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16:それぞれの品格(下)
しおりを挟む綺麗な顔を歪めて嘲笑を浮かべて自分を見下ろす女性を、
私は暫し呆然と見上げた。
「ディ…お嬢様大丈夫ですか?!どこかお怪我は!!?」
しゃがんで床に倒された私の身体を支えて起こしながら声をかけてくれるララ様に返事を返すことも忘れて女性をぽかんと見上げて固まる。
私の様子を確認した後、キッと女性へと鋭い眼差しを送るララ様。
「ソリュー様。失礼ながら一体どういうつもりなのですか。
閣下自らが連れてこられ当屋敷に逗留されているお嬢様にこのような無体を…。
いくらジノリ侯爵家ご令嬢といえども無礼が過ぎます!!」
(ソリュー…様。ジノリ侯爵家ご令嬢…なのですか…)
床に座り込む私を、未だニヤニヤと見下ろしているこの女性の名を、
ララ様の言葉で初めて知った。
そもそも名乗られてすらいなかったことを遅ればせながら理解したものの、
隣でその女性へ猛然と抗議するララ様の剣幕に、胸ぐらを掴まれ床に投げ倒されたことも、それを自身で抗議することも忘れてしまった。
ララ様の剣幕をまるでそよとも感じていないかのように
ソリューはふん、と鼻を鳴らす。
「無体?無礼ぃ??
私が。
その骨女にどんな無礼を働いたというのよ。
無礼というなら…閣下に拾われていいもの与えられて調子に乗っているその平民女が高位貴族である私を見下ろす、という行為こそが無礼じゃないの!!
ハッ!身分不相応な物を身に着けただけで自分も高貴な存在だとでも勘違いしてるんじゃないかしら?
寧ろ彼女の正しい立ち位置を教えてあげたことに感謝してほしいわ!!」
「ソリュー様…貴女というお人は、どこまで……」
端から私を自分より下層階級の人間と見下して嗤うソリューに
ララ様が血管が切れそうなほどに顔を歪めてなおも何かを続けようとしたのを察し、彼女の皺のある温かな手に自身の手を添えて視線で止めると、悔しそうに口を噤んだ。
(ーーありがとう、私の代わりに怒ってくれて…)
私の母国でも。
いや、この世界のどこでも、身分というものは絶対だ。
下級貴族が滅多なことで高位貴族に逆らえないように、平民が貴族に逆らうのはそれこそ命がけ。
ましてやソリューは侯爵家だという。
対して私はただ公爵家に世話になっている客人だ。
それもジル様の“番”である、それだけの理由で。
獣人社会の中でも今は番をそれほど重要視していない者が多いと、ララ様は言っていた。
きっとこの女性…ソリューもそうなのだろう。
今も、ララ様と私が黙っていることをいいことに、
自身がいかにジル様に相応しい身分の女なのかや公爵家と侯爵家が繋がりを持つことの素晴らしさを声高に喋っている。
こういった女性は、母国にいた頃何度も何度も相対したことがある。
中位貴族である伯爵家の者でありながら王太子殿下の婚約者となった不相応な女、と。
であるならば、私は。
(……未だ、ジル様に答えをもらってはいないけれど。それでも私は)
ここで過ごす中、もうある程度覚悟も気持ちも固まっているのだ。
冤罪とはいえ、一度は罪人の烙印を押された身。
だが少なくとも。
(この人よりは望まれてここにいる……!!)
