星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第四章 光あれ、影あれ

30 それぞれの沈黙

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 ⸻イシュ・アルマ 中央議政殿・最上階「光の間」

 それは、かつて“天に最も近い知”と讃えられた、学術都市の心臓部。
 壁面すべてが魔石で形作られ、天井には大陸全図を刻んだ金のレリーフが煌めいている。
 厳かに並ぶ半円卓。その中央、まるで玉座のごとき高座に一人の老人が座していた。


 ――議長。


 王都直属の管理者であり、イシュ・アルマ最高評議会を束ねる統括者。
 その傍らには、こんにちの魔導理論を築いたとされる“四賢者”が鎮座する。

「……を介入させるとは……、王都も目敏い」

 言ったのは、“楽”を纏う老翁――紫苑(しおん)の賢者。
 年齢に似合わぬ朗らかさと悪戯めいた眼差しが特徴の老人だ。扇子を片手に微笑みを湛える。

の“氷帝”が目を掛けておるとなれば、王都も黙ってはおるまい」

 低く、感情を押し殺すように呟いたのは、“哀”を宿す女――白露(はくろ)の賢者。
 透けるように白い髪を結い上げ、まるで魂の抜け殻のように淡々と語るその声には、どこか諦念の気配があった。

「して、首尾は如何か」

 苛立ちを隠さぬ“怒”の男――玄火(げんか)の賢者が机を軽く叩いた。
 赤銅色の髭を蓄え、猛禽のような目を光らせながら、落ち着きなく椅子の背を軋ませている。

「万事、抜かりなく――と、申し上げておきましょう」

 満面の笑みで言葉を継いだのは、“喜”に満ちた青年――翠霞(すいか)の賢者。
 唯一若く見えるが、齢は百を越えているという噂。あまりにも丁寧な口ぶりと芝居がかった身振りが、むしろ不気味ですらある。

 彼らの中央で、議長は目を伏せたまま静かに立ち上がる。
 その白装束には金糸の紋様が幾重にも縫い込まれ、背後の光を受けてまばゆく輝いた。

現世うつしよに、光あれ」

 その言葉に、四人の賢者は揃って起立し、手を胸に当てる。

「――光あれ」

 その声が鳴り終えるのと同時、部屋の壁面に刻まれた魔導刻印が淡く脈動を始めた。
 その動きは、まるで都市そのものの心音のように、ゆっくりと、確実に響いていた。

 だが、誰も口にはしない。
 この会議の裏に漂う、どこか異様な“気配”の正体を。

 ———

 木々の揺れる夜の森の中、仄かに残る魔素の痕跡を辿るようにして、ビャクヤ・キュウビは腰の日本刀を軽く払いながらぼやいた。

「……今回の件、どうもきな臭くてなぁ」

 狐面の奥で光る紫の瞳には、冷えた冗談の気配も、軽薄な笑みもなかった。

 夜の森は、静けさという名の闇に包まれていた。
 遠くで風が枝葉を撫でる音すら、ここではまるで音楽のように響く。

 カナメの作り出した焚き火の明かりが、橙色の輪郭を描き出している。
 その周囲に集う四人は、誰もがそれぞれの影を連れていた。

「……やはり動き始めたか」

 スメラギのその一言は、まるで焚き火に投じられた小石のようだった。
 ぱちりと火が弾け、誰もが視線だけで反応する。

「まだ憶測の域だけどなぁ。“俺ら”が引っ張られたってことは……そう言う事なんだろうよ」

 キュウビ──白銀の髪を持つ男の、愉快げな声音にしては、あまりに沈鬱。
 彼の言葉には、鋭利な感覚が宿っていた。裏社会に身を置く者特有の、それは、血の匂いを見分ける嗅覚だった。

