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第1部序章
第5話古き家と白金の盾
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コンスタン宮を出た馬車の中。
アエリアは、隣に座るフラウィウスを見上げて静かに口を開いた。
「フラウィウス様。義父上と義母上へ御挨拶に向かう前に、一度屋敷へ戻って着替えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
フラウィウスは少し困惑したように眉を寄せる。
「別に構いませんが……どうかしましたか? 体調が悪いとか」
「いえ、そうではありません。ただ、少し服を変えて行きたいと思いまして」
「おかしくはないと思いますが……この服装は、あくまで皇帝陛下に謁見するための正装ですからね」
フラウィウスが言葉を濁す。アエリアが着替えたいと言う理由が、全く見当がつかなかったからだ。
「別にそのまま行っても良いと思いますが」
「これでは、義母上の機嫌を損ねる可能性がありますの」
フラウィウスが首を傾げると、アエリアはふんわりとした微笑を浮かべた。
「もしかしたら、フラウィウス様の気に障る話になるかも知れませんが……宜しいでしょうか?」
「構いません」
フラウィウスが頷くのを確認し、アエリアは静かに、だが論理的に紡ぎ始める。
「貴族が公の場に出る時は、見栄も大切にしなければなりません。ですから、わたくしも皇帝陛下と会うとなれば、それなりに着飾らなければなりません。家の威厳に関わり、ひいては我が家が他の家に舐められる事に繋がってしまいますから」
フラウィウスは無言で頷いた。
舐められれば面倒な事になるのは、軍に身を置く彼も痛いほど理解している。
「しかし、身内での挨拶に、義父母上が持っておられないような豪華な衣服で赴けば、嫌悪感を持たれる方もいらっしゃいます。わたくしはこれ以上、悪印象を持たれたくありませんの」
フラウィウスは息を呑み、「……ああ、そういう事ですか」と深く頷いた。
下級貴族である己の両親の劣等感すら先回りして配慮する妻の思慮深さに、彼はただ感謝するしかなかった。
「それから、もう一つお願いがございます。……家の外では、わたくしに敬語を用いるのはおやめください」
「解ってはいるのですが……中々」
苦笑するフラウィウス。染み付いた臣下としての態度は、そう簡単に抜けるものではない。
「急には難しいと思いますわ。幸い、これから二ヶ月のハネムーン(領地視察)がありますから、そこで練習していきましょう」
アエリアが茶目っ気たっぷりにウインクをすると、フラウィウスも照れくさそうに笑った。
――だが、旧実家での出来事は、そんな温かな空気を凍りつかせるに十分だった。
アエリアを伴い、フラウィウスが生まれ育った男爵邸の玄関に到着した二人。
しかし、埃っぽい空気の漂う入り口で待っていたのは、弟であるライウスただ一人であった。
(……先触れを出したというのに、親が出迎えないだと?)
男爵位を得て別家として独立したフラウィウスに対する明確な無礼。
のみならず、降嫁したとはいえ元皇女であるアエリアが同行している状態でのこの態度は、帝国貴族社会における自滅行為に等しい。
それを痛いほど理解しているライウスは、病人のように顔を蒼白にしていた。
「申し訳ありません、兄上。母上が……」
ライウスが地面に頭をこすりつける勢いで謝ろうとした、その時。
「フラウィウス様、このお方は」
アエリアの涼やかな声が、重い空気を断ち切った。
「彼は弟のライウスです」
フラウィウスの紹介を受け、ライウスは震えながら一礼する。
「お初にお目にかかります、アエリア皇女殿下」
「わたくしはすでに降嫁してプルケリア伯爵夫人となっておりますので、殿下と言う敬称は不要ですわ、ライウス卿。……それはそうと、ライウス卿は体調が悪いのではないですか?」
「……はい?」
ライウスは首を傾げるが、アエリアは完璧な微笑みを崩すことなく続ける。
「義父上も義母上も、体調が悪いのではないでしょうか? 出迎えも出来ない程に」
ここまで言われて、ライウスはアエリアの意図を完全に理解した。
「はい。もしかすれば流行り病の可能性もあり、私だけでもご挨拶をと」
「成程。しかし、ライウス卿も調子が悪そうです。本日の所はゆっくりと休んだ方が宜しいのではないでしょうか?」
「お心使い、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
皇女の放った「病欠」という圧倒的な逃げ道。激怒するでもなく、ただ「格の違い」で無礼を優雅に切り捨てたのだ。
馬車に戻った後、フラウィウスは深く頭を下げた。
「すまなかったな、アエリア。そしてありがとう、見逃してくれて」
「わたくしも、義父母上との対立は極力いたしたくありませんでしたから。……しかし、次は」
「解っています」
フラウィウスは言葉を遮り、鋭い黄金の瞳を伏せた。
いざとなれば、自分の新しい家(アエリア)を守るため、両親に刃を向ける覚悟が彼の中で静かに、だが鋼のように固まっていた。
翌朝。二人は煩わしい帝都の軋轢から離れ、二人きりの領地視察へと旅立つ。
