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薔薇ノ国編
14.薔薇ノ晩餐会
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翌日、アシュラムが私の部屋に謝りに訪れた。
「桜っち、昨日はごめんね。母さんの名前を出されて、ついカッとなって感情的になってしまったんだ。僕はなんてことを……謝って済む問題じゃないけど、本当にすまなかった……」
昨日の憤怒した姿とは打って変わって、肩を落とし項垂れるアシュラムに、私は咎める気にはとてもはなれなかった。
「アシュラムは、母上を今でも愛しているのね。私もよ」
「うん……愛してる……もう顔も殆ど覚えてはいないんだけれどね。昨日、姉さんの言ってたことは本当さ。だけど僕はオルフェオのことを、ちっとも恨んでなんかいないよ。そりゃ小さい頃は色々と葛藤もあったけれど、今はオルフェオを本当に大切な弟だと思っている」
信じてくれと言わんばりに、アシュラムは私に訴える。
その目に嘘はないと感じた。
「とても、弟思いなのね」
「まぁね。同じ境遇の者同士ほっとけないんだ。残念ながら当の本人には煙たがれてるんだけれど。ハハッ」
乾いた笑いで、どこか遠い目をするアシュラム。
「同じ境遇?」
私の問いに、アシュラムは静かに語り始めた。
「オルフェオの母親はオルフェオが小さい頃に不慮の事故で亡くなってしまってね。母親を亡くして泣いてる幼い彼奴を見たら、その時ハッとしたんだ。自分と同じじゃないか…僕は何してるんだって…そしたら不思議とその時抱えてた恨みも、葛藤も、しがらみも、何もかもが吹き飛んで、同じ痛みを知る者として、兄として、家族として、自分だけでも王宮で孤立してるオルフェオを守ってやらなきゃって思ったんだ」
(アシュラム……)
人は痛みを知り、成長する。
痛みを知るからこそ、誰よりも優しくなれるんだ。
「アシュラムの気持ちは、いつの日かオルフェオ様の胸にも届きます。きっと……」
「桜っち…ありがとう…」
アシュラムは、思い出したように続ける。
「そういえば今夜、メリナ姉さんの晩餐会に誘われたんだって?」
「どうしてそれを知っているの?」
「実はその晩餐会にはジュリア……僕の妻も招待されたんだ」
「まぁ、それは本当ですか?」
寝耳に水だった。
てっきりメリナと私の二人きりの晩餐会だと思っていたから、他に参加者がいるとは知らなかった。
「本当さ。ジュリアだけじゃなくて、アプローズ兄さんの妻も一緒にね。どうやら女性陣だけが呼ばれたみたいだね」
一体何を考えてるのやら…とアシュラムは頭を唸らせる。
「早くお二人に、お会いしてみたいわ」
「桜っち、ジュリアは内気で人見知りだから、友達もいなくて、いつも部屋に閉じこもって本を読んでるような繊細な子なんだ。どうかジュリアと仲良くしてあげて欲しい」
(ジュリア様は、本がお好きなのね。私と同じだわ。気が合いそうね)
「ええ、勿論よ」
私は笑顔で答えた。
***
「メリナ様、この度は晩餐会に招待して頂きありがとうございます」
「ようこそ起こし下さいましたわ。今宵は一流シェフたちによる絶品料理をご堪能ください。ですがまずは食事の前に、あなたに紹介しておかなきゃいけない方々がいるわ。右におられるのはアプローズの妻・チェリッシュ・クレア妃、そして左におられるのはアシュラムの妻・ジュリア・ウェスト妃よ」
今日も変わらず華美に着飾ったメリナ様の両側には、若い女性が二人いた。
(あ、昨日の……)
私は右にいる女性に、見覚えがあった。
婚姻パーティーでメリナ様の隣にいた女性だ。
「ごきげんよう。チェリッシュよ。ご挨拶が遅れて申し訳ございませんわ。どうぞ仲良くしてくださいませ」
