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豊饒祭へ
国民を震撼させる訃報が流れた。
フローレス公爵家当主が、とある罪での自室軟禁中に自害した、との報が正式に発せられたのだ。死因は縊死。どこで用意したのか、自身の髪によく似た“長い白髪で自らの首を絞めた”のだと言う。
そして、その怪奇的な命の絶ち方に、その報せを聞いた国民たちは皆当主が元々精神を病んでいて、その為に国家反逆罪を犯したのだろうと、怯え慄き口々に囁いた。
しかし、国民の関心はそれから程なくして発せられた、王家からの新たな二つの報知の方へと直ぐ様移っていった。
うち一つはジェラード第一王子の婚約という吉報だった。この報だけであれば純然たる慶事だが、それに伴う形で口上された二つ目の報せは、民を大いにざわめかせた。
それが、第一王子の王位継承権の剥奪、つまり廃嫡である。物腰柔らかで品行方正な第一王子が王位継承権を失うなど、市民どころか貴族たちも寝耳に水であった。
廃嫡の理由は「跡継ぎを成せない為」とだけ簡潔に説明がされ、それ以上何者も踏み込ませなかった。
ただし、能力を高く買われている第一王子は魔法術学高等院を卒業後は、外交部の武官として国王陛下の臣下に就く見込みだと言う。
この件が非常に話題性に富んでいたのは、不明な点が多い為であった。
婚約者の身分や出自どころか、顔も名も明かされず、第一王子曰く婚礼の儀も行わない。廃嫡された身とは言え、ここまで内密に婚姻が進められる事は異例中の異例である。
第一王子の見目が良い事も、民衆の関心を集める一因となった。
端正な顔立ちと立派な体躯を持ち、高貴な王族に生まれながらも「不能」なのだとやっかみを隠そうともせず面白可笑しく話す者。件の婚約者こそが「石女」で、美丈夫の王子はまだ年若い為に盲目的になってしまっているのでは、と嫉妬混じりに哀れんでみる者。婚約者など本当はおらず、対軍隊の魔法術式に長けた第一王子を軍関係に徴用したいが為の茶番なのではないか、と訳知り顔で勘ぐる者。
様々な憶測と感情が飛び交うものの、王家が沈黙してしまった以上、国民は真相を知りようもない。
貴族街からほど近い商業区の片隅に、魔法術具と術式古書を取り扱う店がある。その店舗上階は集合住宅となっており、商業区の勤め人等が数戸住んでいる。
俺がそこに新たな居を与えられてしまったのは、婚約相手の悋気の為だ。俺の住む学生寮に共用のシャワールームしか無い事が、前々から相当気に入らなかったらしい。俺の貧相な体を見て何か思う事がある人間など、きっとこの世にたった一人しかいないだろうに、それを言うと「そんな訳が無い。トマスは俺が知る中で最も魅力的だ」と、何故かもう婚約している身で婚約している相手に口説かれるという意味の分からない状況になってしまう。
婚約もとんでも無く急なものだったが、その後のジェラード殿下はすっかり俺を囲い込む事に手加減が無くなり、俺の無駄な不安や嫉妬は霧散して、今や露程も残っていない。何故俺は、こんなにわかりやすい愛情表現をする人を疑ってしまったのだろうと、小っ恥ずかしい反省さえしてしまう。
この住居への転居作業も殿下の指示によって為されたが、素晴らしく手際が良かった。俺が思っているよりずっと前から計画されていたのでは、と少し怖くなる程に。
転居後は三日と空けずに顔を出し、あわよくばそのまま翌朝まで入り浸っていた殿下も、昨日は日が高い内に帰られた。今日の“お役目”の準備の為だ。
寝惚け眼で朝の身支度を整え、忙しなくナッツとチーズの塩パンを齧っていると、玄関扉が四つ叩かれた。
「はい」
「おはよ~。お迎えに来たよお」
玄関に向かって声をかけると、聞き慣れた独特な口調が返ってきた。約束の時間ぴったりの来訪だ。だらし無くも感じるゆるい雰囲気と違って、この人はどうやらかなり几帳面らしいのだ。俺は口の中のものを急ぎ嚥下して、直ぐ様扉を開けた。
「おはようございます、アレクス先輩」
「もしかして急がせちゃったかなあ?ご飯食べるならゆっくりでいいよ~」
