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支配人同士の攻防

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 「皆、来てくれてありがとう! 今日も楽しんでくれ!」
舞台から座長が、今日も威勢良く挨拶する。
 デリスは貴賓席からその様子を眺めていた。尻に当たる固い感触に身じろぎする。――座り心地の悪い椅子だ。腰痛にでもなったらどうしてくれる。マルゴット劇場の自分の執務室が早くも恋しくなってきた。
「……歌い手がいないのに、ずいぶん余裕があることだな」
苛立ちに任せて言った言葉に、隣にいる支配人がピク、と反応した。
「――なんでお前が、今歌い手がいないことを知ってるんだ?」
「あ、い、いや……! そ、そう! 本来の歌い手のことですよ! 差し入れのジュースに劇薬が入っていたとか」
「ほーう、さっきは忙しいって言ってたのに何でそんな事知ってる? 初日に座長は“喉を痛めた”とは言ってるが“差し入れのジュースが原因”なんて言ってないぜ」
「ぐっ! ……そ、そんなことは、どこからか漏れるものです!」
「ふーん……」
思わず口に出していたところに立て続けに突っ込まれ、アワアワしていると、
そこに座長の声が重なった。
 
「一緒に喜んでくれ! 今日からアイカが復帰するぞ!!」


 「何ぃ!?」
デリスは目を剥いて、バルコニーから身を乗り出した。眼下には座長と、その隣で観客に微笑みかける歌い手の女が見えた。観客がワッと沸く。
「アイカちゃーん! だいじょうぶー!?」
「心配してたよアイカ!!」
――アイカ! アイカ! アイカ!
 観客からコールが繰り返される。愛する歌姫に歓喜を伝える為に。
アイカはもちろん、座長や他の役者にもそれは伝わった。しばし場内がしんみりとした空気で満ちあふれる。
 その流れを変えたのも、待ち望まれた歌い手だった。
「ありがとうございます! アイカ、また今日から頑張って歌います!」


「ば、馬鹿な!」
歌い手の歌が流れる中、舞台は進行している。クルクルと舞い、上空にジャンプする役者達。その規則正しい動きに観客は魅了される。
 そんな劇場の様子にただ1人、デリスだけは混乱していた。
どうしてこうなった?

「な、何故だあんな……!」
「デ、デリス様!?」
「一体どうなさって――?」
 急に様子がおかしくなったデリスに驚く秘書。その光景に支配人だけが冷静だった。
「どうしたんだデリス? 
お前は俺の招待に応じてくれただろ? だったらこれは嬉しいサプライズ、だよな?
――俺が親しい一座の歌い手が回復したんだから。しかも異例な早さで完全回復したって医師も驚いていたそうだ」
 言いながら、支配人はレオンの事を考えていた。



――まず、アイカさんが回復したことは、口外しないでください。
 レオンが釘を刺し、関係者には箝口令がしかれた。通っていた病院の医師にもしっかり釘を刺しておく。異例だ異例だと驚いていた彼が1番、言いそうだったから。
そして大劇場に切符入りの手紙を出し、支配人を挑発する。
ただでさえバレンシア劇場に恨みを持っている奴だ。何かしら行動を起こすに違いない。そこを狙って証拠を掴む。
 まず、役者達は一歩も外へ出ないようにした。ミーシャやミヤにも念の為、1人にならないようにしてもらう。
――狙いがくるとしたら俺です。
 歌い手は1人しかいないだけに稀少だ。軽業の出来る役者はいくらでも代役がいるが、歌い手の替わりはいないから(だから素人のレオンに指名がかかったのだ)。
本当の歌い手のアイカが歌えないなら、狙われるのは自分(俺)だ。と、どんな危険があるのか分からないのに、まるでそれが強みであるかのように、レオンは断言していた。
案の定、女が来てレオンを呼び出した。今、その後を役者達が密かに尾行しているらしい。
「――大した悪役令息サマだぜ、あいつは」
 そこに小道具係をしている娘がやって来た。支配人に気付いた途端、近寄って耳打ちする。
ふう、とひとつ息をつくと、支配人はデリスに言った。
「ウチの職員が襲われたらしい。犯人達を劇場まで連れて来ている。……なんか奴ら、しきりにお前の名前を出していてな。悪いが、ちょっと一緒に来てもらおうか」
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