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第三章
No.38 残酷な真実
しおりを挟む目が覚めた。白い天井が見える。
セルビリアの医療室にいるのだろうか。
ああ、今までの事は全部夢だったのだろう。とても酷い悪夢だった。
リリィは上半身を起こした。
自分はガーディアンの黒コートでは無く、薄っぺらな白い服を着ている事に気付いた。そしてベッドでは無く、手術台の様なものに寝ていたらしい。
違う。ここは医療室では無い。
自分と、この台以外に物は無い。窓も無く、異空間なのではと思う程に異質で異様な、真っ白で殺風景過ぎる部屋だ。
「うぅっ...」
突如、激しい頭痛。
そうだ、悪夢なんかでは無い。
シャリーデアを殺し、西の支部の者達を殺し、本部へ向かってグランスを襲撃した。全て実際に自分がやった事だ。
それから...それからどうしただろう。
記憶を探り、ぼんやりと思い出す。
自分と年の差もそこまで無いであろう少女がやって来て、拘束された自分を助け出した。そしてセルビナ国を後にした。
シンやギルの絶望に満ちた顔を覚えている。
途端に涙が溢れ出した。操られ抗えなかったとしても、本当に大変な事をやってしまった。
「に、逃げないと...」
ここが何処かは知らないが、とりあえず逃げ出してセルビナ国へ戻らなければ。
幸い、拘束はされていない。
身体は自分の思うままに動かせる。
リリィは台から降りた。
右側の壁に同色でわかりづらい扉があった。
足早に向かい、ドアノブも無いその真っ白な扉の前に立った。すると、その扉は自動的に横へ開いた。
外には通路が広がっていた。先が見えない。レイドール国の基地よりもずっと広い建物のようだった。
部屋から出ると、また自動的に扉が閉まり、光が無くなった。とても暗い。足元が辛うじて見える程度だ。
リリィはとりあえず、通路を右に進んだ。
人気も無い。なんの気配も感じない。
リリィの足音だけが暗い通路に響き渡る。
ここは一体何なのだろう。とても冷たく、負の感情を増大させる嫌な空気だ。
やがて、通路は終わった。行き止まりだ。
が、扉がある。とても大きな扉が。
中から明かりが漏れている。そして、何かの気配も感じた。人かどうかは定かでは無かったが。
出口か?部屋か?
リリィは迷ったが、扉の前に立った。
その扉もまた、自動的に開いた。
薄暗かったが、それでも今まで通って来た通路と比べれば明るい方だった。
その為、暗闇に慣れていたリリィの目に“それ”は充分明確に映し出された。
リリィは息が止まるかと思った。
目の前に現れたのは、大きな赤い蜘蛛。
レイドール国で見たあの蜘蛛もリリィよりずっと大きかったが、今目の前にいる蜘蛛はその何倍も大きかった。
「な、何よこれ...!!」
セルビリア支部の建物くらいはあるであろう巨大な赤い蜘蛛に、リリィは思わず後退りした。
幾つもの目がリリィの姿を捉える。
生きているのか?動く気配も無い。
死んでいるのだろうか。
「素晴らしいでしょう?」
女の声が聞こえた。急いでその姿を探したが、声は大きな部屋の障壁にぶつかり、反響して場所を特定出来ない。
警戒し、キョロキョロと辺りを見回すリリィを笑いながら、女は続けた。
「地下奥底に眠っていた欠片を、幾つも繋ぎ合わせて出来ているのよ。あと一つで完成だわ。」
「誰よ...何処にいるの!」
「こんな強大な生物が暗黒時代には普通にそこら辺をウロつき回っていたと思うと恐ろしいわよね。そりゃあ人間なんてひれ伏す以外選択肢が無いわ。」
“幻獣”
その単語がリリィの頭に浮かんだ。
まさか、これがそうだと言うのか?