肩まであるふわりと内側に巻かれた淡桃色の髪に、垂れた赤い瞳の甘い顔立ちをしたチェリッシュ様は、透かし模様がふんだんに施された、髪色とお揃いのドレスの裾をつまみ、膝を曲げて軽くお辞儀をする。
これは薔薇ノ国の女性の挨拶の仕方だと、マーニャから前に教わった。
「チェリッシュ様、どうぞよろしくお願い致します」
「は……初めまして……ジュリアと申します……桜姫様の事は依然からアシュラム様に伺っております……きっ…昨日は風邪を引いてしまいパーティーに参加出来ずに無礼をお許しくださぃ……」
今にも消え入りそうな声でモゴモゴと喋るジュリア様は、亜麻色の髪とくすんだ灰色の瞳をしていた。
肌の露出がないドレスを着用しており、飾り気がなく一見地味に思えるが、よく見たら顔立ちは整っている。
(この方がアシュラムのお妃様……アシュラムに似てとても優しそうな方ね)
「ジュリア様、元気になられて良かったです」
「はい………」
「さぁ、挨拶が済んだところで早速、晩餐会を始めましょう。皆様、早く席に座ってください」
メリナ様の声掛けに、私たちは用意された席にそれぞれ座る。
四角い机の上には、溢れんばかりの豪勢な料理が並んでた。
「お味はどうかしら?」
メリナ様が尋ねる。
「どれもこれも美味しくて、手が止まりませんわ。こんなご馳走様をご用意して頂き誠にありがとうございます」
私は器用に 切り裂いていく。
薔薇ノ国に来たばかりの頃は、フォークとナイフと呼ばれる食器の使い方に悪戦苦闘したが、作法さえ覚えれば簡単だった。
「気に入っていただけたのなら良かったわ。でもまだ満足するのは早すぎるわよ。桜姫の為にとっておきのお料理を最後にご用意してるのだから」
(私の為に?一体なにかしら?楽しみね)
「桜ノ国では、生の魚を食べるというのは本当かしら?」
チェリッシュ様が興味津々そうに伺う。
「本当ですわ。桜ノ国の料理はこのように華やかではないけれど、どれも繊細で素材を生かした料理ばかりでございます。いつか皆様にも食べて頂きたいです」
「では今度、シェフに作って貰いましょう」
メリナ様が提案すると、チェリッシュ様は両手を合わせて嬉しそうな素振りをする。
「まぁ、それはいい案ですわ。その時はまたご一緒しましょう」
「ぜひ」
すると今まで黙っていたジュリア様が口を開いた。
「わっ…わたくしは桜姫様がお召になってるお召し物が気になります……なんて美しいのでしょう……」
憧憬の眼差しで、桜柄の着物を見つめるジュリア。
(ジュリア様は着物に興味があるのかしら?)
「あら、まだそれを着ていらしたの?」
メリナ様は怪訝そうな顔をする。
そうなのだ。
今朝マーニャからは「これからはこちらのお召し物をどうぞ」と数え切れないほどのドレスを渡されていたのだが、私は慣れ親しんだ着物を着ていたかった。
何より着物を着続けることで、例え薔薇ノ国に嫁いでも、自分は桜ノ国の姫なんだという自覚を忘れない為でもある。
「ええ……ドレスは中々慣れなくって……着慣れた着物の方が楽なのでございます」
「もう、好きになさい」
メリナ様は呆れた様に言う。
「はい……それからジュリア様、お褒めの言葉ありがとうございます」
ジュリア様は、照れ臭そうに下を向いた。
そして私たちは和やかに会話を交えながら、豪華な料理に舌鼓を打った。
腹八分目まで食べた所で、急にメリナ様は立ち上がり、高らかにこう言い放つ。
「さぁ、皆様、お待ちかねのメインデッシュの登場よ!」
メリナ様の合図に料理が運ばれてくる。
白い皿には外側はこんがりと焼け、中は赤身の残った鮮やかなお肉が盛られていた。
(これは何のお肉かしら?)
私が不思議に思っているとメリナ様が--
「今朝獲れたばかりの新鮮な鹿肉のステーキよ!どうぞお召し上がりください!」
(しっ…鹿肉…ですって……!!?)
