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妄想聖人

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終末編 1

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 青葉攻略戦は、テンイ連合軍の勝利で終わった。
 テンイの家族は勝利に喜んでいたが、その代償は大きかった。人間だった者たちのせいで、当初の予想を上回る被害が出た。怪我人の治療や、死体の回収など、ばたばたとした日々を過ごし、あっという間に一週間が過ぎた。一応、一区切りがついたので、ようやく終戦交渉に入れる日がやってきた。
 場所はニューイーラ本社ビルにある会議室の一つ。
 現在、このビルはテンイ側の占領下にある。
 テンイ側の代表は、カオナシを筆頭に、通訳兼アドバイザーの一朗太。カオナシの側近的な感じでゴン。クウコを始めとする、家族の中でも力の強い種族の長たち。
 人間側の代表は、藤堂洋平だ。独自に戦争を終わらせようとしたのを、カオナシは高く評価して、彼を人間側の代表に指名した。周りの人間からも支持を受けて、彼を首班として強く推した。その結果、洋平が代表の座に就くことになった。ただし、居酒屋の店長に戻りたがっていた本人はとても不服そうだった。そして、軍事における責任者として、ショーン・ギブソンという人物が就任した。この理由は単純で、残った軍人たちの中で、彼の階級が一番高い。その他に、交渉ごとには強そうな営業部の面々だ。
「まず、こちらの要望ですが」洋平は口を開いた。「街からの全面的な即時徹底。捕虜の返還。そして俺たち人間の安全を確約して頂きたい。今後、こちら側から、テンイ側に対し危害を加えることはしません。ですが、理不尽な暴力に対しては、相応の対応を取らせてもらいます」
 一朗太が、通訳した。
 今度はカオナシが日本語で要望を告げる。
「地下施設に囚われている家族の即時返還。全面的な武装解除。全ての兵器の破棄。今後、一切の兵器を開発しない。生産しない。そしてテンイの家族に対して、良き隣人であること。私たちは、人間とは異なり戦争を好まない。人間との争いは、これで最後にしたいと思っている」
 実のところ、事前の話し合いで、長たちからもう一つ要望が出されていた。それは住民の半分を生贄として差し出せ。というものだ。でもこれは、人間側が絶対に飲まない条件であり、これを出してしまったら、いつまで経っても戦争が終わらないので、カオナシが何とか説得して却下させた。
 両者の要望が出揃ったところで、交渉が始まる。早速、ショーンが難色を示した。独特のイントネーションのある日本語で喋る。
「軍事の責任者として、武装解除。兵器の破棄及び、開発生産しないは、承服しかねる。人間の安全に責任を持てない。せめて、一部の武装の所持と、生産は認めて頂きたい。でなければ、人間は安心できない」
 海斗は彼がそう言うのを、何となく理解できた。
 この戦いで、テンイの力を知らしめるという目的は達成できたが、強烈な印象を植え付けてしまった。テンイの家族を見る人間の目には、恐怖の色がある。彼らに話しかけられる人間は、物事をよくわかっていない小さな子供ぐらいだ。もしかしたら、ショーンは最悪を想定した被害妄想に囚われているのかもしれない。
「そうは言うが、そちら側には力を使える人間がいる。彼らは十分な戦力になるのではないか?」
「街の規模と人口を考慮すると彼らだけでは不十分だ。だからお願いしている」
「ちょっといいか」場違い感があったが、海斗は口を挟んだ。「一部の武装の所持と生産は認めていいんじゃないか?」
 思わぬ人物の援護に、人間側は素直に驚いた。
「……理由を聞かせてくれ」
「この世界には、突き刺す獣のような、力ある危険な動物がいる。今後、テンイの家族と交流を深めていくのなら、そういった動物と遭遇する可能性が高まる。もし丸裸で遭遇したら、人間は簡単に殺される。それぐらい、テンイでの人間は弱い」
 危険な動物を、熊なりライオンなりに置き換えても、同じことが言えるが、テンイの危険生物は意味合いが違う。
「そんなのが居るのかよ……」洋平はうんざりした。
「言いたいことはわかった。だが、家族の中には、人間の武器に碌に対応できない力の弱い家族もいる。下手に武器を持たせるのは危険だ」
「……一つ提案がある」一朗太が言った。「向こうが必要と思われる武器をリストアップしてもらい、その中からこちらが認めた武器だけの生産を許可する。というのはどうだろう?勿論、認めていない武器を生産した場合は、今度は完膚なきまでに叩き潰す」
 一朗太は人間側の様子を伺った。洋平は、小さく両手を挙げて降参のポーズをとった。
「テンイの力は嫌になるぐらい知った。そちらを怒らせるような真似はしたくない。そうですよね?大佐」
 ショーンは暫し黙考した。「……わかりました。その条件で構いません」
 ショーンの要望は後日話し合うことになり、以後の話し合いはスムーズに進んだ。
 そもそも、テンイの家族は、青葉を占領し続けることに興味がない。囚われている家族の返還を確認次第、引き上げることを約束した。この件に関して人間側は、囚われている家族に興味がない。というのもあるが、テンイ側を怒らせたくないというのもあった。捕虜の返還に関しては、復讐がしたくて渋った長がいたが、カオナシが宥めて承諾させた。
 そして、最後に出したお互いの要望に関しては、青葉を中心に周囲五キロメートルを人間の自治区と定めた。この範囲内で、問題が発生した場合は、人間の法が適用される。もしそれ以上に、土地なり海を使用したい場合は、比較的近場に住んでいる複数の家族から許可を得る条件も定めた。ただしこちらに関しては、問題が発生した場合は、テンイの法が適用されることが決まった。
「最後に一つ、よろしいでしょうか?」洋平は小さく挙手した。「と言っても、この交渉とは関係ないんですけど」
