36 / 109
第四章 光あれ、影あれ
30 それぞれの沈黙
しおりを挟む⸻イシュ・アルマ 中央議政殿・最上階「光の間」
それは、かつて“天に最も近い知”と讃えられた、学術都市の心臓部。
壁面すべてが魔石で形作られ、天井には大陸全図を刻んだ金のレリーフが煌めいている。
厳かに並ぶ半円卓。その中央、まるで玉座のごとき高座に一人の老人が座していた。
――議長。
王都直属の管理者であり、イシュ・アルマ最高評議会を束ねる統括者。
その傍らには、こんにちの魔導理論を築いたとされる“四賢者”が鎮座する。
「……夜の課を介入させるとは……、王都も目敏い」
言ったのは、“楽”を纏う老翁――紫苑(しおん)の賢者。
年齢に似合わぬ朗らかさと悪戯めいた眼差しが特徴の老人だ。扇子を片手に微笑みを湛える。
「彼の“氷帝”が目を掛けておるとなれば、王都も黙ってはおるまい」
低く、感情を押し殺すように呟いたのは、“哀”を宿す女――白露(はくろ)の賢者。
透けるように白い髪を結い上げ、まるで魂の抜け殻のように淡々と語るその声には、どこか諦念の気配があった。
「して、首尾は如何か」
苛立ちを隠さぬ“怒”の男――玄火(げんか)の賢者が机を軽く叩いた。
赤銅色の髭を蓄え、猛禽のような目を光らせながら、落ち着きなく椅子の背を軋ませている。
「万事、抜かりなく――と、申し上げておきましょう」
満面の笑みで言葉を継いだのは、“喜”に満ちた青年――翠霞(すいか)の賢者。
唯一若く見えるが、齢は百を越えているという噂。あまりにも丁寧な口ぶりと芝居がかった身振りが、むしろ不気味ですらある。
彼らの中央で、議長は目を伏せたまま静かに立ち上がる。
その白装束には金糸の紋様が幾重にも縫い込まれ、背後の光を受けてまばゆく輝いた。
「現世に、光あれ」
その言葉に、四人の賢者は揃って起立し、手を胸に当てる。
「――光あれ」
その声が鳴り終えるのと同時、部屋の壁面に刻まれた魔導刻印が淡く脈動を始めた。
その動きは、まるで都市そのものの心音のように、ゆっくりと、確実に響いていた。
だが、誰も口にはしない。
この会議の裏に漂う、どこか異様な“気配”の正体を。
———
木々の揺れる夜の森の中、仄かに残る魔素の痕跡を辿るようにして、ビャクヤ・キュウビは腰の日本刀を軽く払いながらぼやいた。
「……今回の件、どうもきな臭くてなぁ」
狐面の奥で光る紫の瞳には、冷えた冗談の気配も、軽薄な笑みもなかった。
夜の森は、静けさという名の闇に包まれていた。
遠くで風が枝葉を撫でる音すら、ここではまるで音楽のように響く。
カナメの作り出した焚き火の明かりが、橙色の輪郭を描き出している。
その周囲に集う四人は、誰もがそれぞれの影を連れていた。
「……やはり動き始めたか」
スメラギのその一言は、まるで焚き火に投じられた小石のようだった。
ぱちりと火が弾け、誰もが視線だけで反応する。
「まだ憶測の域だけどなぁ。“俺ら”が引っ張られたってことは……そう言う事なんだろうよ」
キュウビ──白銀の髪を持つ男の、愉快げな声音にしては、あまりに沈鬱。
彼の言葉には、鋭利な感覚が宿っていた。裏社会に身を置く者特有の、それは、血の匂いを見分ける嗅覚だった。
その隣、焔の光に照らされたスメラギがわずかに眉を動かす。
無表情の仮面をつけたようなその横顔に、一瞬だけ影が走った。
小さな反応だったが、キュウビにはそれで十分だった。
「面倒に巻き込まれんのはゴメンなんだがな。……ミナトとの甘美で耽美で官能の時間がすり減っちまう」
冗談めかした声音。だがその裏に、ひどく個人的な独占欲が見え隠れしていた。
焔がゆらりと揺れる。心の奥をなぞるように。
カナメが「うげっ」と嫌そうに顔をしかめ、舌を突き出した。
その仕草に、一瞬だけ場が和らいだようにも思えたが、すぐに沈黙が戻ってくる。
スメラギが、静かに言葉を返した。
「尾を握られている以上、責務からは逃れられないだろう?」
その声には冗談も怒気もなかった。ただ、事実だけが冷たく置かれている。
キュウビが肩をすくめる。
仮面の下で笑っているのか、それとも……顔をしかめているのか。火はその内情までは照らさなかった。
「真面目だねぇ、ミナトは。ま、そんなところが……愛おしいんだけどな」
“愛おしい”。
甘く爛れた響きが、誰にも拾われることなく夜気に溶けた。
「兄弟子、何が起こってるんです? あの魔獣たちの異変は一体──」
焦燥を隠さず、カナメが口を開いた瞬間だった。
キュウビの動きが止まり、顔を傾ける。
狐面の中で、口元に指を当てる仕草。それは沈黙を命じる合図だった。
「──沈黙は命なり。おしゃべりはほどほどになぁ、小娘。
さもないと俺は、お前も“対象”にせにゃならん」
“対象”。
それは単純な「殺す」という言葉より、なお冷たく響いた。
感情も、躊躇いも排除された、命の線引き。
カナメの背筋に、静かに冷たいものが走る。
「ま、せめてミナトの足手纏いにならねぇように、日々精進するんだなぁ……英雄の七光りちゃん」
「……その言い方、やめてください」
低く、だが確かな声。
誇りを踏みにじられることに慣れていない少女の、小さな反抗。
キュウビはくつくつと笑った。
面の奥から響くそれは、どこか獣めいていた。
「んじゃ、そーゆー事で。気をつけろよ、ミナト」
甘い声音で近づき、耳元に囁く。
スメラギは目を伏せたまま、短く応じる。
「……ああ」
その声は、焔の揺らぎよりも低く、深い。
感情を抑え込んだ者だけが出せる声だった。
キュウビがやれやれと息を吐いた後、
まるで何かを思い出したように、レンに向き直る。
