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再会
フローレス公爵家当主が王族への反逆罪で一時投獄されたという噂が流れた。
学院の誰もが知る一大ニュースとなってすでに十日余りが経過した。その間、ガブリエル所か、ジェラード殿下も学院には来ていないらしい。
現国王ヴィンセント陛下とフローレス公爵家は懇意だと言う。此度の豊饒祭での協賛もそこに由来すると言う話だ。それだけ王家と縁深い間柄の公爵家当主が反逆を企てるとは、俺の想像力では全く理解も納得も出来なかった。
反逆罪に問われた状況も経緯も何もかも公にされていない。ただ、公爵家当主が一時投獄されたという事だけは確かなのだそうだ。王家の傍系である公爵家当主を牢に留めるのは相応しくないと、今は自宅屋敷の一室に軟禁されているらしい。
「此度の件で、フローレス様が心痛めていらっしゃらないか心配だ」
「国教会は何も反応してないし、豊饒祭への参加も今のところするんだろう?」
「責任感で無理されてるんじゃないかな」
俺と同じく、ガブリエルの心情を懸念する会話が、教室の中央で幾人かの生徒たちでなされていた。しかし、幾ら俺たちが気を揉んだところで何の意味もない。傷付いたガブリエルを慰めるのは俺たち外野ではないのだ。ガブリエルにはジェラード殿下がいる。
案の定ガブリエルの心配を口にしていた生徒たちもまた、ジェラード殿下の存在が気になっていたらしく、話題がそちらに移り変わる。
「フローレス様はジェラード殿下と恋仲らしいけどさ、当主様がそんな罪に問われたら別れさせられてもおかしくないんじゃないか?」
「俺もそう思ってたんだけどさ、ここだけの話、俺の親戚の店に慶事用の城内装飾の発注があったらしいんだよ」
「お!じゃあ婚約内定か?」
「もしそうならフローレス様への諦めもつくってヤツらも多いだろうな」
「諦めざるを得ないだろ。ジェラード殿下のお相手に誰が横恋慕できるんだよ」
そんな彼らの談笑は、その後すぐに講師の入室に因って中断されたが、俺の思考はジェラード殿下とガブリエルの事に捕らわれたままだ。
心身ともに繊細なガブリエルに寄り添う情恕理遣なジェラード殿下。誰もが容易く想像できてしまう、文字通り理想的な恋人。
駄目だ。
疼きかける胸を無視して、息をするように手慣れた視野狭窄の術を自身にかけ、授業の内容に没頭する。
期末考査が迫っているし、考えても詮無い事にかまけている時間など特待生の身には無い。
ノートを取る手は止めず、それでも思考のほんの片隅で、寂しいな、とぽつりと言葉が浮かんだ。
その言葉はいつまでもそのまま色濃く残った。
期末考査が無事終わると、すぐに夏季休暇に入った。休暇中は特段の予定も無く、小間使いのような仕事でも探して小銭稼ぎでもしようと思っていた。その為に市場の方には頻繁に通う事になるだろう。
だから、休暇中は孤児院に帰ろう。そう思った。
帰る一番の理由は、飽くまで市場に通うにちょうどいいからだ。そう自分に言い聞かせる。でないと、気恥ずかしくて足が進まない。
俺は休暇に入ると、すぐに小さく泊まり荷物をまとめて市場に出た。馴染みの店でいつも通りに日持ちする食材を届けてもらうよう手配をして、四ヶ月ぶりに身に馴染んだ孤児院を訪れた。
孤児院は市場を通り抜けてた先、スラム街との間にある。運営母体は国だが、直接些事を采配しているのは町会だ。当然のように潤沢な資金など無いので、有り触れた薄茶系統のレンガが積まれた壁面は、改めてみると所々に欠けや削れが目立つ。
台所や風呂トイレ等の水回りが集められている離れの日陰で、見知った少女たちが芋の皮むきをしていた。
「おーい、久し振りー」
「あれ。トマスじゃないの。学院追い出されたの?」
「俺がそんなヘマするかよ。ちゃんと真面目に学生してるよ」
「トマスは頭だけはいいもんね」
「性格もいいだろ?」
「顔は日照りカエルに似てるけどね!」
「わかる!」
「張っ倒すぞてめえら」
一番年嵩の少女の頭を軽く小突くと、他の子供たちも楽しそうにきゃーきゃー騒ぐ。耳が痛くなりそうな高音だが、長年ここで暮らした身としては慣れたもので、姦しさすら心地良くて自然と口の端が上がる。
ちなみに、日照りカエルは、端的に言ってしまえば眠そうな目をしたカエルだ。小さくて食用にもならないので、たいてい子供の遊び道具にされるだけの哀れな生き物だ。
「ルシアン兄さんはどこにいる?」
「町会長さんのところに行ってるんじゃなかったかな?特に何も言ってなかったし、お昼ご飯までには帰ってくるでしょ」
「わかった。ありがとう」
後で届く食料の受け取りを彼女らにお願いし、俺は孤児院正面にある極小さな礼拝室に向かう。礼拝室というのは名ばかりで、リース状の国教表象と礼拝用の二脚の簡易長椅子はあるが、壁際には書き物机があり、実質はルシアン兄さんの執務室だ。
兄さんは元々はここで育った八つ年上の孤児で、俺がこの孤児院に来た時から孤立しないようにとよく心砕いてくれた。面倒見の良さが高じて保育資格や調理資格、栄養管理の資格まで取得し、一昨年前任のアシェルじいちゃんから運営責任者を任された為、今ではここの若き院長だ。
礼拝室に入り、扉と窓を開け放つ。風が通るのを確認してから、目の前にある長椅子に荷物と体を投げ出した。堅木だけで作られた座面は非常に固く寝心地は良くないが、厚手の毛布でも敷けば寝る事は出来そうだ。もし寝床が無ければここで寝ようかな、と考えながら伸びをする。外から聞こえてくる少女たちのキラキラとした笑い声が耳馴染みよく心地良い。腕を折りたたむように枕にして俯せると、ひんやりした堅木の埃っぽい匂いがする。そのままうとうとと、兄さんの帰宅を待った。
ぱたりぱたりとサンダル履きで歩く音が礼拝室に入ってきた事に、眠気に揺蕩う意識は気付いていたが目を開けるのが億劫で、頭を枕代わりにしていた腕に擦り付ける。
「トマスの寝姿は相変わらず可愛いな」
「…うるせえ」
「布団に顔擦ってぐずる赤ちゃんみてえ」
「俺は兄さんに赤ん坊の頃まで面倒見てもらってねえよ」
眠気を振り切って顔を上げると、ニヤニヤと楽しそうな兄さんと目が合った。
「俺からしたらお前もそれくらい可愛いってことだよ」
体を起こして欠伸を噛み潰しつつ伸びをする。目の前には、淡い色の金髪を短く刈った見慣れた長身が立っている。
「母性強過ぎだろ」
「おっぱい出ないのが不思議だよなあ。でも出来たら俺おっぱいは出すより揉みたい派」
「そりゃ皆だいたいそうだろ」
「お。お前も年頃だもんな。仕方ないな、俺の揉む?高いよ」
兄さんの軽口に付き合ってたら切りがない。座り直しながら、こっち来んなと手で追い払う。
「いらねーよ。それよりさ、俺しばらくこっち戻ってきてもいい?」
出来るだけ何でも無い事のように言ったつもりだが、世話焼きには引っかかるものがあったらしい。ニヤニヤとした悪ふざけの表情が引っ込んで、真っ当な院長の顔になる。
「ん。ここはお前の家なんだから幾らでもいたらいい。でも、どうした?お前がここを頼ってくれるのは嬉しいけど心配になるな」
「…大した事じゃないんだ」
俺が視線を彷徨わせると、兄さんはぽんぽんと優しく頭を叩いてからすぐに踵を返し、執務用の机に向かい自身の椅子に腰掛けひょろ長い足を組んだ。
「学院の愚痴なんて家族には話しにくいもんな。俺じゃ話し相手にもならないか?」
俺ら孤児にとっては家族という言葉はむず痒いものがあるが、ルシアン兄さんはその言葉をよく使う。そこに嘘くささなんてものは微塵もなく、だからここの孤児たちは皆ルシアン兄さんが好きなのだ。本当に彼は出来た兄で父だな、と思う。
「そういう、訳じゃない、けどさ。ちょっと…」
寂しくて、なんてどんな顔をして言ったらいいのかわからなくて俯く。口の重い俺を兄さんは面倒がることなく、丁寧に相手してくれるのがむず痒い。
体、悪いところあるのか?
何か不安なことでもあるか?
勉強疲れた?
嫌な教師でもいた?
友達と喧嘩した?
