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第二章 火を見るよりあきらか
閑話 魔法の街で、おかいもの(前篇)
しおりを挟む昼下がりの《マグナ・リラ》通りは、眩い光に包まれていた。
学術都市イシュ・アルマ――魔術文明の粋を集めたこの都市の商業区は、今日も賑わいのなかに奇妙な秩序を保ち、整然とした喧騒が響いていた。
硝子張りの空中回廊を歩く退魔師志望の少年少女たち。地を這う魔導列車のかすかな振動。街角で風に揺れる透明な結界幕が、光の屈折で虹のように煌めく――
そのすべてが人の手によるものなのに、どこか自然の摂理に寄り添うような、不思議な調和を生み出していた。
「……すっげ……」
イシミネ・レンは思わず足を止め、建ち並ぶ店々のファサードを見上げて声を漏らす。
尖塔のようにそびえる魔導具店。蔓草が絡まるガラス張りの薬舗。書物が空中を泳ぐように漂う古書店。
どれもが、彼の知る“普通の街”とはまるで違っていた。
「ここ……本当に俺たちの国なのかよ……」
現実の延長にあるはずの世界が、まるで異世界のように感じられた。レンは顎が外れそうなほど口を開けたまま、呆然と頭上を仰ぐ。
「“魔術都市”って呼ばれるだけのことはあるよね」
隣を歩くヒウラ・カナメは、歩調をわずかに緩めながらも、端末の地図アプリに視線を落とす。手には、師であるスメラギの丁寧な筆跡でびっしりと書かれた長い買い物メモが握られていた。
「制服、指定魔導具、教本、魔力導石、エーテルと素製薬……それから血液型に合わせた生体補助剤。候補生の“基礎装備”だけでこれだよ」
「お、おもっ……脳みそが追いつかねぇ……」
「なら、体で覚えなよ」
「鬼か……!」
「でも、ロドキン・ジェリーのパンケーキ奢ってくれるらしいし。ちゃんと買い物終わったらねっ」
「それヒウラだけでしょ!?」
冗談めかして言い返すレンに、カナメはにこりともせず返すが、その声にはどこか楽しげな響きがあった。
⸻
まず向かったのは、学術制服専門店《セラディウム》。
漆黒の木枠に銀の装飾が施された重厚な扉をくぐると、店内は静謐な空気に満ちていた。
冷たく澄んだ空気に、アイロンの残り香とほのかな香草の匂いが混じる。
壁際に整然と並ぶ詰襟制服と深紺のローブたちは、まるで整列する兵士のように無言の威厳を漂わせている。
「うわ……これ、俺が着るのか……」
レンはフィッティングルームの鏡に映った自分の姿をまじまじと見つめた。裾の長い詰襟制服はまだ体に馴染まず、少し肩をすくめてみせる。
「高等課程用の制服は、詰襟とブレザーローブが正式。媒介石の留め具は、後で自分の魔素に合わせてカスタムするんだよ」
カナメは慣れた手つきでメモを店員に渡し、採寸を手早く進めていく。
「……なんか、借り物って感じだな」
「そのうち馴染むよ。誰だって最初はみんなそう」
⸻
次に訪れたのは、魔導具店《ルフ・ヴィオレ》。
壁一面を飾るステンドグラスから魔素光が差し込み、店内はまるで神殿のような荘厳さを纏っていた。
陳列された魔力演算機や伝導手袋、制御帯のひとつひとつが、美しい魔術工芸品であると同時に、“戦場の道具”であることを主張していた。
「スメラギ教授の紹介なら……特別なもんを出さにゃあなぁ」
紫の袴姿の店主が目礼しながら、レンに優しく微笑む。
「君、星読みの素質があるようだ。光への親和性が高い。“夜明けのレンズ”を試してみるといい」
差し出されたのは小さな円形の装置。レンの指先が触れた瞬間、微かに揺れる魔素の光が鼓動のように脈打った。
「なにこれ……すげぇ……」
