5 / 21
桜ノ国編
5.桜ノ都
しおりを挟む
夜の城下町は静寂に包まれていた。
月明かりの微かな光を頼りに、私達は暗闇を歩いていた。
「ねえ、これからどうするの?」
「今日はもう遅いので、とりあえず宿屋を探しましょう」
「見つかるかしら」
「安心してください。なんたって城下町は広いです。その分たくさんの宿屋もあるはずです……ってほら、言った傍から見つかりましたよ」
大和が見つめる視線の先には、“宿屋”と書かれた看板が置かれている。
だが店は明かりもなく、閉まっている様子だった。
「夜分遅くにすいません。どなたかいませんか?」
大和が声を掛けるが、一向に誰も出てくる気配がない。
「あの、どなたかおりませんでしょうか?」
大和はもう一度、先ほどよりやや高めの声で呼び掛ける。
すると店の奥からドタバタと音がして扉がガラッと開くと、小太りの中年女性が顔を出した。
「なんだい、あんた達は?」
女性は怖い顔で私達を睨み付ける。
私は咄嗟に、大和の後ろに隠れた。
「今晩は。宿に泊まりたいのですが……」
大和がそう告げると、女性は呆れたように声を荒らげた。
「馬鹿を言ってんじゃないよ。いつ梅ノ国が襲ってくるかもわからないのに、店なんか開いてる場合じゃないさ。ほら、さっさと消えな」
ごもっともな意見だと思った。
女性は早く行けと言わんばかりに、シッシと手を払う。
「わかりました。こんな夜遅くに失礼しました」
私達は店を後にする。
その後、宿屋を何軒か回ったがどこもかしこも閉まっていた。
宿屋に限らず、すべての店が営業停止しているみたいだ。
「大和……」
「仕方ありませんね。もう少しだけ探してみて宿が見つからなかったら、今夜は野宿をしましょう」
「私、大和とならどこでも平気よ」
(例え地獄だろうと、大和となら耐えてみせるわ)
そう強く思った。
***
「桜姫、あれをご覧ください」
暫く歩いてると私達は、古くて今にも倒壊しそうな小屋を見つけた。
中に入ると室内は埃まみれで、黴臭い匂いが充満していた。
「どうやら使われていないみたいね」
「ええ。あまり綺麗とは言えませんが、雨風凌げるだけありがたいです。今夜はここで寝泊まりさせて貰いしまょう」
「そうね」
私達はここに泊まることにした。
何もない殺風景の部屋の隅で、私と大和は肩を寄せ合い衣の羽織に包まる。
「寒くありませんか?」
「大丈夫よ」
大和の体温が伝わってきて、とても暖かった。
その温もりが心地よくて眠気が襲う。
朦朧とする意識の中で「まっ…く…むぼ…び…なん…です…ら…」というような声が聞こえた気がした。
意識がプツリと切れる。
***
翌日、私は城下町の様子に衝撃を受けた。
「此処があの…城下町…?」
本来の城下町は沢山の人で賑わい、活気に溢れていた。
だが今は昼間だというのに、人々は少なくガランと殺伐していた。
耳を澄ますと、民の悲痛な叫びが聞こえてくる。
『なぁ、聞いたか?花笠村が梅ノ軍に占領されたらしいぞ。王都に進軍するのは時間の問題だろうって、みんな噂してるぜ』
『俺たち逃げた方が良くないか?』
『逃げるってどこにさ?この国に逃げ場なんてありゃしないよ。すぐに桜ノ国全土が血の海に変わるさ。どうせアタイらはみんな死ぬ運命なんだよ』
『まったく神も仏もいやしない。いるのは役立つの王だけさ』
私は、立ち止まって下を向く。
(違うわ。父上は娘を他国に売ってまで民を救おうとしているのよ。でも私が…私が…)
罪悪感で胸が張り裂けそうだった。
そんな私の心情を悟った大和は、私の手を取り促す。
「桜姫、行きましょう」
私は小さく頷くと、その場から逃げるように立ち去った。
***
「桜姫、お腹は空いてませんか?」
城下町を宛もなく散策していると、大和が聞いてきた。
(そういえば昨日の晩から、何も食べていないわね)
次の瞬間、お腹からギュルギュルと凄い音が鳴った。
「ち、違うの…大和…これはその……」
(どうしょう…食べ物の事を考えたらお腹が鳴ってしまったわ。私ったら何て端ないのかしら)
私は恥ずかしさで、顔から火が出そうだった。
「食事にでも行きましょうか」
大和は腹の音には追求せず、何事もなかったかのように話を進める。
流石は心優しい大和だ。
***
「やっぱり、何処も閉まってるわね」
「時期が時期ですからね。もしこのまま店が見つからなかったら、川で魚を捕ったり、山で山菜でも探しましょう。僕が調理しますから、桜姫は何も心配しなくて大丈夫ですよ」
私の不安をかき消すように、大和は微笑む。
「大和は、ほんと頼りになるわね」
この笑顔を見ていると、安心する。
大和は私の心の支えだ。
私達はその後も店を探したが、昨日の宿屋と同様に何処も閉まっていた。
諦めかけたその時だ。
甘くていい匂いが漂ってきた。
匂いのする方に目を向けると、汁粉屋と書かれた看板がある。
「大和…もしかして…」
「はい、どうやら営業してるみたいですね。早速、中に入りましょう」
店に入ると、三十代くらいの女性店主と、小さな女の子が出迎えてくれた。
「いらっしゃい」
(庶民の世界では、あんな子供も働くのだろうか?)