「お気遣い恐れ入ります」
先輩を待たせてのんびりも出来ない。行儀は悪いが立ったまま、塩パンを口に押し込みミルクで流し込む。その僅かな間に、アレクス先輩は問答無用で入室し、俺の部屋の整理整頓をしていく。今日はローテーブル周りに手を付けるようだ。「ジェラードもさあ、ちゃんとトマスくんの片付け手伝ったらいいのにさあ。トマスくんの大雑把な片付け方が可愛いから手が出せないとかすんごい気持ち悪い事言って全然ちゃんと片付けしないんだからもー」「俺は常識的な範囲でしか片付けてないからねえ。片付けられて困るようならそんな置き方してるのが悪いんだからね~」と手際良く積み重なった衣服や本や魔法術具を片付けていく。孤児院にいた世話焼き姉さんたちのようだ。「いつもすみません」としか言いようがない。
「さて、食べ終わったなら行こう~」
促されて外に出ると、一階店舗の目の前に商家風の幌馬車が用意されており、それに乗り込み王城を目指す。
幌が背面まで大きく隠している為、外の様子を目で確認出来ないが、街中が朝から賑わっているのは馬車中からでもよく聞こえる。今日は平民だけでなく、貴族街の住人までもが待ち望んだ豊饒祭なのだ。
豊饒祭は本来は秋の収穫を祈って夏の盛りの花を都中で撒く。それを、商魂逞しい商業区民たちが、「花束を贈り合って親愛を確かめ合うのだ」とか、「花撒きの最中に口付けをし合った夫婦恋人は末永く幸せになれる」だとか、「撒き花を乾燥させたものを肌見放さず持って家内安全を願う」だとか、手を変え品を変え様々な意味付けをして客寄せを行った結果、今では王都外からも多くの人を呼ぶ祭りに発展を遂げた。
その豊饒祭の開祭の儀中に、件の祝詞上げがある。通例は大神官が一人でさらりと読み上げる内容である為、然程長い時間を取る催しではない。ただし、今回は王家の第一王子と公爵家長子が執り行うという事で、例年より多少見栄えはするだろう。
しかし、民の関心はその内容より、前述の二人が渦中の人である事に因った。謎の婚約と共に廃嫡された王子と、心を病み命を絶った公爵の愛娘。しかも二人はつい先日まで、二人が通う魔法術学高等院にて恋仲の噂が流れていたと言うのだから、裏の裏まで読んだような自由気ままな憶測が巷に溢れ、今回の開祭の儀が必要以上の話題性を持ってしまったのも仕様のない事だった。
ジェラード殿下の件はさておき、ガブリエルの母君の件に関して俺は多くを知らない。ただ、ガブリエルは儚げな普段の様子から考えていたより、肉親を亡くした後の彼女は気丈だった。そして、自身が母君の後継となる事を強く望んだ。あんなに眩しいくらいの意思の強さを持っていた事に驚くと同時に、俺はとんでもなく嬉しく思った。
今ガブリエルは、従兄弟のお兄さんのサポートの元、公爵家当主の仕事をこなしているそうだ。話を聞く限り大層人のいい従兄弟のようなので、年若い当主を過不足無く支えてくれるだろう。
まあ余計なお世話だろうが、個人的にはシリルくんのライバルにならなければいいな、とは思う。
祝詞上げは神殿敷地内の前庭で行われるのが通例なのだが、今回は観覧客が例年の倍以上と予想された為、収容数のより多い王城の前庭に移される事になった。
ただ、王城の前庭はジェラード殿下の婚約と廃嫡を発した場所であり、より話題性を高めてしまっている事は主催者側としては本意なのかどうか。
俺の乗った荷馬車は、王城の前庭近くの正面ポーチではなく、裏通用口から貨物搬入の他の荷馬車と共に入城した。俺は身分が低いし特段文句のある待遇ではないが、同行してくれているアレクス先輩には貨物扱いは不釣り合いだろう。それにも関わらず、嫌な顔一つしない先輩は本当に人ができている。
荷馬車から降りると、アレクス先輩に急かされつつ、王城の中では比較的小振りな客室に押し込められる。忙しい豊饒祭当日にわざわざ地味な俺の存在を気に留めるような人間はいないとは思うが、念の為こそこそ移動した。
ここにいる予定なのは、トマス・デーンではなく、正体不明のジェラード殿下の婚約者のはずだからだ。
