとは想像もしなかった。長い間無縁だった穏やかな安らぎに包まれ、幸せすぎて怖いくらいだ。

 「この分じゃ俺たち、結婚した方がよくないか?」いきなりの申し込みだった。

 心ときめくプロポーズ。幸せの絶頂。
 それなのに、素直に喜べない。失敗に終わった母の結婚。血に染まった離婚届け。過去の亡霊たちが漠然とした不安を連れてくる。
 それに加えて、『財産目当て』というフレーズが頭に焼きついていた。

 彼も私が望月家に縁ある者だから、プロポーズしたのではないだろうか?そんなはずはない、と否定する心の裏で、そうとは言いきれない、と用心深い理性が言う。

 『女は誘わなくても寄ってくる』
 ずっと以前、晃聖が怒りにまかせて言った言葉だ。きっとあれは事実。彼がその気になれば、相手は選り取り見取り。今はこちらを見ているが、明日はわからない。

 彼を待ちわびる自分を想像したら、母の姿とぴたり重なった。たちまち臆病風が吹き荒れて、わずかに残っていた夢のなごりさえ吹き飛ばしてしまった。晃聖の胸に抱かれていても止むことを知らなかった。

 遠い昔に植えつけられた男性不信の後遺症は、どうやら今も健在だったようだ。これ以上、関係を進めるには信頼が足りなすぎた。

 「あなたが私に目を留めたのは、単なる好奇心だった。そんな一時の感情が、長続きすると思う?」

 「確かに最初はそうだった」晃聖が認めた。「だけど、それはただのきっかけだ。とっくにそういう段階は終わってるよ。好奇心だけで一年間も捜し続けるわけないだろ?」

 頭では彼の言うことを理解できたが、心は疑心暗鬼に凝り固まったままだ。

 「きみを愛してる。ずっときみといたい」

 言葉が心をすり抜けていく。

 晃聖が仰向けに転がり、天井を見あげた。
 「明日から四日間、留守にする。外から受けたカメラの仕事でね、古民家の特集をやるそうだ。建築家と協力して、様々な視点から古い家屋を撮ることになる。気に入ってもらえれば、仕事の幅がグッと広がる」蒼依と目を合わせた。
 「その間、俺の言ったことを考えといてくれ」




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