「お、お嬢様……?」
足に力を入れてゆっくりと立ち上がる私を気遣うララ様ににこりと笑みを返すと、
背筋を伸ばして立ち、両手を前に合わせて殊更にっこりと笑う。
そうして喉に力を入れーー
「未だ本調子ではないことを理由に不躾にも筆談で会話しようとしたこと、
深く謝罪いたしますわ」
謝罪、と言いつつ頭を下げることなく。
どころか何やら負に落ちないと言わんばかりに口元に片手を当てて首を傾げ。
「ところで。
閣下より誰ぞかのご訪問は伺ってはいませんでしたが…
先触れのない突然のご訪問といい、まかりなりにも礼をする相手に対して名乗ることもせずに大声で叱り付けてお笑いになられるとは。
ビルスト国の淑女マナーとは大変変わっていらっしゃいますのね?」
心の底から驚きました、と淡々と、自らの口で告げた。
===
「なっ!?」
「お、嬢様。お声が……?」
「ああララ様、驚かせてすみませんでした。
本当は本日、閣下がお戻りになられた際に驚かそうと、
あえて声が戻ったことを黙っていたの。
許してもらえるかしら?」
「え?ええ!それはもう、大変喜ばしいことですから!」
「ふふっ、ありがとう」
(まぁ、本調子ではないのも事実なのだけれど、ね)
そうーー
実はもう、声は大分出せるようになっていたのだ。
声を出す際、まだ痛みは感じるものの、
そこまで大きな声を出すのでなければ声を発しても支障はない。
ただ、ジル様の答えを聞くまではと、声が出ることを黙っていたに過ぎない。
ソリュー様相手に声を出さなかった理由は、単に彼女がどうみても公爵家にとって招かざる客であった、それだけだった。
「こ、侯爵家長子である私に…なんて無礼な物言いを!!
それに声が出るなら何故初めから普通に話さなかったのよ!?
筆談など…っ、馬鹿にして!!っ聞いているの!?」
私が発した嫌味ったらしい第一声も、自分そっちのけでメイドと会話を続けているのもお気に召さなかったのだろう。
すぐにまた大声でこちらを非難し始めた彼女に、思わずくすりと笑いが漏れてしまった。
「!?何がおかしいというの!?」
「っふ……いえ、失礼。
未だ貴女様の名すら知らぬ無知な私ではありますが。
私の物言いが無礼であると言いながらなお、同様の発言をされるので…
これはやはり、ビルスト国のマナーが私の母国とは全く違うのだと感心いたしましたの。
大変勉強になりますわ」
※要約※あらごめんなさい?
でも貴女まだ名乗ってもないからどこの誰だか…。
にしても無礼だと言いながらまた同じように恫喝するのね?
淑女としての品格が足りないのでは?
隣でブハッッとララ様が堪え切れぬとばかりに吹き出したのを耳にして、
悪鬼の如く赤黒い顔色で憤怒に震えるソリュー様。
嫌味が過ぎたかしら?
そう思ったものの、きっとどんな言い回しをしたところでこの女性は怒りを露わにしただろう。
怒鳴り込んできた彼女の様子から見るに、
私という存在そのものが気に入らないようだから。
(でも仮にも敵として見ている私の前で、
そんな簡単に感情を露わにしてしまうようでは貴族社会は生き抜けないと思いますよ、ソリュー様?)
母国では何年も魑魅魍魎の巣窟たる城で貴族たちと渡り合ってきたのだ。
己の心内を少しでも言葉にのせてしまったり感情が表情に滲めば揚げ足を取られる。
中位貴族家生まれの自分ですら知っていて気をつけていることを実践できていない時点で正直相手にもならない。
堂々と佇む私に我慢できなくなったのか。
「あんたなんて……」
「ーーはい?」
「あんたなんて…あんたさえ現れなければっ閣下は私のものになったのに!!
消えて!消えなさいよ!!」
そうしてまた獣人特有の素早さを生かして私に手を振るおうと振りかぶった。
先ほどは余程不意を突かれたのだろう、今度はララ様やサマンサさんが素早く私の前に立って庇い、どころか応戦の用意まで済ませている。
私を庇うララ様の腕と、ソリュー様の手が振り下ろされて接触するその寸前。
「私の屋敷で何を騒いでいる」
扉が大きく開け放たれると同時、
低く冷たい、それでいて知った人物の声が応接室に響いた。
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