ふと、疑問に思う。
だがこの時の私は、特に深く考えようともしなかった。
「こちらへどうぞ」
小さな女の子に、案内された席に着く。
「ご注文は、なんにしますか?」
「では、汁粉を二つ」
私の代わりに、大和が答える。
「お待ちどうさん」
汁粉は、すぐに運ばれてきた。
白い湯気が立っており、とても熱そうだ。
私はフーフーと息で冷ましながら、口に含む。
「美味しい…」
口いっぱいに甘さが広がり、幸せな気分になる。
あまりの美味しさに、頬が落ちそうだった。
「桜姫、そんなに頬張ると喉に詰まりますよ」
大和は、まるで子供を見るような、優しい目で見つめる。
いけないわ……
空腹だったこともあり、つい箸が止まらなかった。
もしこんな場面を父上が見ていたら、「なんて下品な娘じゃ!それでもそなたは姫なのか!」と大目玉を食らっていたに違いない。
「この汁粉があまりに美味しくて…」
「確かに今まで食べてきた、どの汁粉よりも美味しいですよね」
大和は笑う。
その笑顔を見ていると、自然と私の顔も綻ぶ。
私達は、逃亡者だということも忘れて、ひと時の幸せな時間を過ごした。
「お腹いっぱい。とっても美味しかったわ」
「では、僕は勘定してくるので、桜姫はここで待っていてください。くれぐれも一人で先に外に出たら駄目ですよ」
「わかってるわ」
大和を待っていると、先程の女の子が、食器を片付けにやってきた。
私は、思わず声を掛ける。
「あなた、お名前は?歳はいくつ?」
女の子は一瞬、驚いた顔をしながらも、
「千代…歳は九歳…」
私の問いに答えてくれた。
「そう…まだ小さいのに偉いわね」
私がそういうと、千代という名前のその子は、顔を曇らせた。
「仕方ないの。だってお母さんは体が弱くて寝たきりだし、お父さんは死んじゃったから」
「しん…じゃっ…た……?」
「うん。お父さんは兵士でね、梅ノ国と戦って殺されちゃったの。だから私がお父さんの代わりに頑張って働いて、お母さんを支えなきゃ」
千代は、困ったように笑う。
その姿はとても痛々しくて、胸が張り裂けそうになる。
私は、目の前が真っ暗になった。
--知らなかった。
いや、正確には知ろうとすらしていなかった。
桜ノ国の民が梅の軍に怯え、不安や恐怖を抱えながら、日々を過ごしている現状を。
大切な人を殺され、泣いてる人たちがいるという事実を。
こんな小さな子供が父を喪い、悲しみを抱えながらも懸命に生きてるのに、姫である私は呑気に汁粉を食べ、民を見捨てて、自分だけ逃げようとしている。
なんて卑怯で、小賢しくて、薄情なのだろうか。
(ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…)
***
汁粉屋を後にした私達は、ぶらぶらと歩いていた。
「大和、今日はありがとう。外の世界を見れて良かったわ」
「はい。これから二人で、もっともっと広い世界を見て、たくさんの思い出を作っていきましょう」
「大和…そのことなんだけど……いいえ…やっぱり何でもないわ」
「桜姫……」
--その時だった。
突然、辺りが物々しい雰囲気に包まれる。
「邪魔だ!どけ!」
何事かと思って目をやると、前から人混みを掻き分けるように桜ノ国の兵士が数人、こちらに向かってくるのが見えた。
兵士たちは、仕切りに辺りを見渡している。
「大和…あれは…」
「桜姫、こっちです」
大和に手を引かれて、私達は、近くの物陰に隠れた。
--ドクンドクン
心臓が大きな音を立てて脈を打つ。
いくら変装してるとはいえ、もし見破られたら一巻の終わりだ。
自分はどうなってもいいが、大和が捕まるのは何としても避けたかった。
私は、息を殺して様子を窺う。
「おい!いたか?」
「いいえ。ここら辺にはいないようですね」
「どこかに隠れてるかも知れん。組まなく探せ!」
ドクンドクン
心臓の音が外に漏れてしまうのではないかと思うほど、激しく音をたてる。
私は不安をかき消すように、大和の衣をギュッと掴んで目を閉じた。
一体どれくらいの間、こうしていただろうか?
