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彼女は歌う

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それは突然のことだった。バスチアン領にて、魔獣のスタンピードが起こったのだ。自領から出て行く前に討伐しきってしまわなければ、魔獣の被害を受けた他領に賠償金を支払わなければならなくなる。それでなくともスタンピードで破壊された自領の復興もしなければならないので、それだけは避けたい。ボーモンは直属の騎士団を率いて魔獣の元へ急ぐ。転移魔法さえ使って仕舞えば、間に合うはずだ。

「テレーズ、行ってくる」

「……」

「心配しなくてもちゃんと帰ってくる」

「……」

「……行ってくる」

見送りに来たが、俯くばかりのテレーズにボーモンは後ろ髪を引かれる思いである。しかし、テレーズとの生活を守るためにも行くしかない。

ボーモンは転移魔法の魔法陣に乗り込む。そして発動したその瞬間。

「えい!」

「テレーズ!?」

「テレーズ様ーっ!?」

テレーズが、ボーモンの隣の空いたスペースに乗り込んできた。マルカの叫び声が聞こえた気がするが、今はそれどころじゃない。

「テレーズ!このバカ!君はここがどれほど危険な場所かわかっているのか!?」

「ボーモン様。ちょっと魔力お借りしますね」

「は?」

テレーズはボーモンの魔力を奪う。本来なら常人には出来るはずのない、魔力吸収。ボーモンはテレーズの隠された才能に驚く。

「君はそんなことが出来るのか……」

「そしてこんなこともできます」

テレーズは、突然前世にどこかで聞いた歌を歌い出す。いや、歌で集中しながらボーモンから奪った沢山の魔力を材料に、魔封じの網を超広範囲に広域展開した。

『あなたが自分を許せないというなら、あなたを許せないあなた自身を、私が許しましょう

あなたが自分を傷つけるというなら、あなたを傷つけるあなた自身を、私が癒しましょう

あなたが自分を弱いと詰るというなら、あなたを詰るあなた自身を、私が認めましょう

あなたが自分を恨むというなら、あなたを恨むあなた自身を、私が愛しましょう

あなたが自分を拒絶するというなら、あなたを拒絶するあなた自身を、私が受け止めましょう

あなたが涙を流すのならば、私は必ずあなたの側にいます

現実では側に居られなくても、心は必ずあなたの側にあります

責任感の強いあなたが、自分を許せないとしても

優しすぎるあなたが、自分を傷つけるとしても

頑張りすぎるあなたが、自分を詰るとしても

人を憎めないあなたが、自分を恨むとしても

他人を愛したあなたが、自分自身を拒絶するとしても

どうか、気が付いて

どうか、忘れないで

あなたには、必ず、あなたを思い涙を流す人がいるということを

あなたには、必ず、あなたの優しさに救われた人がいるということを

あなたには、必ず、あなたの幸せを願う人がいるということを

あなたには、必ず、あなたを心配する人がいるということを

あなたには、必ず、あなたを愛する人がいるということを』

その優しい歌声に、その場にいたボーモンや騎士団員達はしばらく呆けていた。それは魔獣達も同じだったようで、魔封じの網に絡みとられたというのに先程よりも落ち着いていた。

「テレーズ、君は……」

「えへへ。お父様達が私を溺愛する理由、わかりました?私、こう見えてもアルビオン公爵家の切り札だったんですよ!今はもう、バスチアン侯爵家の切り札ですけどね!」

本来なら、どんなに得意でも一年以上はかかるだろうこの大規模な魔封じの網の作成。それを一瞬で成し遂げるテレーズに、ボーモンは目を見張る。

だが。

「……えへへ。褒めてください、ボーモン様」

そう言った次の瞬間、テレーズは目と鼻と耳から血を吹き出して倒れた。

「テレーズ……?」

ボーモンはあまりのことに動揺して動けない。

「当主様!お気を確かに!この場は後は我々にお任せを!奥様を助けてください!」

一人の若い、まだ見習いだろう騎士が叫ぶ。ボーモンはハッとして、彼を見た。強く頷かれて、ボーモンはテレーズを抱き抱えて魔法陣を発動する。

「後は頼んだ!」

「「「お任せを!」」」

先程出たばかりのボーモンが、あちこちから血を流すテレーズを抱き抱えて帰ってきたことで屋敷は大混乱。マルカは泣き叫んでテレーズに縋り付いて、ポロに無理矢理引き剥がされていた。その後はポロに抱きしめられたまま泣き叫んでいた。そんな二人を尻目に治癒魔法が得意なシリルが急いでテレーズに処置を施す。

残念ながらスタンピードのせいで領内の腕の良い治癒術師は軒並み出払っている。シリルの他数名の治癒魔法が使える使用人達が代わる代わるテレーズに治癒魔法を掛ける。ボーモンはテレーズに魔力を奪われたため見守る事しか出来ない。

「くそっ!奥様、目を開けてください!」

「テレーズ様!」

「奥様!今日のおやつはガトーショコラですよ!」

「ガトーショコラ……」

「!」

こんな状況でも甘いものには反応するらしい。なんだか少しだけ、その場にいた全員の緊張感が和らいだ。

「あ、私部屋に行って魔力回復用のポーション取ってくる!」

「私も!」

「私も持ってくる!」

緊張が解れれば、頭も働く。使用人達は魔力回復用のポーションを取ってきて、シリルを含めた治癒魔法が使える使用人たちとボーモンに渡す。テレーズがたくさん魔力を使ったことを考慮して、ボーモンが魔力回復用のポーションをテレーズに口移しで無理矢理飲ませる。もちろん自分も飲んで、テレーズに治癒魔法を掛けた。使用人たちが献上してくれた魔力回復用のポーションが無くなる頃には、ようやくテレーズの出血は収まった。だが、大量の血が流れたため顔色が悪い。

「テレーズを自室のベッドで寝かせる。…申し訳ないが、私の代わりにテレーズをよろしく頼む」

「お任せください、旦那様」

ボーモンはテレーズをベッドに寝かせると、転移魔法で騎士団の元へ戻る。その瞳が潤んでいたのを見た使用人たちは、テレーズをなんとしてでも守らねばと行動を開始する。具体的には、血が足りないなら怪我の回復用のポーションを飲めばいいんじゃないかと怪我の回復用のポーションを飲ませた。ゆっくりと吸い飲みで飲ませれば幸い効果があり、三本目を飲み干した頃には顔色も良くなった。

一方でボーモンが騎士団の元へ戻ると、彼らは国の魔獣研究所に連絡して魔獣達を保護してもらっている最中だった。テレーズの魔封じの網は、すごい効力を発揮しており怪我人は出ていない。ここは本当に騎士団に任せて大丈夫だということで、今度はスタンピードで荒らされた領内の被災地に赴き怪我人たちに治癒魔法を掛ける。

テレーズの尽力とボーモンの迅速な対応によって、死者は最低限に抑えられた。バスチアン侯爵家の潤沢な資金によって、復興するのも早かった。今回のテレーズとボーモンの夫婦の絆と領民達への献身は後世まで語り継がれることになるが、二人はそんなことなど知る由もなかった。

数日間を被災者の治癒と行方不明者の捜索に使ったボーモンがようやく屋敷に帰れば、テレーズは何事もなかったかのように落ち着いた様子でぐっすりと眠っていた。悪化はしていないが、目は覚めていないらしい。栄養剤を注射しているが、このままでは栄養失調になってしまう。

「テレーズ……」

ボーモンはテレーズの手を握りしめる。

「頼む。腕の良い治癒術師の手が空くまで、あと少し待ってくれ。頼むから、居なくならないでくれ。私には、君が必要だ」

ボーモンは祈るようにテレーズの瞼にキスをする。

「ん……ボーモン、様?」

眠り姫がようやく目を覚ました。
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