ゆったりとした声でゆっくりとされる質問に、俺は一つずつ緩慢に首を振った。首を振りながら、どうやって言おうか、と考えていた。これだけ心配されてしまうと言いづらい。ただちょっと寂しかっただけだなんて。
「好きな子にフラレちゃった?」
ぴくり、と不本意にもほんの僅か肩が跳ねた。
「おお。そっちか」
見逃してはくれないよな。心配気だった表情を嬉しそうに華やがせて、兄さんは椅子に腰掛けたままずいっと前のめりになった。
「そうかそうか。それはツラいな~。俺もイライザちゃんにフラレまくっててツラいんだぞ。俺そんなに駄目かなあ?」
「…それバーの姉ちゃんじゃねえか」
「飲み行く度フラれる」
「エロじじいみてえな事してんな」
俺の溜め息混じりの言葉に、兄さんはまた嬉しそうににかりと笑った。
「トマスも諦めなくていいんだって。お前どうせもう身を引く気満々なんだろうけど、本当に好きだったら一度や二度フラレたくらいで忘れられるもんじゃねえよな。まだまだ若いんだから相手も良い意味で心変わりする事あるぜ?」
胸が痛んで、耐え切れず歯を食いしばる。慰めてくれている事は十分にわかっているのに、兄さんに八つ当たりじみた感情を覚える。
「無理だよ。兄さんはイライザさんが結婚してもそう思えるか?」
兄さんが「え!」と滑稽な声を上げて椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「それはツラかったな!そうかそうか!人妻を好きになっちゃったのか!わかる!わかるよ!人妻ってエロいもんな!お前の誕生日来て16になったら良い風俗連れてってやるからさ!希望を持って生きろよ!」
心なしか目を輝かせて早口で捲し立てた兄さんは、暑苦しくもそろそろとこちらに近寄り、やたら芝居がかった仕草で俺を抱き締めた。予想以上のテンションの高さに気圧された俺はされるがままだ。
誤解されていた方がいっそ楽だ。
まだベラベラと人妻の良さと慰めの言葉を吐く兄さんの背を、宥める意味合いで軽く叩いた。
「トマスから離れろ」
背後から聞こえた地を這うような声に背筋が震えた。何よりも愛おしい声。でも今一番聞きたくない声だ。
何かの間違いなら良いと思いながら振り返るが、礼拝室の入口で、夏の眩しい日差しを背にしたジェラード殿下が怖気を覚える程の険しい顔で立っていた。
俺が、最後に見た嫌悪に塗れた表情と同じ。
殿下、と無意識に唇が動くが、喉が萎縮して音にはならなかった。
学院の誰もが知る一大ニュースとなってすでに十日余りが経過した。その間、ガブリエル所か、ジェラード殿下も学院には来ていないらしい。
現国王ヴィンセント陛下とフローレス公爵家は懇意だと言う。此度の豊饒祭での協賛もそこに由来すると言う話だ。それだけ王家と縁深い間柄の公爵家当主が反逆を企てるとは、俺の想像力では全く理解も納得も出来なかった。
反逆罪に問われた状況も経緯も何もかも公にされていない。ただ、公爵家当主が一時投獄されたという事だけは確かなのだそうだ。王家の傍系である公爵家当主を牢に留めるのは相応しくないと、今は自宅屋敷の一室に軟禁されているらしい。
「此度の件で、フローレス様が心痛めていらっしゃらないか心配だ」
「国教会は何も反応してないし、豊饒祭への参加も今のところするんだろう?」
「責任感で無理されてるんじゃないかな」
俺と同じく、ガブリエルの心情を懸念する会話が、教室の中央で幾人かの生徒たちでなされていた。しかし、幾ら俺たちが気を揉んだところで何の意味もない。傷付いたガブリエルを慰めるのは俺たち外野ではないのだ。ガブリエルにはジェラード殿下がいる。
案の定ガブリエルの心配を口にしていた生徒たちもまた、ジェラード殿下の存在が気になっていたらしく、話題がそちらに移り変わる。
「フローレス様はジェラード殿下と恋仲らしいけどさ、当主様がそんな罪に問われたら別れさせられてもおかしくないんじゃないか?」
「俺もそう思ってたんだけどさ、ここだけの話、俺の親戚の店に慶事用の城内装飾の発注があったらしいんだよ」
「お!じゃあ婚約内定か?」
「もしそうならフローレス様への諦めもつくってヤツらも多いだろうな」
「諦めざるを得ないだろ。ジェラード殿下のお相手に誰が横恋慕できるんだよ」