私は、一気に顔を青ざめる。
桜ノ国では鹿は神の使いとして、古くから崇められ、大切に保護されていた。
その為、鹿肉を食べるのは罪とされ、固く禁忌されているのだ。
「あら桜姫、どうかされましたの?」
目を細めて口角を上げて、ニヤリと笑うメリナ様。
その姿を見て私はようやくこれが意図的なものだと気付いた。
(メリナ様……)
「申し訳ありませんが、これを頂くことは出来ません」
「なんですって!?折角メリナお姉様があなたの為に用意したというのに、食べれないというの?無礼にも程があるわ!あなた一体何様のつもりよ!!」
チェリッシュ様が非難の声をあげる。
「桜ノ国では鹿は神聖な存在とされ、食すのは法により禁じられております。ですから頂く訳にはいけません」
「そんなの知ったこっちゃないわ!ここは薔薇ノ国よ!弁解はいいからさっさとお食べなさい!」
メリナ様は手の平を思い切り机に叩きつける。
その衝動で机の上に乗ってた食器と料理たちが一瞬、宙に舞う。
「そうよ。メリナ様お姉様の善意を無視するなんて絶対に許さないわ!早く食べるのよ!」
チェリッシュ様はメリナ様に同調するように迫り立てる。
「いいえ!絶対に食べません!」
私は食べる訳にはいかなかった。
もし食べたら桜ノ国の誇りを失ってしまうことになる。
「もういいわ。どうしても食べないというのなら、わたくしが食べさせてあげるわ」
そう言うとメリナ様は立ち上がり、素早く私のもとに来ると、いきなり私の髪の毛を鷲掴みする。
「なっ…何を……キャッ!!」
そしてそのまま鹿肉めがけて、私の顔を強引に押し付けた。
肉汁と調味料が容赦なく顔中に張り付く。
「どうです?獲れたての鹿肉は美味しゅうございましょう?」
「お辞めっ…くださ…い…」
「いいこと?全部残さず綺麗に食べるのよ!ほら!ほら!ほら!」
「や…っ…」
メリナ様は早口で捲し立てながら、更に強い力で私を押し付ける。
(苦しい…息が出来ない…誰か助けて…)
「ジュリ…ア…様…助…けて……」
私は助けを求めて縋るような目でジュリア様を見るが、ジュリア様は恐怖に怯え、ガタガタと震えていた。
「ヒッ…ご…ごめんなさい……」
ジュリア様は一言謝ると、逃げるようにこの場を立ち去った。
(行かないで……ジュリア様……)
だが私の願いは虚しく、足音は遠ざかる。
「アハハハッ!無様な姿ね!まるで腹を空かせた豚が一心不乱に貪り食う様だわ!」
「まぁメリナお姉様ったら、いくら本当のこととはいえお下品ですわよ。ふふふ」
二人は愉快そうに笑う。
私は早く終われと心の中で祈りながら、ただひたすら時が過ぎるのを待った。
***
「今日は、このくらいにしといてあげるわ」
メリナ様は満足げに笑う。
一方の私は、料理は飛び散り、髪は乱れ、顔はベタベタに汚れ、悲惨な状況だった。
「汚いわね」
チェリッシュ様はまるで汚物でも見るような目で私を見る。
私は悲痛な思いを二人に吐露した。
「メリナ様…こんなのあんまりですわ……私と友達になりたいというのは嘘だったのですか?チェリッシュ様もいつか一緒に桜ノ国の料理を食べようと言ってくれたではありませんか……」
「ふんっ!このわたくしが生の魚を食べるような野蛮な国の料理など口にする訳ありませんわ。ねえメリナお姉様?」
チェリッシュ様は同意を求めるように、メリナ様に問い掛ける。
「チェリッシュの言う通りよ。わたくし達が本気であなたのような田舎者の姫と友達になりたいとでも?残念ながらあなたは、高貴なわたくし達とは不釣り合いよ!!」
(滑稽ね…少しでも仲良くなれるかもしれないなどと思った自分が愚かだったわ。もう二度と甘い期待など抱いたりしないわ!!)
私は、そう固く誓った。
「残骸はあなたが片付けておきなさい。チェリッシュ!行くわよ!」
「はい!メリナお姉様!」
二人は放心状態の私をよに、部屋を立ち去る。
「ハハッ…アハハハハ」
私の乾いた笑い声が、誰もいなくなった部屋に虚しく響き渡った。
「桜っち、昨日はごめんね。母さんの名前を出されて、ついカッとなって感情的になってしまったんだ。僕はなんてことを……謝って済む問題じゃないけど、本当にすまなかった……」
昨日の憤怒した姿とは打って変わって、肩を落とし項垂れるアシュラムに、私は咎める気にはとてもはなれなかった。
「アシュラムは、母上を今でも愛しているのね。私もよ」
「うん……愛してる……もう顔も殆ど覚えてはいないんだけれどね。昨日、姉さんの言ってたことは本当さ。だけど僕はオルフェオのことを、ちっとも恨んでなんかいないよ。そりゃ小さい頃は色々と葛藤もあったけれど、今はオルフェオを本当に大切な弟だと思っている」
信じてくれと言わんばりに、アシュラムは私に訴える。
その目に嘘はないと感じた。
「とても、弟思いなのね」
「まぁね。同じ境遇の者同士ほっとけないんだ。残念ながら当の本人には煙たがれてるんだけれど。ハハッ」
乾いた笑いで、どこか遠い目をするアシュラム。
「同じ境遇?」
私の問いに、アシュラムは静かに語り始めた。
「オルフェオの母親はオルフェオが小さい頃に不慮の事故で亡くなってしまってね。母親を亡くして泣いてる幼い彼奴を見たら、その時ハッとしたんだ。自分と同じじゃないか…僕は何してるんだって…そしたら不思議とその時抱えてた恨みも、葛藤も、しがらみも、何もかもが吹き飛んで、同じ痛みを知る者として、兄として、家族として、自分だけでも王宮で孤立してるオルフェオを守ってやらなきゃって思ったんだ」
(アシュラム……)
人は痛みを知り、成長する。
痛みを知るからこそ、誰よりも優しくなれるんだ。
「アシュラムの気持ちは、いつの日かオルフェオ様の胸にも届きます。きっと……」
「桜っち…ありがとう…」
アシュラムは、思い出したように続ける。
「そういえば今夜、メリナ姉さんの晩餐会に誘われたんだって?」
「どうしてそれを知っているの?」
「実はその晩餐会にはジュリア……僕の妻も招待されたんだ」
「まぁ、それは本当ですか?」
寝耳に水だった。
てっきりメリナと私の二人きりの晩餐会だと思っていたから、他に参加者がいるとは知らなかった。
「本当さ。ジュリアだけじゃなくて、アプローズ兄さんの妻も一緒にね。どうやら女性陣だけが呼ばれたみたいだね」
一体何を考えてるのやら…とアシュラムは頭を唸らせる。
「早くお二人に、お会いしてみたいわ」
「桜っち、ジュリアは内気で人見知りだから、友達もいなくて、いつも部屋に閉じこもって本を読んでるような繊細な子なんだ。どうかジュリアと仲良くしてあげて欲しい」
(ジュリア様は、本がお好きなのね。私と同じだわ。気が合いそうね)
「ええ、勿論よ」
私は笑顔で答えた。
***
「メリナ様、この度は晩餐会に招待して頂きありがとうございます」
「ようこそ起こし下さいましたわ。今宵は一流シェフたちによる絶品料理をご堪能ください。ですがまずは食事の前に、あなたに紹介しておかなきゃいけない方々がいるわ。右におられるのはアプローズの妻・チェリッシュ・クレア妃、そして左におられるのはアシュラムの妻・ジュリア・ウェスト妃よ」
今日も変わらず華美に着飾ったメリナ様の両側には、若い女性が二人いた。
(あ、昨日の……)
私は右にいる女性に、見覚えがあった。
婚姻パーティーでメリナ様の隣にいた女性だ。
「ごきげんよう。チェリッシュよ。ご挨拶が遅れて申し訳ございませんわ。どうぞ仲良くしてくださいませ」
肩まであるふわりと内側に巻かれた淡桃色の髪に、垂れた赤い瞳の甘い顔立ちをしたチェリッシュ様は、透かし模様がふんだんに施された、髪色とお揃いのドレスの裾をつまみ、膝を曲げて軽くお辞儀をする。
これは薔薇ノ国の女性の挨拶の仕方だと、マーニャから前に教わった。
「チェリッシュ様、どうぞよろしくお願い致します」
「は……初めまして……ジュリアと申します……桜姫様の事は依然からアシュラム様に伺っております……きっ…昨日は風邪を引いてしまいパーティーに参加出来ずに無礼をお許しくださぃ……」
今にも消え入りそうな声でモゴモゴと喋るジュリア様は、亜麻色の髪とくすんだ灰色の瞳をしていた。
肌の露出がないドレスを着用しており、飾り気がなく一見地味に思えるが、よく見たら顔立ちは整っている。
(この方がアシュラムのお妃様……アシュラムに似てとても優しそうな方ね)
「ジュリア様、元気になられて良かったです」
「はい………」
「さぁ、挨拶が済んだところで早速、晩餐会を始めましょう。皆様、早く席に座ってください」
メリナ様の声掛けに、私たちは用意された席にそれぞれ座る。
四角い机の上には、溢れんばかりの豪勢な料理が並んでた。
「お味はどうかしら?」
メリナ様が尋ねる。
「どれもこれも美味しくて、手が止まりませんわ。こんなご馳走様をご用意して頂き誠にありがとうございます」
私は器用に 切り裂いていく。
薔薇ノ国に来たばかりの頃は、フォークとナイフと呼ばれる食器の使い方に悪戦苦闘したが、作法さえ覚えれば簡単だった。
「気に入っていただけたのなら良かったわ。でもまだ満足するのは早すぎるわよ。桜姫の為にとっておきのお料理を最後にご用意してるのだから」
(私の為に?一体なにかしら?楽しみね)
「桜ノ国では、生の魚を食べるというのは本当かしら?」
チェリッシュ様が興味津々そうに伺う。
「本当ですわ。桜ノ国の料理はこのように華やかではないけれど、どれも繊細で素材を生かした料理ばかりでございます。いつか皆様にも食べて頂きたいです」
「では今度、シェフに作って貰いましょう」
メリナ様が提案すると、チェリッシュ様は両手を合わせて嬉しそうな素振りをする。
「まぁ、それはいい案ですわ。その時はまたご一緒しましょう」
「ぜひ」
すると今まで黙っていたジュリア様が口を開いた。
「わっ…わたくしは桜姫様がお召になってるお召し物が気になります……なんて美しいのでしょう……」
憧憬の眼差しで、桜柄の着物を見つめるジュリア。
(ジュリア様は着物に興味があるのかしら?)
「あら、まだそれを着ていらしたの?」
メリナ様は怪訝そうな顔をする。
そうなのだ。
今朝マーニャからは「これからはこちらのお召し物をどうぞ」と数え切れないほどのドレスを渡されていたのだが、私は慣れ親しんだ着物を着ていたかった。
何より着物を着続けることで、例え薔薇ノ国に嫁いでも、自分は桜ノ国の姫なんだという自覚を忘れない為でもある。
「ええ……ドレスは中々慣れなくって……着慣れた着物の方が楽なのでございます」
「もう、好きになさい」
メリナ様は呆れた様に言う。
「はい……それからジュリア様、お褒めの言葉ありがとうございます」
ジュリア様は、照れ臭そうに下を向いた。
そして私たちは和やかに会話を交えながら、豪華な料理に舌鼓を打った。
腹八分目まで食べた所で、急にメリナ様は立ち上がり、高らかにこう言い放つ。
「さぁ、皆様、お待ちかねのメインデッシュの登場よ!」
メリナ様の合図に料理が運ばれてくる。
白い皿には外側はこんがりと焼け、中は赤身の残った鮮やかなお肉が盛られていた。
(これは何のお肉かしら?)
私が不思議に思っているとメリナ様が--
「今朝獲れたばかりの新鮮な鹿肉のステーキよ!どうぞお召し上がりください!」
(しっ…鹿肉…ですって……!!?)
