禁踏区

nami

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3章 呪い

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 またも場面が変わった。
 と、思いきや──


「そんな……ここは……!」

 闇に沈むボロボロの廃屋。そこに、私は立っていた。
 すぐに、噂の屋敷だと気づいた。
 あの忌まわしい場所に、再び私は放り出されてしまったのだ。


 落ち着け、これは現実なんかじゃない。
 夢の続きだ。

 ──そう、ただの夢。

 だからお願い、早く覚めて!



 必死に念じるが、覚める気配はない。


 夢の中とはいえ、こんなところにいつまでも留まるのは嫌だ。
 とりあえず、移動することにしよう。

 私の手には、なぜか古めかしいランプが握られている。
 真人さんが持っていた軍用の懐中電灯に比べると、非常に頼りない光量だ。
 それでも、ないよりはマシだろう。ありがたく使わせてもらうことにする。

 迷宮のような屋敷だ。
 当然、現在地を把握しているわけがない。
 勘に任せて先へと進んでいく。


 真っ直ぐに続いていた細長い廊下が、分かれ道に差し掛かった。
 そのまま直進するか、左に折れるか……。道は2つに分かれている。

 なんとなく私は左折する方を選んだ。
 そして、その選択が正しかったことを、すぐに知ることになる。

 急に気温が下がった。
 その下がり方は尋常じゃない。まるで冷凍庫の中に放り込まれたかのようだ。
 白い吐息が揺らいで消える。


 まさか──!


 耳を澄ます。
 聴こえる音といえば、踏み締める度に軋む床。



 そして──……





 ヒタ…………ヒタ…………





 足音がもう一つ。
 背後から、聴こえた……。


 夢の中のこととはいえ、心臓を鷲掴みにされたような恐怖に囚われる。

 私は、ゆっくりと振り返った。



 ヒタ…………ヒタ…………



 やはり、あの亡霊であった。
 しかし幸いなことに、こちらには気づいていないようだ。
 深く項垂れて、緩慢に真っ直ぐ──私が選択しなかった方へと進んでいく。
 私はその様子を、恐怖を押し殺して見届ける。

 怖い、という感情が何よりも勝っている。
 けれど頭のどこかで、あの亡霊が哀れにも思えた。きっとそれは、さっき生前の姿を垣間見たせいだろう。

 花吹雪の舞う中庭で、愛する女性と過ごしていた彼は幸せそうだった。
 そんな人がなぜ、亡霊──それも悪霊と呼ばれる存在になり、負の感情に突き動かされ、生者を脅かす存在となってしまったのか……。

 亡霊は行ってしまい、姿が見えなくなった。
 見つかることなくやり過ごせた。私は大袈裟に息を吐いて胸を撫で下ろす。


 だが安心したのもつかの間、ポケットに入っていたスマホが最大音量で鳴り始めた。
 もぎ取るようにしてスマホを掴み電源ボタンを押す。が、オフにならない。
 画面はホーム画面のままだ。それなのに着信音が鳴り続けている。


