星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第四章 光あれ、影あれ

34 胸に広がる自己嫌悪

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 研究室の空気が、わずかに揺らいだ。
 風でも音でもない。見えない水面がそっと波立つような、微細な気配の変化だった。

 その静かな波紋の中心で、ソファの上に横たわっていたスメラギの睫毛が、ほんのかすかに震えた。
 次いで、ゆっくりと──浅く、長く息を吸い込む音がわずかに漏れ、閉じられていた瞼が重たげに開かれる。

 淡く光を反射する睫毛の隙間から覗く瞳は、まだ焦点が定まらないまま、真上の天井をぼんやりと見つめていた。
 意識は戻っているはずなのに、まるで現実を映していないような──今がいつで、どこにいるのかさえ、理解できていないような眼差しだった。

 レンは、思わず息を詰めてその様子を見守った。
 どう反応すればいいのかわからず、ただ、視線だけを懸命に彼へと向けていた。
 目の前にあるこの光景に、触れてもいいのか。声をかけてしまってもいいのか。
 それすらも怖くて判断がつかず、胸の奥がきゅっと強く締めつけられていた。

 やがて──
 彷徨うように動いていたその瞳が、ふいにこちらへと落ちてくる。

 視線が合った瞬間、レンの身体がびくりとわずかに強ばった。

「……先生……、具合……どう?」

 震える声を無理に抑えながら、レンはそう問いかけた。
 その声が自分でも情けないほど弱くて、頼りなくて、あまりにも幼いことに気づく。
 けれど、それでも何か言葉を紡がなければと思った。
 彼が今、確かにここにいて、目を覚ましたというその事実に、何かを返したくて。

 スメラギは、しばらく無言のまま瞬きをした。
 その眼差しの奥には、記憶の靄を辿っているような遠さがあった。
 ゆっくりと──慎重に、ひとつずつ現実に戻ってきているように見えた。

「イシミ…ネ……? どう……して……」

 かすれた声が、ようやく唇の端から零れる。
 その声は、確かにレンの名前を呼んでいた。
 けれど、まだ完全に意識がこちら側に戻ってきているわけではない。
 その声音には、まるで夢の中の誰かを探すような迷いがにじんでいた。

「先生に……相談したいことがあって、戻ってきました。
 そうしたら……先生が倒れてて……俺……」

 言いながら、レンは喉の奥で言葉が掠れそうになるのをこらえた。
 胸の中に広がる自己嫌悪が、じわじわと滲み出してくる。
 こんな再会を望んでいたわけじゃない。こんな形で彼に会いたかったんじゃなかった。
 けれど、それでも──どうしようもなく彼に会いたかったことは、確かだった。

 その声に、スメラギはゆっくりと目を伏せる。
 再び視線は天井へと向けられ、長い睫毛が静かに影を落とした。

 目を閉じたまま、沈黙が落ちる。
 レンは息を詰めたまま、何も言えずにその姿を見つめ続けるしかなかった。

 ──けれど。

 次の瞬間、スメラギはゆっくりと目を開き、身体を起こした。
 額に手を当てる動作はぎこちなく、どこか力の入らない様子だった。
 それでも、立ち上がろうとする意思が彼の動きの端々に宿っている。

「……すまない。世話をかけた。……ありがとう」

 短く吐き出されたその言葉には、ため息のような疲労が滲んでいた。
 けれど同時に、どこか柔らかい響きもあった。

 それがかえって痛かった。

 その瞳の奥に、一瞬だけ自分を責めるような色が浮かんだ気がして、レンの胸が締めつけられる。

 だから、思わず声が口をついた。

「先生……その、ありがとうございます」

 スメラギがほんのわずかに、眉をひそめる。
 問いかけるような視線に、レンはどう言えばいいかを探して唇を噛んだ。

「俺を……俺たちを守って戦ってくれたから……だから、そんなになって……俺……」

 それはほとんど、息と一緒に吐き出されたような言葉だった。

 情けないほど拙くて、未熟で。
 言いたいことの半分も伝えられなかった。
 でも、それでも──何か伝えずにはいられなかった。

 感謝と、後悔と、ずっと胸に積もらせていた苦しさが、言葉になりきれずに喉の奥で詰まる。
 今にも涙になって零れそうで、必死にそれを堪える。

 静かな研究室の空間に、震えるレンの声だけが、かすかに響いていた。

 ──彼は、いったい何のために、あんなにも深く傷ついたのか。
 ──誰のために、自分を壊してまで、立ち続けようとしたのか。

 その答えを思えば、どんなに言葉を尽くしても、決して足りない。
 そして今、こうして──隣にいてくれることが。
 それがどれほど、奇跡のようなことか。
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