私は、一気に顔を青ざめる。
桜ノ国では鹿は神の使いとして、古くから崇められ、大切に保護されていた。
その為、鹿肉を食べるのは罪とされ、固く禁忌されているのだ。
「あら桜姫、どうかされましたの?」
目を細めて口角を上げて、ニヤリと笑うメリナ様。
その姿を見て私はようやくこれが意図的なものだと気付いた。
(メリナ様……)
「申し訳ありませんが、これを頂くことは出来ません」
「なんですって!?折角メリナお姉様があなたの為に用意したというのに、食べれないというの?無礼にも程があるわ!あなた一体何様のつもりよ!!」
チェリッシュ様が非難の声をあげる。
「桜ノ国では鹿は神聖な存在とされ、食すのは法により禁じられております。ですから頂く訳にはいけません」
「そんなの知ったこっちゃないわ!ここは薔薇ノ国よ!弁解はいいからさっさとお食べなさい!」
メリナ様は手の平を思い切り机に叩きつける。
その衝動で机の上に乗ってた食器と料理たちが一瞬、宙に舞う。
「そうよ。メリナ様お姉様の善意を無視するなんて絶対に許さないわ!早く食べるのよ!」
チェリッシュ様はメリナ様に同調するように迫り立てる。
「いいえ!絶対に食べません!」
私は食べる訳にはいかなかった。
もし食べたら桜ノ国の誇りを失ってしまうことになる。
「もういいわ。どうしても食べないというのなら、わたくしが食べさせてあげるわ」
そう言うとメリナ様は立ち上がり、素早く私のもとに来ると、いきなり私の髪の毛を鷲掴みする。
「なっ…何を……キャッ!!」
そしてそのまま鹿肉めがけて、私の顔を強引に押し付けた。
肉汁と調味料が容赦なく顔中に張り付く。
「どうです?獲れたての鹿肉は美味しゅうございましょう?」
「お辞めっ…くださ…い…」
「いいこと?全部残さず綺麗に食べるのよ!ほら!ほら!ほら!」
「や…っ…」
メリナ様は早口で捲し立てながら、更に強い力で私を押し付ける。
(苦しい…息が出来ない…誰か助けて…)
「ジュリ…ア…様…助…けて……」
私は助けを求めて縋るような目でジュリア様を見るが、ジュリア様は恐怖に怯え、ガタガタと震えていた。
「ヒッ…ご…ごめんなさい……」
ジュリア様は一言謝ると、逃げるようにこの場を立ち去った。
(行かないで……ジュリア様……)
だが私の願いは虚しく、足音は遠ざかる。
「アハハハッ!無様な姿ね!まるで腹を空かせた豚が一心不乱に貪り食う様だわ!」
「まぁメリナお姉様ったら、いくら本当のこととはいえお下品ですわよ。ふふふ」
二人は愉快そうに笑う。
私は早く終われと心の中で祈りながら、ただひたすら時が過ぎるのを待った。
***
「今日は、このくらいにしといてあげるわ」
メリナ様は満足げに笑う。
一方の私は、料理は飛び散り、髪は乱れ、顔はベタベタに汚れ、悲惨な状況だった。
「汚いわね」
チェリッシュ様はまるで汚物でも見るような目で私を見る。
私は悲痛な思いを二人に吐露した。
「メリナ様…こんなのあんまりですわ……私と友達になりたいというのは嘘だったのですか?チェリッシュ様もいつか一緒に桜ノ国の料理を食べようと言ってくれたではありませんか……」
「ふんっ!このわたくしが生の魚を食べるような野蛮な国の料理など口にする訳ありませんわ。ねえメリナお姉様?」
チェリッシュ様は同意を求めるように、メリナ様に問い掛ける。
「チェリッシュの言う通りよ。わたくし達が本気であなたのような田舎者の姫と友達になりたいとでも?残念ながらあなたは、高貴なわたくし達とは不釣り合いよ!!」
(滑稽ね…少しでも仲良くなれるかもしれないなどと思った自分が愚かだったわ。もう二度と甘い期待など抱いたりしないわ!!)
私は、そう固く誓った。
「残骸はあなたが片付けておきなさい。チェリッシュ!行くわよ!」
「はい!メリナお姉様!」
二人は放心状態の私をよに、部屋を立ち去る。
「ハハッ…アハハハハ」
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