「それからな、おチビちゃん。お前はさっさと消えるんだな。向いてねぇよ、この世界に」
唐突に突き刺さる言葉に、レンが眉をひそめる。
「なっ……なんでアンタにそんなことわかるっ、」
言葉の裏には、自分でも気づいている不安が混じっていた。
「ああ、分かるねぇ!」
キュウビの声は平坦で、非情だった。
「お前の魔素の色。──何もねぇ。見えやしねぇ。
色のねぇ魔素なんざ聞いたことねぇ。笑わせる」
レンの瞳が揺れた。
胸の奥にしまい込んだ疑念。誰にも言えなかった恐れ。
それが、目の前の男にあっさり暴かれた。
「で、でもバインダーだって反応したし、それに、」
レンの言葉を遮るように、キュウビは大笑いをした。
「こりゃ傑作だねぇ!?そんなオモチャで喜んでんのか?指輪は所詮唯の媒介だ。ちっぽけな人間が偉大な力をコントロールしたいが為に作ったなぁ!それが反応しただけでその気になってんのか?だからポンコツだってんだよ、お前は」
「だ……、けどっ!魔導の勉強だってしてるし、先生だって!!」
カナメが止めようとするが、言葉にならない。
正論だった。非情だけれど、曲がってはいなかった。
カナメも生まれてこの方、色のない魔素を見たことはなかった。
「知識だけでどうにかなるような、甘い世界じゃねぇよ」
キュウビの言葉は、刃物のように冷たく鋭かった。
そして、どこまでも真実だった。
「この世界は、生半可な覚悟じゃ喰われる。
話の通じねぇ敵に、理屈で勝てると思うか?」
レンは、何も言い返せなかった。
唇だけが動く。だが声にならない。
視線を落とし、拳を握る。
焔が揺れる。誰も口を開かない。
沈黙の中で、唯一、スメラギだけが、静かにレンを見つめていた。
その瞳には、優しさでも哀れみでもない、ただの「まなざし」があった。
試すような、見守るような。けれど決して手を差し伸べることはないまなざし。
森は静かだった。
誰もが、自分の中の「何か」と向き合っていた。
そして夜は、まだ深かった。
0
あなたにおすすめの小説
嫁がされたと思ったら放置されたので、好きに暮らします。だから今さら構わないでください、辺境伯さま
中洲める
BL
錬金術をこよなく愛する転生者アッシュ・クロイツ。
両親の死をきっかけにクロイツ男爵領を乗っ取った叔父は、正統な後継者の僕を邪魔に思い取引相手の辺境伯へ婚約者として押し付けた。
故郷を追い出された僕が向かった先辺境グラフィカ領は、なんと薬草の楽園!!!
様々な種類の薬草が植えられた広い畑に、たくさんの未知の素材!
僕の錬金術師スイッチが入りテンションMAX!
ワクワクした気持ちで屋敷に向かうと初対面を果たした辺境伯婚約者オリバーは、「忙しいから君に構ってる暇はない。好きにしろ」と、顔も上げずに冷たく言い放つ。
うむ、好きにしていいなら好きにさせて貰おうじゃないか!
僕は屋敷を飛び出し、素材豊富なこの土地で大好きな錬金術の腕を思い切り奮う。
そうしてニ年後。
領地でいい薬を作ると評判の錬金術師となった僕と辺境伯オリバーは再び対面する。
え? 辺境伯様、僕に惚れたの? 今更でしょ。
関係ここからやり直し?できる?
Rには*ついてます。
後半に色々あるので注意事項がある時は前書きに入れておきます。
ムーンライトにも同時投稿中
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!
野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ
平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、
どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。
数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。
きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、
生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。
「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」
それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
望まれなかった代役婚ですが、投資で村を救っていたら旦那様に溺愛されました。
ivy
BL
⭐︎毎朝更新⭐︎
兄の身代わりで望まれぬ結婚を押しつけられたライネル。
冷たく「帰れ」と言われても、帰る家なんてない!
仕方なく寂れた村をもらい受け、前世の記憶を活かして“投資”で村おこしに挑戦することに。
宝石をぽりぽり食べるマスコット少年や、クセの強い職人たちに囲まれて、にぎやかな日々が始まる。
一方、彼を追い出したはずの旦那様は、いつの間にかライネルのがんばりに心を奪われていき──?
「村おこしと恋愛、どっちも想定外!?」
コミカルだけど甘い、投資×BLラブコメディ。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
その捕虜は牢屋から離れたくない
さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。
というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる