ソードゲーム2

妄想聖人

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語り継がれる者 1

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 プロローグ


 パキスタン パーク村

「ありがとうございます」
 英語でお礼を述べた文化人類学者のルイザ・ロッソは、村の長老の前に置いていたボイスレコーダーを手に取り、録音ボタンを押して停止させた。念のために、再生ボタンを押した。今、交わされた会話がちゃんと記録されていた。不備がなかったことに、彼女は満足感を覚えてポケットに入れた。良い論文を書けそうな予感がした。
「またお話を伺ってもよろしいですか?」
長老は皺だらけの顔で笑顔を浮かべた。口を開くと、数えるぐらいしか残っていない歯が垣間見え、全て黄ばんでいる。長老は高齢の男性で、頭髪は薄いが、白い髭はサンタクロースのようにふさふさだ。やせ細っているが、まだまだ元気そうに見える。
 快諾を得たルイザは気を良くして長老の家を後にした。
外に出ると、乾燥した空気と熱気に包まれた。
 ここはパキスタン北部でも更に北にあって、地図で見るとアフガニスタンとの国境に近い辺境の村だ。イタリアのローマで生まれ育った彼女からすれば、時代に取り残された寂れた村に見える。都会的なローマと違い、不自由ばかりだが、そこが良かった。ローマでは絶対に見ない様式の家々。ローマでは考えられないような伝統や文化。人が住めるような環境とは思えないのに、暮らしている人々。同じ人間なのに、どうして地域が違うだけで、ここまで変化に富むのだろうか。この違いに強い興味を惹かれ、面白いと思ったのが文化人類学者を志したきっかけだった。今は世界各地の少数民族の文化をテーマにしている。誰もが知っているような文化を調査するより、誰も知らないような部族の文化を知る方が面白い。
 ルイザは足取り軽くホームステイ先に戻る。他の人類文化学者がどのように調査しているのか知らないが、その土地の文化を正しく理解するためには、その土地で過ごすのが一番。というのが彼女の持論だ。正直に言えば不安はあった。パキスタンは、イスラム教の教えが強い力を持っており、女性蔑視の傾向が強い。女という理由だけでまともに相手にされないと覚悟していた。しかもキリスト教圏からやってきた白人だ。ルイザ自身は熱心な信者ではないが、向こうからすればそんなのは関係ない。迫害されるかもしれないと思っていたが、それは杞憂で終わった。この村の人たちは良い人が多い。まず長老が快く受け入れてくれたので、大多数の村人は彼女に対して友好的だ。これが一番大きいだろう。だから井戸の傍で洗濯している女性たちに、挨拶してもちゃんと返事をしてくれる。子供たちも素直で可愛い。それでも彼女に対して、差別的な目を向けて来る人たち――主に成人男性――もいるが、全体から見れば本当に一部の人たちで、長老のおかげで表立って何かをされる心配はない。こんな狭い世界でもコネクションの力は絶大だ。こちらとしては、人類、皆兄弟ぐらいの感覚で仲良くやりたいのだが。
「先生。先生」と子供たちがルイザの元へ群がってきた。
ルイザは子供たちを見回した。誰もが期待に満ちた目をしている。何を期待されているのかわかっているが、わざと尋ねる。「どうしたのかな?」
「勉強を教えて」男の子の一人が言うと、他の子も口々に「勉強を教えて」と言った。
ルイザはお世話になる見返りに子供たちに勉強を教えている。この村に学校はない。一番近い学校まで、片道百キロぐらいある。これが、ルイザが一部の男たちから良く思われていない理由の一つだ。勉強を教えること自体は問題ないのだが、この中には女児もいるのだ。男女同権の中で育ったルイザからすれば理解できない考えだが、過激な人に言わせれば、女が教育を受けるなど許しがたい罪らしい。
「今日も楽しく授業をしましょう」
 笑顔で言うと、子供たちは歓声を上げた。早速、論文に取り掛かりたいのだが、これは損得なしで楽しいので、自分のことは後回しにする。問題があるとすれば、授業に使う道具がないことだが、これは些細な問題であった。その辺に落ちている石を手に取り、地面に文字を書けばいいのだ。ルイザに倣って、子供たちも石を探して手に取った。青空教室でも十分、子供たちに勉強を教えることができる。
「昨日の続きをします」
 ルイザは地面に英語の単語を書いた。パキスタンでは、英語とウルドゥー語が公用語として用いられている。英語が公用語なのは、イギリスによる植民地時代の名残だろう。帝国主義時代を負の歴史と捉えた場合、現地の文化を破壊したような気持ちになり嫌になるが、言語の壁にぶつからなくて済むのは、素直にありがたいことだった。実のところ、調査資金は乏しく、通訳を長期間雇うような余裕はない。逆にウルドゥー語を教えてと言われても困り果てるだけだった。言語の成り立ちは説明できるが、単語や文法は知らないので教えることはできない。ルイザが教えているのは、英語と算数と小学生レベルの理科と、簡単なパキスタンの近代史だけだった。大学を卒業したとはいえ、それ以外を教えるには、専門的な知識が足りない。
 ルイザは子供たちを見回した。地面に向かって熱心に英語の文法を書いている。教師の真似事をして知ったことだが、生徒にやる気があると、教え甲斐があって楽しいし、嬉しくなる。充実した一時を過ごせる。加えて、もしかしたら、この中から将来、歴史に名を残すような大人物が登場するかもしれない。そう思うと、教師というのは、夢のある職業に思えてきた。転職する気はないが。
 先生たちもこんな気持ちだったのかな?
