もう一度あなたに会えたなら

真麻一花

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3 ジル

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「兄上、べんきょうをおしえて下さい!」

 弟が頬を染めて部屋に押しかけてきたのは、その三日後のこと。弟の距離が少しだけ近くなっていた。
 ジルはふたたび、オーブリーの後継者として、精力的に活動を行うようになった。
 まもなくして成人の義を終えると商会の行う交易に参加するようになった。隊の一員としていろんな国を見てきた。珍しい品物、知らなかった知識、いろんな文化、様々な物に関わった。
 仕事はおもしろかった。交易という物流と、各地様々な品物の動きと需要と供給、土地土地によって変わる品物の価値、移動にかかる費用によって品物に載せるその価値、どのくらいで売るのか、どの品物とどれだけの量を換えるのか。
 ジルは交易のおもしろさにのめり込んだ。相談役を付けて自ら采配を振るうようになってからは尚更だ。直接赴き交渉するのは非常におもしろい。
 オーブリーの家に帰ることはあまりなく、一年の大半を旅先で過ごした。
 時折帰る家では、以前より仲良くなった弟が、旅先での話を聞きたがるようになった。

「俺が世界中を飛び回れるように、しっかり勉強しといてくれよ」

 そう頭を撫でれば、「はい!」とうれしそうに返事をする。
 ジルがオーブリーの後継者という立場に変わりはなかったが、ジョエルの賢さは、年を追うごとによりはっきりしてきた。正直なところ、ジルは現場を見て動くのが性に合っていた。オーブリーにとどまり商会の采配を握るのにはむいていない。そういうのは、賢く、全体を把握できるジョエルの方がむいているのではないかと思う。
 まだジョエルが幼いため、後継者問題を表面化させたくないために、ジルがそのことを口にすることはなかったが、父親にもその意志はそれとなく告げてある。ジョエルが成人する遠くない将来、その話は本格化するかもしれない。

 セアラのことは、忘れたことはなかった。もちろん、時折思い出すぐらいだったが、約束を守れなかったあの出来事は、常に胸の奥に棘のように突き刺さって、思い出しては鈍く胸を刺す。
 その為ハイメーヌ商隊のことはいつも気にかけていた。国を回るルートは大体のところは決まっている。目的地によって、いくつか決まったルートがあるが、旅に出る度に、ハイメーヌ商隊の行程がどうなっているのかは聞くようにしていた。
 こうして旅に出ていれば、いつか交易地の一つで会えるかもしれないと期待していたが、なかなかそう簡単に会える物ではなかった。そもそもハイメーヌが統括している商隊は、一つではない。何より、本拠地がオーブリーとは違う国にあるため、回る時期が違っていたことも大きかっただろう。偶然ハイメーヌ商隊と交易地で会えても、セアラはいなかった。


 
 思いがけない再会を果たしたのは、半ば諦めかけていた八年目のある日のことだった。その出会いはあまりにも偶然で、奇跡と思えた。
 美しい歌声に思わず足を止めた。その元を探してそちらに向かえば、かわいらしい旅の歌姫がそこにいた。
 ちょっとした娯楽に足を止めた、その程度の筈だった。
 なのに少しあどけなさの残る愛らしい少女にふと目をひかれたのは、どうしてだったのか。
 立場上、美しい女性という物に関わる機会は数多あった。なのに旅装束の特に着飾っているわけでもない女性に、なぜか心ひかれた。歌い終わるまでじっと見つめずにはいられなかった。

 チリンと鳴った胸元の鈴に見覚えがあると気付いたのは、その女性が「お兄ちゃん!」とジルを呼んでから。
 その呼び方に、突然脳裏をよぎったたくさんの記憶。
 僕のセアラ……!!
 重なる面影は、子供だった自分が守ってあげたかった、ただ一人の大切な女の子。
 きらきらと目を輝かせて見上げてくるその姿は、子供の頃に守り抜くことのできなかった、まさにその女の子の物と同じだった。

「……セアラ!」

 七年を超える年月を経て、ジルはようやく失った物を見つけた。

 あと半年もすれば成人をするというセアラは、とても美しく成長していた。最後に見たときは幼い庇護するべき子供という印象しかなかった。それがどうだろう。あどけなさは庇護欲をかき立て、女性らしい仕草や気遣いはジルを時折どきりとさせる。まだ年齢的にも子供には変わりないが、少女から大人への変わり目特有の美しさがあった。
 市場を回る彼に合わせて会いに来てくれるのがうれしく、待ち遠しかった。つい熱が入って詳しすぎる仕事の話をすれば、嫌がるどころか尊敬のまなざしで、目をきらきらさせて見上げてこられる。
 共にいる時間が楽しくなってしまうのは当然だった。子供の頃からそうだった。ジルのやることなすこと、全てをきらきらした目で見つめてくる。この子のためなら何でもしてやりたいと、あの頃の気持ちに輪をかけて思うようになるも時間の問題だった。

