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第三章
No.46 因縁
しおりを挟む時は戻り、本基地突入から数分後。
親指の爪を噛み、ソフィアはミジュラの抜け殻の前を意味も無く歩き回っていた。
この苛立ちを抑える為に、ここに来る道中ラギス兵を一人呼び出して無惨にも殺した。が、それでもやはり消え失せるものでは無い。
ファルアロン奪還は予想外だが、近々攻め入って来る事は勿論わかっていた。武器も取り揃え、準備していた。
だが、まさか、気配に気付けないとは。
きっとファルアロン軍のミジュラ兵だ。
幻覚をかけて気配を乱す。それはラギス軍でも昔から使用していた戦法だった。だからこそ、ミジュラそのものである自身がそれに惑わされる事は無いと思っていた。
ミジュラの欠片がファルアロンの土地に埋まり、何らかの形で変化したのだろうか?どこの国のミジュラのナーチャーも、能力こそ変わらないが少しずつ違うのだろうか。
リリィの様に操る前から洗脳していれば能力を扱う事は可能であるが、そうでなければ本来能力までは操られない。
だが今思えば、同種であるミジュラの能力さえ操られなかったのは不可思議だ。その時点で気付くべきだった。
ソフィアはラギス軍に十数年いるが、兵士では無く研究員だ。戦場に出た事も無ければ、戦い方だって知らない。
これまで幾つもの国を操り、二年と少し前には世界戦争も引き起こした。行なったのはソフィアだが、企て、実行する迄を作り出したのはヒューラだ。
そのヒューラも数ヶ月前にとうとう心を病み、あの情けの無い姿へと変わってしまった。
ヒューラがあんな状態で無ければ!肝心な時に役に立たない奴だ。
「馬鹿にして、馬鹿にして...!!」
自分は“ただの一研究員”であり、戦いに関しては紛れも無く“素人”なのである。
確かにアルビノの言う通りだ。
だが、それが一体何だと言うのだ?
今やソフィアはミジュラの適合者。
つまり、自分自身が幻獣なのだ。暗黒時代に人々を恐怖のどん底に突き落とした絶対的な存在。今のソフィアは“それ”なのだ。
ソフィアの身体中に張り巡らされた怒りが音も無く引いて行った。そうだ、人間なんぞの力を借りなくとも、この操りの力があれば何だって出来るではないか。
誰に向ける事も無く嘲笑し、両腕を前に出す。すると白衣の袖から、何十匹もの蜘蛛が姿を現した。
通常の大きさの、真っ赤な蜘蛛。
だがその蜘蛛達は地面へと着地するなり、ソフィアよりもずっと大きく膨れ上がった。
「お行きなさい。」
その言葉に、大蜘蛛達がキチキチと音を鳴らして返事をする。そしてソフィアへ背を向け、扉の外へと順番に出て行った。
同盟軍兵士の気配の数が最初に感じた数よりもずっと多くなっている。能力を発動すれば解かれる仕組みか。それはラギスのミジュラ所持兵と同じなのだな。
きっと五国共、ナーチャーだけの隊だろう。
恐らく、いや絶対に最後の最後まで幻覚を解かずにいる兵士達がいるはず。そしてヒューラを探すはず。それでいい、それでいいのだ。この国にはもう用は無い。
ヒューラへ向かう兵士、その役目に当たるのはセルビリアのガーディアンだろう。
リリィを当てさせるか。
ソフィアの顔が不気味に歪んだ。
きっと面白い。あの子は喉を潰された。操りは身体だけに制限しよう。心はそのまま。
含み笑いをしながら、ソフィアは扉に背を向けてミジュラの抜け殻の前に立った。
「本当に愚かな生き物よねえ。でもあなたはそんな愚かな生き物に殺された。私はそうはならないわ。人間風情が幾ら集まって力を合わそうとも、敵うわけが無い。」
「本当にそう思う?」
背後から、子供の声が返って来た。
気配は無かった。今も無い。
だが、ソフィアは決して焦らなかった。
顔に貼り付けた暗い笑みをそのままに、ゆっくりと振り返ってその声の主を見る。
「待ってたわ、ようこそ。」
「どうも、お邪魔してます。」
扉の前に立つ黒いコートの少年が、浅くお辞儀しながら行儀良く言った。
少年に隠れた扉の向こう側には、先程送り出した大蜘蛛達が無惨にも細切れの死体となって転がっている。
少年の手には剣(ソード・レック)。彼の力量であれば不必要であろうが、彼にもミジュラの幻覚はかかっている。能力も無しに二桁数の大蜘蛛達を音も無く殺したという事だ。
