桜姫 ~50年後の約束~

ねこ

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桜ノ国編

5.桜ノ都

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夜の城下町は静寂に包まれていた。
月明かりの微かな光を頼りに、私達は暗闇を歩いていた。

「ねえ、これからどうするの?」

「今日はもう遅いので、とりあえず宿屋を探しましょう」

「見つかるかしら」

「安心してください。なんたって城下町は広いです。その分たくさんの宿屋もあるはずです……ってほら、言った傍から見つかりましたよ」

大和が見つめる視線の先には、“宿屋”と書かれた看板が置かれている。
だが店は明かりもなく、閉まっている様子だった。

「夜分遅くにすいません。どなたかいませんか?」

大和が声を掛けるが、一向に誰も出てくる気配がない。

「あの、どなたかおりませんでしょうか?」

大和はもう一度、先ほどよりやや高めの声で呼び掛ける。
すると店の奥からドタバタと音がして扉がガラッと開くと、小太りの中年女性が顔を出した。

「なんだい、あんた達は?」

女性は怖い顔で私達を睨み付ける。
私は咄嗟に、大和の後ろに隠れた。

「今晩は。宿に泊まりたいのですが……」

大和がそう告げると、女性は呆れたように声を荒らげた。

「馬鹿を言ってんじゃないよ。いつ梅ノ国が襲ってくるかもわからないのに、店なんか開いてる場合じゃないさ。ほら、さっさと消えな」

ごもっともな意見だと思った。
女性は早く行けと言わんばかりに、シッシと手を払う。

「わかりました。こんな夜遅くに失礼しました」

私達は店を後にする。
その後、宿屋を何軒か回ったがどこもかしこも閉まっていた。
宿屋に限らず、すべての店が営業停止しているみたいだ。

「大和……」

「仕方ありませんね。もう少しだけ探してみて宿が見つからなかったら、今夜は野宿をしましょう」

「私、大和とならどこでも平気よ」

(例え地獄だろうと、大和となら耐えてみせるわ)
そう強く思った。


***

「桜姫、あれをご覧ください」

暫く歩いてると私達は、古くて今にも倒壊しそうな小屋を見つけた。
中に入ると室内は埃まみれで、カビ臭い匂いが充満していた。

「どうやら使われていないみたいね」

「ええ。あまり綺麗とは言えませんが、雨風凌げるだけありがたいです。今夜はここで寝泊まりさせて貰いしまょう」

「そうね」

私達はここに泊まることにした。
何もない殺風景の部屋の隅で、私と大和は肩を寄せ合い衣の羽織にくるまる。

「寒くありませんか?」

「大丈夫よ」

大和の体温が伝わってきて、とても暖かった。
その温もりが心地よくて眠気が襲う。

朦朧とする意識の中で「まっ…く…むぼ…び…なん…です…ら…」というような声が聞こえた気がした。

意識がプツリと切れる。

***

翌日、私は城下町の様子に衝撃を受けた。

「此処があの…城下町…?」

本来の城下町は沢山の人で賑わい、活気に溢れていた。

だが今は昼間だというのに、人々は少なくガランと殺伐していた。

耳を澄ますと、民の悲痛な叫びが聞こえてくる。

『なぁ、聞いたか?花笠村が梅ノ軍に占領されたらしいぞ。王都ここに進軍するのは時間の問題だろうって、みんな噂してるぜ』

『俺たち逃げた方が良くないか?』

『逃げるってどこにさ?この国に逃げ場なんてありゃしないよ。すぐに桜ノ国全土が血の海に変わるさ。どうせアタイらはみんな死ぬ運命なんだよ』

『まったく神も仏もいやしない。いるのは役立つの王だけさ』


私は、立ち止まって下を向く。

(違うわ。父上は娘を他国に売ってまで民を救おうとしているのよ。でも私が…私が…)

罪悪感で胸が張り裂けそうだった。
そんな私の心情を悟った大和は、私の手を取り促す。

「桜姫、行きましょう」

私は小さく頷くと、その場から逃げるように立ち去った。

***

「桜姫、お腹は空いてませんか?」

城下町を宛もなく散策していると、大和が聞いてきた。

(そういえば昨日の晩から、何も食べていないわね)

次の瞬間、お腹からギュルギュルと凄い音が鳴った。

「ち、違うの…大和…これはその……」

(どうしょう…食べ物の事を考えたらお腹が鳴ってしまったわ。私ったら何てはしたないのかしら)

私は恥ずかしさで、顔から火が出そうだった。

「食事にでも行きましょうか」

大和は腹の音には追求せず、何事もなかったかのように話を進める。
流石は心優しい大和だ。

***

「やっぱり、何処も閉まってるわね」


「時期が時期ですからね。もしこのまま店が見つからなかったら、川で魚を捕ったり、山で山菜でも探しましょう。僕が調理しますから、桜姫は何も心配しなくて大丈夫ですよ」

私の不安をかき消すように、大和は微笑む。

「大和は、ほんと頼りになるわね」

この笑顔を見ていると、安心する。
大和は私の心の支えだ。



私達はその後も店を探したが、昨日の宿屋と同様に何処も閉まっていた。
諦めかけたその時だ。
甘くていい匂いが漂ってきた。
匂いのする方に目を向けると、汁粉屋と書かれた看板がある。