 自分が学生だった頃の、教師の気持ちに思いを馳せた。
「できました」子供の一人が手を挙げた。
「惜しい」ルイザは地面に書かれた単語の一つを手で消してから、正しい綴りを書いた。「慌てなくていいからね」やんわりと注意すると、どこから小さな笑い声が漏れた。注意された子供は顔を赤くした。
「笑うな!」
「怒らないの」ルイザは窘めた。だが教師の真似事をするようになって知ったことだが、片方だけを叱ると、子供心に不公平感が生じ怒りやすくなる。とても大袈裟に言えば、学級崩壊に繋がる。笑った生徒も注意する。「誰だって失敗するんだから、笑ってはいけません」
「はーい」子供たちは返事をした。
 素直って可愛い。と改めて思った。
 楽しくも充実した一時を過ごしてから、ルイザは子供たちと別れた。子供とはいえ、この村では立派な労働力であり、一日中勉強を教えることはできない。家の仕事をしないといけない。別れる前に宿題を与えた。英語で自己紹介文を作成し、次の授業で発表するというものだ。狙いは、英文の上達だ。
 ルイザは今度こそホームステイ先に戻った。彼女がお世話になっている家は、この村で唯一、現代化が進んでいると言っても過言ではない。家の屋根にはアンテナが設置してあり、脇には小さな太陽光発電装置が直立不動で刺さっており、電気を通すコードが家の中に伸びている。この光景を見る度に、妙なアンバランスさがあり、言葉にし難い何かを感じてしまうが、大きな利点があるのでありがたかった。ローマにいる両親や友達と連絡を取り合えることだった。
 家の中に入ったルイザ。家の住人は誰もいなかった。まだ働いている時間だ。家の間取りは1LDKだが、かなり広く七、八人が並んで寝てもまだ余裕がある。ルイザは自分のナップザックの隣に座って、タブレットを取り出した。書きかけの論文を起動させた。ポケットからボイスレコーダーを取り出して、再生ボタンを押した。長老の話を聞き直してから、論文に取り掛かる。この論文は佳境に入っており、次の取材で完成するだろう。つまりそれは同時に子供たちの授業も次が最後になるだろう。一抹の寂しさはあるが、仕方ないことだった。
 集中して執筆していると、どこからともなく悲鳴が聞こえた。ルイザはびっくりしてタブレットから顔を挙げた。
「な、なに?」
 思わず周囲を見回した。家の中に居ても外の状況はわからない。気が動転しているルイザの耳朶に、あらゆる方向から挙がる悲鳴が届く。まるで悲鳴の大合唱だ。間違いなく村全体が何かに襲われている。
 もしかして武装勢力?
 現実味のある想像に、ルイザの顔は青ざめた。こっちは普通の学者なので、映画の学者のように、悪の組織と戦えない。この村に来るためにレンタルした車がある。それに乗れば逃げることはできるかもしれない。しかしこの村の人たち――特に子供たちを見捨てて一人だけ逃げることに躊躇した。そもそも車まで無事に辿り着けるかわからない。家から出た瞬間に銃を突きつけられるかもしれない。恐ろしい想像しかできなかった。
 どうしよう?
 目を右往左往させながら悩む。こうしている間にも、武装勢力は他に住民がいないか、一軒一軒を家探しするはずだ。早く行動を起こさないと捕まる。ルイザの両目がタブレットに向かった。しばし見つめてから閃いた。メールを起動させた。両親に助けを求めるべく、急いで文章を打って送信した。この文章を読めば、イタリア政府に助けを求めてくれるはずだ。両手でしっかりとタブレットを握って、送信画面を凝視する。普段だったら気にしないのに、送信時間が今はやけに長く感じる。
「早く。早く」
無意識の内に呟いていた。送信が完了したのを見届けて、息を吐いた。これで一応安心できる要素ができた。ただし彼女は一つだけ間違いを犯した。とても慌てていたため、メールを送った相手は、両親ではなく友達のノートパソコンだった。ルイザは次に何をできるのか考えた。タブレットの動画機能を起動させた。記録を撮っておけば、何かの役に立つかもしれない。全く役に立たない可能性もあるが、何がどう作用するのかわからないので、やっておく価値はあるはずだ。問題はどうやって外の状況を撮影するかだ。武装勢力に気付かれずに行うのは無理だろう。
どうしよう?
と悩んでいると、家の壁が崩落した。舞い上がる砂煙に襲われ、咄嗟に瞼を閉じて手で顔を守った。砂が鼻腔に入り込み激しく咳き込んだ。煙が落ち着き瞼を開いた。何故か少しだけ暗くなっていた。すぐ傍で荒い鼻息が聞こえる。恐る恐るそちらにタブレットと一緒に上体を向けた。それを視界に収めた時、ルイザの両目は限界まで開き、腹の底から悲鳴を挙げた。


 イタリア ローマ

 ルクレティア・デ・サンティスはうきうきした足取りで目的地へ向かう。今日はローマ大学時代の同級生と一緒に夕食を摂る予定なのだ。卒業してからも連絡は取り合っていたが、直接会うのは久しぶりで、楽しい時間を過ごせる予感に、今日という日をとても楽しみにしていた。集合場所は、学生時代に何度も利用していたレストラン。友達との思い出が詰まった場所で、話に華が咲くのは間違いなかった。日本語で言えば、プチ同窓会兼女子会だ。
一人の男が近寄って声をかけてきたが、ティアは一瞥すらしなかった。どういう要件か想像できたからだ。思った通りナンパしてきた。人生で初めてのナンパではない。これまで、何度も経験している。徹頭徹尾、無視しているのに、男は引き下がらない。内心で呆れ果てた。脈がないのは明白なのに、どうしてしつこいのだろうか。ここまで鬱陶しいと楽しみに水を差されたような気分になり、ふつふつと怒りが湧いてきた。汚い言葉で追い払いたい衝動に駆られた。仮に用事がなかったとしても、彼女は相手をする気はない。怒りをぐっと堪えて、スマートな方法で追い払うことにした。男に左手を見せた。薬指には銀製の婚約指輪が嵌めてある。婚約者がいるのに、他の男の誘いを受けるような不貞ではないのだ。指輪を見て、男は残念そうに肩を落として去った。ようやく煩わしさから解放され、晴れやかな気持ちになった。またナンパされるのは嫌なので、速足でレストランへ向かった。
レストランの外装は昔と変わらない。というか、今もちょくちょく利用しているので、変わっていないのは知っている。それでも友達との再会を祝うと思うと、変わっていないのは嬉しい。入店してから友達を探した。目が真っ先に向かったのは、頻繁に利用していた窓際の席だった。あの頃を再現しようと、誰かが確保していると思いたかったが、肩を落としそうになった。どこかの親子が既に使っているのだ。
「ティア」
 知っている声が愛称を呼んだ。親しい友人は、愛称のティアと呼ぶ。そちらに顔を向けて破顔した。友達は全員揃っていた。友達の元へ向かい、空いている席に座った。
「ティアが最後に到着したから、ここはティアの奢りね」友達の一人がウエイターを呼んで、ワインと料理を注文した。
「いつからそんな決まりができたの?」少なくとも、ティアの記憶では学生時代にそんなルールはない。
「今思いついた」
 おどける姿にティアは微笑を浮かべた。ティアは改めて友人たちを見回す。懐かしい面々であるが、少しだけ残念な気持ちになった。
「ルイザも来られたらよかったのに」
 思わず口から零れた。それはこの場にいる全員が思っていることで、残念そうな顔を浮かべた。
「確か…パキスタンの秘境に居るんだっけ?」友達の一人が言った。
「そう言われると人類文化学者っていうより冒険家みたい」
「ルイザのテーマを考えると似たようなものじゃない?」
「冒険家ルイザ?似合わないけど、帰ってきたら冒険譚でも聞かせてもらう。っていうのはどう?」
「いいね」ティアは素晴らしい提案にすぐに賛成した。暗にまた集まろうという気遣いだった。反対する理由がない。
ウエイターが人数分のワイングラスと一本のボトル持ってきて、テーブルの上に置いていった。近くの友達が、グラスを一人一人に回した。ワインは一人ずつ自分で注いだ。白い液体がグラスを満たしていく。
「再会を祝して乾杯」友達の一人が音頭を取った。グラスが触れ合う音が鳴った。
ティアたちは近況を報告してから、雑談をしながら冗談を交えて笑いあう。その合間に料理に舌鼓を打つ。食べ慣れた味であるが、今夜はいつもより美味しく感じた。
「ティアに聞きたいことがあるんだけど」宴もたけなわな頃に、友達の一人が言った。
「なにかな?」酒が回りほろ酔い気分のティア。
「あの人は新しい彼氏なの?」
 全員の目が一斉にティアに向けられた。当の本人は心当たりがなく、首を傾げた。
「私が婚約しているのは知っているでしょう。新しい彼氏はいないよ」
全員に見えるように、左手の薬指に嵌めてある婚約指輪を見せた。不貞を疑われたようで、少しだけ気分が悪くなった。
「そっか。私の勘違いか」
「どうして勘違いしたの?」今後、変な勘違いをされないように、この件はしっかりと決着をつけておく必要性がある。
「この前、偶然見たんだけど、白い……中国人かな?その人と一緒に歩いていたでしょ。なんとなくただの友達っていう風に見えなかったから、あれ?新しい彼氏?って思ったの」
 その人には心当たりがあるが、その前に一つだけ訂正しないといけない。
