星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第十章 これからのこと

93 罪悪感

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 やがてふたりは、水族館の奥、ひっそりとした一角へと足を踏み入れた。

 ──クラゲエリア。

 そこは、他の展示エリアとはまるで空気が違っていた。
 外の喧騒が嘘のように静かで、どこか時間の流れまでもが緩やかに感じられる。

 室内は暗く、ほのかな照明が水槽ごとに色を変えながら、ゆっくりと、絶え間なく揺らめいていた。
 青から紫へ、紫からピンクへ……そしてまた、深い蒼へ。

 クラゲたちは、水の中をふわり、ふわりと漂っている。
 触手を優雅にたゆたわせ、光をまとって浮かぶその姿は、生き物というより──まるで夢の中の“光”そのもののようだった。

 大小さまざまなクラゲが、まるで小さな宇宙のように水槽の中を流れていく。
 淡く発光する体、透けるような半透明の傘。
 その一匹一匹が、この世のどこにも属さない、幻想の存在のように、ただ静かに、穏やかに生きている。

「……うわぁ……」

 レンが、小さな息をもらした。
 その声は思わず漏れたような、心の奥から湧き上がった驚きと感動の音。

「見てください、ミナトさん……!」

 思わず顔をほころばせて振り返ったレンの瞳には、無垢な喜びの光が宿っていた。
 水槽のガラスに額が触れそうなほど近づき、ふわふわと動くクラゲを目で追いながら、楽しげに笑い声をこぼす。

「これ、あれですよ、癒される……やつ……! いや~、もう、ずっと見ていられる……!」

 その笑顔は、まるで子どものようだった。
 無邪気で、澄んでいて、曇りひとつない。

 スメラギは少し離れた位置で、その姿を静かに見つめていた。

 ──なんて、綺麗なんだろう。

 目の前で光に染まって笑うその横顔は、まるでこの幻想の空間にぴったりと溶け込んでいるようで。
 その存在ひとつで、あたりの空気があたたかくなるような気がした。

「……」

 ミナトは、ほんのわずかに息を呑んだ。
 胸の奥に、ふっと熱が灯る。

(……これが、“幸福”か)

 どこにも触れていないのに、触れられたようだった。
 やわらかな光が、静かに心の奥へ染みこんでいくような感覚。

(……レンが、笑っている。俺の隣で……こんなふうに、自然に)

 それだけのことが、ひどく嬉しかった。
 たったそれだけのことが、胸を締めつけるほどに、あたたかかった。

 こんな時間が、ずっと続けばいい。
 何も壊さずに、何も終わらせずに──このままでいられたら。


 ……けれど。


(……だめだ)
 その想いに、影が差すのはいつも、自分自身だった。


(こんな幸せ、望んじゃいけない。俺が……手にしていいものじゃない)


 幸福に触れるほど、それは蜃気楼のように遠ざかっていく。
 クラゲたちの淡い光に包まれたこの空間が、美しければ美しいほど、胸の奥に棲む影が濃くなる。

 彼は、そっと自分の手元に視線を落とした。
 クラゲの光を浴びた掌。その表面には何の異変もない。ただ静かに白い。

 ──けれど、見えない“闇”がある。
 誰にも見えない、誰にも触れられない、心の奥に沈んだ呪いのようなもの。


(……俺は、呪われている)



“真実”を知れば──
 この子だって、きっと……



(……だめだな、本当に)
 すぐに背を向けようとしてしまう、自分がいる。
 差し出された手を取ることすら、怖くなる。
 そんな自分が、哀しかった。


 それでも。
 それでも今は──


(せめて……今だけは。この子の笑顔を、曇らせたくない)

 心の底からそう思った。
 それだけは、何があっても守りたい。

 スメラギは、静かに顔を上げた。
 深い沈黙をくぐったあとの、ゆるやかな呼吸。
 いつものように冷静に。優しく。
 けれど、その瞳の奥には、ひとしずくの切なさが滲んでいた。
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