いや、有り得ない。有り得てしまっては困る。
何だとしても脅威には違い無いし、こいつはとても嫌な感じがする。
声の主が現れないので、リリィは巨大な蜘蛛を繋いでいる幾つもの装置へ走った。
何か、状態維持の役目のものは無いか。見付けたら線を引っこ抜くか、壊してやる。
「それは“抜け殻”よ。」
また、声が響いた。笑っている。
リリィは無視して調べまわった。
「せっかくだからと思って生前の姿に修復しているだけで、中身は別の場所にあるわ。無駄よ、リリィ。」
ヒールの高い音が背後から響いた。
リリィは急いで振り返った。
ようやく声の主が姿を現した。
年は40前後であろう女。黒い内巻きのセミロングに鋭い瞳。セルビリアやレイドール国の研究員が着ているものと同じ様な真っ白の白衣。
リリィはその女に見覚えがあった。
だが、いつだ。何処で見た事があったか眉を顰めて考えるリリィに、女は優しく笑いかけた。
「嬉しいわ、ちゃんと役目を果たして戻って来てくれたのね。私の事、ちゃんと覚えているかしら?」
その言葉に、リリィは思い出した。
そんなまさかと思ったが、でも確かだ。
意識せず口は勝手に言葉を発した。
「ーーーーお母さん...?」
夢で見た母の姿だ。
少し年を取ったくらいで、他は何もかもあの夢で見たままだ。服装も何もかも。
リリィは一瞬、自分が今もしかしたら敵国の基地にいるかもしれないという事を忘れた。背後に置かれた大蜘蛛の存在も。
母と、そして自分だけが何も無い世界で向かい合っている気がした。
自然と目に涙が溢れる。
目の前にいる母が笑った。
が、その笑顔は微笑む、だなんて優しいものでは無かった。腹を抱え、大声を出して嘲笑ったのだ。
「あはは!お母さんって言った?あの女の張ったヒーリスのせいで記憶障害が出ているかもとは思っていたけど、あなた私の事を母親だと思っていたの?」
そう言ってまた大笑いする女。
リリィは声も出なかった。涙が零れた。
どういう事なのか何もわからなかった。
やっと女は笑い終わった。
笑い涙を拭いながら、今度はわざとらしい程優しい笑顔を浮かべた。
「じゃあ教えて頂戴、リリィ。あなたは自分の事を何者だと思っていたの?」
「...私は二年前にラギス国が攻め込んで来た時に母親を殺されて孤児になった。私はショックで記憶喪失に陥ったが、母がいたという記憶があった。そしてあなたの笑顔を夢で見た。」
教えてやるもんか。そう思っていたのに、リリィの口は勝手にペラペラと喋り出した。口を閉ざそうと意識したが、何かにはね除けられた。
女は何も言わず、うんうんと頷いている。
これも操りの一つなのだろうか。どう足掻いてもリリィは勝手に動く自分の口を止められなかった。
「だから私はセルビリアに志願した。母親と暮らして来た記憶を取り戻すには、平穏に暮らすのでは無くラギス国を討つべきだと思った。そして私はヒーリスのナーチャーである事が発覚し、セルビリアの一員となった。」
「...ふんふん、頑張ったのね。えらいわ。」
リリィの口が動きを止めると、女はまた不快な微笑みを浮かべて見せた。
もう一歩、リリィへと近付く。そして今度は優しさの欠片も無い、悪魔の様な笑みを浮かべた。
「全て違うわ。大間違い。」
「...どういう事よ。」
リリィの口はもう思い通りに動かせた。
拳を握り締め、ついさっきまで母親だと思っていた目の前の女を睨みつける。
「そうね、教えてあげるわ。」
そう言いながら横を向き、歩き出した。
「まず一つ目の間違い。あなたはセルビナ国出身じゃなくてラギス国出身よ。」
「次に二つ目の間違い。私は母親では無いし、あなたに両親はいない。ラギス国の孤児院にいて、まだ幼少の時にラギス軍が引き取った。」
つらつらと言葉を並べながら、身体を震わせて何も言わぬリリィの周りをぐるぐると歩き回る。
だがその目はしっかりリリィを見ていた。
反応を見て楽しんでいる様だ。
「あなたはラギス国のスパイよ。まあ操ってそうしていたんだけどね。二年前に攻め込んだ時に紛れ込ませたの。その時のあなたの任務はこう。セルビナ国の孤児となってセルビリアに志願し、そして軍の中の情報を頭の中に詰め込んで時を待って帰還せと。」
本当に覚えてない?と女が言った。
