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幸せになれる村
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“訪れた人は皆、穏やかで幸せになって帰る”
雑誌の編集会議でその言葉を聞いたとき、
ただのたとえ話、もしくはどこかの観光名所にある村に過剰評価がついただけ。そんなものだと思った。
「知る人ぞ知る『また訪れたい村』なんだよ」
同僚が、どこか面白がるように言った。
「知る人ぞ知る?なんだそれ」
思わず聞き返すと、彼は肩をすくめた。
「気になるなら行ってみればいい。俺は不気味で行く気はしないけどな」
たしかに、気味は悪かった。だが、それ以上に興味が勝った。
そうして僕は取材道具を詰め込み、冬の山道を登った。
冬の終わり、霞のかかった山あいに村が見えた。
瓦屋根の家々はこぢんまりと並び、畑には人影があった。
廃墟ではない。
人の暮らしが、確かにそこにあった。
「ようこそ、我々の村へ」
役場の青年が出迎えてくれた。
にこやかで、どこか整いすぎた笑顔。
取材の目的を伝えると、彼は快く案内してくれた。
「ここではお金を使わないんです。
互いに助け合うことで暮らしています」
言葉はやさしく、声にも、疑う余地がなかった。
村の中に、争いの気配はない。
人々は皆、同じ温度で笑っている。
宿に通されると、女将と若い娘が迎えてくれた。
娘が湯呑を差し出しながら言った。
「お金はいりませんよ。気持ちがあればそれで」
まるで当然のことのように。
僕が苦笑すると、娘は静かに笑い返した。
その笑顔が、不思議と胸に残った。
翌日、村を歩いた。
商店でパンをもらっても、代金を求めない。
「ありがとう」と言えばそれで終わり。
試しに財布を出すと、周囲の空気が、ほんの一瞬、張りつめた。
まるで「支払う」という行為そのものが、この村では触れてはならないもののようだった。
村の人々は親切だった。
でも、笑顔がどれも似ている。
喜びも悲しみも、均等に薄められたような表情だった。
その日の午後、子どもが車道に飛び出し、あわや轢かれそうになった。
老女がすぐに駆け寄り、身を挺して子供を抱えた瞬間、
車が急停止し、なんとか事なきを得た。
子どもの顔が少し青ざめ、老女の頬がうっすら紅潮したように見えた。
通りすがりの男が呟いた。
「よかった。2人とも助かって」
本当に、間一髪だった。
そう思ったはずなのに、胸に残る感情は、どこか平らだった。
夕刻、ふと寄った宿の近くの花屋の娘が、白い花を一輪差し出した。
「旅の人に差し上げたいんです。幸せを分ける花ですから」
灯りの下で、花びらが透けて見える。
ほんのりと甘い香り。
「分ける……って?」
僕が尋ねると、娘は少し考えて言った。
「この村では、誰かが幸せになれば、誰かも幸せになります。
だから、分け合うことが大事なんですよ」
「誰かが悲しんだら?」
娘は穏やかに笑った。
「誰かが、少しだけ多く笑えばいいんです。そうすれば、みんな元に戻りますから」
“戻る”という言葉が、耳の奥に引っかかった。
だが、それ以上は聞かなかった。
素敵な花だが、翌日には村を出る。
そのまま持って帰ると枯れてしまう。
彼女に幸せのお返しと、押し花にして栞を作ることにした。
翌朝、花屋の前に花びらが散っていた。
白がうっすらと灰色にくすんでいる。
村人に尋ねると、娘は体調を崩して倒れたという。
命に別状はないが、意識ははっきりしないらしい。
宿の女将が静かに言った。
「優しすぎたんですよ。人の分まで笑おうとしたから」
村人たちは集まり、静かに見守っていた。
誰も取り乱さない。
泣く人もいなければ、怒る人もいない。
ただ、ひとりが減った分だけ、他の誰かが少し明るくなったように見えた。
---「誰かが、少しだけ多く笑えばいいんです。そうすれば、みんな元に戻りますから」
その言葉が、何度も頭の中で反すうされる。
笑っていないはずなのに、口元が緩んでいた。
だから誰も「もっと幸せになりたい」とは言わない。
彼らの幸は、この「均衡を保つ」ことがなんだ。
帰り支度をしているとき、役場の青年が訪ねてきた。
「もうすぐ雪が降ります。お帰りの際はお気を付けて」
「ええ……そうですね」
「ところで、1つ伺っても?」
「はい、何でしょう」
「この村はどうでしたか」
花屋の娘のためにこしらえた栞を渡してこう言う。
「この栞みたい」と
雑誌の編集会議でその言葉を聞いたとき、
ただのたとえ話、もしくはどこかの観光名所にある村に過剰評価がついただけ。そんなものだと思った。
「知る人ぞ知る『また訪れたい村』なんだよ」
同僚が、どこか面白がるように言った。
「知る人ぞ知る?なんだそれ」
思わず聞き返すと、彼は肩をすくめた。
「気になるなら行ってみればいい。俺は不気味で行く気はしないけどな」
たしかに、気味は悪かった。だが、それ以上に興味が勝った。
そうして僕は取材道具を詰め込み、冬の山道を登った。
冬の終わり、霞のかかった山あいに村が見えた。
瓦屋根の家々はこぢんまりと並び、畑には人影があった。
廃墟ではない。
人の暮らしが、確かにそこにあった。
「ようこそ、我々の村へ」
役場の青年が出迎えてくれた。
にこやかで、どこか整いすぎた笑顔。
取材の目的を伝えると、彼は快く案内してくれた。
「ここではお金を使わないんです。
互いに助け合うことで暮らしています」
言葉はやさしく、声にも、疑う余地がなかった。
村の中に、争いの気配はない。
人々は皆、同じ温度で笑っている。
宿に通されると、女将と若い娘が迎えてくれた。
娘が湯呑を差し出しながら言った。
「お金はいりませんよ。気持ちがあればそれで」
まるで当然のことのように。
僕が苦笑すると、娘は静かに笑い返した。
その笑顔が、不思議と胸に残った。
翌日、村を歩いた。
商店でパンをもらっても、代金を求めない。
「ありがとう」と言えばそれで終わり。
試しに財布を出すと、周囲の空気が、ほんの一瞬、張りつめた。
まるで「支払う」という行為そのものが、この村では触れてはならないもののようだった。
村の人々は親切だった。
でも、笑顔がどれも似ている。
喜びも悲しみも、均等に薄められたような表情だった。
その日の午後、子どもが車道に飛び出し、あわや轢かれそうになった。
老女がすぐに駆け寄り、身を挺して子供を抱えた瞬間、
車が急停止し、なんとか事なきを得た。
子どもの顔が少し青ざめ、老女の頬がうっすら紅潮したように見えた。
通りすがりの男が呟いた。
「よかった。2人とも助かって」
本当に、間一髪だった。
そう思ったはずなのに、胸に残る感情は、どこか平らだった。
夕刻、ふと寄った宿の近くの花屋の娘が、白い花を一輪差し出した。
「旅の人に差し上げたいんです。幸せを分ける花ですから」
灯りの下で、花びらが透けて見える。
ほんのりと甘い香り。
「分ける……って?」
僕が尋ねると、娘は少し考えて言った。
「この村では、誰かが幸せになれば、誰かも幸せになります。
だから、分け合うことが大事なんですよ」
「誰かが悲しんだら?」
娘は穏やかに笑った。
「誰かが、少しだけ多く笑えばいいんです。そうすれば、みんな元に戻りますから」
“戻る”という言葉が、耳の奥に引っかかった。
だが、それ以上は聞かなかった。
素敵な花だが、翌日には村を出る。
そのまま持って帰ると枯れてしまう。
彼女に幸せのお返しと、押し花にして栞を作ることにした。
翌朝、花屋の前に花びらが散っていた。
白がうっすらと灰色にくすんでいる。
村人に尋ねると、娘は体調を崩して倒れたという。
命に別状はないが、意識ははっきりしないらしい。
宿の女将が静かに言った。
「優しすぎたんですよ。人の分まで笑おうとしたから」
村人たちは集まり、静かに見守っていた。
誰も取り乱さない。
泣く人もいなければ、怒る人もいない。
ただ、ひとりが減った分だけ、他の誰かが少し明るくなったように見えた。
---「誰かが、少しだけ多く笑えばいいんです。そうすれば、みんな元に戻りますから」
その言葉が、何度も頭の中で反すうされる。
笑っていないはずなのに、口元が緩んでいた。
だから誰も「もっと幸せになりたい」とは言わない。
彼らの幸は、この「均衡を保つ」ことがなんだ。
帰り支度をしているとき、役場の青年が訪ねてきた。
「もうすぐ雪が降ります。お帰りの際はお気を付けて」
「ええ……そうですね」
「ところで、1つ伺っても?」
「はい、何でしょう」
「この村はどうでしたか」
花屋の娘のためにこしらえた栞を渡してこう言う。
「この栞みたい」と
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