そんな彼らの談笑は、その後すぐに講師の入室に因って中断されたが、俺の思考はジェラード殿下とガブリエルの事に捕らわれたままだ。
心身ともに繊細なガブリエルに寄り添う情恕理遣なジェラード殿下。誰もが容易く想像できてしまう、文字通り理想的な恋人。
駄目だ。
疼きかける胸を無視して、息をするように手慣れた視野狭窄の術を自身にかけ、授業の内容に没頭する。
期末考査が迫っているし、考えても詮無い事にかまけている時間など特待生の身には無い。
ノートを取る手は止めず、それでも思考のほんの片隅で、寂しいな、とぽつりと言葉が浮かんだ。
その言葉はいつまでもそのまま色濃く残った。
期末考査が無事終わると、すぐに夏季休暇に入った。休暇中は特段の予定も無く、小間使いのような仕事でも探して小銭稼ぎでもしようと思っていた。その為に市場の方には頻繁に通う事になるだろう。
だから、休暇中は孤児院に帰ろう。そう思った。
帰る一番の理由は、飽くまで市場に通うにちょうどいいからだ。そう自分に言い聞かせる。でないと、気恥ずかしくて足が進まない。
俺は休暇に入ると、すぐに小さく泊まり荷物をまとめて市場に出た。馴染みの店でいつも通りに日持ちする食材を届けてもらうよう手配をして、四ヶ月ぶりに身に馴染んだ孤児院を訪れた。
孤児院は市場を通り抜けてた先、スラム街との間にある。運営母体は国だが、直接些事を采配しているのは町会だ。当然のように潤沢な資金など無いので、有り触れた薄茶系統のレンガが積まれた壁面は、改めてみると所々に欠けや削れが目立つ。
台所や風呂トイレ等の水回りが集められている離れの日陰で、見知った少女たちが芋の皮むきをしていた。
「おーい、久し振りー」
「あれ。トマスじゃないの。学院追い出されたの?」
「俺がそんなヘマするかよ。ちゃんと真面目に学生してるよ」
「トマスは頭だけはいいもんね」
「性格もいいだろ?」
「顔は日照りカエルに似てるけどね!」
「わかる!」
「張っ倒すぞてめえら」
一番年嵩の少女の頭を軽く小突くと、他の子供たちも楽しそうにきゃーきゃー騒ぐ。耳が痛くなりそうな高音だが、長年ここで暮らした身としては慣れたもので、姦しさすら心地良くて自然と口の端が上がる。
ちなみに、日照りカエルは、端的に言ってしまえば眠そうな目をしたカエルだ。小さくて食用にもならないので、たいてい子供の遊び道具にされるだけの哀れな生き物だ。
「ルシアン兄さんはどこにいる?」
「町会長さんのところに行ってるんじゃなかったかな?特に何も言ってなかったし、お昼ご飯までには帰ってくるでしょ」
「わかった。ありがとう」
後で届く食料の受け取りを彼女らにお願いし、俺は孤児院正面にある極小さな礼拝室に向かう。礼拝室というのは名ばかりで、リース状の国教表象と礼拝用の二脚の簡易長椅子はあるが、壁際には書き物机があり、実質はルシアン兄さんの執務室だ。
兄さんは元々はここで育った八つ年上の孤児で、俺がこの孤児院に来た時から孤立しないようにとよく心砕いてくれた。面倒見の良さが高じて保育資格や調理資格、栄養管理の資格まで取得し、一昨年前任のアシェルじいちゃんから運営責任者を任された為、今ではここの若き院長だ。
礼拝室に入り、扉と窓を開け放つ。風が通るのを確認してから、目の前にある長椅子に荷物と体を投げ出した。堅木だけで作られた座面は非常に固く寝心地は良くないが、厚手の毛布でも敷けば寝る事は出来そうだ。もし寝床が無ければここで寝ようかな、と考えながら伸びをする。外から聞こえてくる少女たちのキラキラとした笑い声が耳馴染みよく心地良い。腕を折りたたむように枕にして俯せると、ひんやりした堅木の埃っぽい匂いがする。そのままうとうとと、兄さんの帰宅を待った。
ぱたりぱたりとサンダル履きで歩く音が礼拝室に入ってきた事に、眠気に揺蕩う意識は気付いていたが目を開けるのが億劫で、頭を枕代わりにしていた腕に擦り付ける。
「トマスの寝姿は相変わらず可愛いな」
「…うるせえ」
「布団に顔擦ってぐずる赤ちゃんみてえ」
「俺は兄さんに赤ん坊の頃まで面倒見てもらってねえよ」
眠気を振り切って顔を上げると、ニヤニヤと楽しそうな兄さんと目が合った。
「俺からしたらお前もそれくらい可愛いってことだよ」
体を起こして欠伸を噛み潰しつつ伸びをする。目の前には、淡い色の金髪を短く刈った見慣れた長身が立っている。
