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「家族になりたい」(莞爾視点)
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「莞爾、愛してるよ」
ふうちゃんの家の玄関扉が閉まった瞬間、俺は無言で歴代最高レベルのガッツポーズをした。
かわわわわわい可愛過ぎた。ふうちゃんの可愛さが限界突破した。可愛さで人を死ぬぞ。
あれが俺の恋人だなんてたまらない。会えない間は、いつ誰に取られてしまうか不安で不安でもういっそ腹が立ってくるってのに、会えばふうちゃんの言葉ひとつ笑顔ひとつで俺の機嫌などどうとでもなってしまう。
ただ正直、「同棲したい」とねだった瞬間の寂しそうな表情が気にかかる。
強がりだけど、寂しがりなのだ。
もっと大事にしたい。そばに置いておきたい。でもその為には準備が必要だ。
隣室の扉をちらりと見てから、俺は寮に急いだ。
その後まもなく十二月に入り、ふうちゃんからの連絡は少し減った。忙しいのが文面からも見て取れて、何もしてあげられないことが歯がゆい。
それでも、おはようとおやすみはいつも送ってくれるふうちゃんが愛おしくて、これをスマホ越しじゃなく、面と向かって毎日言い合える生活を夢見る。
「たぶん、狙われてるんすよ」
「なんだよ急に。何が何に狙われてんだよ」
「ふうちゃんが、バイトの男に」
「かーっ。またふうちゃんかよ。お前の頭の中ふうちゃんばっかりだな」
寮の食堂で一緒になった草野先輩に、真面目な心配事を吐露したが、返ってきたのは呆れ返った顔だった。
「当たり前じゃないですか。毎日ふうちゃんのことしか考えてないです」
「はいはい。そのふうちゃんがバイトの男に言い寄られてるのが嫌だって?ふうちゃんにその気がなけりゃ問題ないんじゃねえか?」
「四ヶ月前は職場で頭おかしい既婚者に粘着されてたんですよ。その前は客だったそうです」
「…可愛い子は大変だな。守ってやれよ」
深刻さが伝わったらしく、痛ましい表情をされた。俺らは仕事柄そういった被害者にもよく関わるが、結局俺らにできることは少ない。
「素直に守られてくれる子じゃないんですけど、素直じゃないとこも可愛くて燃えるんすよ。過保護し過ぎると照れて怒るんですけど、罵り方も容赦無くて可愛いんです」
「…お前の方がヤバいヤツっぽいんだけど。本当にふうちゃんとはお付き合いしてるんだよな?職失うような真似はやめろよ」
「実はふうちゃんに内緒で合鍵作ってるんですけど、まだ三回しか使ってないんでセーフっす」
「どう考えてもアウトだろ」
「一回だけ侵入ついでにパンツ持って帰りましたけど後でもっといいヤツ返すつもりなんでセーフっす」
「窃盗成立してるじゃねえか」
飯を食う手を止めてドン引きしている先輩に「わかってないなあ」と、したり顔で笑い返す。
「どんなに忙しくても、ふうちゃんって洗濯機はきっちり二日に一度必ず回すし、洗濯物もきっちり畳むし、掃除機も三日とあかずにかけるし、ゴミも出し忘れたりしないんです。神経質なんで」
「だからなんだよ。尚更お前の出る幕ねえじゃねえか」
草野先輩がいかにももう相手をしたくなさそうに「そんなことよりさっさと飯食え」と促してくるが、勢いづいている俺はそれくらいじゃへこたれない。
「そんな神経質なふうちゃんが、俺のやってる犯罪行為に気付いてないわけがないんです」
「ん?それはー…てかお前犯罪って自分で言うなよ…まあいっか。んで、全部黙認されてるって話な。もったいぶったくせに結局ただの惚気かよ。アホくさ」
「お粗末さまです」
再び箸を動かしつつ特大の舌打ちを寄越した先輩に、俺はにんまりと笑い返すと、今度はドデカ溜息を吐かれた。
ふうちゃんは元々、自分の内側に他人を踏み込まれたくないし、他人の都合で構われたくない。自分のことは自分でできるし、一人で立てる人間だ。
それでも、いつも俺に世話を焼かせるし、身の回りを好き放題させている。それが愛じゃなくて何なんだって言うんだ。
『今日は大晦日で早閉めだからバイトたちと飯食いに行ってくる』
「俺への愛は!?」
ふうちゃんから電話口で告げられた内容に俺は思わず叫んだ。
『…うるっせえ。急にでけえ声出すな。つうか愛ってなんだよ』
「俺クリスマスもふうちゃんに会えてないのに、なんでいつもふうちゃんに会えてるヤツらがふうちゃんと年越しできんだよ」
『年越しまでいねえよ。飯食ってすぐ解散だ。本社から激励で飯代出たから駅前の居酒屋で軽く飯食うだけだ。お前は今日実家行くんじゃないのか』
