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第七章 黎明の時、嵐の前の
60 夜明け前、憎悪の影
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かつては貴族の館だったのだろう。
だが今、その栄華の記憶は、ひび割れた大理石と煤けた天井、沈黙した壁に染みついた怨嗟の残響へと成り果てていた。
砕けたステンドグラスの隙間を、冷たい風が吹き抜ける。
湿った腐臭が空気に滲み、古い血の記憶を、まるでささやくように這わせていく。
大広間。
今も名残をとどめる美しい装飾が、どこか痛々しく過去を引きずっている。
かつて祝宴と歓声に彩られたその場所は、今や怨嗟の巣窟――血と呪詛の交差点だった。
天井の亀裂から差し込む赤黒い夕光が、蝋燭の炎と交じり合う。
淡く揺れる光と影が、床に伸びた三つの影を、獣のように歪ませていた。
ギィ……。
古びた扉が軋む音を立て、闇に裂け目を穿つ。
「──っ、はぁ……っ、くっ……」
ティシフォネが戻ってきた。
敗北と、血に塗れた沈黙を身にまとって。
その体は斬撃に晒され、白い肌には幾重もの紅が走っていた。
千切れた衣装は、もはや装いとは呼べず、ただ戦場の証を物語る布切れにすぎなかった。
彼女の両腕には、妹たち――メガイラとアレクトゥが、崩れかけた像を支えるように寄り添っていた。
「姉様……!」
「……もう少しで、殺れたのに……!」
ティシフォネは返す言葉もなく、玉座めいた椅子に身体を投げ出す。
蝋燭の灯火が、その顔に浮かぶ苦痛と焦燥、そして……氷のような呪詛の影を照らしていた。
「……星剣が、完全に“顕現”したのか」
かすれた声。
それは、敗北の痛みだけではない。
光に焼かれた存在の芯から漏れ出す、根深い怒りだった。
「ええ……。あれは、“起源”を帯びていた。……あんな坊やが、どうして……!」
メガイラの声は震えていた。
拳を握るその手は、爪が自らの掌に食い込むほど力を込めている。
瞳の奥には、怒りと恐れ、そして……焼き尽くせぬ嫉妬が燃えさかっていた。
「……ッ、悔しいっ……!!」
アレクトゥの叫びが空気を裂く。
その声は、もはや少女のものではない。
魔そのもの、呪いが形をとったような、凍てついた狂気の声。
拳が床に叩きつけられ、古びたタイルが粉砕される。
積もった埃が舞い、空気に漂う憎しみの粒子と溶け合った。
「憎い……ッ! せんせーも、あのガキも、光も……ぜんぶ、ぜんぶ焼き尽くしてやる……!!」
その言葉に、ティシフォネは静かに目を伏せ、手を上げて制した。
彼女の瞳は、もはや火ではない。
それは仄暗い水底、感情すら凍りついた、なお燃え続ける果てしない憎悪だった。
「……お前たちの憤り、よくわかる。我も、同じだ。
肉を裂かれ、誇りを踏みにじられた屈辱。あの忌まわしい光に、存在を嘲られた痛み……」
ティシフォネの声は、まるでひとつひとつの言葉に毒を溶かすように、低く、静かに降りていく。
「……それらすべて、骨に刻まれている」
「なら、なぜ……っ!」
「だからこそ、急ぐな。怒りに任せて動けば、あの光に再び打ち砕かれるだけだ。
今は牙を研げ。喉奥で怒りを熱し、刃に変えろ。
……これは、終わりではない。むしろ“狩り”の始まりだ」
ティシフォネの指が、壁に貼られた古地図へと伸びる。
その指先は、少女のように繊細でありながら、瞬間、老婆のようにねじれ、黒ずんだ。
地図には、呪詛と血で編まれた遺跡の記憶が、焼き付けられている。
三魔女が世界に刻んできた、忌まわしき“軌跡”だった。
「星剣が顕現した今、奴らを引きずり込む術は、まだある。
“禁呪《ヴァルシュテイル》”の核は、死んでいない。あの地なら……我らの怒りは、確かなかたちを取る」
「“原初”の地……!」
アレクトゥが嗤う。
唇から滲んだ血が、笑みに滲み、滴り落ちる。
その声音は、もはや人の域を越えていた。
「ふふ……いいねぇ。今度は、嬲り殺して、全部アタシのコレクションにしてやる。
あの光もろとも、絶望に叩き込んでやる……」
「ええ、姉様。今度こそ……屈辱も、痛みも、すべて取り返す」
「そうだ、メグ。……“あの方”の意志に応えるためにも」
その名を語ることすら憚られる、“何か”。
闇の支配者、蠢く影。
三姉妹すら頭を垂れる存在が、この館のさらに奥――
世界の理の裏側に、静かに息づいている。
──ぼうっ……。
蝋燭の炎が、一瞬、怯えるように震えた。
そして三人は、地図の前で静かに立ち上がる。
その視線は、決戦の地――すべての始まりと終わりへと向けられていた。
そこにあるのは赦しではない。
和解でも、再生でもない。
あるのは、ただ一つ。