「彼は中国人じゃなくて日本人。彼は大切な友人の一人だから」そしてその分析はあながち間違っていない。ある意味、特別な関係である。
「ふーん。その人って刺激的なの?」友達の一人が興味を惹かれた。この友人は刺激的な男性が好みなのだ。
 刺激的と言えば、刺激的な人生を歩んでいるが、友人が求めている刺激とは全くの別物なのは容易に想像できる。
「普段はすごく子供っぽいよ。子供がそのまま成長したら、こんな風になるのかなって思うところもあるし」
「なんだ」すっかり興味を失った。
「でも」友人の名誉を守るために付け加える。「いざとなったら本当に頼りになるよ」
何故かわからないが、友人たちは、ティアの顔を凝視していた。
「ど、どうしたの?」若干、気後れした。
「本当に新しい彼氏じゃないの?」
「違うって言ったでしょ」
「そんな風に見えなかったんですけど」
 だとすれば、それは彼を取り巻く状況に巻き込まれ、共に乗り越えたからだろう。それはこの場で話すような内容ではないし、下手に口にしたら、大切な友人たちも巻き込まれるかもしれないので話せない。
「ワインの飲み過ぎで、妙なフィルターでもかかっているんじゃないの?」
「そうなのかな」そこを突かれると自信を持てない。
「きっとそうだよ」
 この話はここで終わった。それから少し雑談をしてから集まりはお開きになった。また時間を会わせて集まる約束をしてからそれぞれ帰路に就いた。火照った体に当たる夜風が気持ち良く、少し遠回りして帰ろうかなと考えたが止めた。今夜は良い夢を見れそうなので、早くベッドに潜り込みたかった。
何事もなくアパートの自室に戻ってきたティア。電気を付けてから、バスルームへ向かった。シャワーを全身で浴びて、汗や汚れ、臭いを落とした。ガウンを着て出てきたティアは、就寝する前にノートパソコンを持って、ベッドの上で起動させた。今夜来ることが叶わなかった友達から、メールが来てないか確認するためだ。今夜集まることは知っているので、何かしらのメールを送ってきてないかと期待した。調べてみたら期待通りに届いていた。微笑を浮かべながら、中身を開いた。短い文章だった。ティアは読んでから目を擦った。
思っている以上に、酔っているみたい。
読み間違えてしまったのだろうと、今度はしっかり読んだ。念のためもう一回読んだ。読み間違えではなかった。
「……嘘…」酔いが一瞬にして醒めた。
 画面にはこう記載されていた。『武装勢力に襲われてる。助けて』
 ティアは急いで電話を手に取った。


~語り継がれる者~


 イタリア ローマ

 金持ちの考えはわからない。
 その最たる例は、大食堂の広さだ。数十人が一堂に会せそうだ。天井も首を傾げたくなるほど高い。全体的に無駄としか思えない。だが、理解できないからといって、悪いことはない。これだけ広いと、仲間たちが一堂に会して食事を摂れるからだ。この一点が、この大食堂の良さだと物部真白は思っている。真白は黒い瞳と赤い唇を除けば、全てが白い白変種だ。真白という名前は、この外見が由来だ。
 今日の朝食は、白米、味噌汁、焼き鮭、焼き海苔に漬物と、洋館には似つかわしくない和風な献立だ。
 無駄に長いと思える机の上座の真白は、向かって左側の椅子に座る青津友紀を一瞥した。友紀は、真白の妹分であり、綺麗な黒髪をショートヘアーにした美少女だ。今日の献立は彼女が中心になって作ったのだとわかった。妹分は、母親に料理を仕込まれたので、和食は得意なのだ。
「今朝のデザートはなんだ?」真白は期待しながら訊いた。この男は三度の飯よりも甘い物が好きなのだ。三食全て、甘い物でいいと本気で思っている。以前、友紀に提案したら、真面目に叱られてしまったが。
「それは食後の楽しみだよ」
 軽くあしらわれたことに若干の不満があったが、その通りだと思い直して楽しみに待つことにした。真白と友紀は、両手を合わせて「いただきます」をした。他の三人は、何も言わずに食べ始めた。全員が揃っていれば賑やかな一時も、今は寂しい光景だ。家主である真白を含めても、五人しかいないからだ。他の仲間たちは、世界各地に散って、旅行のように何かをしている。
 真白は箸で切り分けた鮭を、熱々の白米の上に乗せてから口に運んだ。塩加減が丁度良く、ご飯が進む。幾らでも食べられそうだ。つまり、美味い。ふとある疑問を抱いた。「お前は何を手伝ったんだ?」
「鮭を焼いた」
向かって右側の椅子に座っているシ・ヌイが答えた。彼女は地味な見た目をしており、異性とは縁がなさそうに見えるが、最近知り合った、ある日本人男性とよく連絡を取り合っている。主に美味しい食べ物関係の話だが。その影響もあって今朝は和食なのかもしれない。
「だから美味しいのか」真白は納得した。彼女は仲間内では、料理長的な位置にいる。仲間内の中では、付き合いは長い方なので、好みは把握されている。
「ヌイは料理上手だよね。教わることが多いよ」友紀はヌイに尊敬の眼差しを向けた。和食しか作れなかった友紀からすると、様々な国の料理を作れる彼女は料理の師匠になる。
