星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第十章 これからのこと

100 星降る庭で、きみを見た

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 その丘は、かつては貴族の私庭だったという。
 今では訪れる人も少ない、ひっそりとした高台の一角。
 手入れの行き届いた石畳と、夜露に濡れた季節の花々が彩る小径を抜けた先に、ひらけた空と、遥か下界を一望できる場所があった。

 ふたりはその丘で、並んで夜空を仰いでいた。

 今夜は、流星群が訪れる特別な夜。

 風は静まり、雲ひとつない蒼黒の天蓋。
 瞬く星々が、宇宙の静寂を背景に凛と輝き、時折、その中に混じってひときわ明るい光の筋が尾を引いて流れていく。

「うわぁ、すごい!!」

 レンが思わず声を上げた。
 弾けるように顔を輝かせて、両手を組むようにして夜空を見上げている。

 流れ星は幾筋も、夜の深みに弧を描き、そして消えていった。
 願いごとを唱える暇もないほど、速く、美しく。

 その姿を横で見ながら──スメラギは静かに息をのんだ。

 レンの瞳に映る星々は、どれも確かに、この世界に光があることを証明していた。
 そのあまりに無垢な笑顔が、胸の奥を温めていくのがわかった。

 ──こんな気持ちを、自分が知っていいのだろうか。

 ずっと、冷たい氷のひとやに閉ざされていた。
 誰にも触れられず、触れず、望むことすら諦めていた。
 だというのに、この少年の何気ない言葉、屈託のない笑顔、自分の名を嬉しそうに呼ぶその声──
 その一つ一つが、絶対零度の氷獄を、いとも容易く溶かしていった。

 嬉しくて、苦しくて、本当に、幸せで。

 けれどその幸福が、鋭く胸を刺した。
 これは、自分が受け取っていいものではない──そんな罪悪感が、無意識に胸の奥で渦巻いていた。

「……レン、今日は……ありがとう」

 静かに、けれど心からの感謝を込めてスメラギが言うと、レンは驚いたように振り返った。

「えっっ? お礼を言うのは、俺の方だよ? ミナトさんが来てくれて、すっごく嬉しかったのに」

 スメラギはそっと目を伏せる。

「いいや……誘ってくれて、本当に嬉しかった。こんなふうに誰かと過ごす一日なんて……今まで、一度もなかったから」

 月の光が、静かにスメラギの頬を照らしていた。
 白磁のように滑らかな肌に、儚げな陰影を落とし、その横顔をより神秘的に縁取っていた。

「……ミナトさん……」

 レンの胸が、またぎゅっと締めつけられた。
 この人は、どれほどの孤独と向き合って生きてきたのだろう。

「今日のこと……俺は、永遠に……きっとずっと、忘れないよ」

 どれほど時が過ぎても。
 どんな未来が訪れても。
 この一夜は、きっと永遠に自分の中で光り続ける。

 ──そう言ったスメラギの横顔が、遠かった。

 それは星の瞬く夜空の深さに吸い込まれてしまいそうな、遠さだった。

 いつか夢で見た、暗闇に沈むスメラギの背中。
 手を伸ばしても届かず、名を呼んでも振り返らない、あの夜。

 その残像が、レンの胸の奥にじんわりと滲んだ。

「……っ、ミナトさん!!」

 思わず、レンは強く、スメラギを抱きしめた。
 優しく、けれど絶対に離さないように。
 壊れてしまわないように──この人がまた、一人きりで遠くへ行ってしまわないように。

 ミナトが小さく肩を震わせる。

「レン……っ、」

 掠れるように名を呼ばれたその声に、レンの心は大きく揺れる。

「そんな寂しいこと、言うなよ。今日だけじゃなくて……これからもずっと、ずっと一緒に、たくさんの思い出を作りたいよ」

「……レン、俺は──」

 言葉が詰まった。
 本当は伝えたいことは、山ほどあるはずなのに。
 けれど、ひとつも声にならなかった。

「ミナトさんが背負ってるものの重さ、ちゃんと分かってる。理解してるよ! だから……だから言ってるんだ。これからも、ずっと、一緒に」

 レンの声は、確かだった。

 迷いなく、濁りなく。

 スメラギの胸が、きゅっと痛んだ。

(……ああ、赦されるなら)