「これがねー、トマスくんの衣装だよお。ジェラードのこだわりが詰まりまくってるのー。まじあいつキモいよねえ」
どうこだわりが発揮されているのかはわからないが、目の前に吊るしで出された衣装は、肩口から手首までゆったり膨らんだ袖に、胸下位置で柔らかな生地からハリのある生地に切り替えがされている簡単な形のワンピースドレスだ。足首まであるスカート自体には膨らみこそなくストンと落ちるローブのような造形だが、明らかに女性的な衣装だ。男の骨格を隠し、性別を誤認させる目的が透けて見える。“婚約者は女だと思っていてもらった方が正体を隠す事が楽だから”だ。
白の滑らかでハリのある生地には冷感の術式がかかっているのだろう。触るといつまでも程よくひんやりとしている。胸下の切り替え部分には濃茶色の糸で細やかな刺繍がされたリボンが蝶結びにされており、そのリボンの両端に小振りな薄緑の石が光っている。何かを察してしまうわかりやすい配色だ。「まあ、きっとテーマは俺の白百合とかなんでしょうねえ」とアレクス先輩は、作業をする手を止めずに半目で面倒くさそうに呟く。
厚手のベールや目の細かいレース手袋、踵に高さの無いミドルブーツ、膝上までありそうな靴下と、たぶんだがガーターベルト?のようなものと、何故か下着まであり、それ等をアレクス先輩が着る順番に丁寧に並べてくれる。ちなみにどれもドレスと同じ白だ。
「じゃあ服脱いで~。さっさと着替えちゃお。侍女ちゃんいなくてごめんねえ。リスク回避でえ、ジェラードが妥協して俺がお手伝いする事になったのお」
婚約者の素性隠しには、なるべく使用人を使わない事は有効だろう。
「それは何と言うか、恐れ多い事になってますね。俺の着付けごときの手伝いをさせてしまって申し訳無いです」
もしかして不敬なのでは、と変な汗をかいてしまうが、これが不敬なら朝っぱらから部屋の片付けをさせている方が不敬だろう。もう遅い。せめてなるべく手を煩わせないよう、素早く私服を下履きまで脱ぎ捨てる。
そして、まず差し出されたのは、ガーターベルトらしきもの。正直、ガーターベルトらしきものがガーターベルトじゃないといいなと思いつつ、試しに恐る恐る腰に巻いてみたが、どう見てもガーターベルトそのものだった。これは殿下の冗談だったりするんだろうか。
「……これは着けなくてもバレませんよね」
気遣いが行き過ぎて、首ごとめちゃくちゃ目を逸らしているアレクス先輩に同意を求める。女物の下着姿を見られるのは正直フルチンである事より恥ずかしいが、そこまで頑なに視線を逸らされると少しばかり傷つく。
「いいよとは言えないねえ。用意してあるもの全部着てもらわないとぉ、俺がジェラードに詰められるからなあ。着たくないなら俺がここを出た後にこっそり脱いで~」
「そんなに重要なものなんですか?もしかして何か重要な術式がかかってたりするんでしょうか」
もしかすると、防御や認識阻害等の術式を一つでなく、いくつかの物に分散させてかけている可能性も大いにある。これが抜けた事で術式が有効レベルまで発動しないなんて事になったら心苦しい。どうせ直接見えないのだ。しかも今だけの事。意を決してガーターベルトに長靴下を繋いで、その上から女物にしては大振りな下着を履く。女物だとわかるのは、両サイドを紐でくくる女性らしいデザインだからだ。作業着を着るような粗雑さでドレスを被って、下着類をさっさと隠す。ドレスもドレスで思っていたより背が開いていて心許ないが、何もかも用意してもらっている身で文句は言えない。
最後にアレクス先輩に髪を整えてもらいながらベールを被り、手袋をはめれば、身元不明の婚約者の完成だ。
「俺はジェラードのとこ戻って婚約者ちゃんの準備できたって伝えとくね~。すぐにお迎えの使用人が来るから待っててねえ。ベールに声色も含めた認識阻害が付いてるから、少しくらい喋っても大丈夫だよお」
部屋を出ていくアレクス先輩に感謝を伝えつつ見送った。
フローレス公爵家当主が、とある罪での自室軟禁中に自害した、との報が正式に発せられたのだ。死因は縊死。どこで用意したのか、自身の髪によく似た“長い白髪で自らの首を絞めた”のだと言う。