「精霊光に反応してる。イシミネの魔素、たぶんかなり澄んでる。多分ね」
カナメがぽつりと呟いたその言葉に、レンは照れたように頬を赤らめた。
⸻
三軒目は、総合魔草薬舗 《翠霊堂アルカナリア》。
無数の薬瓶が整然と並ぶ壁は、化学実験室さながらの雰囲気を醸し出していた。だが、その実態は退魔師たちの命を支える“戦場の薬箱”だ。
「これ……全部飲むのか?」
レンが恐る恐る手に取ったのは、金属製の試験管に詰められた《瞬間ポーション》。
「戦闘中の緊急回復用。痛覚遮断、回復促進、それに精神安定剤もちょっと。条件付きだけどね」
「うわ……怖……」
慣れた手つきで棚を渡るカナメは、レンの血液型と魔素タイプ、体格を踏まえ“初動支援セット”を手際よく構成していく。
「……イシミネは多分、薬に頼りすぎないほうがいい。魔素の流れが繊細だから」
「へへ、褒められた?」
「警告だって言ってるの」
にやりと笑うレンに、カナメの目元が少しだけ柔らかくなった。
⸻
最後に訪れたのは、《大魔導書店アシュリー・アシュレイ》。
高層書庫と尖塔が白銀の空を突き刺すように立ち並び、まるで魔術そのものが形を持ったような風景だった。
「でっけぇ……!」
レンが見上げながら思わず声を漏らすと、カナメが肩をすくめた。
「ここが魔術師たちの心臓部。《書と魔法の殿堂》の名は伊達じゃないよ」
荘厳な黒檀の柱、宙に浮かぶ金色の看板文字。透明な魔法障壁をくぐった瞬間、インクと紙、古書の香りがレンの鼻をくすぐった。
浮遊する書物たちが静かに舞い、魔導ホログラムの案内人が空中を漂っている。階層を移動するための「浮遊床」は魔法陣によって稼働していた。
「えっと、まずは教員推薦の基礎教材だね」
カナメの声と共に、レンは目当ての教材を探し始めた。右往左往と書籍を探すうち、レンの目はひときわ目立つ白金装丁の一冊に吸い寄せられた。
『現代魔素理論概論【第六改訂版】』
手に取ると、緻密な魔術陣の挿絵がまるで今にも動き出しそうな迫力を持っていた。
「これが……俺たちの基礎?」
「油断すると、中和演算の初歩で死ねるよ?」
カナメは冗談めかしつつ、慣れた手つきで教科書を数冊抱えていく。
『エネルギー変換と魔法陣入門』
『属性魔術学:光・火・風・水・土・闇の応用理論』――
それぞれ色分けされた帯が巻かれ、視覚的にも属性の違いが示されていた。
二人は次に、二階の「技法・実技書」エリアへ移動する。そこは実戦派の魔術師や教官たちが集う実用的な空間で、棚の高さもやや低く、すぐに手に取れるよう設計されていた。
『退魔戦技教範・上巻:基本体術と結印』
『退魔具と霊具の使い方』
『演習型魔術訓練問題集・初~中級編』
『近代退魔史と大災厄以降の封印条約』
『公的魔術行使の規範と倫理』
レンは慎重にそれらを積み上げていく。装丁の多くは頑丈な防水カバーつきで、戦場や演習場での使用にも耐えるよう工夫されていた。
「これは……?」
手にした最後の一冊――『魂魄理論と他界干渉』だけは、棚の奥の鍵付きガラスケースに収められていた。案内人に尋ねると、教員推薦が必要だと説明される。
「これ……スメラギ先生が監修してるんじゃなかった?」
「そうなの?」
カナメの一言に、レンの心の奥が静かに、でも驚くほどあつく熱を帯びる。触れられなくても、そこに“彼”がいる気がして。じんわりと、緩やかににじむように。
なぜ彼がこんなにも胸の奥を埋め尽くすのか、レンにはまだ分からなかった。
——The story continues…
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