 その隣、焔の光に照らされたスメラギがわずかに眉を動かす。

 無表情の仮面をつけたようなその横顔に、一瞬だけ影が走った。
 小さな反応だったが、キュウビにはそれで十分だった。

「面倒に巻き込まれんのはゴメンなんだがな。……ミナトとの甘美で耽美で官能の時間がすり減っちまう」

 冗談めかした声音。だがその裏に、ひどく個人的な独占欲が見え隠れしていた。
 焔がゆらりと揺れる。心の奥をなぞるように。

 カナメが「うげっ」と嫌そうに顔をしかめ、舌を突き出した。
 その仕草に、一瞬だけ場が和らいだようにも思えたが、すぐに沈黙が戻ってくる。

 スメラギが、静かに言葉を返した。

「尾を握られている以上、責務からは逃れられないだろう?」

 その声には冗談も怒気もなかった。ただ、事実だけが冷たく置かれている。

 キュウビが肩をすくめる。
 仮面の下で笑っているのか、それとも……顔をしかめているのか。火はその内情までは照らさなかった。

「真面目だねぇ、ミナトは。ま、そんなところが……愛おしいんだけどな」

 “愛おしい”。
 甘く爛れた響きが、誰にも拾われることなく夜気に溶けた。

「兄弟子、何が起こってるんです? あの魔獣たちの異変は一体──」

 焦燥を隠さず、カナメが口を開いた瞬間だった。
 キュウビの動きが止まり、顔を傾ける。
 狐面の中で、口元に指を当てる仕草。それは沈黙を命じる合図だった。

「──沈黙は命なり。おしゃべりはほどほどになぁ、小娘。
 さもないと俺は、お前も“対象”にせにゃならん」

 “対象”。
 それは単純な「殺す」という言葉より、なお冷たく響いた。
 感情も、躊躇いも排除された、命の線引き。
 カナメの背筋に、静かに冷たいものが走る。

「ま、せめてミナトの足手纏いにならねぇように、日々精進するんだなぁ……英雄の七光りちゃん」

「……その言い方、やめてください」

 低く、だが確かな声。
 誇りを踏みにじられることに慣れていない少女の、小さな反抗。

 キュウビはくつくつと笑った。
 面の奥から響くそれは、どこか獣めいていた。

「んじゃ、そーゆー事で。気をつけろよ、ミナト」

 甘い声音で近づき、耳元に囁く。

 スメラギは目を伏せたまま、短く応じる。

「……ああ」

 その声は、焔の揺らぎよりも低く、深い。
 感情を抑え込んだ者だけが出せる声だった。

 キュウビがやれやれと息を吐いた後、
 まるで何かを思い出したように、レンに向き直る。

「それからな、おチビちゃん。お前はさっさと消えるんだな。向いてねぇよ、この世界に」

 唐突に突き刺さる言葉に、レンが眉をひそめる。

「なっ……なんでアンタにそんなことわかるっ、」

 言葉の裏には、自分でも気づいている不安が混じっていた。

「ああ、分かるねぇ!」

 キュウビの声は平坦で、非情だった。

「お前の魔素の色。──何もねぇ。見えやしねぇ。
 色のねぇ魔素なんざ聞いたことねぇ。笑わせる」

 レンの瞳が揺れた。
 胸の奥にしまい込んだ疑念。誰にも言えなかった恐れ。
 それが、目の前の男にあっさり暴かれた。

「で、でもバインダーだって反応したし、それに、」

 レンの言葉を遮るように、キュウビは大笑いをした。

「こりゃ傑作だねぇ!?そんなオモチャで喜んでんのか?指輪は所詮唯の媒介だ。ちっぽけな人間が偉大な力をコントロールしたいが為に作ったなぁ!それが反応しただけでその気になってんのか?だからポンコツだってんだよ、お前は」

「だ……、けどっ!魔導の勉強だってしてるし、先生だって!!」

 カナメが止めようとするが、言葉にならない。
 正論だった。非情だけれど、曲がってはいなかった。
 カナメも生まれてこの方、色のない魔素を見たことはなかった。

「知識だけでどうにかなるような、甘い世界じゃねぇよ」

 キュウビの言葉は、刃物のように冷たく鋭かった。
 そして、どこまでも真実だった。

「この世界は、生半可な覚悟じゃ喰われる。
 話の通じねぇ敵に、理屈で勝てると思うか?」

 レンは、何も言い返せなかった。
 唇だけが動く。だが声にならない。

 視線を落とし、拳を握る。

 焔が揺れる。誰も口を開かない。

 沈黙の中で、唯一、スメラギだけが、静かにレンを見つめていた。
 その瞳には、優しさでも哀れみでもない、ただの「まなざし」があった。
 試すような、見守るような。けれど決して手を差し伸べることはないまなざし。

 森は静かだった。
 誰もが、自分の中の「何か」と向き合っていた。

 そして夜は、まだ深かった。
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