向かうは、腐敗と欲望が渦巻く南の港町、デュラギオンである。
アエリアは、隣に座るフラウィウスを見上げて静かに口を開いた。
「フラウィウス様。義父上と義母上へ御挨拶に向かう前に、一度屋敷へ戻って着替えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
フラウィウスは少し困惑したように眉を寄せる。
「別に構いませんが……どうかしましたか? 体調が悪いとか」
「いえ、そうではありません。ただ、少し服を変えて行きたいと思いまして」
「おかしくはないと思いますが……この服装は、あくまで皇帝陛下に謁見するための正装ですからね」
フラウィウスが言葉を濁す。アエリアが着替えたいと言う理由が、全く見当がつかなかったからだ。
「別にそのまま行っても良いと思いますが」
「これでは、義母上の機嫌を損ねる可能性がありますの」
フラウィウスが首を傾げると、アエリアはふんわりとした微笑を浮かべた。
「もしかしたら、フラウィウス様の気に障る話になるかも知れませんが……宜しいでしょうか?」
「構いません」
フラウィウスが頷くのを確認し、アエリアは静かに、だが論理的に紡ぎ始める。
「貴族が公の場に出る時は、見栄も大切にしなければなりません。ですから、わたくしも皇帝陛下と会うとなれば、それなりに着飾らなければなりません。家の威厳に関わり、ひいては我が家が他の家に舐められる事に繋がってしまいますから」
フラウィウスは無言で頷いた。
舐められれば面倒な事になるのは、軍に身を置く彼も痛いほど理解している。
「しかし、身内での挨拶に、義父母上が持っておられないような豪華な衣服で赴けば、嫌悪感を持たれる方もいらっしゃいます。わたくしはこれ以上、悪印象を持たれたくありませんの」
フラウィウスは息を呑み、「……ああ、そういう事ですか」と深く頷いた。
下級貴族である己の両親の劣等感すら先回りして配慮する妻の思慮深さに、彼はただ感謝するしかなかった。
「それから、もう一つお願いがございます。……家の外では、わたくしに敬語を用いるのはおやめください」
「解ってはいるのですが……中々」
苦笑するフラウィウス。染み付いた臣下としての態度は、そう簡単に抜けるものではない。
「急には難しいと思いますわ。幸い、これから二ヶ月のハネムーン(領地視察)がありますから、そこで練習していきましょう」
アエリアが茶目っ気たっぷりにウインクをすると、フラウィウスも照れくさそうに笑った。
――だが、旧実家での出来事は、そんな温かな空気を凍りつかせるに十分だった。
アエリアを伴い、フラウィウスが生まれ育った男爵邸の玄関に到着した二人。
しかし、埃っぽい空気の漂う入り口で待っていたのは、弟であるライウスただ一人であった。
(……先触れを出したというのに、親が出迎えないだと?)
男爵位を得て別家として独立したフラウィウスに対する明確な無礼。
のみならず、降嫁したとはいえ元皇女であるアエリアが同行している状態でのこの態度は、帝国貴族社会における自滅行為に等しい。
それを痛いほど理解しているライウスは、病人のように顔を蒼白にしていた。
「申し訳ありません、兄上。母上が……」
ライウスが地面に頭をこすりつける勢いで謝ろうとした、その時。
「フラウィウス様、このお方は」
アエリアの涼やかな声が、重い空気を断ち切った。
「彼は弟のライウスです」
フラウィウスの紹介を受け、ライウスは震えながら一礼する。
「お初にお目にかかります、アエリア皇女殿下」
「わたくしはすでに降嫁してプルケリア伯爵夫人となっておりますので、殿下と言う敬称は不要ですわ、ライウス卿。……それはそうと、ライウス卿は体調が悪いのではないですか?」
「……はい?」
ライウスは首を傾げるが、アエリアは完璧な微笑みを崩すことなく続ける。
「義父上も義母上も、体調が悪いのではないでしょうか? 出迎えも出来ない程に」
ここまで言われて、ライウスはアエリアの意図を完全に理解した。
「はい。もしかすれば流行り病の可能性もあり、私だけでもご挨拶をと」
「成程。しかし、ライウス卿も調子が悪そうです。本日の所はゆっくりと休んだ方が宜しいのではないでしょうか?」
「お心使い、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
皇女の放った「病欠」という圧倒的な逃げ道。激怒するでもなく、ただ「格の違い」で無礼を優雅に切り捨てたのだ。
馬車に戻った後、フラウィウスは深く頭を下げた。
「すまなかったな、アエリア。そしてありがとう、見逃してくれて」
「わたくしも、義父母上との対立は極力いたしたくありませんでしたから。……しかし、次は」
「解っています」
フラウィウスは言葉を遮り、鋭い黄金の瞳を伏せた。
いざとなれば、自分の新しい家(アエリア)を守るため、両親に刃を向ける覚悟が彼の中で静かに、だが鋼のように固まっていた。
翌朝。二人は煩わしい帝都の軋轢から離れ、二人きりの領地視察へと旅立つ。
向かうは、腐敗と欲望が渦巻く南の港町、デュラギオンである。
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