9 / 16
3 ジル
3
しおりを挟む「兄上、べんきょうをおしえて下さい!」
弟が頬を染めて部屋に押しかけてきたのは、その三日後のこと。弟の距離が少しだけ近くなっていた。
ジルはふたたび、オーブリーの後継者として、精力的に活動を行うようになった。
まもなくして成人の義を終えると商会の行う交易に参加するようになった。隊の一員としていろんな国を見てきた。珍しい品物、知らなかった知識、いろんな文化、様々な物に関わった。
仕事はおもしろかった。交易という物流と、各地様々な品物の動きと需要と供給、土地土地によって変わる品物の価値、移動にかかる費用によって品物に載せるその価値、どのくらいで売るのか、どの品物とどれだけの量を換えるのか。
ジルは交易のおもしろさにのめり込んだ。相談役を付けて自ら采配を振るうようになってからは尚更だ。直接赴き交渉するのは非常におもしろい。
オーブリーの家に帰ることはあまりなく、一年の大半を旅先で過ごした。
時折帰る家では、以前より仲良くなった弟が、旅先での話を聞きたがるようになった。
「俺が世界中を飛び回れるように、しっかり勉強しといてくれよ」
そう頭を撫でれば、「はい!」とうれしそうに返事をする。
ジルがオーブリーの後継者という立場に変わりはなかったが、ジョエルの賢さは、年を追うごとによりはっきりしてきた。正直なところ、ジルは現場を見て動くのが性に合っていた。オーブリーにとどまり商会の采配を握るのにはむいていない。そういうのは、賢く、全体を把握できるジョエルの方がむいているのではないかと思う。
まだジョエルが幼いため、後継者問題を表面化させたくないために、ジルがそのことを口にすることはなかったが、父親にもその意志はそれとなく告げてある。ジョエルが成人する遠くない将来、その話は本格化するかもしれない。
セアラのことは、忘れたことはなかった。もちろん、時折思い出すぐらいだったが、約束を守れなかったあの出来事は、常に胸の奥に棘のように突き刺さって、思い出しては鈍く胸を刺す。
その為ハイメーヌ商隊のことはいつも気にかけていた。国を回るルートは大体のところは決まっている。目的地によって、いくつか決まったルートがあるが、旅に出る度に、ハイメーヌ商隊の行程がどうなっているのかは聞くようにしていた。
こうして旅に出ていれば、いつか交易地の一つで会えるかもしれないと期待していたが、なかなかそう簡単に会える物ではなかった。そもそもハイメーヌが統括している商隊は、一つではない。何より、本拠地がオーブリーとは違う国にあるため、回る時期が違っていたことも大きかっただろう。偶然ハイメーヌ商隊と交易地で会えても、セアラはいなかった。
思いがけない再会を果たしたのは、半ば諦めかけていた八年目のある日のことだった。その出会いはあまりにも偶然で、奇跡と思えた。
美しい歌声に思わず足を止めた。その元を探してそちらに向かえば、かわいらしい旅の歌姫がそこにいた。
ちょっとした娯楽に足を止めた、その程度の筈だった。
なのに少しあどけなさの残る愛らしい少女にふと目をひかれたのは、どうしてだったのか。
立場上、美しい女性という物に関わる機会は数多あった。なのに旅装束の特に着飾っているわけでもない女性に、なぜか心ひかれた。歌い終わるまでじっと見つめずにはいられなかった。
チリンと鳴った胸元の鈴に見覚えがあると気付いたのは、その女性が「お兄ちゃん!」とジルを呼んでから。
その呼び方に、突然脳裏をよぎったたくさんの記憶。
僕のセアラ……!!
重なる面影は、子供だった自分が守ってあげたかった、ただ一人の大切な女の子。
きらきらと目を輝かせて見上げてくるその姿は、子供の頃に守り抜くことのできなかった、まさにその女の子の物と同じだった。
「……セアラ!」
七年を超える年月を経て、ジルはようやく失った物を見つけた。
あと半年もすれば成人をするというセアラは、とても美しく成長していた。最後に見たときは幼い庇護するべき子供という印象しかなかった。それがどうだろう。あどけなさは庇護欲をかき立て、女性らしい仕草や気遣いはジルを時折どきりとさせる。まだ年齢的にも子供には変わりないが、少女から大人への変わり目特有の美しさがあった。
市場を回る彼に合わせて会いに来てくれるのがうれしく、待ち遠しかった。つい熱が入って詳しすぎる仕事の話をすれば、嫌がるどころか尊敬のまなざしで、目をきらきらさせて見上げてこられる。
共にいる時間が楽しくなってしまうのは当然だった。子供の頃からそうだった。ジルのやることなすこと、全てをきらきらした目で見つめてくる。この子のためなら何でもしてやりたいと、あの頃の気持ちに輪をかけて思うようになるも時間の問題だった。
そんな少女に心底慕われて、その様子がとても好ましく愛らしいと感じて、心を動かすなという方が無理だ。
「今も、おにいちゃんと手を繋いで帰っていた時のことを思い出しながら歌うのよ」
何でもない話がこんなに楽しいと思ったのは、いつぶりだろう。
もう一度セアラの歌を聞きたいと言えば、彼女はうれしそうに高名な歌姫もかくやという歌声を披露した。
広場の片隅は、再び一瞬にして大道芸の場となった。思わず振り返って表情を緩ませる人、立ち止まって聞き入る人、手拍子を取り出す人、人だかりができはじめた頃、歌い終われば、わっと歓声が上がった。「もう一曲!」という声に囃されて、セアラがちらりとジルを見る。苦笑いしてうなずけば、ふわりと微笑んだセアラが、また新たな歌を響かせはじめた。
幼い頃も、天使の歌声のようだと思ったが、まさしくそれは天上の響きだった。
ジルの胸はわしづかみにされた。ジルの小さな歌姫だった少女は、とても美しい大人の歌姫へと成長していた。
「いっぱいもらっちゃった」
投げられたコインを集めてにこにこと笑うセアラは、とてもしたたかだ。旅をする間に彼女は成長していた。こうして歌で小遣い稼ぎをするのはたびたびあるのだという。そんな旅をする人間のたくましさを好ましいと思う。
このしたたかにたくましく生きる彼女を、厳しい環境の中で美しく花開こうとしている彼女を、守りたいと思った。
この子を、今度こそ守りたいと。
はにかんだ笑顔を向けて「おにいちゃん」と未だに信頼を寄せてくるこの子を、力の限り守りたいと。こみ上げてくる愛おしさがどこから来るかなど考える余裕すらなく、セアラへの愛おしさが溢れた。
理屈などない。理屈で説明出来る理由など、何一つない。向けられる信頼が愛おしい、些細な仕草が愛おしい、可憐な歌声が愛おしい、はにかんだ笑顔が愛おしい。セアラである全てが、守りたい全てだった。