だがそれも驚嘆に値する事柄では無い。
少年が自身と張り合える力を持つ生物だと、充分に理解しているからだ。
「ゾーイと名乗っているんですって?」
「名乗るも何も、本当の僕の名前さ。」
ゾーイが前へ足を運ぶ。
ソフィアは少し警戒した。少年に殺気も殺意も無い事は承知しているが、それでも身構える事は当然だった。
そんなソフィアを他所に、ゾーイは興味深く辺りを見渡しながら進んだ。そしてソフィアから数メートル程離れた場所で立ち止まり、ミジュラの抜け殻を見上げた。
「凄いね、こんなに大きいんだ。」
感心した様な、子供らしい声を出す。
が、ゾーイを見続けていたソフィアには、ほんの一瞬だけその目に負の感情が浮かんだ事に気付いた。
それがどういう理由かはわからないが、ソフィアには何故かとても苛立つ事だった。
「...だけどこんなにも強大な生き物を、あなたは殺したんだから。」
「僕じゃない。」
短く言い、ゾーイがソフィアを見た。
底の見えない真っ赤な両目が、ソフィアの暗い目を捉える。その瞬間、ソフィアの身体に恐れが走り巡った。“あの時”の様に。
ゾーイはそれに気付き、微笑した。
「ミジュラを殺したのは僕じゃないし、殺されたのは君じゃないよ。まあ、記憶は無くても感情は色濃く受け継がれたんだろうね。」
そう言って、ゾーイはマスクを取った。
アッシュブルーの髪、生気の無い赤い目、何て事は無い年相応の、子供らしい顔。
だが正直、ゾッとした。
恐怖の上から憤怒の針が幾つも突き刺さる、そんな感覚に陥ったのだ。
ゾーイの顔を見たのは今が初だ。
そのはずなのに、何故かとても昔から知っている様な気がした。これがゾーイの言う、受け継がれた感情なのだろうか。
「あの世界戦争で君が何の意味も無く、レイドール国やナルダ国、セルビナ国を攻めた事だってそう。仕返しのつもりだったんでしょう?予言者はついでか、もしくは頼まれたからだ。」
「よくわかってるじゃない。本来あの戦争を引き起こした理由は、ミジュラの欠片を手っ取り早く集める為。その時手を組んだ国も勿論ミジュラの欠片の埋まった国だった。手を組んだというより、操ったんだけどね。」
「そんな事だろうと思ったよ。だけどそんなに急ぐ必要は無かったんじゃないの?ミジュラが、“彼女が”そう言ったの?」
「そうよ。私に囁きかけた。“彼”がやって来る前に完全体へ少しでも近付くんだと。」
そこで切り、ソフィアはゾーイを見た。
返答を待ったが、ゾーイはただソフィアをじっと見据えるだけで、何も言わない。
「そして、あなたはやって来た。」
ソフィアが低い声で言った。
どちらとも、同時に笑みを浮かべる。
様々な感情の入り混じった、誰にもその本意を捉える事の出来ないものを。
「その事は知っていたけど、何処の誰かはわからなかった。だけどレイドール国での会議の時、ヒューラの中から更にヘルシェアの中でその赤い目を見た時、正体に気付いた。」
ソフィアが低く低く、唸るように言う。
その身体は黒々とした紫色のオーラを発し、そのオーラがまるで生き物の様にソフィアを包み込む。
「そしてそれから手を組むか、私は語りかけたわよね。だけどゾーイ、あなたはノーだと言った。余計なお世話だと。こちらはこちらで動くから、邪魔をするようなら容赦はしないと!」
ソフィアの声が怒りに震え、大きくなる。
白衣の袖から、先程と同じ様に小さな蜘蛛達が現れては地面に着地して膨れ上がる。
その数は百を超え、それでもなお止まらず増え続けている。
「牙を剥くようであれば、またあの時のように殺してやると!あなたはそう言い切ったわね!」
「そうだね。そして君は牙を剥いた。」
全てを呑み込んでしまいそうな程の巨大なオーラを纏うソフィアが、怒りを爆発させた。
数百の大蜘蛛に囲まれ、感情を殺意と憤怒だけに残したソフィアを前にし、ゾーイも静かに黒を纏った。
ソフィアの爆発的なオーラとは違う、研ぎ澄まされた冷静な殺気がゾーイの漆黒の渦に混じる。
大蜘蛛達が少したじろいた。
が、ソフィアは止まらない。
「人間風情が、身の程を知れ。」
「化け物風情が、粋がるな。」
それを合図に、大蜘蛛達が一斉にゾーイへと襲い掛かった。
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