 そのまっすぐな想いに、応えたかった。
 ずっと──ずっと、心のどこかで望んでいたはずだった。



 けれど、それを口にすることが、何より怖かった。
 自分が望むことで、光のように純粋で綺麗な少年を、穢れた呪いの輪に巻き込んでしまうような気がして。


 それでも。


「ミナトさん……俺は、もう、あなたを離さないって、決めたから」

 夜風がふわりと吹き抜ける。

 その言葉は、まるで誓いのように。
 蒼穹の天へ、迷いなく放たれていった。

 スメラギはただ、目を伏せたまま。
 レンの温もりに包まれながら、心の奥が静かに、でも確かに満たされていくのを感じていた。

 ──その腕に、救われるように。

 そして、今度は自分が、この少年を守りたいと。
 はじめて、そう願った。


 一息置いて、レンが言った。



「……ミナトさん……あなたを愛しています」


 それは、真っ直ぐで、揺るがない言葉だった。

「……っ、どうして……っ、こんな……俺なんかっ……」

 スメラギが、震える声で息を詰まらせる。
 泣いているのかもしれない。だけど、レンからはその表情が見えなかった。
 だから——代わりに、ぎゅっと、ぎゅっと、強く、強く、抱きしめた。

「俺が、そう決めたから。だから、“俺なんか”なんて言わないで。

 あなたは、俺が初めて恋をして、初めて愛して、初めて——命をかけてでも守りたいと思った、何よりも大切な人だから」

「……レン……」

「嫌だって言っても、もう“離して”なんて、言わせないよ。

 それだけ、深く、深く、あなたを愛してる。……だから、もう諦めて」

 スメラギの肩が小さく震えた。
 それはきっと、冷えた風のせいだけじゃない。

 レンはそっと、スメラギの肩を抱いたまま、近くのベンチへと腰を下ろした。
 スメラギは、顔を覆うようにして俯いている。
 その横顔は見えなかったけれど、暗がりの中でもはっきりとわかるほどに、スメラギの耳は真っ赤に染まっていた。

 ——何もかもが、愛おしい。

 気高くて、美しくて。
 繊細で、優しくて。
 強くて、儚くて、切なくて、哀しい。

 ……大好きな、俺の、愛する人。

「ミナトさん……」

「…………っ」

 レンは、そっとその頬を両手で包み込んだ。
 スメラギはまだ、目を伏せたままだった。

「……レン、おれ、はっ──」

「しっ。もう……何も言わないで」

 そして、そっと。

 触れるだけの、キスをした。

 ——たったそれだけの接触が、世界の輪郭を塗り替える。
 夜空から、流星がひとつ、音もなく尾を引いて落ちていった。

 触れるだけのキスが終わっても、ふたりの距離は変わらなかった。
 近く、ぴたりと寄り添ったまま。

 月明かりの下で、レンはスメラギをまっすぐに見つめる。

「信じられないなら、何度でも言うよ」

 その声は、もう震えていなかった。
 まるで誓いのように、祈りのように、揺るがない声で。

「俺は──伊志嶺 漣は、皇木 湊を。
 心の底から、何よりも、誰よりも、深く愛しています」

 スメラギが、ゆっくりと目を見開いた。
 言葉にならない想いが、その表情から溢れ出しそうだった。

「……俺の恋人に、なってください」

 丘の上の風が、ふたりの髪をやさしく揺らした。
 どこまでも静かで、どこまでも鮮烈な、運命の瞬間だった。

 星の光に見守られながら──

 スメラギは、息を呑むようにレンの顔を見つめる。
 涙に滲んだ星色の瞳が、夜空の煌きを映して揺れていた。

 驚いたように、戸惑うように──それでも。

 スメラギは、ほんの少しだけ、唇の端を緩めた。

 やがて、そっと微笑む。

 それはきっと、彼にとって精一杯の、

 過去も痛みもすべて受け止めて、
 それでも“あなたを選ぶ”という、魂の返事だった。

 レンは、それだけで全てが報われた気がした。
 どんな言葉よりも強い、YESだった。

「……ミナトさん、ありがとう」

 ふたりの影が寄り添い、星の見える丘に、ひとつの灯がともる。

 永い夜が、少しずつ、終わっていく。

 星降る庭で見たあなたは、夜空に瞬くどの星よりも──
 ずっと、ずっと、美しく、輝いていた。
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