けれど、現状ではそれは難しい。まもなくジルの隊は出発する。
ならばセアラに、こちらの隊へ移ってもらう事は出来ないだろうか。
また会えなくなるのは嫌だった。それぞれの隊が出発すれば、下手をすればもう二度と会えないだろう。
ジルには立場がある、仕事がある。オーブリーの後継者としての仕事だ。彼女を探すために放浪などできるはずがない。その代わり、今のジルにはそこそこの権力があり、財力があった。今すぐ彼女を手元に置けるだけの力があった。
環境が変わることに戸惑うかもしれないが、旅慣れた彼女であれば適応も早いだろう。何より、セアラと離れなくてすむ。共に旅することのできる彼女なら、手元で守ることができる。今奇跡的に重なったこの偶然を、手放すわけにはいかない。
おそらく焦りもあった。七年という年月、セアラと会えることを期待して商隊に飛び込みいろんな土地へと足を運んだ。その度にハイメーヌの商隊の動向を気にかけてきた。わかったことは、オーブリーの旅程と、ハイメーヌの旅程では、立ち寄る町があまり重なっておらず、季節もずれている、ということである。大きい市を開催できる町は限られている。となると、小さな町に立ち寄る場合、より大きな収益を得るため商隊が立ち寄る時期はあえてずらされるのだ。それは暗黙の了解で、それに気付いた時は絶望した。オーブリーもハイメーヌも大きな商隊だ。故に、大きな市を開催するところでしか、鉢合わせすることはない。そしてジルは、そういった市場に出るような大きな商隊は任されて居らず、セアラがちょうどそこに出店する隊にいるとは限らない。
またいつ会えるか分からない状態に戻る事への、恐怖に似た感情がジルをかき立てた。
「一緒に行こう」
それはジルにとって、セアラとのこれからを約束するための言葉でしかなかった。
焦りすぎたのだ、と気付いた時には、セアラをひどく怒らせた後だった。
これからも一緒にいたい、というだけだったのに、そしてその気持ちをセアラも持っている様子だったのに、無理だと言いつのるセアラにいらだちを覚えた。
この偶然が、また起こるとでも思っているのだろうか。いや、起こるかもしれない。けれど、一生起こらないかもしれないのだ。偶然を待っていては再会などできないのに、彼女は簡単に「またね」と別れるつもりでいたのだろうか。
そんな考えの甘い彼女に腹を立てた。いや、それとも自分が思うほどに、共にいたいという感情がないのかもしれない。そのやるせなさは怒りとなって彼女を責め立ててしまった。
彼女の立場を考慮せず、自分の都合だけに合わせようとしていたことなど、気付きもしないで。
1
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした
柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。
幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。
そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。
護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。
離婚を望む悪女は、冷酷夫の執愛から逃げられない
柴田はつみ
恋愛
目が覚めた瞬間、そこは自分が読み終えたばかりの恋愛小説の世界だった——しかも転生したのは、後に夫カルロスに殺される悪女・アイリス。
バッドエンドを避けるため、アイリスは結婚早々に離婚を申し出る。だが、冷たく突き放すカルロスの真意は読めず、街では彼と寄り添う美貌の令嬢カミラの姿が頻繁に目撃され、噂は瞬く間に広まる。
カミラは男心を弄ぶ意地悪な女。わざと二人の関係を深い仲であるかのように吹聴し、アイリスの心をかき乱す。
そんな中、幼馴染クリスが現れ、アイリスを庇い続ける。だがその優しさは、カルロスの嫉妬と誤解を一層深めていき……。
愛しているのに素直になれない夫と、彼を信じられない妻。三角関係が燃え上がる中、アイリスは自分の運命を書き換えるため、最後の選択を迫られる。
王太子妃クラリスと王子たちの絆【完】
mako
恋愛
以前の投稿をブラッシュアップしました。
ランズ王国フリードリヒ王太子に嫁ぐはリントン王国王女クラリス。
クラリスはかつてランズ王国に留学中に品行不良の王太子を毛嫌いしていた節は
否めないが己の定めを受け、王女として変貌を遂げたクラリスにグリードリヒは
困惑しながらも再会を果たしその後王国として栄光を辿る物語です。
離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています
腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。
「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」
そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった!
今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。
冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。
彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――
【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく
たまこ
恋愛
10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。
多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。
もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。
二度目の初恋は、穏やかな伯爵と
柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。
冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる