星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第六章 回り始めた歯車

56 エレメント・マギア・リリック

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「私も同行する」

 低く、静かな声が広間の空気を切り裂いた。

 無駄のないその一言には、鋭利な意志の刃が宿っていた。場にいた誰もが言葉を失い、時が止まったように沈黙する。張りつめた空気に、無音の殺気すら走る。

 大理石の床に吸い込まれるように響いたその声は、どこか甘く、しかし心を貫くように鋭く、空間を圧迫するような抗えぬ威圧感を伴っていた。


 その声音に宿っていたのは、仮面を被って生きてきた男が脱ぎ捨てた、本来の姿――退魔師、スメラギ・ミナトという存在の本質だった。

「スメラギ殿……。今回の件は、“選ばれし者”の資質を見極めるための試練。すでに、あなたの同行は不要と判断されています」

 一人の老賢者が、形式的な言い回しで言葉を返した。

 だがその声音の奥には、スメラギの出過ぎた行動に対する苛立ちと、彼の底知れぬ力に対する警戒心が、確かに滲んでいた。

 スメラギはその言葉に対して、いっさいの返答をしなかった。ただ、そのまなざしを老賢者へと向ける。凍てついた双眸が、真っ直ぐに相手を貫く。

 その鋭さに射抜かれた老賢者は、肩をわずかに震わせ、動揺を隠すようにローブの裾を握りしめた。開きかけた唇も、結局ひとことも発することなく、静かに閉ざされる。

「……良い、良い。同行せよ」

 その沈黙を破ったのは、玉座の中央に座する男の声だった。

 愉悦に満ちた声音。面白がるような調子が混じっていて、真意を見せない。その顔は玉座の影に隠れて見えないが、言葉の裏にある意図だけは、場にいる誰の耳にも明白だった。

 スメラギはその男を一瞥すると、瞳を細め、静かに応じた。

「私は、従うだけの存在ではない」

 その瞬間、広間にいた全員の背筋に、冷たい刃が這うような緊張が走る。

 それは威圧ではなかった。威嚇ですらない。

 だがそこには、抗いがたいほどの存在の重みがあった。長い年月を生き抜き、数多の修羅場を超えてなお、己を失わぬ者だけが持つ、圧倒的な風格。

「たとえ、それが拒みきれぬ命令であったとしても。不合理な命には、従わない。……それは、これまでも。これからも変わることはない」

 明らかに反逆と取れる発言だった。

 だが、誰ひとりとして、スメラギに異を唱える者はいなかった。

 その言葉のひとつひとつに宿る重み。途方もなく時を重ねてもなお、人としての矜持を捨てぬ者の覚悟が、全てを黙らせていた。

 その隣で、レンは小さく息を呑む。

 横顔を見上げる。孤高で、気高く、どこまでも優しいその人が、自分のために声をあげてくれている。

 ──本気だ。先生は、本気で、俺のことを……。

 心に渦巻いていた迷いが、ふっと溶けるように消えていく。

 震える足を必死に支えながら、レンは胸の奥に、もう一度強く覚悟を刻んだ。

「……で、あるか」

 玉座の男が再び声を発した。先ほどまでの余裕が、わずかに削がれている。

「くっくっく……。よかろう。ただし、干渉は許さぬ」

 それに対し、スメラギは言葉を返さず、静かに一度頷くのみ。

 そして、レンの肩にそっと手を置いた。

 言葉はなかった。

 だがその冷たいはずの指先からは、思いがけないほどのぬくもりが伝わってきた。

 深く、静かに沁みていくその体温が、確かにレンの心を支えていた。

 ⸻

 広間の中心。レンの足元に描かれた魔術陣が、淡く輝きを放ち始める。

 だがその光には祝福の気配はなかった。

 “試される者”を見下ろす無慈悲な視線。そんな印象すら抱かせる冷たい空気が、あたりに張りつめていた。

 重く、息が詰まりそうな気配。

 だが、それでもレンは立っていた。

 スメラギが、すぐ後ろにいる。自分のすべてを受け止めてくれる人が、自分を信じてくれている。

 その事実が、今の彼の支えだった。

「根本的四元素――火、水、土、風を均一に形成し、互いを反発させることなく、固定・安定化せよ。課題は、それだけだ」

 白い仮面をつけた使者が、淡々と告げた。

 “それだけ”――けれど、それはあまりにも過酷な命題だった。

 四元素の調和は、魔術理論の核心に触れる領域。未熟な術者には到底不可能な試練。

 火は燃え、水は流れ、土は揺らぎ、風は奔る。相容れぬ性質を持つそれらは、本来なら決して混ざり合わない。

 レンの足元から、魔素がじわりと立ち上り始める。

 火が揺らぎ、水が脈動し、土が蠢き、風が吹き抜ける。四つの力が、それぞれの意思を持つかのように互いを拒絶し、激しく反発する。

 レンは静かに目を閉じた。そして、深く息を吐く。

 (俺の魔素は――光。名を、“無垢イノセント”)

 胸の奥に、確かに灯っている。

 誰かを救いたいと、心から願ったあの瞬間に生まれた、まばゆい光。

 あの日、あの時――先生が、そばにいた。

 あの手のぬくもりが、今も残っている。

 守りたいと願った、その想いが、再び胸の奥に灯る。

 揺らいでいた心に、一本の軸が通る。

 その瞬間、レンの魔素が、光を帯びて静かに脈動し始めた。

 闇を払い、空間を優しく包み込む、柔らかな光。

 それは、“拒絶”ではなく“受容”の光だった。

 四元素の気配が、わずかに静まる。

 レンの意識が魔素と同調し、空間がその変化を受け入れていく。

 ……静かに、試練が始まった。
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