「大和…もしかして…」

「はい、どうやら営業してるみたいですね。早速、中に入りましょう」

店に入ると、三十代くらいの女性店主と、小さな女の子が出迎えてくれた。

「いらっしゃい」

(庶民の世界では、あんな子供も働くのだろうか?)
ふと、疑問に思う。

だがこの時の私は、特に深く考えようともしなかった。

「こちらへどうぞ」

小さな女の子に、案内された席に着く。

「ご注文は、なんにしますか?」

「では、汁粉を二つ」

私の代わりに、大和が答える。


「お待ちどうさん」

汁粉は、すぐに運ばれてきた。
白い湯気が立っており、とても熱そうだ。
私はフーフーと息で冷ましながら、口に含む。

「美味しい…」

口いっぱいに甘さが広がり、幸せな気分になる。
あまりの美味しさに、頬が落ちそうだった。

「桜姫、そんなに頬張ると喉に詰まりますよ」

大和は、まるで子供を見るような、優しい目で見つめる。

いけないわ……
空腹だったこともあり、つい箸が止まらなかった。

もしこんな場面を父上が見ていたら、「なんて下品な娘じゃ!それでもそなたは姫なのか!」と大目玉を食らっていたに違いない。


「この汁粉があまりに美味しくて…」

「確かに今まで食べてきた、どの汁粉よりも美味しいですよね」


大和は笑う。
その笑顔を見ていると、自然と私の顔も綻ぶ。
私達は、逃亡者だということも忘れて、ひと時の幸せな時間を過ごした。


「お腹いっぱい。とっても美味しかったわ」

「では、僕は勘定してくるので、桜姫はここで待っていてください。くれぐれも一人で先に外に出たら駄目ですよ」


「わかってるわ」

大和を待っていると、先程の女の子が、食器を片付けにやってきた。

私は、思わず声を掛ける。


「あなた、お名前は?歳はいくつ?」


女の子は一瞬、驚いた顔をしながらも、

「千代…歳は九歳…」

私の問いに答えてくれた。


「そう…まだ小さいのに偉いわね」


私がそういうと、千代ちよという名前のその子は、顔を曇らせた。


「仕方ないの。だってお母さんは体が弱くて寝たきりだし、お父さんは死んじゃったから」


「しん…じゃっ…た……?」

「うん。お父さんは兵士でね、梅ノ国と戦って殺されちゃったの。だから私がお父さんの代わりに頑張って働いて、お母さんを支えなきゃ」


千代は、困ったように笑う。
その姿はとても痛々しくて、胸が張り裂けそうになる。

私は、目の前が真っ暗になった。
--知らなかった。
いや、正確には知ろうとすらしていなかった。

桜ノ国の民が梅の軍に怯え、不安や恐怖を抱えながら、日々を過ごしている現状を。
大切な人を殺され、泣いてる人たちがいるという事実を。

こんな小さな子供が父を喪い、悲しみを抱えながらも懸命に生きてるのに、姫である私は呑気に汁粉を食べ、民を見捨てて、自分だけ逃げようとしている。

なんて卑怯で、小賢しくて、薄情なのだろうか。

(ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…)

***

汁粉屋を後にした私達は、ぶらぶらと歩いていた。

「大和、今日はありがとう。外の世界を見れて良かったわ」

「はい。これから二人で、もっともっと広い世界を見て、たくさんの思い出を作っていきましょう」

「大和…そのことなんだけど……いいえ…やっぱり何でもないわ」


「桜姫……」


--その時だった。
突然、辺りが物々しい雰囲気に包まれる。

「邪魔だ!どけ!」

何事かと思って目をやると、前から人混みを掻き分けるように桜ノ国の兵士が数人、こちらに向かってくるのが見えた。
兵士たちは、仕切りに辺りを見渡している。

「大和…あれは…」

「桜姫、こっちです」

大和に手を引かれて、私達は、近くの物陰に隠れた。

--ドクンドクン
心臓が大きな音を立てて脈を打つ。

いくら変装してるとはいえ、もし見破られたら一巻の終わりだ。
自分はどうなってもいいが、大和が捕まるのは何としても避けたかった。
私は、息を殺して様子を窺う。


「おい!いたか?」

「いいえ。ここら辺にはいないようですね」

「どこかに隠れてるかも知れん。組まなく探せ!」


ドクンドクン
心臓の音が外に漏れてしまうのではないかと思うほど、激しく音をたてる。
私は不安をかき消すように、大和の衣をギュッと掴んで目を閉じた。

一体どれくらいの間、こうしていただろうか?

「もう大丈夫です。どうやら逃げ切れたようですね」


「よ、良かった……」

私は安堵の溜息を吐く。
恐怖のあまり腰が抜けて、動けなくなった。

「今日はもう、戻りましょう」

「その方がいいわね」

私達は小屋に戻る事にした。

***

その日の夜、大和は唐突にこう切り出した。


「桜姫、今後のことについてなんですが……」

「何かしら?」

「昨日、寝ずに考えました。僕達は蓮ノ国に参りませんか?」

「蓮ノ国?」

「ええ。南東に位置する蓮ノ国は、世界有数の多民族国家で、沢山の人種の人達が共存して暮らしております。なので余所者よそものの僕達が行っても、誰にも怪しまれる心配はありません」

大和は、言葉を続ける。

「蓮ノ国には海から船に乗って行けます。ですから明日、朝一で出発しましょう。この国にいたらいずれ見つかってしまいます」

「……わかった…わ…」


大和にそう言ったものの、本心は悩んでいた。
今日、街に繰り出して迷いが生じたのだ。

(私は民を見捨てて、自分だけ逃げてもいいのだろうか?)

このままだといずれ桜ノ国は、梅ノ国に乗っ取られて、今よりもっと大勢の命が消えるだろう。

だが私が薔薇ノ国の王子と結婚すれば、全てが丸く納まるのだ。

(私はいったい、どうしたらいいの)


私は--私は--




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