そして、その怪奇的な命の絶ち方に、その報せを聞いた国民たちは皆当主が元々精神を病んでいて、その為に国家反逆罪を犯したのだろうと、怯え慄き口々に囁いた。
しかし、国民の関心はそれから程なくして発せられた、王家からの新たな二つの報知の方へと直ぐ様移っていった。
うち一つはジェラード第一王子の婚約という吉報だった。この報だけであれば純然たる慶事だが、それに伴う形で口上された二つ目の報せは、民を大いにざわめかせた。
それが、第一王子の王位継承権の剥奪、つまり廃嫡である。物腰柔らかで品行方正な第一王子が王位継承権を失うなど、市民どころか貴族たちも寝耳に水であった。
廃嫡の理由は「跡継ぎを成せない為」とだけ簡潔に説明がされ、それ以上何者も踏み込ませなかった。
ただし、能力を高く買われている第一王子は魔法術学高等院を卒業後は、外交部の武官として国王陛下の臣下に就く見込みだと言う。
この件が非常に話題性に富んでいたのは、不明な点が多い為であった。
婚約者の身分や出自どころか、顔も名も明かされず、第一王子曰く婚礼の儀も行わない。廃嫡された身とは言え、ここまで内密に婚姻が進められる事は異例中の異例である。
第一王子の見目が良い事も、民衆の関心を集める一因となった。
端正な顔立ちと立派な体躯を持ち、高貴な王族に生まれながらも「不能」なのだとやっかみを隠そうともせず面白可笑しく話す者。件の婚約者こそが「石女」で、美丈夫の王子はまだ年若い為に盲目的になってしまっているのでは、と嫉妬混じりに哀れんでみる者。婚約者など本当はおらず、対軍隊の魔法術式に長けた第一王子を軍関係に徴用したいが為の茶番なのではないか、と訳知り顔で勘ぐる者。
様々な憶測と感情が飛び交うものの、王家が沈黙してしまった以上、国民は真相を知りようもない。
貴族街からほど近い商業区の片隅に、魔法術具と術式古書を取り扱う店がある。その店舗上階は集合住宅となっており、商業区の勤め人等が数戸住んでいる。
俺がそこに新たな居を与えられてしまったのは、婚約相手の悋気の為だ。俺の住む学生寮に共用のシャワールームしか無い事が、前々から相当気に入らなかったらしい。俺の貧相な体を見て何か思う事がある人間など、きっとこの世にたった一人しかいないだろうに、それを言うと「そんな訳が無い。トマスは俺が知る中で最も魅力的だ」と、何故かもう婚約している身で婚約している相手に口説かれるという意味の分からない状況になってしまう。
婚約もとんでも無く急なものだったが、その後のジェラード殿下はすっかり俺を囲い込む事に手加減が無くなり、俺の無駄な不安や嫉妬は霧散して、今や露程も残っていない。何故俺は、こんなにわかりやすい愛情表現をする人を疑ってしまったのだろうと、小っ恥ずかしい反省さえしてしまう。
この住居への転居作業も殿下の指示によって為されたが、素晴らしく手際が良かった。俺が思っているよりずっと前から計画されていたのでは、と少し怖くなる程に。
転居後は三日と空けずに顔を出し、あわよくばそのまま翌朝まで入り浸っていた殿下も、昨日は日が高い内に帰られた。今日の“お役目”の準備の為だ。
寝惚け眼で朝の身支度を整え、忙しなくナッツとチーズの塩パンを齧っていると、玄関扉が四つ叩かれた。
「はい」
「おはよ~。お迎えに来たよお」
玄関に向かって声をかけると、聞き慣れた独特な口調が返ってきた。約束の時間ぴったりの来訪だ。だらし無くも感じるゆるい雰囲気と違って、この人はどうやらかなり几帳面らしいのだ。俺は口の中のものを急ぎ嚥下して、直ぐ様扉を開けた。
「おはようございます、アレクス先輩」
「もしかして急がせちゃったかなあ?ご飯食べるならゆっくりでいいよ~」
「お気遣い恐れ入ります」