「褒めても、おかずが一品増えるだけだよ」ヌイは気を良くした。
「ずるい」
すかさず反応したのは真白だ。妹分である友紀のおかずを一品増やすのなら、兄貴分である自分のおかずも増やしてもらいたい。友紀だけ増やすなんて不公平だ。
「私が作ってあげるから」と友紀。
「それは楽しみだな。友紀の料理は全て美味いからな」
 絶賛された友紀は照れた。
「魚より肉が食いたかった」フォークで鮭を突きながら不満を漏らしたのは、ヌイの隣に座っているパノだ。見た目はどこからどう見ても屈強な男にしか見えないが、立派な女性だ。
「肉ばっかりだと栄養が偏るから駄目」
友紀が窘めた。その視線が用意した食事に注がれた。あまり減っていない。パノは健啖家なので、しっかり食べるのを知っている。
 人間の理屈がパノに当て嵌まるのか疑問に思いながら、真白は味噌汁を啜った。出汁が効いていて美味しい。この場にいる人間は、真白と友紀の二人だけで、他の三人――というか、仲間たちは、真白がこの宇宙の外側にある、別な宇宙のとある惑星を冒険した時に出会って、色々あった末に仲間として連れ帰ったのだ。仲間たちは、異宙人なのだ。
「口に合わなかった?」友紀は不安な面持ちで訊いた。
「質素過ぎて、物足りない……」パノは必要以上の力を入れてフォークで鮭を刺した。身が崩れた。
「ソーセージを焼いてくるよ」
「しなくていい」立ち上がろうとした友紀を真白は引き留めた。箸をご飯茶碗の上に置いてから、パノに厳しい視線を向ける。「友紀は俺たちの身を思って、料理を作ってくれたんだ。その思いやりにどうして文句をつける?」
「気持ちは嬉しいが、それだけじゃあ腹は膨れない。私は腹一杯食いたいんだ」
「ご飯のお変わりはあるだろ?」
 友紀は頷いた。
「米を食え。米を」
「この米って食い物は、味がなくて美味しくない」フォークで白米を突いた。
「贅沢な奴だな」
 真白は憤慨した。真白は時代から取り残された半農半猟の隠れ里で暮らしていたため、米は祝いの席でしか食べられない贅沢品だった。現代では、米は廃棄するぐらい、有り余っていることに、感動すると同時に衝撃を受けた。しかも、里で食べていたものよりも、ずっと美味しい。
「文句があるなら、自分で作れば?」とヌイが言った。
 パノは料理をしないし、できないので、料理長にこう言われると、反論できない。皆の胃袋を握っているので、仲間内での立場は強い。
パノは最後の悪あがきをするかのように、向かいの席に座るネルーに目を向けた。ネルーは立派な成人女性に見えるのだが、全体的に幼い雰囲気がある。会話には一切加わらず、スマートフォンの画面を見つめながら朝食を食べ、ソーシャルゲームの日課を消化中だ。
「お前はどう思うよ?」
「胃に入れば全部同じだから気にしない」料理人泣かせなことを言ったネルーは、ゲームを中断して、インターネットにアクセスした。
「いいかネルー。俺も昔はそう考えていた。だがな。胃に到着するまでの過程を考えると、やっぱり美味しい物を食べたい」
真白はネルーの意見に口を挟まずには入れなかった。思い出すのは、ヌイが初めて作った料理だ。死ぬほど不味かったわけでないのだが、二度と口にしたくないトラウマ料理だった。
「だよな」とパノは相槌を打った。真白は言ってから、しまったと後悔した。その気はなかったのに、思わず擁護してしまった。
「米に味噌汁をかけて食べると、美味しいってあるよ」ネルーはスマホの画面から目を離さずに言った。
「ほんとかよ……」
パノは疑いながらも、教えてもらった通り、ご飯に味噌汁をかけた。茶色い汁に浸かる白米を、スプーンでぐちゃぐちゃとかき混ぜてから口に運んだ。
「なんだこれ。美味いじゃねぇか」
 ぶっかけご飯。またの名を、猫まんまを気に入ったパノは、一気にかき込んで、「おかわり」と、友紀にご飯茶碗を突き出した。
 全員が朝食を食べ終わり、真白にとってはメインディッシュ――正しくはデザートだが――の時間になった。今朝は何を食べられるのだろうという、期待感で胸が一杯だ。早く糖分を摂取したくて、そわそわとその時を待つ。
「落ち着けよ」
 という、パノの言葉は右から左に流した。
 友紀がワゴンを押して、大食堂に戻ってきた。ワゴンには、皿の上でプルプルと踊るプリンが乗っている。しかもカラメルソースで化粧してない。変わりに、白いクリームで化粧している。
「ちょっと待ってくれ」デザートを置こうとする友紀を制止した。ワゴンの上に載っている、プリン(クリーム和え)をじっと見つめる。「このクリームが多いのを俺にくれ」
 明らかに一つだけ、他のよりクリームが増量されているプリンがある。
 友紀は微笑した。「これは最初からおにーさんのだから」
「流石、友紀だ」満面の笑みを浮かべた。
 真白はデザートが全員に行き渡るのを辛抱強く待ってから、小さなスプーンで掬って口に運んだ。口内に甘みが広がる至福の一時を楽しんでいた真白は、違和感を覚えた。
「思ったより甘くない……」
