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アルファちゃんと秘密の海岸 1話 根も葉もない話
しおりを挟む「根も葉もない話をしましょう」
私がアルファちゃんと出会ったのは、小学校が終わり、入部しているラクロス部の活動も終わって、放課後の帰り道、夕日のさす遠くの山をぼけっと見ながら、学校から100メートル離れた通学路の道端を一人で歩いている時だった。
私の名前はミチ。
日本人の両親、ごくごく平均的な中流階級の、幸せでも不幸でもない、何の変哲もない一般家庭の一人っ子として生まれ、小学四年になる現在まで、何とか義務教育を受けさせてもらっている。
私も私で、そんな普通な両親から生まれたせいで、何の特徴もない、お下げ髪の丸い目をした小学生の女の子という以外に言うことのない普通の人間として毎日を暮らしている。
一応ラクロス部に所属しているが、別にラクロスが好きなわけでもない。四年生になると部活に強制的に加入させられ、しかし、それは自由に選べるものだったので、そこそこ体が動かせて、そこそこ見栄えのいいユニフォームを着せてもらえるラクロス部でいいか、という安易な理由をつけて加入させてもらったのだ。
でも、部活は楽しい。やはり、人間、ある程度、体を動かさないとストレスが溜まるし(授業中は全然動けないし)、ボールを飛ばすという単純作業でも、まあ、ある程度頭を使うのでストレス発散にはもってこいだ。
そういう訳で、まあまあ一生懸命に部活をこなした私は、程よい疲れと心地よい汗、なかなかの熱気を纏いながらぶらぶらと帰り道を自宅に向かって歩いていた。
そんな時、ガードレールに守られたコンクリートの歩道のど真ん中で、何をしているのか、一人の不思議な雰囲気の少女に気がついた。
不思議な雰囲気、というのは、いや、それはまず外見から説明すべきだろう。
ごしっくろりーた、というのだろうか。私はあまり詳しくはないが、何故か単語だけは知っていた。黒と白を基調としたメイド服のような服を来ていて、綺麗にカットされたショートの髪の色は銀色だった。
「いやいや」
私は流石に呆れてひとりごちた。
この街は茨城の、海と山に囲まれた静かな田舎町で、外国の人なんて見たことすらないような、辺鄙、とまではいかないが、まあ、静かなところだ。
そんな平和な町に、異物、あり。どう考えもまともじゃないと思った私は、目をあわせないようにして少女とすれ違った。
しかし、すれ違いざま、
「こんにちは、ミチちゃん」
え?
何故だ、何故私の名前を知っている。私はこんな変な人は知り合いにいない。筈だ。
「え、ええと…」
私が目を白黒させてどもっていると、彼女はふふっ、と目を細めた。
「私は何でも知っているの。私の名前はアルファ。ミチちゃんとはある意味知り合いよ」
あー。
私は何となく悟った。これは、いわゆる、前世の記憶がー、とか、神がー、とかいい出しちゃう痛い子に違いない。
「そうですか、じゃあね」
私は目を逸らしたまま、その場をそそくさと立ち去ろうとしたが、しかし、少し判断が遅かった。
私の学生服の裾を摘み、表情を変えないまま、こころ、と名乗った少女は静かに言った。
「根も葉もない話をしましょう」
2
「(やってしまった)」
私は後悔していた。
今、私は半ば強引に、アルファ、と名乗る少女に連れられ(何かと理由をつけて帰ろうとしたのだが、まあまあ、とか、いいから、とか言われ、ずるずると彼女に引きずられるようにして連れ去られたのだ)、この海岸へとやってきていた。町の海岸である。
ここは、この時期は少し寒い。季節は4月だが、そもそも海岸なんて、浜風がある上、それを遮断してくれる建物もないので寒くて当然だ。でも、我慢できない程じゃなかった。
とはいえ、私にとっては見知らぬ少女に訳も分からず連れてこられたのだから、心は穏やかではない。
「私はね、ミチちゃんとお話がしたいだけなの」
はぁ。私はやめてもらいたい。
「あの、私は別にお話したくないんだけど」
はっきり言ってやった。しかし、
「でも、私がしたいの」
なるほど。これは強敵だ。
つまるところ、私に決定権がないということであり、逃げるにしても、まぁ逃げ切れるだろうが、後が怖い。こういうタイプは根に持つのだ。いくらこちらに非はなくとも、あちら様には関係のない話で、こうと思ったらこういうタイプは話しても無駄と相場が決まっている。私の短い人生経験でも、そういう輩には何度か出会っている。
「お話、ねぇ…」
まあ、こういった手合いは暴力に訴えることは少ない。その点では安心してはいるのだが、いかんせん私も暇ではない。帰って、撮りためてある美少女戦士・プイキューアの続きを見なければならない。
「これは、あなたにとっても悪い話ではないのよ。知識はいくら採っても太らない。そして知識を貯めると、それは知恵へとレベルアップする」
ふむふむ。言ってることは理解できるが、しかしそれなら本でも読んだ方が早いのでは?