 そんな少女に心底慕われて、その様子がとても好ましく愛らしいと感じて、心を動かすなという方が無理だ。

「今も、おにいちゃんと手を繋いで帰っていた時のことを思い出しながら歌うのよ」

 何でもない話がこんなに楽しいと思ったのは、いつぶりだろう。
 もう一度セアラの歌を聞きたいと言えば、彼女はうれしそうに高名な歌姫もかくやという歌声を披露した。
 広場の片隅は、再び一瞬にして大道芸の場となった。思わず振り返って表情を緩ませる人、立ち止まって聞き入る人、手拍子を取り出す人、人だかりができはじめた頃、歌い終われば、わっと歓声が上がった。「もう一曲!」という声に囃されて、セアラがちらりとジルを見る。苦笑いしてうなずけば、ふわりと微笑んだセアラが、また新たな歌を響かせはじめた。
 幼い頃も、天使の歌声のようだと思ったが、まさしくそれは天上の響きだった。
 ジルの胸はわしづかみにされた。ジルの小さな歌姫だった少女は、とても美しい大人の歌姫へと成長していた。

「いっぱいもらっちゃった」

 投げられたコインを集めてにこにこと笑うセアラは、とてもしたたかだ。旅をする間に彼女は成長していた。こうして歌で小遣い稼ぎをするのはたびたびあるのだという。そんな旅をする人間のたくましさを好ましいと思う。
 このしたたかにたくましく生きる彼女を、厳しい環境の中で美しく花開こうとしている彼女を、守りたいと思った。
 この子を、今度こそ守りたいと。
 はにかんだ笑顔を向けて「おにいちゃん」と未だに信頼を寄せてくるこの子を、力の限り守りたいと。こみ上げてくる愛おしさがどこから来るかなど考える余裕すらなく、セアラへの愛おしさが溢れた。
 理屈などない。理屈で説明出来る理由など、何一つない。向けられる信頼が愛おしい、些細な仕草が愛おしい、可憐な歌声が愛おしい、はにかんだ笑顔が愛おしい。セアラである全てが、守りたい全てだった。

 けれど、現状ではそれは難しい。まもなくジルの隊は出発する。
 ならばセアラに、こちらの隊へ移ってもらう事は出来ないだろうか。
 また会えなくなるのは嫌だった。それぞれの隊が出発すれば、下手をすればもう二度と会えないだろう。
 ジルには立場がある、仕事がある。オーブリーの後継者としての仕事だ。彼女を探すために放浪などできるはずがない。その代わり、今のジルにはそこそこの権力があり、財力があった。今すぐ彼女を手元に置けるだけの力があった。
 環境が変わることに戸惑うかもしれないが、旅慣れた彼女であれば適応も早いだろう。何より、セアラと離れなくてすむ。共に旅することのできる彼女なら、手元で守ることができる。今奇跡的に重なったこの偶然を、手放すわけにはいかない。

 おそらく焦りもあった。七年という年月、セアラと会えることを期待して商隊に飛び込みいろんな土地へと足を運んだ。その度にハイメーヌの商隊の動向を気にかけてきた。わかったことは、オーブリーの旅程と、ハイメーヌの旅程では、立ち寄る町があまり重なっておらず、季節もずれている、ということである。大きい市を開催できる町は限られている。となると、小さな町に立ち寄る場合、より大きな収益を得るため商隊が立ち寄る時期はあえてずらされるのだ。それは暗黙の了解で、それに気付いた時は絶望した。オーブリーもハイメーヌも大きな商隊だ。故に、大きな市を開催するところでしか、鉢合わせすることはない。そしてジルは、そういった市場に出るような大きな商隊は任されて居らず、セアラがちょうどそこに出店する隊にいるとは限らない。
 またいつ会えるか分からない状態に戻る事への、恐怖に似た感情がジルをかき立てた。

「一緒に行こう」

 それはジルにとって、セアラとのこれからを約束するための言葉でしかなかった。
 焦りすぎたのだ、と気付いた時には、セアラをひどく怒らせた後だった。
 これからも一緒にいたい、というだけだったのに、そしてその気持ちをセアラも持っている様子だったのに、無理だと言いつのるセアラにいらだちを覚えた。
 この偶然が、また起こるとでも思っているのだろうか。いや、起こるかもしれない。けれど、一生起こらないかもしれないのだ。偶然を待っていては再会などできないのに、彼女は簡単に「またね」と別れるつもりでいたのだろうか。
 そんな考えの甘い彼女に腹を立てた。いや、それとも自分が思うほどに、共にいたいという感情がないのかもしれない。そのやるせなさは怒りとなって彼女を責め立ててしまった。
 彼女の立場を考慮せず、自分の都合だけに合わせようとしていたことなど、気付きもしないで。

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