 この屋敷に潜む邪悪な意志がスマホに乗り移り、あの亡霊に居場所を教えている。そうとしか考えられなかった。


 予想通り、亡霊は引き返してきて、私に狙いを定めてきた。
 すると、何をやっても鳴り止まなかったスマホが、何事もなかったように沈黙した。



 ヒタ……ヒタ……



「──ッ!」


 脚が縺もつれそうになりながら、私は駆け出す。


 全力で走る。


 ひたすら走り、曲がり角に差し掛かった。
 迷うことなく、その角を曲がるが……、



「ひッ!?」



 曲がり角の先には、あの亡霊が待ち構えていた。



 途端に私の足は、その場に縫い留められたように動かなくなる。



 亡霊はあの時と同じように、心臓を狙って手を伸ばしてくる。



 逃げたいのに体は動かない。



 亡霊の指先が触れようとした瞬間だった。
 カッと真っ白な閃光に包まれ、視界は白に染められた。

 意識が上空に吸い上げられるような感覚がする。
 目が覚めるんだ。そう思った。



 遠ざかる意識の中で──





『タス……ケ……テ…………』





 今にも消え入りそうな声が、耳元で囁いた。


 △▼△


「…………──ちょっと大丈夫、あなた達?」

 目を開けると、見知らぬおばさんが心配そうな顔で覗き込んでいた。

 …………誰?
 ぼんやりと霞む頭でそんなことを思った。



「うっ……ううぅ……ん……」



 隣にいる美伽の口から呻き声が漏れる。それが私を一気に覚醒へと導いた。
 美伽の方を見ると、苦しげに顔を歪めている。

「美伽ッ!」

 揺さぶるようにして起こす。
 すると、美伽の目はぱちりと開かれた。

「ゆ、夢……?」

 恐怖に支配された目で、美伽はあちこちに視線をさまよわせている。


「起こしてしまってごめんなさいね。2人揃ってうなされているから、見ていられなくて……」

「あ、いえ……。大丈夫です」

 おばさんは安心したように、通路を挟んだ向こう側の席に戻っていった。

 もしあそこで起こしてくれなかったら、あの亡霊に捕まっていたことだろう。
 あのまま捕まっていたら、どんな目に遭っていたか……。それを思うと夢の出来事とはいえ恐ろしい。

「あいつが出てきた……。もう、最悪……」

「美伽もなんだ……」

「凛も?」

「うん。あの人が起こしてくれなかったら、捕まるところだった」

「あたしも。ほんと、勘弁してほしいよね……」

「……でも、おかしいの。最後『助けて』って言われた」

「何それ? それは、こっちの台詞だっつーの」

 それきり会話は途絶えた。筆舌に尽くしがたい後味の悪さだけが残る。



 それにしても、この胸騒ぎは一体……。
 その正体を探るべく、私はさっきの夢を反芻してみる。


 廃屋敷に放り出され、亡霊に追われる前に見た2つの場面。あれには、なんの意味があるというのだろう──?

 殺し合いを演じる者達を、狂気の眼差しで見つめていた美貌の青年。
 亡霊の生前の姿。そして、彼の恋人と思われる美しい女性。


 …………考えてみてもさっぱりわからない。


 意味不明ではあるが、あの3人のイメージはくっきりと私の中に刻みつけられ、しっかりと根付いてしまった。

 前方から、元気な子供の笑い声が聞こえてきた。かと思えば、それをたしなめる女性の声。母親だろうか。
 世間ではお盆休みは終わっている。彼らも帰宅する途中なのかもしれない。

 その明るい笑い声が、胸の中で騒ぐ何かを、より強いものに変えていくような気がした。
 

 △▼△


 立秋はとうに過ぎ、暦の上ではもう秋だ。にもかかわらず、太陽は朝から灼熱の日差しを地表へと降り注がせている。
『今日も厳しい残暑となるでしょう』とアナウンサーが言っていたのを思いだす。
 暦の上では秋でも気候は真夏と変わらない。立秋は1ヵ月ずらした方がいいんじゃないかと、近頃は本気で思ったりする。


 長野から帰ってきて3日が過ぎていた。
 今日はあの時のメンバーで集まり、お祓いをしてもらうことになっている。

 待ち合わせ場所に指定されたのは上野駅中央改札。私は美伽とそこへ向かった。

 到着したのは約束していた時間の5分前であった。
 既に見知った姿が2人あった。未央さんと柏原さんだ。

「こっちこっち!」

 私達に気づいた柏原さんが大きく手を振ってくる。

「2人とも久しぶり……でもないか。まだ1週間も経ってないもんね」

 未央さんの言葉に私達は笑う。


 その時、ラインが入ってきた。真人さんからだ。
 5分ほど遅れる、とのことだ。
 了解した旨を、代表して柏原さんが返す。


「ごめん、待たせたな」

 真人さんは約束の時間からきっかり5分後にやって来た。

「いや、それはいいけどさ、なんでこいつも一緒なワケ?」

 柏原さんは露骨に顔をしかめ、ぞんざいに顎でしゃくってみせる。
 ──新井さんだ。私達とは目も合わせようとせず、ふて腐れたような顔で、自分の足下に視線を落としている。