「聞くだけ聞こう」
「テンイの家族を襲った、あの連中について教えてください。テンイの家族とは違うのですか?」
「……私も初めて見た」
「そうですか……」
 一回目の終戦交渉は終了し、各々は会議室を出た。一階フロアで、海斗は体を伸ばして全身の凝りを解した。
 ああいうのは、俺には向かないわ。
 交渉に参加してつくづく思った。
「はぁ~……。終わった。終わった。お前はこれからどうする?」と、一朗太に訊いた。
「まだ部屋の掃除が終わってないからな。それをするよ」
 久しぶりの我が家は、悲惨な状況になっていた。長い間、放置していたので、部屋中に埃が積もっていた。それだけだったら、掃除すればいいだけなのであまり気にならない。問題は、家賃を滞納していたことだ。電気が止められていたため、冷蔵庫の中が見るも無残な光景に変貌していた。家賃の支払いに掃除に後片付けに食糧の買い出しと、帰ってきて早々にやらないといけないことが山積みだった。戦争という、経験しない方が良い経験をした後では、あまり苦にはならないが。
「こういう時、お前が羨ましいよ」
 これは稲郷家の家族構成について言っている。現在の稲郷家には、兄妹の他に、ゴンとアマネも暮らしている。そして、交渉に参加しなかった妹たちは、今も家のことについてせっせと働いている。
「だったら、俺が手伝いに行くか?いつも世話になっているしな。恩返しだ」
「気持ちだけ受け取っておこう。家族との時間を大切にしろ。じゃないと、美月が拗ねて面倒だ」
 最後に冗談を飛ばして、一朗太は一足先にビルを後にした。
「俺たちも行くか」
 海斗はゴンと共に、ビルの外へ出た。
 一歩外に出ると、街全体を包むようにピリピリとした緊張感に包まれている。原因ははっきりしている。占領しているテンイの家族に対し、人間たちがあからさまに警戒しているのだ。と言っても、警戒しているのは大人たちだけで、子供たちはファンタジー世界の住人のようなテンイの家族に、興味津々で近寄ろうとするのだが、親が手を引いて制止している。現在の状況になってからは、子供だけで外出しているところを見なくなった。
 テンイの家族の方も、人間に対して強い憎悪を抱いている。それでも、手を出さないのは、カオナシが厳命したからだ。それを不服としている家族はとても多いが、ガンザンの遺言も出して抑え込んでいる。暴力事件は今のところ発生していない。
 両者の間には、わだかまりがあり、一触即発なところがある。
 馬鹿な真似が起きないように、現政権の正統性を述べるために、どうしてテンイの家族が戦争を仕掛けてきたのか、前政権がテンイの家族にどのようなことをしたかなどを洋平の口から説明されているが、それだけでは、住民の不安はぬぐい切れなかった。
「……俺たちは友達だよな?」自宅に戻る途中、おもむろに海斗は訊いた。
「改まって聞くことか?」
「聞きたいんだよ。ゴンの口から」
「友達だぞ」
「そうだよな」
 海斗は満面の笑みを浮かべた。
 出会った頃のゴンは、当たり前のように人間を憎んでおり、海斗が死んでもいいと思っていた。最悪の関係からスタートしたが、友達になることができた。間にカオナシが入ったとはいえ、関係を改善することはできるのだ。自分たちだけが特殊な事例になって欲しくない。いつの日か、種族に囚われずに、お互いに笑いあえる日が来ることを信じたい。
「ただいまぁ」
 帰宅を告げると、居間の方から大声が聞こえてくる。
「痛っ!?何するの!?」
「お兄ちゃんを出迎えるのは、妹の役目なの!」
「その役目を私に譲ってよ!」
「駄目に決まっているでしょう!」
 美月とアマネの口論は、海斗の耳にしっかりと届いた。二人のやり取りを聞いていると、今は夢想でしかない、理想の未来像が音を立てて崩壊するのが聞こえてしまう。
「どうしてあの二人は、仲が悪いんだ?」
 とは言ったものの、不思議と家の中はギスギスした雰囲気にはならない。
 美月を引き取るまでの一人暮らしの寂しさを思えば、誰かが出迎えてくれるだけで海斗は嬉しい。
 ゴンは呆れ顔になった。「お前のそういうところは、ほっとするよ」
「どういう意味だ?」
「知らぬが華だな」
 海斗の頭の上に沢山の疑問符が浮かんだ。
「行って!私が抑えている内に!」
「ちょっと日奈!裏切るの!?」
「ありがとう!」
 海斗を出迎える役目を賭けた勝負らしきものは、日奈の介入により、アマネが勝ち取った。アマネは満面の笑みで海斗を迎える。
「おかえり!お風呂にする?御飯にする?それとも、わ、た、し?」
 海斗の思考が暫し停止した。何とも表現し辛い微妙な空気が横たわった。
「…………あ~……。なんだそりゃ?」
 言葉の意味はわかる。そういうセリフがある作品があるのも知っている。だが、恋人でもない人に言われると引く。
「えっ?」アマネは心底驚いた。「こうやって出迎えるのが、人間の伝統なんでしょう?」
「……………………初めて聞いたな。俺が知る限り、そんな伝統は存在しない」
「嘘っ!?」
「誰から聞いた?」
 犯人の目星は既についていた。美月は、アマネが無知なのをいいことに、いい加減なことを教えたりしない。
「日奈から」
 海斗は奥の方へ目を向けた。美月は頭痛がするらしく、震える眉間に手を当てていた。日奈はこっそりと海斗たちの様子を伺っている。双眸は、好奇心で輝いている。
「……てへっ♪」
 悪びれた様子もなく、小さく舌を出した。
「日~奈~……」
 海斗は腹の底から絞り出すように呼ぶが、本気で怒っていない。むしろ、内心では胸を撫で下ろしていた。唯一の肉親で兄である陸治を殺したという事実は、彼女に何らかの影響を及ぼしたはずだが、現在は悪戯をするまでになった。少なくとも、表面上は元気な姿を見ることができて嬉しい。
「怒らないで」アマネがお願いした。「教えてもらっただけなんだから」
 そこでどうして、美月に教わらなかったのか謎だ。