「もう大丈夫です。どうやら逃げ切れたようですね」
「よ、良かった……」
私は安堵の溜息を吐く。
恐怖のあまり腰が抜けて、動けなくなった。
「今日はもう、戻りましょう」
「その方がいいわね」
私達は小屋に戻る事にした。
***
その日の夜、大和は唐突にこう切り出した。
「桜姫、今後のことについてなんですが……」
「何かしら?」
「昨日、寝ずに考えました。僕達は蓮ノ国に参りませんか?」
「蓮ノ国?」
「ええ。南東に位置する蓮ノ国は、世界有数の多民族国家で、沢山の人種の人達が共存して暮らしております。なので余所者の僕達が行っても、誰にも怪しまれる心配はありません」
大和は、言葉を続ける。
「蓮ノ国には海から船に乗って行けます。ですから明日、朝一で出発しましょう。この国にいたらいずれ見つかってしまいます」
「……わかった…わ…」
大和にそう言ったものの、本心は悩んでいた。
今日、街に繰り出して迷いが生じたのだ。
(私は民を見捨てて、自分だけ逃げてもいいのだろうか?)
このままだといずれ桜ノ国は、梅ノ国に乗っ取られて、今よりもっと大勢の命が消えるだろう。
だが私が薔薇ノ国の王子と結婚すれば、全てが丸く納まるのだ。
(私はいったい、どうしたらいいの)
私は--私は--
月明かりの微かな光を頼りに、私達は暗闇を歩いていた。
「ねえ、これからどうするの?」
「今日はもう遅いので、とりあえず宿屋を探しましょう」
「見つかるかしら」
「安心してください。なんたって城下町は広いです。その分たくさんの宿屋もあるはずです……ってほら、言った傍から見つかりましたよ」
大和が見つめる視線の先には、“宿屋”と書かれた看板が置かれている。
だが店は明かりもなく、閉まっている様子だった。
「夜分遅くにすいません。どなたかいませんか?」
大和が声を掛けるが、一向に誰も出てくる気配がない。
「あの、どなたかおりませんでしょうか?」
大和はもう一度、先ほどよりやや高めの声で呼び掛ける。
すると店の奥からドタバタと音がして扉がガラッと開くと、小太りの中年女性が顔を出した。
「なんだい、あんた達は?」
女性は怖い顔で私達を睨み付ける。
私は咄嗟に、大和の後ろに隠れた。
「今晩は。宿に泊まりたいのですが……」
大和がそう告げると、女性は呆れたように声を荒らげた。
「馬鹿を言ってんじゃないよ。いつ梅ノ国が襲ってくるかもわからないのに、店なんか開いてる場合じゃないさ。ほら、さっさと消えな」
ごもっともな意見だと思った。
女性は早く行けと言わんばかりに、シッシと手を払う。
「わかりました。こんな夜遅くに失礼しました」
私達は店を後にする。
その後、宿屋を何軒か回ったがどこもかしこも閉まっていた。
宿屋に限らず、すべての店が営業停止しているみたいだ。
「大和……」
「仕方ありませんね。もう少しだけ探してみて宿が見つからなかったら、今夜は野宿をしましょう」
「私、大和とならどこでも平気よ」
(例え地獄だろうと、大和となら耐えてみせるわ)
そう強く思った。
***
「桜姫、あれをご覧ください」
暫く歩いてると私達は、古くて今にも倒壊しそうな小屋を見つけた。