 見た目から連想されたイメージでは、プリンとクリームの二重の甘みが相乗効果を生み出し、常人であれば胸焼けを起こしそうな激甘な味になると思っていた。
「プリンには砂糖を入れてないから。クリームと合わせれば、丁度良い甘さになるはずだよ」と友紀が説明した。
 ちょっとだけしょんぼりした真白としては、それぞれに砂糖一袋を入れて良いと思っていた。しかし、これはこれでありなので、味わいつつ食した。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
 日本的なやり取りをした真白と友紀。
「終わったら、こっちを手伝ってね」
ヌイは友紀に言い残して、食堂を出て行った。後に続くように、げっぷをしたパノと、スマホを片時も離さないネルーも出て行った。自主的に残った真白は、片付けを手伝う。真白がワゴンを押して、友紀と一緒に使用した食器をワゴンに乗せ、一緒に台所へ向かった。
この屋敷の台所はアイランド式になっている。これはヌイたっての希望でこうなった。美味しい料理を食べられるならと、仲間内で反対意見は出なかった。一般家庭と比較すると、大きな違いは一つだけ。冷蔵庫が業務用という点だ。仲間全員が揃うと、大量の食材を消費する。補足しておくと、大食いが何人も居るのではなく、単純に人数が多いだけだ。市販の冷蔵庫では、買い置きしておいた食材がすぐになくなる。
食器を流し台に置いてから、真白は袖を捲った。スポンジに洗剤を付けて、数回揉んで泡立てる。
「今日も洗うぞ」
「割らないでよ」隣で乾いたタオルを手に取り、準備していた友紀は注意した。
「……はい」
 前科持ちは素直に返事をした。兎にも角にも汚れを落とせばいいんだろ。という感じで、力を入れて洗ったため、食器を破壊したことがあるのだ。
 真白は黙々と洗う。本当なら、こんな面倒なことをしなくていいのだ。これまたヌイたっての希望で、食器洗浄乾燥機が置いてあるからだ。料理長は美味しい物を食べるのが好きなので、その手段として料理をしているだけだ。根っからの料理好きというわけではないので、調理器具や食器の洗浄は、面倒な作業だと思っている。真白も面倒だと思っている。そんな面倒な作業を率先してやっている理由は二つ。
 一つは、料理という手間暇がかかる大変な作業を、いつもしてくれることへの感謝の気持ち。
 一つは――理由としては、こちらの方が大きい――可愛い妹分と一緒に過ごす時間を増やすためだ。友紀は日本にある実家を捨ててやって来た。彼女からすれば、イタリアは右も左もわからない未知の国であり、不安や寂しい思いをさせないように、できるだけ一緒に過ごすようにしている。しっかりしているように見えるが、まだ多感な十代の少女なのだ。今では、イタリアでの生活にも慣れてきて楽しんでいるようだ。それに加えて仲間たちもいるので、そういった感情はだいぶ和らいでいると思いたい。
「これはどこに片付ければいいんだ?」真白は綺麗に拭かれた茶碗の塔を持って訊いた。
「そこにお願い」
 友紀が指した食器棚を開けて置いた。
「今日もありがとうございました」友紀は感謝の言葉を述べた。
「どういたしまして」
 全ての片づけが終わり、二人は台所を出て別れた。
「どうしようかな」
 真白は呟いた。今日も遊びに出かけるのだが、まだその時間ではない。どうやって隙間時間を有効に使おうか考える。最初に思いついたのは読書だ。または、ディスカバリーチャンネルのDVD集を見るのもありだ。知識を増やすのが好きというか、自分が知らないことを知るのが楽しいのだ。どちらも甲乙つけ難い。もしくは、他の何かをするのもいい。楽しく悩みながら、廊下を歩いていると、パノに声をかけられる。
「腹ごなしの運動をしないか?」というお誘いだった。
「……いいぞ」
 二人は並んで歩く。その途中で、歩きスマホをしているネルーも合流した。三人で外へと向かった。
 庭はこの立派な屋敷の家格に釣り合うぐらい広い。全力は無理だとしても、伸び伸びと体を動かせる。ネルーは芝生の上に座り、屋敷の壁に凭れた。両目はスマホから離れない。今から体を動かすので、真白は入念なストレッチをする。パノは既にストレッチを終えていたようで、真白の準備が整うのを待っている。
「今日も遊びに出かけるから、簡単に済ませるぞ」
 真白とパノは、距離をとりながら庭の中央へと向かった。距離をとって対峙する二人。真白はすかさず、脳からA物質を放出して、全身に強化の魔術を施した。それを待っていたかのように、パノは人間では到底達することができない身体能力を駆使して地を蹴って一気に間合いを詰めた。真白は高速で放たれた拳打をかわした。プロの格闘家でもかわせない速度だ。真白は空いた胴に蹴りを放った。体を限界まで鍛えた人でも、一撃で沈む威力が籠っている。パノは反対の手で真白の足を掴んで、力任せに明後日の方に投げ飛ばした。相手の意図を察した真白は、反対の足に力を入れ、タイミングを合わせて自ら跳んだ。丹田に力を入れて宙で姿勢を直しつつ芝生の上に着地した。あの程度でどうにかできると思っていないパノは、間合いを詰めつつあった。真白は両の踵を僅かに浮かせた状態で待ち受ける。相手の攻撃の呼吸を測って、先に動いた。不意を付く形で先手を取られたことで、僅かに反応が遅れたパノ。二人の勝負では、致命的な一瞬であった。真白の拳がパノの顎の下に添えられた。