先輩を待たせてのんびりも出来ない。行儀は悪いが立ったまま、塩パンを口に押し込みミルクで流し込む。その僅かな間に、アレクス先輩は問答無用で入室し、俺の部屋の整理整頓をしていく。今日はローテーブル周りに手を付けるようだ。「ジェラードもさあ、ちゃんとトマスくんの片付け手伝ったらいいのにさあ。トマスくんの大雑把な片付け方が可愛いから手が出せないとかすんごい気持ち悪い事言って全然ちゃんと片付けしないんだからもー」「俺は常識的な範囲でしか片付けてないからねえ。片付けられて困るようならそんな置き方してるのが悪いんだからね~」と手際良く積み重なった衣服や本や魔法術具を片付けていく。孤児院にいた世話焼き姉さんたちのようだ。「いつもすみません」としか言いようがない。
「さて、食べ終わったなら行こう~」
促されて外に出ると、一階店舗の目の前に商家風の幌馬車が用意されており、それに乗り込み王城を目指す。
幌が背面まで大きく隠している為、外の様子を目で確認出来ないが、街中が朝から賑わっているのは馬車中からでもよく聞こえる。今日は平民だけでなく、貴族街の住人までもが待ち望んだ豊饒祭なのだ。
豊饒祭は本来は秋の収穫を祈って夏の盛りの花を都中で撒く。それを、商魂逞しい商業区民たちが、「花束を贈り合って親愛を確かめ合うのだ」とか、「花撒きの最中に口付けをし合った夫婦恋人は末永く幸せになれる」だとか、「撒き花を乾燥させたものを肌見放さず持って家内安全を願う」だとか、手を変え品を変え様々な意味付けをして客寄せを行った結果、今では王都外からも多くの人を呼ぶ祭りに発展を遂げた。
その豊饒祭の開祭の儀中に、件の祝詞上げがある。通例は大神官が一人でさらりと読み上げる内容である為、然程長い時間を取る催しではない。ただし、今回は王家の第一王子と公爵家長子が執り行うという事で、例年より多少見栄えはするだろう。
しかし、民の関心はその内容より、前述の二人が渦中の人である事に因った。謎の婚約と共に廃嫡された王子と、心を病み命を絶った公爵の愛娘。しかも二人はつい先日まで、二人が通う魔法術学高等院にて恋仲の噂が流れていたと言うのだから、裏の裏まで読んだような自由気ままな憶測が巷に溢れ、今回の開祭の儀が必要以上の話題性を持ってしまったのも仕様のない事だった。
ジェラード殿下の件はさておき、ガブリエルの母君の件に関して俺は多くを知らない。ただ、ガブリエルは儚げな普段の様子から考えていたより、肉親を亡くした後の彼女は気丈だった。そして、自身が母君の後継となる事を強く望んだ。あんなに眩しいくらいの意思の強さを持っていた事に驚くと同時に、俺はとんでもなく嬉しく思った。
今ガブリエルは、従兄弟のお兄さんのサポートの元、公爵家当主の仕事をこなしているそうだ。話を聞く限り大層人のいい従兄弟のようなので、年若い当主を過不足無く支えてくれるだろう。
まあ余計なお世話だろうが、個人的にはシリルくんのライバルにならなければいいな、とは思う。
祝詞上げは神殿敷地内の前庭で行われるのが通例なのだが、今回は観覧客が例年の倍以上と予想された為、収容数のより多い王城の前庭に移される事になった。
ただ、王城の前庭はジェラード殿下の婚約と廃嫡を発した場所であり、より話題性を高めてしまっている事は主催者側としては本意なのかどうか。
俺の乗った荷馬車は、王城の前庭近くの正面ポーチではなく、裏通用口から貨物搬入の他の荷馬車と共に入城した。俺は身分が低いし特段文句のある待遇ではないが、同行してくれているアレクス先輩には貨物扱いは不釣り合いだろう。それにも関わらず、嫌な顔一つしない先輩は本当に人ができている。
荷馬車から降りると、アレクス先輩に急かされつつ、王城の中では比較的小振りな客室に押し込められる。忙しい豊饒祭当日にわざわざ地味な俺の存在を気に留めるような人間はいないとは思うが、念の為こそこそ移動した。
ここにいる予定なのは、トマス・デーンではなく、正体不明のジェラード殿下の婚約者のはずだからだ。
「これがねー、トマスくんの衣装だよお。ジェラードのこだわりが詰まりまくってるのー。まじあいつキモいよねえ」
どうこだわりが発揮されているのかはわからないが、目の前に吊るしで出された衣装は、肩口から手首までゆったり膨らんだ袖に、胸下位置で柔らかな生地からハリのある生地に切り替えがされている簡単な形のワンピースドレスだ。足首まであるスカート自体には膨らみこそなくストンと落ちるローブのような造形だが、明らかに女性的な衣装だ。男の骨格を隠し、性別を誤認させる目的が透けて見える。“婚約者は女だと思っていてもらった方が正体を隠す事が楽だから”だ。
