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第23話 不穏の影、祈る少女
しおりを挟む春の昼下がり、心地の良い天気が見える窓を背に正道院長イライザは、深刻そうな表情で机の上で両手を汲む。
正道院室に呼ばれたエレノアが告げられたのは、貴族向けのマドレーヌ通称「公爵令嬢のマドレーヌ」の注文数が減少したという話だ。それも急激に断りの手紙が届き、注文の話が消えたという。
「確かにおかしな話ですね。注文はこちらから数を制限していたはず、それなのにあちらからお断りの連絡が入るなんて……何か商品に不備でも?」
生産数が限られるエレノアが作製したマドレーヌは、つい数日前まで平民研修士ラディリスが作製したものならばお譲りできる。そうイライザが慌てて手紙にして送ったばかりなのだ。
それが急に話がなくなるのは、何らかの問題があったということが思い浮かぶ。
だが、イライザは首を振る。
「そのような苦情は一切頂いておりません。皆さん、魔法鳥を使った手紙をお送りになっていることから、急遽決断なさったようなの」
「それは……何らかの力が働いたということでしょうか」
エレノアの問いかけに、正道院長イライザの表情が硬くなる。
彼女の言う通り、貴族向けのものだけに急な注文の断りが続いているのは、彼らに何らかの圧力がかけられている、もしくはそうさせるような何かがあった。そう考えるのが自然なことだ。
「その可能性は高いのですが……何しろ突然のことで、情報も十分に集まっていません。ですが、今後のこともあるので、現状の報告だけしようとあなたには来てもらったのです」
「……わかりました。お気遣いありがとうございます。私の方でも家族と連絡を取ってみます」
「えぇ、お願いします」
どんな意図かはわからないが、誰かの意志が働いているのであれば、警戒する必要がある。
正道院長室を後にしたエレノアは小さくため息を溢す。
役目を見つけたと思ったものの、自分が携わることでかえって「聖なる甘味」を広げることが困難になるのではないか。そんな懸念を抱いたのだ。
「いけないな。出来ることがなくなったわけじゃないんだから、しっかりしないと」
貴族向けの菓子の販売はしばらく注文がないだろうが、正道院での菓子の販売、また新たな菓子の開発は出来るのだ。
そんな菓子を楽しみにし、正道院に訪れる者がいる。そして、そんな人々が祈祷舎で祈りを捧げることは、世界の安寧に繋がるとシルバーは言う。
落ち込みかけた気持ちを切り替え、エレノアは自室へと戻るのだった。
*****
自室でエレノアを待ち構えていたのは、緊張した様子で固まった薄青色の頭巾のラディリスの少女だ。
カミラに視線で問うと、こちらに近付いてきて小声で「先日、エレノアさまがラスクを祈祷舎にとおっしゃったときに、受け取ったのが彼女です」と伝える。
どうやら、その礼を伝えに訪れたらしい。
「はじめまして、あなたが毎晩、祈祷舎で祈っていた方ね」
「は、はい! その、私には祈ることしか出来ませんので!」
緊張した様子の少女はエレノアの問いかけに、上ずった声で答える。
ストロベリーブロンドの髪に青い瞳の愛らしい少女は、体にぎゅっと力を入れているのが一目でわかる。どうやら、過度に緊張してしまっているようだ。
「いえ、ひたむきに祈るなんて誰にでも出来ることではないわ。夜、廊下を通る際に見える灯りに私も感銘を受けたのよ」
「そんな、御恐れ多いことです! ……でも私、間違っていたのだと思います。祈る力が聖女を育てる――そう教わって、それを信じてきました」
聖女は正道院から生まれる――そんな伝承を皆が、様々な形に解釈する。
正道院は研修士たちに祈ることを求め、貴族たちは献金や娘をあえて一時的に正道院に預けるなど皆、必死だ。
平民研修士である彼女もまた、それを信じ、神に祈ってきたのだろう。
「でも、不安しかありませんでした。私の願いは聖女になりたいがゆえの願い。そんな不純な願いが神に届くわけなかったんです」
「……あなたはそう感じたのね」
エレノアは彼女の考えを否定も肯定もしない。
事実、シルバーはエレノアの願いを純粋なものとして捉えたのだ。そこには聖女に対する関心のなさも無欲さとして映ったのだろう。
「申し遅れました。私はリリーと申します。あのお菓子、凄く美味しかったです。朝食に出てきたパンと一緒なのに、美味しくってびっくりして! ……何より、見知らぬ私へのお心遣いが嬉しかったです」
嬉しそうにこちらに伝える様子は微笑ましい。何より素直な感想は、作ったエレノアにとっても嬉しいものだ。