「俺の勝ちだな」
パノの顔を見上げて勝利宣言した。パノは悔しそうに顔を歪めた。彼女の高い身体能力は、そういう人型種族であり、彼女の故郷では、鍛えれば誰でも手にすることができるもので、特別なものではない。人間から見れば十分、特別であるが。真白は先祖が国津神という一点を除けば、普通の人間であり、魔術で強化しないと、そもそも相手にならないし、勝てるわけがない。見方を変えれば、人間とはそれぐらい貧弱な種族なのだ。
勘違いしそうなので、言っておくが、二人が行っていたのは、殺し合いでなければ、組手でもない。体が鈍らない様にするための、本当にただの運動だ。本当にこれが実践まがいの訓練であったなら、少量ながら血が流れていてもおかしくない。戦いとは想定していなかった時に、いきなり始まることもある。その時に備えて、体を動かしておく必要がある。だから、隙間時間を使って体を動かした。
「……くそっ!負けたよ!私の負けだ!」
十秒以上経ってから、ようやく自身の敗北を認めた。拳を引いてパノと離れた真白。勝ちを得たことで、気分を良くしたが、長続きしなかった。広い庭の惨状が嫌でも視界に入る。芝生の大部分が捲れ上がり、地面が剥き出しになっている。言葉を無くすような運動をすればこうなるのは分かっていた。張り替えないといけない。専門業者を呼べば、色々と楽かもしれないが、それはできなかった。真白にとって赤の他人は、敵同然の存在だからだ。業者を呼ぶくらいなら、自分たちで張り替えた方がマシなのだ。最初の頃は、初めての体験で、楽しく作業していたが、何度もやった今では面倒な作業でしかない。
「もう一勝負しようぜ」真白の心情を知らないパノは望んだ。自分から持ち出した提案なので大人しく引き下がれなかった。
「嫌だ」即答した。
別に運動をすることは問題ない。現代から取り残された物部の隠れ里で育った真白は、生まれた時から戦士になることを義務付けられて育てられた戦士だ。戦うことに抵抗はない。ただもう一戦して、無事な芝生まで滅茶苦茶にして、手間を増やしたくなかった。
「勝ち逃げはさせないぞ」
「これを見ろ」真白は庭を見るように促した。「俺たち二人で、張り替えないといけないんだぞ。手間を増やすような真似はやめようぜ」
「ここまでやったら、全面張り替えても手間は同じじゃないか?」
「同じじゃないはずだ」つまり気持ちの問題だ。
 パノは腕を組んで首を捻った。一応、納得してくれて安心した。目を屋敷の方に向けてネルーを視界に収めた。二人が運動をしているすぐそこで、微動だにせずゲームに集中している。彼女からすれば、この手の光景はもう日常の一部なのだろう。
「ネルー。頼みたいことが――」
「やだ」スマホの画面を真剣な目で見つめながら、同時に忙しそうに指を動かして返事をした。
「まだ言ってる最中だぞ」
「芝生の張り替えを手伝って言うつもりなんでしょう?」
「はい。その通りです」人手は多いに越したことはない。
「やだよ。この件に私は関係ないし」
「どうしても駄目か?」
「ゲームが忙しい」
 取り付く島がないので、真白は簡単に諦めた。駄目元だったので、期待はしていないし、落胆もしていない。真白は黙って被害の確認を行う。この屋敷は、真白たちの所有物ではない。デ・サンティス一族の所有物であるが、維持管理が大変という理由から現在は使われていない。それを好意で貸してもらっているだけの借家なのだ。そのためこの屋敷の維持管理は自分たちで行わないといけない。庭を荒れたままで放置するなど、相手の好意に唾を吐くようなものだ。そのような礼儀を欠く真似はできない。被害を細かく確認してから、必要な芝生の長さ、購入するための予算を頭の中で計算する。労働時間は計算しない。自由に使える時間は腐るほどあるので、一日で終わらなければ、次の日に持ち越せばいいだけだ。
「はーい。全員集合」
 玄関扉が開きヌイが庭に居る全員を呼び集めた。彼女の傍らには友紀がいる。
 真白は計算を中断して、すぐにヌイの元へ向かった。今日は待ちに待った特別な日なのだ。芝生のことは後で考えればいい。それはネルーも同じだった。普段ならきりの良いところまでやってから終えるゲームを、中断してヌイの元へ向かった。パノだけが普段と変わらない足取りだった。
 ヌイの前で三人は横一列に並んだ。
「今月のお小遣いを渡すよ」ヌイは言った。真白は小さなガッツポーズを取り、ネルーは「やった」と小さな歓声を上げた。
 神剣。
