その扉の向こう側

真麻一花

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 私より少し年が上だろうか。骨張った、私の手よりずっと大きな手が目の前に差し出されている。

 「ありがとうございます……」

  こんなところに人がいたことに驚きつつも、足場が悪いこの場所で立つのに、手を貸してくれる人がいるのはありがたかったので、遠慮なく、さしのべられたその手を取った。

 「こんなところに、人がいるとは思いませんでした」

  照れ隠しに笑いながら言うと、彼も笑った。

 「俺も、ここで人に会ったのは初めてだな。大丈夫? 怪我はない?」

  私は手のひらをぽんぽんと払い、「大丈夫です」と笑った。

 「初めてって事は、ここにはよく来るんですか?」
 「子どもの頃に、よく、ね。今日は久しぶりに」
 「私もです。十年ぐらい前は、毎日来ていた時もありました。でも、今日は、何年ぶりかな……」

  私は、後ろにあるアーチを振り返り、そして洞窟へと目を向けた。

 「俺がここへよく来てたのも、そのくらい前かな。時期がずれてたのかな、会えなかったけど。君は、この辺りに住んでいるの?」
 「すぐ近くに。今は、県外で暮らしているんですけど」
 「俺も、実家はその辺りなんだけど、今は県外で働いてる」

  ことごとく話しがかぶっている事に気付き、私は、思わずぷっと吹き出した。

 「なんか、話しがかぶりすぎ」

  私が笑いながら言うと、彼も笑った。

 「そうだね」

  彼と話すのは、とても楽しかった。初めて会ったばかりなのに、こんな場所で二人きりでも、なんとなく居心地がよかった。
  この特別な場所に一緒にいるという親近感、連帯感のような物を感じていた。
  もしかしたら、この人もこの場所を同じように感じていたのかな、なんて期待を持ってたずねてみた。

 「どうしてここへ来ていたんですか?」

  彼は困ったように笑いながら首をかしげた。

 「強いて言うなら、ここの、この岩のアーチが好きだったから、かな? 秘密基地っぽくない?」

  照れくさそうに言った彼に、私は頷きながら笑った。私も、この場所は友達にも秘密にしていました、と。
  そして、

 「私は……」

  そう言いかけて、私はためらった。異世界への扉なんて、笑われないかな、と。
  でも、何となく、この人は笑いそうにない気がした。
 
「私も、この岩のアーチがすごく気になってて。なんだか、門みたいに見えませんか? ここをくぐれば、違う世界なんじゃないかなって思えて。毎日この扉をくぐりに来ていました」
 「俺も、この岩に切り取られた向こう側の風景が、別世界に見えたことがあるよ」

  彼は、穏やかに笑ってうなずいてくれた。

 「秘密基地と言えば、この向こうの洞窟とか、ちょうどそんな感じじゃないですか?」
 「そうそう。俺、あそこにいつも、意味なく隠れてた。さっきも、あそこへ行っていて」
 「私は、ちょうど行こうと思ってたところです」
 「一緒に行こうか?」

  彼が手を伸ばしてきたので、何となく、当たり前のようにその手につかまった。
  男の人からこんなふうに気を使われたのは初めてで、手をつないでから我に返ってどきどきした。
  二人で、その洞窟の前に立つ。
  懐かしい高揚感が、また胸にわき上がる。
  自分の背より少し低くなっている洞窟の入り口。
  彼は大きく腰をかがめ、私は軽く頭を下げて中へと進んでいくと、ひんやりした空気に少しからだが震え、握られた手の温かさを強く感じた。
  その奥の突き当たりがすぐに見え、たどり着いた私は、奥の岩肌を触った。
  以前と変わらない、行き止まりの洞窟。
 
 結局、私に異世界への入り口が開くことはなかった。

 「変わってない」
 「うん」

  私の手を握る彼の力が、少しだけ強くなった。強く握ってくれる彼の手の温かさがとても心地よかった。
  洞窟を出て、岩のアーチを見上げる。

  今日も、私に異世界への扉が開かれることはなかった。

  ここは、あのときと変わることなく存在しているのに。ここをくぐれば、何かが変わるという確信があるのに。
  なのに、何一つ変わることなく。
  岩の扉を見上げる私の前に、彼が立ち、つないだ手を離すことなく、私に笑いかけてきた。
  それが、切なさがこみ上げる私の心を包んでくれているように思えてうれしかった。

 「ありがとう」

  私の言葉に、彼は困ったように少し首をかしげた。
  無意識に私を元気づけてくれるその様子が、なんだかおかしくて、笑いがこぼれた。

  この場所で、こんなに穏やかで温かい気持ちになったのは初めてだった。
  二人で手をつないで、岩場を越えながら帰路につく。
  岩の門を抜けて、岬を回る直前、私は、振り返った。

  大きな、異世界への扉が、やはりそこにあった。

  そして、今日も、私はその扉を開くことが出来なかった。
  世界は、何一つ変わらなかった。

  同じ空。同じ海。表情は変わっても、変わらぬその景色。

  けれど、つながれた手を見る。
  気恥ずかしいような、嬉しいような、温かい気持ちが胸にこみ上げる。
  この世界は、何一つ変わらなかった。

  でも。

  私は思った。
  この扉の向こうで、確かに、私の世界は少しだけ変わったのかもしれない、と。
  それは私の中に存在する、小さな世界。奥へ奥へと内側に向けてどこまでも広がる、小さな世界。
  つながれた手の温かさを感じながら、そう思った。
 
 小さな、小さな、その変化。
  扉の向こうで起きた、小さな、小さな、奇跡のような、その偶然。
  これは、いつか大きな変化につながるのだろうか。
  そうだといい。

  彼の顔を見上げながらわずかな期待を胸に抱く。
  それが、少しこそばゆくて、自然と笑みがこぼれた。

 「……名前、聞いても良いかな?」

  彼が少しだけ照れくさそうに言った。私は今更の自己紹介に笑顔で応える。


  あの異世界の扉は開くことはなかったけれど、私の中に存在する小さな世界で、扉が開かれたのかもしれない。
  彼と次に会う約束をしながら、そんな事を考えていた。


 
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みんなの感想(1件)

柚木ゆず
2020.05.04 柚木ゆず

こちらの作品にも、お邪魔させていただきました。

前回楽しませていただいたお話もそうなのですが、作者様が描く世界が好きです。
まずは投稿されているライト文芸を全て拝読して、そのあとファンタジーの方にお邪魔させていただきますね。

真麻一花
2020.05.04 真麻一花

こちらも覗いていただけてとても嬉しいです。
ライト文芸にジャンル設定したものは、私自身が気に入っていても、ストーリーに派手さもなく描写も柔らかいので、読んでいただける機会が少ないのです。それを、こうして目に留めていただけ、好きと言っていただけて、本当に嬉しいです。
ありがとうございます。

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