「本で手に入れた知識よりも耳で聞いて手に入れた知識の方が新鮮だし、そうね…つまるところ忘れにくいものなのよ」
勝手にこちらの心を読むな。
それは、ここにくる途中からうすうす感じていた危険性だ。
この少女、自分が何でも知っているとのたまう頭のおかしなこころさんは、どうもこちらの考えていることがわかる素振りを見せていた。
読心術。
人の心を読む力。神通力ともいうが、まさか、彼女はその使い手なのか? というか、私はそもそも今までそんなもの見たことも聞いたこともないし、第一信じてはいなかった。しかし、彼女は実際にこちらの心を読んでいる。認めざるをえない。
これは大変だ。私の常識がガラガラと音を立てて崩れ去ると同時に、貴重な私の時間を訳もわからぬ理由で失ったのだ。
「はあ・・・。お話・・・お話、ね。聞いてあげましょうか」
「そうこなくっちゃ」
私が諦めると、アルファちゃんはまた目を細めて静かに微笑んだ。
3
海岸では、寄せては返す波の音と、カモメだろうか、海鳥の鳴き声、そして遮蔽物がないために吹き放題になっている風の音がまさに入り混じって混沌とした音楽を奏でている。
「根も葉もないお話と聞いて、あなたは何を思い浮かべるかしら?」
私が話すことを受諾したためか、アルファちゃんはどうも素っ気なくなった感じがする。現金な娘だ。
「ふむ」
さて、根も葉もない話ときた。根も葉もないとは、つまるところなんの根拠もないということだ。たとえば、月にサンタクロースがいるとか。まあ、その手の、たわごとのことだ。
しかし、アルファ様は一体なんのつもりだろう。そんな話をしたとして、知識だとか知恵だとか、そういった高尚なコミュニケーションには一向にならないと思うが。
「わからないわね」
私は素直にそう答えた。困った時はいろいろと手を打つべきではない。それは大概の場合、そのまま悪手となる。素直が一番だ。
「素直なのはいいことだわ。根も葉もない話というのは、とある不思議なお花のお話」
「お花?」
花ときた。根も葉もない花。つまり、どういうことだ? そんな花があるのだろうか。
「ふふっ。世界一大きなお花。そう、ラフレシアよ」
「あっ」
得意げに言い放ったアルファちゃんの言葉に、私の頭の中で、シナプスが一瞬にして結合した。その花の名前は知っている。確か、世界一巨大な花だ。
「ラフレシア。世界一巨大な花にして、寄生植物。花は直径90 cm程に達し、そして、とても臭い」
まるでディズニーに出てくる悪い魔女のように顔をしかめるアルファちゃん。
「ラフレシア。寄生植物だったのねぇ」
私がなるほどと頷くと、アルファちゃんは今度は嬉しそうに目を細める。
「その通り。寄生する花。なので、まさにラフレシアには、根も、葉も、茎すらないって訳」
これはしたり。
「そういえば、花は見たことある気がするけど、それ以外は記憶にないわね。なるほど、そもそも花だけしかないのか。恐ろしい奴だわ」
ラフレシアはテレビか何かで見たことはある気がしたが、花のインパクトが強くてそれ以外は正直どうでもいいというのが感想だった。そういうことか。
「ええ。恐ろしい花よ。最初に発見した人たちは、食人花ではないかと思ったくらいなの」
こころちゃんは白い自らの手で、花、だろうか、形を作り、それをぱくぱくと動かした。いや、それ、その動きは、スティーブン・キング原作のホラー映画「ランゴリアーズ」の奴だ。有名な作品だけど、たぶんこのツッコミは映画に疎い人には誰一人として伝わらない。
「確かに。その臭い、見た目、まさに、だわ」
私は気を取り直し、改めてラフレシアを想像する。
「その大きさたるや、ハイビスカスの十倍。重さはなんと12キロ」
悪魔じみている。
「化け物ね。でも、ラフレシアって滅多に咲かないんじゃなかったかしら?」
「そう。つぼみの期間は9ヶ月。でも、開花すると一週間もせずにしぼんでしまうのよ」
ふむ。確か、そもそも滅多に開花しない筈だ。滅多に咲かない上に咲いてもすぐしぼむ。これは幻の花といえる。
なるほどなるほど、これはしたり。知っているつもりだったラフレシアでも、案外その生体とか、詳しくは知らないものだ。これは勉強になる。
「ふふっ」
こちらの心を読んだのか、アルファちゃんが満足げに微笑んだ。
「知識というものは、本で読むより、人から聞いた方が記憶に残る。記憶は知識。そして、知識の積み重ねが知恵。人間は、蛇に騙されて知識の木の実を食べた。永遠の命を失った代償としては、なかなかどうして、いいものだとは思わないかしら?」
失楽園の話か。イブは悪魔に操られた蛇に騙され、決して食べてはならないと言われていた知恵の実を食べる。そして、あまりの美味しさに、夫のアダムにも食べさせる。神様キレる、という流れの聖書のお話だ。
「永遠の命があったとして、私はこう考えるの。星には寿命がある。いつか、この地球も爆発してなくなる。でも、その時までに、火星とか、別の星への移住計画が成功しなかったら、永遠の命を持った者は空気のない無重力の宇宙で永遠に苦しむことになる」
こころちゃんはさらっと哲学的なことを言う。なるほど、ぞっとしない話だ。
「命に期限があってよかったのかもね。悪魔万歳」
私は思ってもいないことを口にする。別に悪魔を崇拝している訳ではないが、この時ばかりはご先祖さま、と一部で言われているアダムとイブの蛮行に感謝した。
「哲学を否定する者は、自ら哲学を行う者だ。と、誰かさんがいったらしいけど、人は考えるために生まれてきたのよ。ルネ・デカルトの言葉、コギト・エルゴ・スム。我思う、故に我ありってね」
アルファちゃんは楽しそうだ。絶好調じゃないか。
デカルトに関して言えば、こんな逸話が残っている。彼は晩年、生命と物質の違いがあいまいになってしまい、死んでしまった娘の代わりにお人形を育てていたそうだ。哲学者など、結局のところ、考えなくでもいいことを昼間っから酒を飲みながらべらべら喋っているだけの変人ではないかと思う。考えすぎるのも問題なのだ。
とはいえ、考えないというのも問題で、それはそのまま人間がただの獣になるということだ。要はバランスだと思う。
「お話って楽しいでしょう。ミチちゃん」
アルファちゃんは楽しそうだ。まぁ、私もいい暇つぶしにはなっている。
「ラフレシアの話からデカルトの話にいくなんて思わなかっけど、その流れがまさに哲学的だわ」
「そうでしょうそうでしょう」
アルファちゃんと私は顔を見合わせて笑った。存外悪い気はなしかった。
「哲学ということで、こんな話もあるわ。世界三大悪妻の一人。クサンティッペの話」
「ふむ」
「彼女はソクラテスの奥さんよ。日がな一日、哲学だかなんだか知らないけど、おしゃべりばかりしていたソクラテスに水をぶっかけて、哲学の発展の妨害したとして世界三大悪妻の一人になってしまった」
「ひどい話。夫がソクラテスだったばっかりに」
「彼女は悪くないわよね。まぁ、それでも言わせてもらえば、ソクラテスの偉大さを理解できなかったという愚かさ故に避難されたのよ」
「知らないことは罪、か。一理あるわね」
私も人のことは言えないが、知らなかった、は言い訳にはならないと思う。つまるところ、殺人は罪だと知らなかった、といって許される訳ではないのだ。知らない、は言い訳にはならない。
知りすぎるのも問題だ。知りすぎた故に殺された人など、歴史を見ればごまんといる。
「話を戻すけれど、ラフレシアについて。花言葉をご存知かしら」
「いえ」
アルファちゃんに言われて、私は首を振った。正直、ラフレシアについての知識なんて、大きくて臭い、くらいしかない。
「ラフレシアの花言葉は、ゆめうつつ」
それを聞いて、私はぷっ、と吹き出した。
「ゆめうつつって、それ悪夢のことかしら」
「そうよね。ラフレシアも大概にして欲しいわ」
アルファちゃんはやれやれと肩をすくめた。
「真面目に解説するなら、ゆめうつつとは、夢と現実の境界が曖昧な状態。幻の花として知られ、滅多に咲かない上にすぐしぼむことから、こんな花言葉がついてるんでしょうね」
「でも、アルファちゃんはどうしてそんなに物知りなのかしら。見たところ、私と同じ小学生・・・まぁ、メイド服と銀髪という不思議な姿ではあるけど」