滅びをもたらす、女たちの呪い。
それはやがて、世界の光に影を落とすだろう。
だが今、その栄華の記憶は、ひび割れた大理石と煤けた天井、沈黙した壁に染みついた怨嗟の残響へと成り果てていた。
砕けたステンドグラスの隙間を、冷たい風が吹き抜ける。
湿った腐臭が空気に滲み、古い血の記憶を、まるでささやくように這わせていく。
大広間。
今も名残をとどめる美しい装飾が、どこか痛々しく過去を引きずっている。
かつて祝宴と歓声に彩られたその場所は、今や怨嗟の巣窟――血と呪詛の交差点だった。
天井の亀裂から差し込む赤黒い夕光が、蝋燭の炎と交じり合う。
淡く揺れる光と影が、床に伸びた三つの影を、獣のように歪ませていた。
ギィ……。
古びた扉が軋む音を立て、闇に裂け目を穿つ。
「──っ、はぁ……っ、くっ……」
ティシフォネが戻ってきた。
敗北と、血に塗れた沈黙を身にまとって。
その体は斬撃に晒され、白い肌には幾重もの紅が走っていた。
千切れた衣装は、もはや装いとは呼べず、ただ戦場の証を物語る布切れにすぎなかった。
彼女の両腕には、妹たち――メガイラとアレクトゥが、崩れかけた像を支えるように寄り添っていた。
「姉様……!」
「……もう少しで、殺れたのに……!」
ティシフォネは返す言葉もなく、玉座めいた椅子に身体を投げ出す。
蝋燭の灯火が、その顔に浮かぶ苦痛と焦燥、そして……氷のような呪詛の影を照らしていた。
「……星剣が、完全に“顕現”したのか」
かすれた声。
それは、敗北の痛みだけではない。
光に焼かれた存在の芯から漏れ出す、根深い怒りだった。
「ええ……。あれは、“起源”を帯びていた。……あんな坊やが、どうして……!」
メガイラの声は震えていた。
拳を握るその手は、爪が自らの掌に食い込むほど力を込めている。
瞳の奥には、怒りと恐れ、そして……焼き尽くせぬ嫉妬が燃えさかっていた。
「……ッ、悔しいっ……!!」
アレクトゥの叫びが空気を裂く。
その声は、もはや少女のものではない。
魔そのもの、呪いが形をとったような、凍てついた狂気の声。
拳が床に叩きつけられ、古びたタイルが粉砕される。
積もった埃が舞い、空気に漂う憎しみの粒子と溶け合った。
「憎い……ッ! せんせーも、あのガキも、光も……ぜんぶ、ぜんぶ焼き尽くしてやる……!!」
その言葉に、ティシフォネは静かに目を伏せ、手を上げて制した。
彼女の瞳は、もはや火ではない。
それは仄暗い水底、感情すら凍りついた、なお燃え続ける果てしない憎悪だった。
「……お前たちの憤り、よくわかる。我も、同じだ。
肉を裂かれ、誇りを踏みにじられた屈辱。あの忌まわしい光に、存在を嘲られた痛み……」
ティシフォネの声は、まるでひとつひとつの言葉に毒を溶かすように、低く、静かに降りていく。
「……それらすべて、骨に刻まれている」
「なら、なぜ……っ!」
「だからこそ、急ぐな。怒りに任せて動けば、あの光に再び打ち砕かれるだけだ。
今は牙を研げ。喉奥で怒りを熱し、刃に変えろ。
……これは、終わりではない。むしろ“狩り”の始まりだ」
ティシフォネの指が、壁に貼られた古地図へと伸びる。
その指先は、少女のように繊細でありながら、瞬間、老婆のようにねじれ、黒ずんだ。
地図には、呪詛と血で編まれた遺跡の記憶が、焼き付けられている。
三魔女が世界に刻んできた、忌まわしき“軌跡”だった。
「星剣が顕現した今、奴らを引きずり込む術は、まだある。
“禁呪《ヴァルシュテイル》”の核は、死んでいない。あの地なら……我らの怒りは、確かなかたちを取る」
「“原初”の地……!」
アレクトゥが嗤う。
唇から滲んだ血が、笑みに滲み、滴り落ちる。
その声音は、もはや人の域を越えていた。
「ふふ……いいねぇ。今度は、嬲り殺して、全部アタシのコレクションにしてやる。
あの光もろとも、絶望に叩き込んでやる……」
「ええ、姉様。今度こそ……屈辱も、痛みも、すべて取り返す」
「そうだ、メグ。……“あの方”の意志に応えるためにも」
その名を語ることすら憚られる、“何か”。
闇の支配者、蠢く影。
三姉妹すら頭を垂れる存在が、この館のさらに奥――
世界の理の裏側に、静かに息づいている。
──ぼうっ……。
蝋燭の炎が、一瞬、怯えるように震えた。
そして三人は、地図の前で静かに立ち上がる。
その視線は、決戦の地――すべての始まりと終わりへと向けられていた。
そこにあるのは赦しではない。
和解でも、再生でもない。
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それはやがて、世界の光に影を落とすだろう。
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