星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第三章 夜帳のきざし

閑話 アクタビ教授の楽しい魔草薬学授業

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 重厚な扉をくぐり抜けると、室内は薄暗く、古い薬草の香りが満ちていた。壁一面にびっしりと並んだ薬草瓶、乾燥した根や花弁が吊るされ、窓から差し込む淡い光に浮かび上がる緑と紫の葉たちが、神秘的な空間を演出している。

 アクタビ・ガラスは、魔草の搾り汁が染みついた研究服に身を包み、無造作に束ねた色素の薄い髪を静かに揺らしていた。若くも老いても見える彼女は、ニヤニヤと鋭くも観察するような目で一人一人を見据えながら、授業を始めた。

「本日のテーマは、治癒と毒の狭間に咲く『魔草』の真実――カラスノエンドウ、ヒュプノスリーフ、シルバーナイトシード、そして特に『月影の藤』の効能について詳述する」

 レンは机の上に置かれた生のカラスノエンドウの葉に指で軽く触れ、冷たく微かな光沢を感じた。カナメはその隣で、アクタビが取り出した鮮やかな紫色の小瓶に目を奪われる。中身は、月光を浴びて青白く輝く液体だった。

 アクタビの声はふざけたようで、どこか含みを持ち、独特のリズムで続いた。

「カラスノエンドウはその甘美な香りに反して、過剰摂取で幻覚作用をもたらす。しかし正確な調合で使えば、精神の安定と魔素の回復を促す。ヒュプノスリーフは睡眠誘導に優れ、戦闘後の心身の疲弊回復に不可欠だ」

 カナメがそっとノートを取る音。レンは、アクタビの目が自分たちに注がれているのを感じ、緊張と好奇心が入り混じった気持ちになる。

 アクタビは薬草の名前を列挙するだけでなく、その使い方や禁忌、歴史にまつわる逸話も交えた。彼女の授業は、単なる理論ではなく、生きた知識の塊だった。

「そして、『月影の藤』は……まさにこの学科の奥義と言っても過言ではない。古代の錬金術師たちも求めたが、成分は不安定で、取り扱いは慎重を極める。正しい魔素の調律ができなければ、致命的な毒となる」

 レンは教室の隅に積まれた薬草標本の中から、薄紫色の細長い花を見つけた。アクタビの言葉が頭に響く。

「ここからは実習だ! 君たちにはこの月影の藤の抽出液を調整し、ある薬剤を作り出してもらう。失敗すれば、それは強い幻覚や中毒を引き起こす」

 カナメは顔を強ばらせつつも、レンと顔を合わせ、小さく頷いた。

「君たちの才能と度胸を楽しみにしているよ?」

 アクタビは、含みある微笑を浮かべた。

 ―――

「さて、では課題だ。詩的かつ抽象的な謎を解きつつ、二人一組でポーション薬を生成せよ。ヒントはこの詩に隠されている。先も言ったように、一歩間違えれば強烈な毒になる。心してかかるように!」

 アクタビが黒板に書いたのは、謎めいた一節だった。

 ―――
 『月光の涙は
  夢見る藤の花に宿りて
  夜風が囁く時、秘めたる煌めきが蘇る』
 ―――

 レンが眉をひそめる。カナメは目を輝かせて言った。

「つまり、月影の藤の成分と夜に咲く夢見草、それから……夜風を感じるエーテル成分ってことかな?」

「流石ヒウラ!! よし、さっそく材料の採取に行こう!」

 二人は実験室を飛び出し、錬金術研究棟裏の禁断の温室へ向かう。そこは普通の魔草園とは違い、妖しく煌めく花々がひしめき合っていた。

 レンが葉を摘み取り、カナメは細長い紫の花弁を慎重に採集する。夢見草は風に揺れ、甘くほろ苦い香りを漂わせていた。

「この香り……まるで夜の魔法だな」

「これを調合すれば、完璧な秘薬になるはず」

 実験室に戻ると、二人はすぐさま実験台に向かい、魔素の調律を細心の注意を払って開始した。液体が淡く光り、ほのかな香りが教室に満ちる。

 完成したポーションを嗅いだアクタビ教授の目が一瞬、驚きに見開かれた。

「見事な調合だ……! ……んふふふ、実はこれ、年齢制限付きの秘薬なんだよ」

 部屋の隅から、生徒たちがくすくすと笑い声をあげ始める。ポーションの香りが彼らの頬を赤く染め、視線が妙に漂い始めた。

「な、なにこれ!? みんな、どうしたんだ!?」

 皆、熱に浮かされたように胸元をはだけ、酔いがまわったように気だるそうにしている。

「ヒャッヒャッヒャ!! 愉快痛快!! 媚薬の一種、『月影の蜜』と呼ばれる禁断の秘薬さ。効能は多彩……とても甘美で危険だぞ!」

 カナメが慌ててアクタビの袖を掴んだ。

「アクタビさん! これはまずいって!! 大人限定って言ったけど……みんな未成年なんだよ!?」

「大丈夫、大丈夫。ちょっとだけだよ!」

 しかし、その時、実験室の扉がひんやりと開き、重い空気が流れ込んだ。

「やりすぎだ、アクタビ」

 甘さを置き去りにしてきた、低く唸るような声だった。

「あっ……やべぇ」

 氷の気配が満ちる実験室。
 スメラギだ。彼の表情筋は相変わらず仕事を放棄している。……だが。

 スメラギが静かに歩み寄るたび、床は霜で白く染まってゆく。冷たく、鋭い視線がアクタビを射抜く。

「……何を、教えている」

 彼の声は静かながらも怒気を孕み、部屋の空気を凍らせた。
 甘い香りに酔いかけていた生徒たちは、一瞬で正気を取り戻し、寒気とともに床に崩れ落ちるように眠りについた。

 アクタビは引きつった笑みで言い訳を試みる。

「こ、これは教育的配慮というか……人体の化学反応の観察というか……その……」

「――言い訳は、査問委員会で聞こうか」

「えっ、ちょ、まっ――」

 問答無用でスメラギが軽く手を振ると、アクタビの体がふわりと宙に浮かび、そのままパリン、と涼しげな音を立てて美しい氷の彫刻へと変貌した。

 その氷像を見つめながら、レンがぽつりとつぶやく。

「……アクタビさんって、ほんとにマジでやべー人だったんだな」

 カナメが疲れた顔でうなずいた。

「うん……でも、あのポーションの調合、完璧だったよね」

「褒められても全然嬉しくないけど!?」

 翌日、「謎の氷像が査問委員会に提出された」というニュースが学術都市を駆け巡ったが、誰も驚かなかった。
 何しろ、アクタビ・ガラスだから。
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