「怒らないよ。俺にだって悪ガキだった時期があったんだ。気持ちはわかる。だけど、嘘を教えるのはよくないぞ」
「はーい」
 今この瞬間、園長先生たちの気持ちが痛いほどわかった。全く反省していない返事は、かなりイラッとくる。
「まあ、あれだ。飯の用意ができているなら、飯を食いたい」
 青葉に戻ってきたことに、海斗が一番喜んでいた。何故なら、味のする食事を口にできるからだ。今の海斗にとって、食事を超える楽しみは存在しない。朝昼晩の三食は勿論、十時と三時のおやつも欠かさない。交渉が済み、帰るための行動を再開するまで、ひたすらに食事を楽しむつもりだ。問題があるとすれば、ちょっと太った。
「待ってて。すぐに準備するから」
「大丈夫なのか?」
 やる気満々なのは買うが、アマネは人間の食べ物を口にしても味がわからない。そんな状態では、まともな料理を作れる気がしない。
「パンケーキってやつなら、味がわからなくても作れるよ」
 確かにあれなら、材料を混ぜて焼くだけだ。個性を出そうと、余計な材料を混ぜなければ失敗する心配はない。ちなみに、海斗にはホットケーキとパンケーキの違いがわからない。
「すぐに美味しいのを作るからね。お兄ちゃん」美月は素早く台所に向かった。
「あっ!こらっ!私が作るんだ!」
 出遅れたアマネは急いで向かった。
 そして台所からは、二人の口論が届く。
「私も作る!」日奈は完全に面白がっていた。
「……姦しいな……」
 ゴンはぼそっと呟いた。
 海斗は違う感想を抱いた。
 思い描いていた日常とは、良い意味でちょっとだけ違うが、家の中が明るい。それだけで心が満たされるぐらい幸せだった。こんな毎日が続いて欲しいと切に願うほどに。


 終戦交渉は思いのほか難航した。
 人間同士の時でさえ締結されるまで大変なのだから、当然と言えば当然なのだが、大部分があっさり決まっただけに、海斗にとっては少々以外だった。と言っても、議題は一つだけ。人間が生産してもいい武器のリストだ。
 リストアップされた一覧を元に、カオナシたちは話し合い決めたのだが、その決定にショーンは多いに不服であった。人間の視点に立てば、彼と同じような心境になるだろう。何故なら、リストの九割以上が不許可なのだ。
 お互いに妥協できるラインを連日話し合い、今日ようやく妥結することができた。
「それじゃあ」洋平は口を開いた。居酒屋の店長をしていたとはいえ、こういう話し合いには慣れていないらしく、連日の交渉でやつれた顔になっていた。「文書に調印して全て終わりです」
「その必要はない」カオナシは言った。
「えっ?それをしないと、正式な終戦になりませんけど」
「それは人間の考え方だ。私たちにまで押し付けようとしないでくれ」
 洋平は、どうしよう?と、人間側の代表たちを見回した。ショーンがゆっくり口を開く。
「文書に残すことで、こちらも安心できるという効果があります。ここは人間のやり方に従っていただけないでしょうか?」
 この件に関して、海斗と一朗太は口を挟む気はなかった。
 以前、カオナシは人間の文明は必要ないとはっきり拒絶していたので、人間のやり方全てを受け入れる気がないのを知っているからだ。
「……安心できるか……。お前たち人間の世界には、悪い奴もいるから、そういう物を残したがるのは理解できた。だが、お前たちの目の前にいるのは、人間ではない。約束を交わしたのなら、後は信じるだけだ。そして、その信頼に対し、裏切りで応じるのなら鉄槌を下すだけだ。勿論、こちら側から、お前たちの信頼を裏切ったら、相応の鉄槌を下すといい。それで公平だろう」
「…………わかりました」洋平は頷いた。「こちらもテンイの家族を信じます。それでよろしいでしょうか?」
「そうしてくれ」
 カオナシはその場で、各長に対し、カオナシの名の元に、人間との取り決めを厳守するように強い口調で命じた。
「これを以って、人間との戦いは終わりとする」カオナシは宣言した。
「今後、お互いの未来が明るくなることを、切に願います」
 立ち上がった洋平は、握手を求めようと手を伸ばしたが、途中で引っ込めた。これもまた、人間のやり方だからだ。
 海斗は、一朗太とゴンと共に、会議室を後にした。
「これでようやく、本当に終わったな……」海斗はしみじみと呟いた。自分は、ほとんど何もしていないのだが、肩の荷が下りた気がした。
「今更だが、本当に良かったのか?」一朗太が訊いた。「文書があれば、人間がルールを破っても、それを元に非難することができる」
「人間が、テンイの家族の良き隣人である努力を、本当にする気があるのなら、テンイのやり方にも慣れて貰わないと困る。何でもかんでも、人間のやり方に合わせていたら、家族にとってはストレスにしかならない」
「でしょうな」ゴンは同意した。「そもそも、テンイの家族で文字を持つのは、翼有る者たちだけ。その彼女らですら約束を文書にしたりしない。人間のやり方は、根本的に合わんでしょう。それに、信頼を形に残すというやり方は、多くの家族は侮辱と受け取るでしょう。そんなことをしていたら、関係改善などできない。逆に人間に対する不満を高めてしまいます」
「もし、テンイの家族か人間が、約束を忘れたらどうするんだ?」
「テンイの家族は、口伝で後世に伝えていく。だからその心配はない。もし、人間が忘れたのなら、その代償を支払うだけのことだ」
 と、カオナシは淡々と説明した。
「海斗」
 背後から声をかけられ、振り返った。クウコがいた。
「どうしました?」
「私たちは、エアイに引き上げるが、お前たちはどうする?一緒に来るか?」
「そのことでお願いがあります」
 交渉後のことに関しては、一朗太が提起して既に話し合っていた。交渉期間中に、他のことで話し合いができる余裕があったのは、この件に関する主役はカオナシだったからだ。海斗はおまけでしかない。
「ズイチョウマルをまた貸してくれませんか?今度は西方鎮守のところに向かいたいので、お願いします」
 戦争が終わったので、地球に帰るための活動を再開したいのだ。西方鎮守に会いに行くのは、カオナシの提案だ。東方鎮守より、まだ話が通じる相手らしい。
「構わないぞ。乗組員は残していこう。すぐに出発するのか?」
「いえ。今日は準備を整えてから、ゆっくり休んで明日出発します」
 クウコの口角が僅かに上がった。「では、少しは時間があるということだな?」
「ありますけど」
 クウコは海斗の肩に腕を回して抱き寄せた。「私も明日帰るとしよう。今日は人間の街を案内してくれ。折角だからな。人間の街を堪能したい」
「わかりました」
 今まで散々お世話になり、またズイチョウマルを貸してもらえる。この程度で、今までの厚意に対するお返しになるとは思っていないが、少しずつ何かを返したいと思っていたので丁度良かった。
「海斗」離れて行く二人の背に、一朗太は声をかけた。「先に行っているぞ」
「おお。行っててくれ」
「何か用事があるのか?」クウコは首を傾げた。
「今夜は壮行会をするんです」
 と言うのも、またしばらく味のしない食事の日々なると思うと、海斗は少々憂鬱になった。だから出発前夜には腹一杯色んな料理を食べたいと願い出たのだ。そこで一朗太が、だったら壮行会をしよう。と提案し、することになった。自宅では、美月たちが頑張って料理をしている。
「だったら私も参加させてもらおうかな」
「喜んでお招きします。楽しいことは皆で分かち合った方がいいですもんね」
 家の中が、また一段と明るくなると思うと、今夜の壮行会が待ち遠しかった。


「お兄ちゃん。行くよ」
 玄関から美月が声をかけた。
「おう。今行く」
 着替えなどが入ったナップザックを背負った海斗は、我が家を見回した。久しぶりに我が家で過ごせたので心身共にリフレッシュできて、体中に気力が満ちていたが、また当分の間、帰ってこれないと思うと名残惜しかった。
 昨夜は楽しかったなぁ……。
 飛び入りでクウコも参加した壮行会は、笑いが絶えなかった。最初は何故かアマネの機嫌が少々悪かったが。美月と二人だけの生活には、不満はないし楽しいのだが、人が増えると楽しさも倍増した。青葉に帰ってきてからの生活は、楽しい思い出がいきなり増えた。
 出掛ける前に、ガスの元栓がちゃんと閉じられているかを確認してから、ゴミ袋を持ち上げた。昨夜の壮行会で出たゴミだ。玄関で靴を履き替えてから扉をしっかり施錠した。
「んじゃあ。行くか」
 昨夜は一朗太も泊まったので、全員が集合している状態で、このまま向かう前に、まずは指定のゴミ収集所にゴミを廃棄した。
 街の雰囲気はだいぶ和らいでいた。翼有る者のような一部を除き、連合軍は引き上げたからだ。と言っても、囚われていた家族――全員死亡していた――が返還されたのに合わせて、遺族の元に届けるために、半分近くしか引き上げていない。昂った神経がまだ収まらず、ピリピリしているところはあるが、連合軍が完全に占領していた頃に比べたらだいぶマシだ。
 海斗たちは、路面電車を乗り継いで空港に向かった。
 空港は全く機能していないので、人はおらず閉鎖されていたのだが、現在は一時的に開放されている。
その理由は、ズイチョウマルとホウチョウマルだ。この二隻は、青葉を占領した後に、空港に駐機していた。
 海斗たちは、直接滑走路へと向かう。
 不思議な気分になる……。
 海斗は、今日生まれて初めて空港を利用した。地球に居た頃は、大勢の人で賑わっていた、青葉の空の玄関口であったであろうが、今は一部の職員と警備員、清掃員しかいない。これだけ広くて立派で清潔な空港を自分たちだけで独占しているようで、凄く贅沢な気持ちになるが、同時に人が居なくて寂しかった。と言っても、これは仕方ないことだ。人間の飛行機が離陸しても、青葉以外に着陸できる場所はない。エアイには離着陸場はあるが、飛行艇は垂直離着陸ができるため、飛行機が着陸できるだけの面積はない。テンイの家族で飛行艇を持っているのは、翼有る者だけだ。そこでふと、思いついてしまった。
「クウコさん」海斗は声をかけた。「人間と積極的に交流する気はありませんか?」
「……何を考えているのだ?」
「単純に、勿体ないなと思って。多分、この空港は廃れる気がして」
「多分じゃなくて、廃れる」一朗太が言った。「テンイでは利用価値のない施設だからな」
「でも、翼有る者だったら、かつての賑わい……には及ばないかもしれないけど、ある程度取り戻すことはできるんじゃないかな」
「不経済だな。空港は商売で成り立っているから、金という概念すらないテンイの観光客が訪れたとしても利益がない。空港を維持しようとし続けたら、赤字が膨らむだけだ。経営者の視点で言えば、さっさと閉鎖した方が、傷は浅くて経済的だ」
「難しい話は、脇に置いとくとして、私は賛成だ」カオナシは言った。「この戦いを以って、翼有る者は、家族として認められ復帰できた。積極的に交流すれば、良くも悪くも他の家族に影響を及ぼす。もしかしたら、翼有る者が、テンイの家族と人間との懸け橋になるかもしれない」
「私たちが?」これまで翼有る者がどういう認識をされていたのかを知っているアマネは、しっくりこない様子だった。それでも想像してみた。「それって凄くいいかも。私も賛成ですよ」
「……人間の街には興味深い物が多いし、面白そうではあるな。次に来るようなことがあれば、人間の長と話をしてみよう」
「その時は俺が通訳しますよ」海斗が申し出た。
「正しくは、私が通訳しているのだがな」と、カオナシが突っ込んだ。
 楽しい話題に和気藹々としながら、滑走路に到着した。
 ズイチョウマルとホウチョウマルは、仲良く並んでおり、その周囲で翼有る者たちが談笑しながら到着を待っていた。
 クウコたちとの別れを惜しみつつ、海斗たちはズイチョウマルに乗り込んだ。
 実のところ、この二隻に残った技術者たちが興味を持ち、調べさせて欲しい。という申し出があった。それに対し、クウコはあっさり許可を出した。翼有る者の飛行艇は、力を使える前提で設計建造されているため、力を使えない人間には、得る物は何もないからだ。調べ終わった後の技術者たちは、とてもがっかりしていた。
前回と同じ部屋に荷物を置いてから、すぐに艦橋に向かった。ホウチョウマルが離陸をしていた。周囲にはクウコを始め、翼有る者たちが飛んでいる。向こうの飛行艇には、怪我人が収容されており、クウコたちが乗るスペースはないのだ。
 海斗たちの視線に気づいたクウコたちは手を振った。海斗たちは手を振り返した。ホウチョウマルが親指サイズの高度に達してから、ズイチョウマルも離陸を始めた。


 戦いとは、何も血を流したり、誰かの命が終わることだけではない。
 何気ない日常にも戦いとは潜んでいる。
 そう。お昼時の食堂は、戦場と変わらない。
 交代しながらひっきりなしにやって来る乗組員たちのために、海斗たちは配膳をする。全員が食べ終わるまでずっとだ。今日まで何度もやったので、要領は掴めてきたものの、大人数の食事を用意するというのは、普通に重労働だった。
「終わったぁ……」最後の乗組員が食堂を後にしてから料理長の美月は呟いた。この戦いが終わると、日奈もぐったりしている。
「御疲れ」海斗が労った。彼も疲れてはいるものの、肉体労働の仕事に従事しているため、彼女らほど軟ではない。「用意するから、休んでろ」
「お願い」美月は素直に甘えた。日奈と共に食堂の椅子についた。
 これから遅めの昼食だ。と言っても、賄いを作るわけではなく、乗組員と同じ物を食べている。必ずお代わりがあるので、いつも多めに作っているのだ。海斗は美月たちのために、手早く配膳した。全員が席に着いて、頂きます。をして黙々と食べる。慣れない仕事で、疲労しているため、この時間はいつもより口数が少なくなる。
「今日まで何事もなかったが」唐突に一朗太が口を開いた。「あの連中が、もし西方鎮守のところに居たらどうする?」
 人間だった者たちについて問題を提起したのは、皆が理解した。
「できれば助けたいな」海斗は言った。
 地球に帰るために、テンイの家族の協力は不可欠であり、その中でも一番力が強く、影響力のある鎮守の協力は絶対に取り付けないといけない。ガンザンの時のような失敗――命が奪われるような悲劇は避けたかった。
「逃げるべきだろう」カオナシは反論した。
 これには海斗は素直に驚いた。「家族で友人じゃないのか?」
「その通りだ。だが、私たちだけで何ができる?」
 直接戦ったから嫌でもわかる。何もできない。助けようとすれば、全滅する可能性は大いにある。理性で考えれば、カオナシの意見は正しい。だが、感情的に考えると、素直に頷けない。
「見殺しにするのは嫌だな……」
「私だって嫌だが、お前たちを死なせたくない」
「って言うか、鎮守だったら、そう簡単に負けないんじゃないの?ガンザンも凄かったし。やっぱり西方鎮守も凄いんじゃないの?」美月が率直に言った。
 彼女たちが避難していたビルでは、変貌した人間は現れなかった。運が良かったかもしれないが、そのせいで遠くから見ていただけで、人間だった者たちの脅威をいまいち理解していない。
「悪いが、あいつには期待するな。私たちの中で、一番優しい奴だ。積極的に戦うような奴ではない」
 海斗にとって、その情報は朗報に聞こえた。
「居る居ないは別にして、協力してくれそうだ」
「逆かもしれないぞ」一朗太は言った。「優しいからこそ、人間のやったことは絶対に許さない。と考えているかもしれない」
「その件に関しては、直接本人に聞いてみなければな」
カオナシは言った。
「念のために確認するが、あの連中について、テンイの家族は、本当に何も知らないのか?例えば、人間を別な生き物に変貌させる力を持った家族とかいないのか?」一朗太は訊いた。
「……私も初めて見た」
「そのような力は、聞いたことも見たこともない。そのようなことができる家族にも心当たりはない」ゴンは答えた。
「う~ん……。私は放浪していたけど、知らないな」アマネが記憶を掘り返しながら言った。
「こちら艦橋」伝声官から声が響いた。「そろそろ目的地に到着するから、カオナシは来てくれ。どこに着陸すればいい?」
「お呼びのようだ」カオナシが言った。
 海斗は急いで残りの食事をかきこんだ。「悪い皆。行ってくるわ」
「後片付けはこっちでしておくから、頑張ってね」美月が言った。
 海斗は速足で食堂を後にし、艦橋に向かった。正面の窓から、先を見下ろした。まず人間だった者たちが居ないことにほっとした。安全に西方鎮守と話ができる。少し先にある大地の大部分が、キラキラと輝いていた。巨大な宝石の原石かと思ったが、よく見るとそれは水面が光で反射しているだけだった。
「あれって海か?」
「湖だ」
「へぇ……。嘘だろ!?」思わず驚いてしまった。
 少し離れた空から見ているから、その巨大さがよくわかる。琵琶湖が五、六個ぐらい収まりそうなサイズだ。何も知らずに見たら、絶対に海と勘違いする。
「どこに直陸すればいいんだ?」
「湖の手前ギリギリで大丈夫だ。あいつは、問答無用に攻撃してこない」
「わかった」伝声官を通して、着陸準備に入るように指示した。
 ズイチョウマルは、湖の手前五メートルぐらいの位置で着陸した。海斗は、美月たちと合流し、乗組員たちと一緒に降りた。巨大な湖の周囲には、青々と茂る野原が、どこまでも続いている。
「うわぁ……。凄い……」日奈は目の前に広がる湖に釘付けになった。
「……これが心落ち着く青か……」ゴンの口調は穏やかだった。
 海斗はその呼び名に納得した。
 とても静かな場所だ。無音に限りなく近い。耳に届く音といえば、魚が撥ねる水音ぐらいだ。そして目の前には、綺麗な湖がどこまでも広がっている。どんな悩みでさえも、目の前の湖が飲み込んでくれそうだ。心がとても落ち着き、穏やかな気持ちになれる。人生に疲れた人がここに来れば、癒やされること間違いなしだ。
 海斗たちは、一言も発さずに、この場の雰囲気に身も心も包まれた。ここで言葉を発するのは、この場の何かを穢しそうだ。そして、ここには永遠にいることができそうだ。
 いつまでそうしていたのかわからず、痺れを切らしたカオナシが喋る。「そろそろいいか?」
「お、おう。そうだったな」海斗は正気に戻った。
「飲み込まれるな。今でこそここは、心落ち着く青、などと呼ばれているが、大昔は狂いの青と呼ばれていた。この雰囲気に飲み込まれた者は、大なり小なり狂ったものだ。人間の世界で言えば、麻薬に近い場所だ。この雰囲気を覚えてしまうと、幾度となく訪れてしまう。家族や集落を顧みずにな。現に、私が声をかけたことで、お前たちは嫌な気持ちになっただろ?」
 それぞれ顔を合わせた。まさにその通りだからだ。カオナシが言葉を発したことに、全員が不機嫌になった。だが、今の説明を聞いた限りでは、それは危険な状態だった。白い粉を吸っていないのに、中毒者になるところだった。
「とんでもない場所に住んでいるんだな」一朗太は戦慄した。
「とんでもない場所だからだ。ここを訪れても、家族が正常な生活に戻れるように、あいつはここを住処に選んだ」
「じゃあ、ここには西方鎮守以外に住んでいないのか?」海斗が訊いた。
「いや。自由なる者たちが住んでいる」
「名は聞いたことはあります」ゴンが言った。「ですが、具体的なことは何も知りません。どういう家族なのですか?」
「ゴンでも知らないのか?」海斗からすれば、素直に意外だった。
この世界に住んでいる住人たちを、テンイの家族と呼んでいるので、当然のように知っていると思っていた。
「知らないのは、無理もない」カオナシは説明する。「あいつらは、とてもマイペースというか、気まぐれというか。とにかくそういう感じで、人前に全く出てこないと思えば、呼んでもいないのにちょっかいをかけてくる。鎮守の言うことを聞く時と聞かない時もある。そのせいで、よく知らない家族が多い。逆に言うと、そういう感じだから、ここの雰囲気に飲まれることはない」
 海斗はいきなり尻もちをついた。そのことに、美月たちは軽く驚いた。
「何やってるの?」美月が不思議そうに訊いた。
「いきなり足を払われた感じが……」
 海斗は美月たちに顔を向けたが、誰も何もしていないと否定した。不思議そうに首を傾げてから、立ち上がろうとしたら、またも尻もちをついた。
「何が起こっているんだ?」
 痛みよりも、驚きよりも、わけのわからない現象に恐怖心が湧いてきた。
「……どうやら出てきたようだ」カオナシは言った。
 その言葉を待っていたかのように、周囲からクスクスケラケラといった笑い声がする。姿の見えない笑い声に、海斗たちは不気味さを覚えた。
「翼有る者」
「思慮深き者」
「人間」
 姿は見えないのに、声ははっきりと聞こえる。
「カオナシだ」
「おぉ!カオナシ!」
「カ~オ~ナ~シ~」
 何が面白いのか、クスクスケラケラと笑った。
「自由なる者よ」ゴンは呼びかけた。「私たちはテンイの家族だ。姿を現して――」ゴンは左右の白い髭を引っ張られる。頭を軽く左右に振って逃れた。「痛い!何をする!?」
 その反応が面白いらしく笑った。
「無駄だ」カオナシは説明する。「こいつらには、肉の器がない。だから目に見えない存在だ。よく知らない理由の一つだ」
「いっったっ!?」アマネは急に叫び、両腕で胸を守りながらその場にしゃがんだ。
「どうした?」海斗が訊いた。
「今、思いっきり胸を叩かれた」アマネは若干涙目だ。
 何が面白いのか不明だが、彼女の反応が面白いらしく周囲から笑い声がした。それで味を占めた自由なる者たちは調子に乗る。
「痛い!?止めて!?」白い髪を引っ張られている美月は不愉快気に抵抗する。
「……何故に?」日奈は頭を撫でられることに不思議そうにする。
 翼有る者たちも、それぞれに悪戯される。各々で抵抗するものの効果はない。逆に、相手を喜ばせる。
「……カオナシ」ほっぺたをつんつんされている一朗太はうんざりしていた。「何とかしてくれ」
 困った時の参謀殿でも、目に見えない悪ガキみたいな集団相手では、やりようがなかった。
「自由なる者よ。いい加減にしないと、刈り取るぞ」
 悪戯がぴたりと止んだ。
「カオナシ。怖い」
「刈り取られるのやだ」
「やっぱカオナシだ」
 目に見えないのだが、明らかに怯えている雰囲気を海斗たちは感じ取った。
「……昔のお前はやんちゃだったのか?」
 海斗は訊かずにいられなかった。目に見えないので確かことはいえないが、怯え方が普通ではない気がした。
「違う」
「カオナシ」とても弱い波のように音の振動が海斗たちの全身を優しく叩いた。それは女性的な言葉として耳朶に届いた。その声色は、とても優しく穏やかで、海斗は漠然と聖女のような人物像を思い浮かべた。
「その子たちを虐めないでください」
「ボドウ」
「ボドウ」
「ボドウ」
 自由なる者たちは口々にその名を呼んだ。
「わかってて言うな」
「さて?なんのことやら?」上品な笑い声を発した。「自由なる者たちよ。カオナシの許しを得たければ、その者たちを私のところまで案内しなさい」
「どうする?」
「どうしよ?」
「許して欲しい」
「でも面倒」
「面倒だよね」
「逃げる?」
「めっちゃ逃げたい」
 自由なる者たちは、あーだこーだと議論した末に、案内をしてくれる。
 海斗たちは、手を引っ張られたり、背中を押されたりする感覚にあうのだが、目に見えないのが影響しているのか、最初は反射的に抵抗してしまった。自由なる者たちはぶつくさ文句を言った。海斗たちは素直に謝罪して、今度は大人しく従う。
 水辺に沿って暫く歩くと、海斗たちの目の前に球体が鎮座していた。歪みなどが一切ない完全な球体で綺麗なのだが、茶一色なので泥団子のように見えてしまい、綺麗という感想は持ちづらい。球体の直径は二十メートルぐらいで巨大だ。
「ボドウ」
「連れて来た」
「カオナシ」
「許せ」
「許さないと逃げる」
 自由なる者たちは、カオナシに対し捲し立てる。
「ここまで案内してくれてありがとう。許す」
 自由なる者たちは満足したようで、触れられている感触がなくなった。だけど、周囲にまだ居るのは何となくわかった。
 完全球体は、いきなり地面から僅かに宙に浮き、茶一色から桜一色に変色した。そして、隙間がないぐらい無数の瞼が開いた。
 これが西方鎮守ボドウだ。
 この姿にテンイの家族がどう感じるのか不明だが、少なくとも人間は好意的に受け止められる姿ではなかった。グロテスクだった。日奈などは、小さな悲鳴を挙げて美月の背後に隠れてしまった。
 無数の目が一斉に動いて、海斗を――共に在るカオナシに向けた。海斗は反射的に、後ずさってしまった。やってしまった後に、激しく後悔した。ボドウに最悪な印象を与えてしまったのではないかと不安になる。
「すまんな。お前の姿に、人間は慣れないようだ」カオナシがフォローした。
「気にしません。異世界からやってきた人間とは価値観が異なるのは、自然なことでしょう」
 ここまで見た目と声色が合わない人も珍しかろう。
「久しぶりですカオナシ。古き家族にして友よ」
「久しぶりだなボドウ。古き家族にして友よ」
「そして翼有る者たちよ。貴方たちのことは、既に聞き及んでいます。家族の一員に復帰したことを心より喜びます。同時に、大戦争時に何もしてあげられなかったことを謝罪します」
 遅すぎた謝罪に、アマネを筆頭に翼有る者たちは怒りに顔を紅潮させたが、感情を抑えて出かかった言葉を飲み込んだ。
「人間たちよ。私は家族の命を平然と奪う、あなたたちを決して許しません」
 やったのは俺たちじゃない。
 と、海斗は抗議したかったが、そのような言い訳が通じないのは身を持って知っている。いきなり辛辣な言葉を向けられても、仕方ないと受け止めた。
 これは協力を取り付けられないと、簡単に引き下がるわけにはいかなかった。こちらとしては、平和な日本に帰りたいのだ。それは双方にとってメリットがあるはずだ。どう声をかけるか思案しようとすると、ボドウが先に言葉を発する。
「ですが、カオナシが行動を起こさずに、共に在ることに意味があるのでしょう。用件は聞きましょう」
 一応、話は聞いてくれることに、海斗は胸を撫で下ろした。聞く耳を持たずに、門前払いされるよりはずっといい。
 こういうのは、企画の説明などを何度も行った経験がある一朗太の出番だった。彼はまず、地球に帰りたい旨を話し、テンイに強制連行された事象を自然現象ではないかと説明。そして、上司や取引先に説明するように、人間が地球に帰ることが、如何に双方にメリットがあるかを話した。
「私は良い話だと思う」カオナシが後押しした。
「……そうですね。人間が本来の世界に帰るのなら、テンイにとって良い話ですね。ですが、協力できません」
「何故だ?」
「わかっているでしょう?カオナシは力を取り戻しておらず、ガンザンは死に、今は二人で支えているのですよ。人間に協力するだけの余力はありません」
「……やはりそうか……」
「事態はあなたが考えているより酷いです。カオナシの欠落とガンザンの死亡で、力の配分が大きく変わって弱っていたところに眷属たちは、ミヤコは再浮上させ、長い眠りについていた者たちが目覚めました。そして、次は私の番です。その時は、間もなく迎えまず。この意味がわかりますね?」
「……済まない。力になれなくて」
「気にしないでください。私たちの甘さが招いた代償を支払う時がきただけです。最後にあなたと言葉を交わせてよかった。それだけが救いです」
「さよならだ。ボドウ」
「さよなら。カオナシ」
 再会してほぼすぐに、別れの言葉を交わす二人。置いてけぼりの海斗たちは、ただただ困惑する。
「ここはもうじき戦場になります。行きなさい。人間の悪逆な行いは許しませんが、無駄死にすることはありません。生き延びなさい」
 ボドウの言葉には慈愛が満ちていた。
「カオナシ」一朗太が声をかけた。「今から何が起こるのか理解したが、もう少し詳しい説明を求める」
「済まないが、説明している余裕はない。行くぞ」
「ちょっと待ってくれ」海斗はその場を動かなかった。二人の話は半分も理解できなかったが納得がいかない点があった。「こんな別れでいいのかよ?」
 カオナシからの返事はなかった。
「本当にこれでいいのか?後悔しないのか?」
 今度も返事はなく、自分の意思とは関係なく足が動き出した。


 ボドウは、ズイチョウマルがこの場を離れて行くのを見届けてから、全ての目を湖の向こう側に向けた。遥か先から近づいてくるミヤコの姿を確認した。こんな見た目であるが、特別視力が優れているわけではない。ボドウもまた、カオナシやガンザンと同じように世界を捉えている。
「念のため、あなたたちは避難してなさい」
 近づいてくる集団の危険な気配を察知した自由なる者たちの気配が消えた。
 ボドウは上昇しながら、ミヤコへ向かう。
 できればやりたくない戦いをしなくてはならない。同じ大樹から誕生した家族同士で、争うなど悲しいことでしかないから、戦いは嫌いだ。
 だが、今回もそう言っていられない。そもそも、こうなった原因を作ったのは自分たちだ。
『お前たちのやり方では、問題の解決に繋がらない』
 思い出したのは、かつての翼有る者たちの最高指導者が、自分たちに向けて放った言葉。向こうが間違っていると信じて疑わなかった。その時は。こういう結果を招いてしまった以上、間違っていたのはこちらで、向こうが正しかったのかもしれない。
 もしテンイの家族が、神々の定めた秩序に挑むのなら、残される家族のためにもここで戦って、少しでも抵抗できる余地を残しておかないといけない。
 この命と引き換えに。
 間違いなく、ボドウは今日死ぬ。
逃げる。という選択肢もあることはあるが、奴らは地の果てまでしつこく追いかけてくる。戦禍を徒に広げるだけだ。被害を最小限に留め、相手に損害を出すためには、逃げずに戦うしかない。
 遠くにあるミヤコが一瞬だけ光ると、赤い閃光がボドウめがけて走った。
 撃つ。のはわかっていたので、ボドウは余裕をもって回避した。
 あれはホウと言って大戦争時に、最も多くの命を奪った大量破壊兵器だ。真っ先に破壊したはずなのだが、どうやら修理したようだ。
 こんなことになるのなら、ミヤコそのものを徹底的に破壊しておけばよかったと後悔した。大戦争時には、そこまでする必要はないと判断した。その頃と比較すると、明らかに力の性質が変わっている。あれはあくまでも、翼有る者たちが使用するための兵器であり、大量破壊しかできなかったのだが、現在では触れる全てを破壊する。
この点だけを見ても、絶望的な力の差だ。
 ミヤコから、翼有る者たちが一斉に飛び立った。ミヤコで寝ていた全ての住人だ。当然、子供と老人もいる。一部はホコを装備している。先陣を切る男性には見覚えがあった。大戦争時において、将軍を務めた一人だ。名前はドンテンだ。
「あなた方に問います」
 ボドウが話しかけると、翼有る者たちはぴたりと止まり、不思議そうに首を傾げた。
「あなた方は、何のために戦っているのですか?」
「あの方のために戦っている」
 ドンテンが、それ以外の答えは存在しないかのように答えた。
「残念です……」
 家族の絆というのを信じてみたかったが、この者たち相手にそれは幻想でしかなかった。それに、あの指導者の信念を、誰も引き継がなかったのも残念だった。
 ドンテンは、やれ。というように、手で攻撃の合図を出した。ホコを装備する翼有る者たちが一斉に襲い掛かってくる。
 ボドウは、すぐに力を使った。距離を詰めていた翼有る者たちは、急速に痩せ衰えていった。落ち窪んだ眼下に、全身は骨と皮だけになった。ミイラみたいな見た目になって、次々と心落ち着く青へと落水していった。これがボドウの力の性質であり、死因は老衰だ。
 ドンテンは舌打ちして、離れて攻撃するように命じた。翼有る者たちは、ボドウに対して次々と光弾を放った。
 ボドウは、防御することも回避することもなく、全ての攻撃を受けた。鎮守たちにとって、この手の攻撃は全く意味をなさない。体に傷はつくものの、それだけであり、致命傷になることはない。こんな見た目であるが、ボドウもまた、カオナシやガンザンと同じ、幽霊みたいな存在なのだ。
 ボドウは、ホコで攻撃してくる相手には力を使って反撃するに留め、ひたすら真っ直ぐに進んだ。最初は、残される家族のために、単純に数を減らすことだけを考えていたが、今は違う。
 ホウを二度と使用できないように完膚なきまでに破壊することを目標にしている。あれこそ一番厄介で危険だからだ。
 ミヤコから、人間だった者たちが飛び立ち、ボドウの進路を塞ぐように立ちはだかる。その先頭を務める者は、腹部から血を流している。クリストファー・クリスティーナだった存在だ。
 ボドウは速度を上げつつ、クリストファーたちを迂回しようとした。人間だった者たちは、一斉に赤い杭を出現させ、ボドウに放った。
 流石に、眷属の攻撃を受けることはできない。かといって、防ぐのも意味がない。ボドウは回避しながら、ミヤコを目指す。杭の一つが体を掠った。その瞬間、全身が落雷に打たれたような衝撃が走った。
 これが、痛い……。ということですか……。
 ボドウは生まれて初めて、痛い。というものを知った。そのショックから、気が遠のきかけたが、意地で引き戻した。
 人間だった者たちの攻撃を回避するも、無数の擦り傷を負いながら、ミヤコ底部にあるホウを目指す。
 このままではまずいと判断した人間だった者たちは、ボドウに接近戦を挑む。
 ボドウは近づいてくる人間だった者たちに対して力を使った。老衰して心落ち着く青に落水していく。この光景に安堵した。正直なところ、自分の力が通じるのか疑問でしかなかったからだ。だからと言って、ボドウが優位というわけではない。現在は、力の大部分を別なことに割いているため、少人数しか対象にできない。そして向こうは、数千人単位でいる。捌き切れないのは自明だった。人間だった者たちは、赤い剣を手の中に出現させ、ボドウに次々と突き刺した。
 刺さるたびに、体が爆発するような痛みに襲われ、何度も意識が闇に飲まれようとする。視界の何割かが暗闇になっているが。
 ここで倒れるわけにいかない。絶対に。
 残される家族への思いを胸に、人間で言えば、歯を食いしばって進んだ。そして遂に、ホウの元へ到着した。そこにはボドウ並みに巨大な水晶玉のようなものが設置してある。ここに多人数の力を収束して撃ち出すのだ。
 ボドウは力の配分を再び変えた。大部分の力も使う。
 家族の皆。生きることを諦めないで。
 最後の願いを胸に、ボドウは命を燃やして自爆した。


 ズイチョウマルが激しく揺れた。
「なっ、なんだ!?」海斗は動揺した。
 空にいるのに、地震のように揺れたからだ。慌てて近くの物に掴まった。海斗たちは艦橋にいた。ボドウのことが気になったからだ。この揺れはボドウが関係しているのは、何となくわかった。揺れが収まったところで、海斗たちは、艦橋の窓に張り付いて、後方を見ようとした。だが残念なことに、位置の関係でどうなっているのか見ることはできない。
「……そうか」カオナシは呟く。「お前は抗うことを選んだか……」
 カオナシには顔がないので、今どのような表情を浮かべているのかわからないが、後悔しているように感じた。海斗は何となくそう思った。
「急いで東方鎮守のところへ向かってくれ」
「……なあ、カオナシ」海斗は再三同じ問いを発する。「本当にあんな別れで良かったのか?」
 海斗は、拓郎や達也のことを思い出していた。生前――おかしな表現かもしれないが――納得のいく別れをすることができなかった。その頃は、あんな最後を迎えるとは夢にも思わなかったが。その点、カオナシは、ボドウが死ぬのをわかっていた。あんな素っ気無い別れではなく、納得のいく別れをすることができたのではないかと思う。後悔しているのではないかと心配になる。
 カオナシは三度、何も返事をしなかった。
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