「そう邪険にするな。気が変わったら連絡しろって言ったのは俺だ」

「まあ、そうだけど……」


 改札を出て、浅草口から外に出た。
 お世話になるお寺は、ここから徒歩で大体20分かかる場所にあるのだという。

 真人さんに先導されて、私達は歩いていく。
 どこか見覚えのある風景だと思ったが、浅草寺に向かうルートだ。

「もう聞いてよ。あのユーレイってば、毎晩夢に出てくるんだけど!」

「ウソ、ヨシノ先輩も? 実はあたし達もなんですよ。ね、凛」

「うん」

「私もよ。……もしかして、マサやんとヒロくんも?」

「ああ」

 新井さんだけは答えなかった。
 しかし、その表情は堅く、顔色も優れない。無言の肯定と受け取って良さそうだ。


 皆の話を聞いてみるとその夢は、全員が同じ状況──あの廃屋敷で亡霊に追われるというものであった。
 亡霊はこちらに気づかないこともあるが、スマホが鳴ったり、ポルターガイストが起きたりして、結局見つかってしまう……ということも共通していた。

「でさ、とうとう捕まっちゃったんだよね。あれヤバイって。手を心臓に捩じ込んでくるんだよ? マジで死ぬかと思った」

 柏原さんの話に、皆の顔が嫌そうに歪む。
 彼女は少し間を置いて続ける。

「…………単なる偶然かもしれないんだけど、胸を見たらさ、痣ができてたんだよね。こうピって線を引いたような。もう気持ち悪くてぇ」

 人差し指で斜めに切るようにして線を書いてみせる。



「…………何本だ?」



 ずっと沈黙を保っていた新井さんが口を開いた。
 皆の視線は自然と彼に集められる。

「はァ?」

「答えろよ! 痣は何本ある!?」

「……1本だけど」

 新井さんの剣幕に気圧されたのか、渋々といった感じに柏原さんは答えた。

「ねえヒロくん、それってどういう意味なの?」

「──ッ! なんでもねえよ! ちょっと気になっただけだ」
 
「少し気になった、という態度じゃなかっただろう。気になることがあるなら話してくれ」

 新井さんは叱られた子供のような顔で黙り込んだ。
 真人さんはそれ以上食い下がることはなかった。それが、かえってよかったのかもしれない。
 新井さんは腹を括ったらしく、再び口を開いた。



「……あいつに捕まる度に、増えてくんだよ。痣が……」



 示し合わせたかのように一同の表情が凍りつく。

「それだけじゃねえ。増えてみてわかったんだが、ある形になってるんだ」

「ある形?」

「一筆書の星あるだろ? あれが逆さになったやつ……」

「つまり“逆さ五芒星”……?」

「どう考えたって普通じゃねえだろ? 俺はもう4回奴に捕まってる。つまり痣が4本。これが完成しちまったら──……」

 新井さんの声は徐々に弱々しくなり、ついに言い終えぬまま消えてしまった。
 けれど、最後の言葉は容易に想像できる。



『──どうなるんだ?』



 きっと、そう言いたかったに違いない。


 皆の歩調が鈍る。
 誰も言葉を発さない。いや、発せなかった。
 あまりにも受け入れがたい事実を突きつけられたから。


「……とにかく、お祓いをしてもらおう。きっと大丈夫だ。とても腕のある人だから」

 励ますように真人さんが言った。
 鈍った歩調が、元のスピードを取り戻す。
 けれど、顔に張り付いてしまった暗い影を取り去ることはできなかった。

 目的地であるお寺──常安寺じょうあんじに着いた。
 とても小さなお寺だ。境内は猫の額ほどの広さ。本堂も慎ましい大きさだ。
 浅草寺に至るルートから外れているためか、参拝に訪れている人は見当たらない。

 寺の敷地内には、やはり慎ましい住居が建っている。
 真人さんは迷うことなく住居の方へと進み、インターホンを押した。

『──はい、どちら様でしょうか?』

「真人です。今日はよろしくお願いします」

『ああ、真人くんですか。今行きます』

 会話が妙に親しげだ。知り合いなんだろうか。


 玄関が開いた。
 現れたのは、40代くらいと思われる男性だ。常安寺の住職とのことだ。

 お坊さんというと、頭を剃っているイメージがあるけど違っていた。
 加えて、ポロシャツにスラックスという格好だからだろうか。お坊さんと呼ぶにはためらいを覚えてしまう。

 住職は私達に穏やかな顔を向ける。静謐な優しい眼差しだ。

「それでは、本堂へどうぞ」

 表情と同様に穏やかさに満ちた声音で、住職は促した。



 本堂には小振りの仏像が安置してある。何という仏像かはわからないが、穏やかなおもてがどことなく住職に似ている気がした。

「お待たせいたしました」

 袈裟けさに着替えた住職がやって来た。
 私達は正座をして姿勢を正す。
 お祓いが始まった。
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