中に入ると室内は埃まみれで、黴臭い匂いが充満していた。
「どうやら使われていないみたいね」
「ええ。あまり綺麗とは言えませんが、雨風凌げるだけありがたいです。今夜はここで寝泊まりさせて貰いしまょう」
「そうね」
私達はここに泊まることにした。
何もない殺風景の部屋の隅で、私と大和は肩を寄せ合い衣の羽織に包まる。
「寒くありませんか?」
「大丈夫よ」
大和の体温が伝わってきて、とても暖かった。
その温もりが心地よくて眠気が襲う。
朦朧とする意識の中で「まっ…く…むぼ…び…なん…です…ら…」というような声が聞こえた気がした。
意識がプツリと切れる。
***
翌日、私は城下町の様子に衝撃を受けた。
「此処があの…城下町…?」
本来の城下町は沢山の人で賑わい、活気に溢れていた。
だが今は昼間だというのに、人々は少なくガランと殺伐していた。
耳を澄ますと、民の悲痛な叫びが聞こえてくる。
『なぁ、聞いたか?花笠村が梅ノ軍に占領されたらしいぞ。王都に進軍するのは時間の問題だろうって、みんな噂してるぜ』
『俺たち逃げた方が良くないか?』
『逃げるってどこにさ?この国に逃げ場なんてありゃしないよ。すぐに桜ノ国全土が血の海に変わるさ。どうせアタイらはみんな死ぬ運命なんだよ』
『まったく神も仏もいやしない。いるのは役立つの王だけさ』
私は、立ち止まって下を向く。
(違うわ。父上は娘を他国に売ってまで民を救おうとしているのよ。でも私が…私が…)
罪悪感で胸が張り裂けそうだった。
そんな私の心情を悟った大和は、私の手を取り促す。
「桜姫、行きましょう」
私は小さく頷くと、その場から逃げるように立ち去った。
***
「桜姫、お腹は空いてませんか?」
城下町を宛もなく散策していると、大和が聞いてきた。
(そういえば昨日の晩から、何も食べていないわね)
次の瞬間、お腹からギュルギュルと凄い音が鳴った。
「ち、違うの…大和…これはその……」
(どうしょう…食べ物の事を考えたらお腹が鳴ってしまったわ。私ったら何て端ないのかしら)
私は恥ずかしさで、顔から火が出そうだった。
「食事にでも行きましょうか」
大和は腹の音には追求せず、何事もなかったかのように話を進める。
流石は心優しい大和だ。
***
「やっぱり、何処も閉まってるわね」
「時期が時期ですからね。もしこのまま店が見つからなかったら、川で魚を捕ったり、山で山菜でも探しましょう。僕が調理しますから、桜姫は何も心配しなくて大丈夫ですよ」
私の不安をかき消すように、大和は微笑む。
「大和は、ほんと頼りになるわね」
この笑顔を見ていると、安心する。
大和は私の心の支えだ。
私達はその後も店を探したが、昨日の宿屋と同様に何処も閉まっていた。
諦めかけたその時だ。
甘くていい匂いが漂ってきた。
匂いのする方に目を向けると、汁粉屋と書かれた看板がある。
「大和…もしかして…」
「はい、どうやら営業してるみたいですね。早速、中に入りましょう」
店に入ると、三十代くらいの女性店主と、小さな女の子が出迎えてくれた。
「いらっしゃい」
(庶民の世界では、あんな子供も働くのだろうか?)