「母性強過ぎだろ」
「おっぱい出ないのが不思議だよなあ。でも出来たら俺おっぱいは出すより揉みたい派」
「そりゃ皆だいたいそうだろ」
「お。お前も年頃だもんな。仕方ないな、俺の揉む?高いよ」
兄さんの軽口に付き合ってたら切りがない。座り直しながら、こっち来んなと手で追い払う。
「いらねーよ。それよりさ、俺しばらくこっち戻ってきてもいい?」
出来るだけ何でも無い事のように言ったつもりだが、世話焼きには引っかかるものがあったらしい。ニヤニヤとした悪ふざけの表情が引っ込んで、真っ当な院長の顔になる。
「ん。ここはお前の家なんだから幾らでもいたらいい。でも、どうした?お前がここを頼ってくれるのは嬉しいけど心配になるな」
「…大した事じゃないんだ」
俺が視線を彷徨わせると、兄さんはぽんぽんと優しく頭を叩いてからすぐに踵を返し、執務用の机に向かい自身の椅子に腰掛けひょろ長い足を組んだ。
「学院の愚痴なんて家族には話しにくいもんな。俺じゃ話し相手にもならないか?」
俺ら孤児にとっては家族という言葉はむず痒いものがあるが、ルシアン兄さんはその言葉をよく使う。そこに嘘くささなんてものは微塵もなく、だからここの孤児たちは皆ルシアン兄さんが好きなのだ。本当に彼は出来た兄で父だな、と思う。
「そういう、訳じゃない、けどさ。ちょっと…」
寂しくて、なんてどんな顔をして言ったらいいのかわからなくて俯く。口の重い俺を兄さんは面倒がることなく、丁寧に相手してくれるのがむず痒い。
体、悪いところあるのか?
何か不安なことでもあるか?
勉強疲れた?
嫌な教師でもいた?
友達と喧嘩した?
ゆったりとした声でゆっくりとされる質問に、俺は一つずつ緩慢に首を振った。首を振りながら、どうやって言おうか、と考えていた。これだけ心配されてしまうと言いづらい。ただちょっと寂しかっただけだなんて。
「好きな子にフラレちゃった?」
ぴくり、と不本意にもほんの僅か肩が跳ねた。
「おお。そっちか」
見逃してはくれないよな。心配気だった表情を嬉しそうに華やがせて、兄さんは椅子に腰掛けたままずいっと前のめりになった。
「そうかそうか。それはツラいな~。俺もイライザちゃんにフラレまくっててツラいんだぞ。俺そんなに駄目かなあ?」
「…それバーの姉ちゃんじゃねえか」
「飲み行く度フラれる」
「エロじじいみてえな事してんな」
俺の溜め息混じりの言葉に、兄さんはまた嬉しそうににかりと笑った。
「トマスも諦めなくていいんだって。お前どうせもう身を引く気満々なんだろうけど、本当に好きだったら一度や二度フラレたくらいで忘れられるもんじゃねえよな。まだまだ若いんだから相手も良い意味で心変わりする事あるぜ?」
胸が痛んで、耐え切れず歯を食いしばる。慰めてくれている事は十分にわかっているのに、兄さんに八つ当たりじみた感情を覚える。
「無理だよ。兄さんはイライザさんが結婚してもそう思えるか?」
兄さんが「え!」と滑稽な声を上げて椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「それはツラかったな!そうかそうか!人妻を好きになっちゃったのか!わかる!わかるよ!人妻ってエロいもんな!お前の誕生日来て16になったら良い風俗連れてってやるからさ!希望を持って生きろよ!」
心なしか目を輝かせて早口で捲し立てた兄さんは、暑苦しくもそろそろとこちらに近寄り、やたら芝居がかった仕草で俺を抱き締めた。予想以上のテンションの高さに気圧された俺はされるがままだ。
誤解されていた方がいっそ楽だ。
まだベラベラと人妻の良さと慰めの言葉を吐く兄さんの背を、宥める意味合いで軽く叩いた。
「トマスから離れろ」
背後から聞こえた地を這うような声に背筋が震えた。何よりも愛おしい声。でも今一番聞きたくない声だ。
何かの間違いなら良いと思いながら振り返るが、礼拝室の入口で、夏の眩しい日差しを背にしたジェラード殿下が怖気を覚える程の険しい顔で立っていた。
俺が、最後に見た嫌悪に塗れた表情と同じ。
殿下、と無意識に唇が動くが、喉が萎縮して音にはならなかった。
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