リリィの頭の中に、夢でこの女が言っていた言葉が蘇った。
『役に立つのよリリィ。私の元へ帰るその日までしっかりね。』
そう言って、自分の頬に手を添えて優しく微笑んでいるこの女を。覚えている。
何か頭の中に音がした。“その日”が唐突に視界全体へ広がった。
女のその言葉に、私は頷いた。大勢の兵士達と同じく操られていた私。だが抗ってはいなかった。幼い頃から洗脳され、元からこの女を母の様に思っていた。
「ソフィア...」
「あら、私の名前。思い出したのね?」
呟いた言葉に、ソフィアは足を止めてリリィに笑顔を向ける。
が、リリィは信じなかった。というより、信じたくなかった。もう一度、力強くソフィアを睨みつけた。
「いいえ、この頭の中の記憶も操りによって見せているんでしょう?私を混乱させるつもりなのね。信じたりしないわ、絶対に!」
「信じたくない、の間違いよね。」
嘲笑うソフィアに、リリィは唇を噛んだ。
その通りだ。が、絶対に違う。絶対に嘘だ。だって今の事が真実だと認めてしまったら、自我が保てなくなる。
何か、何か否定出来るものは無いか。
考えに考え、リリィは思いついた。
「私はヒーリスのナーチャーよ。そしてヒーリスのナーチャーはセルビナ国、レイドール国、ナルダ国にしか出現しない。私はラギス国出身者じゃないわ!」
「ああ、それね。最後の間違い。」
意外にも、ソフィアは怯まなかった。
両手を合わして、わざとらしく頷く。
これを否定されたら終わりだ、とリリィは血が滲むほどに唇を強く噛んだ。
そして残酷にも、ソフィアは答えた。
「それ、“あなたのじゃない”わ。」
「は...?」
「二年前のあの時にあいつ達が見つけ出して仕込んだのね。どうして殺してしまわなかったのかは謎だけど、とりあえずその能力を入れられた事によって操りをねじ伏せられ、記憶を失ったのよ。」
「あなたはヒーリスのナーチャーでなければミジュラのナーチャーでも何でもない、ただの一般人よ。貰い物の力を偶然引き出せて使用出来たってだけ。」
「まあ、何にせよラッキーだったわ。あなたはその貰い物のおかげでチヤホヤされたんでしょう?私達はそのおかげでセルビリアだけでなくガーディアンの情報も手に入ったわけだし。結果オーライね。」
リリィは口を開けたが、掠れた声が出ただけで言葉にはならなかった。衝撃が大き過ぎて涙すら出ない。
リリィはその場にへたり込んだ。
全て偽りだったのか。何もかも。
探し求めていた過去に記憶だけで無く、それからの人生すら自分のものでは無かったのか。
「でも私は、私は自分の強い意思でセルビリアに志願した。それは間違いなく私の意思で...」
「私の姿を覚えているくらいなんだから、任務の事だって意識の奥底には残っていたんじゃないの?セルビリアに志願した事だって、きっとあなたの意思じゃ無いわ。」
「これ以上否定しないで!!」
リリィは声を荒げた。血の味がする。唇は大きく傷を作っていた。
俯き、そのまま泣き出すリリィ。その姿にソフィアは冷酷な視線を浴びせた。
「あなたの今までの人生は全て操りや嘘や、誰かの陰謀によって作られている。そしてこれからもそうよ、可哀想に。」
リリィに目線を合わせる為に座り込み、頭を優しく撫でるソフィア。こうされた事がずっと昔にもあると、リリィは無意識に思い出した。そしてそんな自分に吐き気がした。
ソフィアを見る。なだめるように優しく微笑んでいるが、その目は笑ってなどいない。表面だけで無くその奥まで全て真っ暗だ。
ブラックホールのように、リリィはその暗い目の中に吸い込まれた。
ソフィアが立ち上がった。
すると、リリィも立ち上がった。そんなつもりは無かったし、そんな気力など無かったはずだが。
「さ、行きましょうリリィ。寝ている間に記憶の中はあらかた覗かせて貰ったけど、色々と報告して欲しい事があるの。」
そう言って出口へと歩き出す。
その背中に突進して、床に這い蹲らせて首を絞めて殺してやりたかった。が、リリィの身体はもう持ち主の意思に従ってはくれなかった。
「ヒューラ様がお待ちかねよ。」
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