ふと、疑問に思う。
だがこの時の私は、特に深く考えようともしなかった。
「こちらへどうぞ」
小さな女の子に、案内された席に着く。
「ご注文は、なんにしますか?」
「では、汁粉を二つ」
私の代わりに、大和が答える。
「お待ちどうさん」
汁粉は、すぐに運ばれてきた。
白い湯気が立っており、とても熱そうだ。
私はフーフーと息で冷ましながら、口に含む。
「美味しい…」
口いっぱいに甘さが広がり、幸せな気分になる。
あまりの美味しさに、頬が落ちそうだった。
「桜姫、そんなに頬張ると喉に詰まりますよ」
大和は、まるで子供を見るような、優しい目で見つめる。
いけないわ……
空腹だったこともあり、つい箸が止まらなかった。
もしこんな場面を父上が見ていたら、「なんて下品な娘じゃ!それでもそなたは姫なのか!」と大目玉を食らっていたに違いない。
「この汁粉があまりに美味しくて…」
「確かに今まで食べてきた、どの汁粉よりも美味しいですよね」
大和は笑う。
その笑顔を見ていると、自然と私の顔も綻ぶ。
私達は、逃亡者だということも忘れて、ひと時の幸せな時間を過ごした。
「お腹いっぱい。とっても美味しかったわ」
「では、僕は勘定してくるので、桜姫はここで待っていてください。くれぐれも一人で先に外に出たら駄目ですよ」
「わかってるわ」
大和を待っていると、先程の女の子が、食器を片付けにやってきた。
私は、思わず声を掛ける。
「あなた、お名前は?歳はいくつ?」
女の子は一瞬、驚いた顔をしながらも、
「千代…歳は九歳…」
私の問いに答えてくれた。
「そう…まだ小さいのに偉いわね」
私がそういうと、千代という名前のその子は、顔を曇らせた。
「仕方ないの。だってお母さんは体が弱くて寝たきりだし、お父さんは死んじゃったから」
「しん…じゃっ…た……?」
「うん。お父さんは兵士でね、梅ノ国と戦って殺されちゃったの。だから私がお父さんの代わりに頑張って働いて、お母さんを支えなきゃ」
千代は、困ったように笑う。
その姿はとても痛々しくて、胸が張り裂けそうになる。
私は、目の前が真っ暗になった。
--知らなかった。
いや、正確には知ろうとすらしていなかった。
桜ノ国の民が梅の軍に怯え、不安や恐怖を抱えながら、日々を過ごしている現状を。
大切な人を殺され、泣いてる人たちがいるという事実を。
こんな小さな子供が父を喪い、悲しみを抱えながらも懸命に生きてるのに、姫である私は呑気に汁粉を食べ、民を見捨てて、自分だけ逃げようとしている。
なんて卑怯で、小賢しくて、薄情なのだろうか。
(ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…)
***
汁粉屋を後にした私達は、ぶらぶらと歩いていた。
「大和、今日はありがとう。外の世界を見れて良かったわ」
「はい。これから二人で、もっともっと広い世界を見て、たくさんの思い出を作っていきましょう」
「大和…そのことなんだけど……いいえ…やっぱり何でもないわ」
「桜姫……」
--その時だった。
突然、辺りが物々しい雰囲気に包まれる。
「邪魔だ!どけ!」
何事かと思って目をやると、前から人混みを掻き分けるように桜ノ国の兵士が数人、こちらに向かってくるのが見えた。
兵士たちは、仕切りに辺りを見渡している。
「大和…あれは…」
「桜姫、こっちです」
大和に手を引かれて、私達は、近くの物陰に隠れた。
--ドクンドクン
心臓が大きな音を立てて脈を打つ。
いくら変装してるとはいえ、もし見破られたら一巻の終わりだ。
自分はどうなってもいいが、大和が捕まるのは何としても避けたかった。
私は、息を殺して様子を窺う。
「おい!いたか?」
「いいえ。ここら辺にはいないようですね」
「どこかに隠れてるかも知れん。組まなく探せ!」
ドクンドクン
心臓の音が外に漏れてしまうのではないかと思うほど、激しく音をたてる。
私は不安をかき消すように、大和の衣をギュッと掴んで目を閉じた。
一体どれくらいの間、こうしていただろうか?
「もう大丈夫です。どうやら逃げ切れたようですね」
「よ、良かった……」
私は安堵の溜息を吐く。
恐怖のあまり腰が抜けて、動けなくなった。
「今日はもう、戻りましょう」
「その方がいいわね」
私達は小屋に戻る事にした。
***
その日の夜、大和は唐突にこう切り出した。
「桜姫、今後のことについてなんですが……」
「何かしら?」
「昨日、寝ずに考えました。僕達は蓮ノ国に参りませんか?」
「蓮ノ国?」
「ええ。南東に位置する蓮ノ国は、世界有数の多民族国家で、沢山の人種の人達が共存して暮らしております。なので余所者の僕達が行っても、誰にも怪しまれる心配はありません」
大和は、言葉を続ける。
「蓮ノ国には海から船に乗って行けます。ですから明日、朝一で出発しましょう。この国にいたらいずれ見つかってしまいます」
「……わかった…わ…」
大和にそう言ったものの、本心は悩んでいた。
今日、街に繰り出して迷いが生じたのだ。
(私は民を見捨てて、自分だけ逃げてもいいのだろうか?)
このままだといずれ桜ノ国は、梅ノ国に乗っ取られて、今よりもっと大勢の命が消えるだろう。
だが私が薔薇ノ国の王子と結婚すれば、全てが丸く納まるのだ。
(私はいったい、どうしたらいいの)
私は--私は--
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる