再会は甘い誘惑

真麻一花

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 のぼせ上がっていたのは、私だけなんだと思い知る。
 ああ、私は、彼を信じていたんだ、と私は自分を嘲り笑う。

 彼の誠意と好意は、唯一人の女性に向けての物だと、信じたいと思っていたのだと。
 そして、その女性は私なのだと。
 再会から今まで考えないようにして、自分の気持ちを否定し続けて、なのに心はもうそのつもりだったのだと。

 無様だと思った。滑稽すぎて、もう涙も出ない。

 一番最初に、見ていたのに。彼は、左の薬指に、指輪をしていた。それは日焼けして跡が付くぐらい長い間していたのが分かるほどだった。
 外して、まさか首にしていただなんて。
 滑稽すぎる。別れた彼女とのペアリングなんて。あんな言葉を信じただなんて。
 その時の彼の言葉を思い出して、私の口端が、弧を描くようにゆがむ。

 ……裏切られてない?

 私は気付く。
 違う、私は、まただまされていた。
 彼は言った「前の彼女とのペアリング」だと、もう、別れたと。
 嘘は言っていないかもしれない。奥さんがいないなんて言った訳じゃない。奥さんとのマリッジリングなら、確かに「ペアリング」で、結婚する前は「前の彼女」かもしれない。
 そのこじつけに、もう笑うしかない。
 元カノに、会いたい会いたいと言っておいて、その気が全くなかっただなんて後出しするのは、欺瞞じゃなくてなんなのだ。

 滑稽だと思った。屈辱的だと思った。
「奥さん」だなんて。
 あんまりだ。

 確かに私との逢瀬は浮気ではないのだろう、彼の基準では。体の関係もなく、ただ世間話をして食事をするだけの関係だ。手が触れることさえもない。
 彼は、私がほだされていくのを、楽しんでいたのだろうか。さぞかしおもしろかっただろう。あれだけ拒絶していた女がだんだんとその気になっていくのを見るのは。

 怒りに震える。
 彼が私に、意図的に、フリーだと思わせたのは確かだ。私に、何かを期待させることは、全くなかったなんて、言わせない。
 あんなに寄り添うように側にいて、あんなに真摯に見える誠意を向けられて。
 どんなに礼儀正しくしていたとしても、私に女性としての何かを全く求めてなかったなんて、絶対に、言わせない。たとえそれを私が表向きは拒絶していたとしても。

 怒りで心の中がどす黒く染まっていくようだった。
 どこまでも、どこまでも落ちていくような、暗いくらい心の奥底。

 もう、会いたくない。
 結局、私はだまされた。

 体が震えるのは、のどの奥が痛いのは、胸が軋むように痛むのは、怒りのせいだと言い聞かせた。

 今日は行けなくなったと連絡をいれた。
 それから、送られてくるメッセージを無視した。
 次に電話の着信拒否をした。

 私は静かな部屋の中で布団をかぶる。頭まで、すっぽりと。
 一度は忘れられたんだから、今度だって忘れられる。
 何も考えたくて眠ろうと思うのに、頭の中は彼とあの男性の会話がグルグルと回る。

 考えるな、考えるな、考えるな。

 眠れない、長い夜だった。

 そうして、世界が、砂を噛むような、味気ない物になった。
 何もかもが、どうでも良いような。私の周りで、勝手に時間が過ぎてゆく。
 そして、ときどきぶり返すように吐き気のような苦しさがこみ上げてくる。彼に会いたくて、いっそ問い詰めたくて、なじりたくて。

 ……あんなの嘘だって、言って欲しくて。いつかのように、「留衣だけだよ」って抱きしめて欲しくて。






 彼を拒絶した電話は、ならない。
 着信拒否が良かったのか悪かったのか。彼からの電話が鳴らないこともまた苦痛だった。

 私は、五年前と同じ、いや、それ以上の苦しさを味わっていた。
 会いたくて、会いたくなくて、悲しくて、苦しくて……でも、あの頃と違って、どこか心が麻痺をしている。

 涙も出ない。ただ、ぼんやりと、苦しさが私を覆う。
 何もかもどうでも良いけど、おなかはすくし、生活をしなくちゃいけないから会社にも行く。淡々と日常が過ぎていって、私はあの頃のように忘れる努力も特にすることもなく。ぼんやりと苦しさに浸る。

 彼は一体どう言うつもりだったんだろう。彼は私をどうするつもりだったんだろう。
 思い出す彼は、どこにも他の女の影はなかった。せいぜいあの指輪程度。
 いつも私を最優先にしてくれているのが分かった。
 本当に奥さんなんているのだろうかと考えたりして、でも、あのときの会話を思い返し、やっぱりいるのだろうと溜息をつく。

 もしかしたら、二人の関係はうまくいっていないのかもしれない。そこに私が現れた、とか?
 勝手に想像しては、想像で勝手にまた落ち込んで。
 押しつぶされるように痛む胸を押さえて、深く、深く息を吐く。

 それでも、と私は一つだけ確信があった。
 きっと彼は、また私の目の前に現れるだろう。会うことに執着していたようだから。
 その時、私はどうすればいいのだろう。

 考えるが、答えは出なかった。
 五年前のあのときのように逃げようかとも思った。会社は知られていないだろうし、引っ越せば切ることが出来るだろう。
 けれど今はそんな気力さえわかなかった。
 そして私も心のどこかで、もう一度彼と会わなければいけないと、このまま逃げたらいけないのだと思っていた。

 逃げるのは、きっと、解決にはならない。
 けれど彼と顔を合わせたとき自分がどうなるのかと思うと、どうしようもなく恐ろしく思えて、縮こまるように彼がやってくるのを待っていた。

 来て欲しくて、来て欲しくなくて。
 会いたくて、会いたくなくて。
 好きで好きでたまらなくて、だからこそだいっきらいで。

 認めたくなかった。だけど、もう、認めよう。
 逃げずに、前に進もう。


 私はやっぱり、彼が好きなのだ。だからもう一度、今度ははっきりと、彼にさよならを。



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