緊張しつつも、その礼を伝えに来る彼女にエレノアは好感を抱く。
「いえ、私こそそう言って貰えて嬉しいわ」
「聖なる甘味を復活させたコールマンさまみたいに、私ももっと実際に行動に移して皆を笑顔にしたい。祈ることだけじゃ、届かないこともあるって教わった思いなんです。お菓子も、気付かせていただいたことも感謝しています!」
そう言ってリリーはぺこりと頭を下げる。どこまでも素直な少女の態度に、エレノアは口元が緩む。マーサもそうだが、リリーもまたどこか純朴で放っておけない雰囲気がある。
「もし、よかったらグレースさんにお話を聞いてみたらどうかしら。まだ、お菓子作りの子たちが足りていないみたいなの」
「っ! ありがとうございます。私、グレースさまに聞いてみますね!」
表情を明るくするリリーにエレノアは微笑む。
そんなエレノアを、キラキラと目を輝かせてリリーは見つめる。
彼女がこの部屋に通された後、過度に緊張していたのは身分の差のみが理由ではない。彼女が座ったソファーの向かいには、ソファーでまったりと寛ぐ白い狐がいたのだ。白い狐は神の遣い、つまりエレノアが聖女であるという証だ。
突然訪れたにもかかわらず、聖女であり公爵令嬢のエレノアはリリーに微笑みを向け、その願いを叶える近道を教えてくれた。
エレノアのメイドは「白い野犬を放っておけずお嬢さまが拾ったのですよ」そう言っていたが、きゅうきゅうと抗議するその姿は狐に間違いないとリリーは思う。
だが、メイドが隠すという事は聖女であることを公表する気はないということ、であればその秘密をリリーも守りたいと思ったのだ。
「本当に、ありがとうございました! 私、頑張ります。少しでもコールマンさまの御力になれるように!」
「えっと、そのお気持ちは嬉しいわ。お菓子作り、頑張りましょうね」
「はい! それでは失礼いたします!」
ぺこりと頭を下げて、リリーは部屋を後にする。
菓子作りは人々を笑顔にし、聖女であるエレノアの力にもなれる。そんな思いから、リリーは意欲的だ。
そんな姿はエレノアの目には清々しく映る。目標に向かい、努力する。よく耳に知る言葉だが、それは困難なことでもあるのだ。
思いがけない来訪者にカミラと目を合わせたエレノアはくすくすと笑う。
リリーの懸命な姿に、エレノアの少し沈みかけた気持ちも軽くなる。
心機一転、注文の入らないこの時間で新たな菓子を考え出そう。そう考えるエレノアであった。
*****
菓子を考えるエレノアにカミラは紅茶を用意している。
エレノアが魔法で創りだした厨房は、機能的で使いやすい。
流石、我が主人は魔法の才も突出して優れている。神とやらが評価するのも当然のことだとエレノアの力に感服する。
真剣なエレノアの表情は、ひたむきで美しい。そんな主の姿に内心で絶賛の声を上げるカミラに、ドアを叩く音が聞こえた。
扉を開けると、申し訳なさそうな表情でマーサが立っている。
そんな表情を浮かべる理由がわからないカミラに、消え入りそうな小さな声でマーサが話しかける。
「あの、お願いがあって参りました」
カミラが怪訝な表情に変わる。
マーサの様子から無理な話をしようとしているのが察せられたからだ。
そんなカミラの表情に、マーサは慌てて言葉を続ける。無作法だが、それを知っていても、これはどうしてもエレノアに伝えて貰わなければならない事柄なのだ。
「お嬢さまが、スカーレットさまがコールマン公爵令嬢にお会いしたいとのことです。どうか、その許可を頂きたく参りました。どうしても、お伝えしたいことがあるそうなのです」
「……クーパー侯爵令嬢が、ですか」
マーサたちの主であり、事件のせいで周囲からも距離を置かれている令嬢スカーレット、そんな彼女がエレノアに面会を求めている。
それがエレノアにとって、朗報とは思えないが詳細を聴く必要はあるだろう。
「わかりました。エレノアさまにお伝えいたします」
「……ありがとうございます!」
必死な様子から、マーサにとってスカーレットが大事な主人であることが伝わる。それはエレノアを思うカミラとて同じこと、気持ちはわからないでもない。
マーサの懸命さは買うが、カミラにとって大事なのはエレノアだ。
そんな主人にとって、スカーレットとの面会がどのような結果をもたらすのか、カミラは不安を抱きつつ、エレノアにマーサの来訪とスカーレットからの面会の許可を伝えるのだった。
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