 この言葉は、物部真白の異名であり、山囲戦争で神剣を抜いたことに由来する。この知識は人類が抱えている課題の一つである、エネルギー問題を解決する可能性を秘めている。それは同時に世界秩序が刷新されることを意味する。そのため、真白が有する知識を各国は欲しがっていると同時に、危険視している。良くも悪くも各国から重要視されている人物にも、楽しみがある。月に一度のお小遣いの日だ。真白は金遣いが荒いため、財布を持たせてもらえないのでお小遣い制になっている。庶民感覚からすると、遊び人?と思えてしまう感じだ。ネルーも似たようなもので、彼女もお小遣い制になっている。そして今日が、待ちに待ったお小遣いの日なのである。今日に照準を定めて、真白はネルーと共に買い物に行く計画を立てていた。
 まずは真白がヌイの前に出て、お小遣いを受け取る瞬間をうきうきしながら待つ。ヌイは庭の惨状を一瞥してから、友紀から五百ユーロのうっすい束を受け取った。
「無駄遣いしちゃ駄目だからね。お小遣いの前借りはなしだからね」釘を刺してから手渡した。
「わかってるよ」暗に信頼されていないようで、不機嫌に答えた。
もう一度言うが、この二十六歳の成人男性は神剣の異名を取り、各国から良くも悪くも重要視されている人物である。
日本の一般家庭でならよく見られるようなやり取りに、友紀はくすくすと小さく笑った。本当なら友紀はヴァチカン市国で翻訳という仕事があるのだが、今日は有給休暇を取って、ヌイと買い物に行く約束をしていた。
真白は理由もなくお小遣いを天に翳して「おぉ……」と意味不明な声を出した。待ちに待った日なので、テンションがおかしくなっていた。これで買い物に行ける。欲しかったあれやこれやを買える。夢が広がる瞬間である。
「速く行こ」お小遣いを受け取ったネルーも、普段よりテンションが高い。
「行くか」笑顔で応じた。
「待った」今にも駆け出しそうな二人を、ヌイはパノにお小遣いを渡しながら静止した。出鼻を挫かれた二人は不機嫌そうにヌイに振り返った。また釘を刺すつもりなのだろうかと、身構えたが違った。
「私に言うことがあるんじゃない」ヌイは庭の惨状に目を向けた。
「あぁ……」真白はヌイから目を背けた。覚悟が決まるのに若干の時間が必要だった。「あのですねヌイさん」頭と腰を低くして、丁寧な言葉遣いを心がける。傍から見ると、悪いことをした子供が、保護者におずおずと打ち明けようとしているようだ。
「なにかな?」
「今日は運動をしましてね」
「それは見てわかるよ」
「それでですね。芝生の張り替えを行いたいんですけど」
「そう。頑張ってね」
「できれば、芝生代を出してもらえないでしょうか?」
この面子(友紀は除く)の中では、ヌイが一番しっかりした金銭感覚を身に着けているため、留守番で残った神剣一党の財布を預かっている。もし彼女が嫌だと言ったら、自分のお小遣いから芝生代を捻出しないといけない。それだけは何としても避けたい。買い物をしたいし、スイーツを堪能したいのだ。
 ヌイは真白をじっと見つめる。真白は無言の圧力に耐えられず、目を逸らしたくなったが堪えて見つめ返す。
 ヌイは腹の底から溜息をついた。「まあ、あんたたちの場合は仕方ないよね」
真白の顔がぱっと輝いた。
「維持費の中から出してあげる」
ヌイは家計簿もどきを記帳している。あくまで『もどき』なので、ちゃんとしたものではないが、これにより神剣一党の財政は円滑に運営されている。
「流石、持つべきものは頼れる仲間だ」
ヌイはこちらの状況を理解できないような、鈍い女ではない。戦士として育てられたため、真白の仕事は戦闘だ。いつでも万全の状態で戦闘に臨むためには、こういう運動が必要なのだと理解を示してくれる。
「はいはい」ヌイは投げやりな返事をした。
「芝生を張り替えるなら手伝うよ」可愛い妹分の友紀が申し出た。
「駄目だから」真白が感謝の気持ちを述べるよりも先に、ヌイが遮った。「真白たちがやったんだから、真白たちにやらせないと。甘やかすのは駄目だから」
「でも……」
「でももないから」ヌイは真白に厳しい目を向けた。「いいね。真白たちでやるんだよ」
「はい」何故かわからないが、逆らってはいけない気がした。話はまとまり、真白はうずうずしながら待っているネルーに顔を向けた。
「行くぞ」
 二人は並んで歩きだした。
「私はシャワーを浴びてから一眠りでもするよ」
パノは屋敷の中に戻ろうとした。彼女はまだ趣味らしい趣味を持ち合わせていないので、あまり出かけない。
「あんたは私たちと一緒に食糧の買い出しに行くよ」ヌイは言った。
「冗談だろ」パノは素っ頓狂な声を挙げた。「私が料理できないのを知っているだろ」
神剣一党では、料理はできる人がすることになっている。
「誰も期待してないから。荷物持ちとして来てほしいの」
「今夜はパノの好きな料理を作るから、一緒に来て」友紀が言った。
「それならいいか」
 そんなやり取りが、真白たちの背中に届いた。好きな料理を作ってもらえるのは、少しだけ魅力的だった。

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