私のいささか失礼な問いに、アルファちゃんは不思議そうな顔をした。
「あら、あなたも大概だと思うけれど。どこでそんな無駄な知識を仕入れたのかしら」
問いかけに問いかけというカウンターをくらう。
まぁ、私はしばしば大人びているとか、何を考えているかわからないとか言われる。それは、私が考える人だからだ。
ぼうっとしているようで、まぁ実際ぼうっとしていることがほとんどで、夕ご飯はなんだろう、とかどうでもいいことを考えているのだが、時たま、それよりもっとどうでもいいこと、たとえば、地球はなぜできたのか、とか、宇宙の外にはなにがあるのか、とか、まさに哲学者のようなことを考える時がある。
そもそも、先述のように、人間とは考えるように作られているのだ。石器時代、マンモスを追いかけ回しながら、しかし、どこにマンモスがいて、逆に、自分達を襲う肉食動物がどこにいて、どんな植物が食用で、どんな植物に毒があるか、人間は意外に考えているのだ。
人間のもっとも原始的、プリミティブな感覚とは、嗅覚である。すなわち臭いだ。この臭いは食べても大丈夫、これはヤバい、と、一瞬にして判断する。思考する。
考えなければ人間は死ぬ。考えるのをやめた時、人間は、肉体は生きていても魂は死んでいる。それは困る。
生きていると嬉しいことばかりじゃない。辛いこと、悲しいことはそりゃあ、ある。
私はまだまだ短い人生だけど、分別はついているつもりだ。
人生楽ありゃ、と歌にもあるが、平坦な道ではドキドキしない。それでは心が満たされない。
幸せとは、決して客観的なものではない。不幸が9、幸せが1でも、本人が幸せと言い張るなら幸せなのだ。つまり主観。
重要なのは、何を失い、何を得るかという取捨選択。知識もこれに該当する。宝とは、決してノーリスクで手に入れるべきものじゃない。リスクと等価交換なのだ。
「あなたは私を不思議な女の子だと思ってるけれど、実はそうじゃない。不思議という感覚は主観的なものであり、客観的に自分を見ようとした時、こんなに不思議な生き物はいないものよ」
私の心を読んだアルファちゃんが、静かに言った。
「そうかもね。私はそもそも、私を知らない」
敵を知り己を知れば百戦危うからず。孫氏の言葉だ。
人生は戦いである。毎日なにかを食べなければ死んでしまうし、それもただで手に入るものじゃない。それは命をいただく、奪うということだ。
でも、それは悪いことじゃない。なぜなら感謝しているからだ。
「知識はやがて、知恵となる。知恵とは自分を知ることなり、ってね」
私は妙に達観した気分になって言った。そうだ、人生は勉強だ。
「教師とは、学ぶ者には寛容で、学ばないものには厳しいものよ」
教師、か。その言葉は「大人」「先人」「賢人」「天使」など、あらゆる知識を授ける者に言い換えることができる。
「アルファちゃんは何者なのかしら。いえ、私にとってどういう存在なのか、少し興味が出てきたわ」
「天使か悪魔か。それは問題じゃないわ。要は、ミチちゃんにとって、どういう縁(えにし)で結ばれようとしているのか、それが問題よ」
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だということか。でも、私の意見は、生きるべきか死ぬべきか、それは問題じゃない。トゥービー・オア・ノットトゥービー・イットイズ・ノープロブレムってものだ。
問題は、どういった立場で生きるかだ。
「あなたが望むなら、またお話がしたいわ、ミチちゃん。私はいつもここにいる。この海岸にね」
「気が向いたらね」
私は頷いた。興味が湧いたのだ。
好奇心猫を殺す。でも、私は猫じゃないし、そもそも猫には9つの命があるといわれているのだ。なんとかなる。
「人と話すって楽しいでしょう。私は人と話すために生きているようなものよ」
アルファちゃんはにっこり笑った。
「じゃ、また」
私も微笑み、アルファちゃんに背中を向けた。海から吹く潮風が、何か、始まりの予感を私の背中に告げていた。
おしまい
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