白の滑らかでハリのある生地には冷感の術式がかかっているのだろう。触るといつまでも程よくひんやりとしている。胸下の切り替え部分には濃茶色の糸で細やかな刺繍がされたリボンが蝶結びにされており、そのリボンの両端に小振りな薄緑の石が光っている。何かを察してしまうわかりやすい配色だ。「まあ、きっとテーマは俺の白百合とかなんでしょうねえ」とアレクス先輩は、作業をする手を止めずに半目で面倒くさそうに呟く。
厚手のベールや目の細かいレース手袋、踵に高さの無いミドルブーツ、膝上までありそうな靴下と、たぶんだがガーターベルト?のようなものと、何故か下着まであり、それ等をアレクス先輩が着る順番に丁寧に並べてくれる。ちなみにどれもドレスと同じ白だ。
「じゃあ服脱いで~。さっさと着替えちゃお。侍女ちゃんいなくてごめんねえ。リスク回避でえ、ジェラードが妥協して俺がお手伝いする事になったのお」
婚約者の素性隠しには、なるべく使用人を使わない事は有効だろう。
「それは何と言うか、恐れ多い事になってますね。俺の着付けごときの手伝いをさせてしまって申し訳無いです」
もしかして不敬なのでは、と変な汗をかいてしまうが、これが不敬なら朝っぱらから部屋の片付けをさせている方が不敬だろう。もう遅い。せめてなるべく手を煩わせないよう、素早く私服を下履きまで脱ぎ捨てる。
そして、まず差し出されたのは、ガーターベルトらしきもの。正直、ガーターベルトらしきものがガーターベルトじゃないといいなと思いつつ、試しに恐る恐る腰に巻いてみたが、どう見てもガーターベルトそのものだった。これは殿下の冗談だったりするんだろうか。
「……これは着けなくてもバレませんよね」
気遣いが行き過ぎて、首ごとめちゃくちゃ目を逸らしているアレクス先輩に同意を求める。女物の下着姿を見られるのは正直フルチンである事より恥ずかしいが、そこまで頑なに視線を逸らされると少しばかり傷つく。
「いいよとは言えないねえ。用意してあるもの全部着てもらわないとぉ、俺がジェラードに詰められるからなあ。着たくないなら俺がここを出た後にこっそり脱いで~」
「そんなに重要なものなんですか?もしかして何か重要な術式がかかってたりするんでしょうか」
もしかすると、防御や認識阻害等の術式を一つでなく、いくつかの物に分散させてかけている可能性も大いにある。これが抜けた事で術式が有効レベルまで発動しないなんて事になったら心苦しい。どうせ直接見えないのだ。しかも今だけの事。意を決してガーターベルトに長靴下を繋いで、その上から女物にしては大振りな下着を履く。女物だとわかるのは、両サイドを紐でくくる女性らしいデザインだからだ。作業着を着るような粗雑さでドレスを被って、下着類をさっさと隠す。ドレスもドレスで思っていたより背が開いていて心許ないが、何もかも用意してもらっている身で文句は言えない。
最後にアレクス先輩に髪を整えてもらいながらベールを被り、手袋をはめれば、身元不明の婚約者の完成だ。
「俺はジェラードのとこ戻って婚約者ちゃんの準備できたって伝えとくね~。すぐにお迎えの使用人が来るから待っててねえ。ベールに声色も含めた認識阻害が付いてるから、少しくらい喋っても大丈夫だよお」
部屋を出ていくアレクス先輩に感謝を伝えつつ見送った。
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一気に書いたので誤字脱字があるかと思います。教えて頂けたら嬉しいです。(話数を明記して頂けると探す時凄く助かります!)なお、誤字に見えてわざと効果として使っている場所はそのままになります。
多忙時、お返事を返す事ができない事があります。コメント等全て読ませていただいておりますが、その辺りは申し訳ございません。
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