労働環境の改善は全然しねえくせに、半端な現場のご機嫌伺いだけはするのかよ。
「実家は別にいいんだよ」
実家には兄ちゃん姉ちゃん一家がそれぞれ帰省してるはずだ。うちの親は孫に会えることを何より楽しみにしてるから、正月休みのない独身次男はいてもいなくても何も思わない。
俺が実家に行こうかと思ったのは、ふうちゃんの話を親に軽く通して置きたかったからだ。ふうちゃんの仕事が落ち着いて、いつか俺の親に会っても良いって思ってくれたら、いつでもすぐに行けるように。
そんな話、今の多忙なふうちゃんにしても負担になるだけだから聞かせないけど。
『暇なら実家行けばいいじゃん』
「暇ならふうちゃんに会いたいじゃん」
口真似して返せば、電話越しのふうちゃんが楽しそうにくすくす笑った。
『残念だな。次会えるのは来年だ。そろそろ俺家出るから切るな。良いお年を』
「え!待ってよふうちゃん!」
『俺も会いたいよ』
咄嗟にスマホ画面を見るが、案の定通話は終了している。
またやりやがった。なんであいつはまた最後の最後に不意打ちで可愛いやつねじ込んでくるんだ。
でも、そのおかげで心を決めた。
俺はすぐさま身支度を整えると、ふうちゃんの勤務するショッピングモールに向かうべく寮を出た。
ふうちゃんの職場までは電車で一時間程の距離で、さして遠くもない。その十倍遠くても、ふうちゃんに会う為ならば苦ではないが、それでも店に寄り付かないようにしていたのは、単純に社会人としてのふうちゃんの邪魔になりたくなかったからだ。
でも、もっと早く見に来ておけば良かった。
誰にでも爽やかに笑いかける、仕事モードのふうちゃんの破壊力がすごい。
見た目だけなら俳優顔負けのふうちゃんが、笑顔デフォルトで優しく話しかけて来るのだ。雰囲気に流されやすい女だったらコロコロ落ちるだろう。俺が思っていたよりふうちゃんにガチ恋してるヤツは多そうだ。
そして、ふうちゃんにガチ中のガチで恋してる俺への威力は、言わずもがな文句無しの致命だ。男なのに透明感があるってどうなってんだ。延々見てられる。
「もしかして、カンジさん?」
振り向くと、前にふうちゃんを迎えに来た時、一緒に従業員口から出てきた男が立っていた。休憩中なのか、手にはタンブラーを持っている。
「あー。カドワキくん、だったっけ?」
「覚えてもらえて光栄です。井上店長に会いに来たんですか?」
前会った時はだいぶくだけた話し方をする印象だったが、あれはふうちゃん相手だからだったようだ。非常に感じ良い笑顔としっかりした口調の好青年だった。
「正直言うと、井上には内緒で来たんだ。覗き見してやろうかと思って」
「店長、カンジさんが来てるの知ったら喜ぶと思いますよ。この後俺と入れ違いで店長が休憩出るんで声かけてみたらどうですか」
「そうか。ありがとう。ちなみに、マスダってどいつ?」
その名を出した時点で察したらしく、カドワキくんはそれはそれは楽しそうに笑った。
「増田は今日休みなんですけど、19時から駅前のミサラ屋で忘年会するんでそれには来ますよ。カンジさんもぜひ一緒に行きましょう」
「カドワキくん、面白がってる?」
「まあ、正直言うとそうですね。あと、増田仕事中も目に余ることが増えたんで、鼻っ柱折って黙らして欲しいってのもあります。ちなみに昨日は裏で店長をセフレにしたいって言ってましたよ」
「まかせろ。殺す」
ひと笑いした後「わくわくしますね。ではまた後程」と店に戻っていくカドワキくんを見送る。
カドワキくんに踊らされている感がすごいが、彼が嘘をついて俺を焚き付けているわけでは無いだろう。
元々ふうちゃんから聞かされていた愚痴は「新規採用したバイトが馴れ馴れしい」「マスダがカドワキの指示を聞かない」「マスダが無駄にラストまで残りたがる」というのが主な内容だった。マスダがカドワキくんの指示を聞かないのは、ふうちゃんと仲いいことへの嫉妬だろうし、ラストまで残りたがるのは、ラストにはほぼ毎日ふうちゃんがいるからだろうと当たりはつけていた。それが、まさか恋心より性欲からくるものだったのは。
俺自身も性欲に負けてふうちゃんにセフレ扱いされていたなんて黒歴史もあるのだが、それはこの際一旦忘れる。
結果的には肉体関係から始まってしまった俺らだが、あの時だって、俺はふうちゃんを大事にしたくて仕方がなかった。その気持ちは今だって同じだし、たぶんこの先もずっと変わらないんだろう。
カドワキくんが店に戻って行ってからしばらくすると、ふうちゃんが年上らしき女性従業員と連れ立って出て来た。共に休憩を取るにしては女性が手ぶらであることに違和感がある。たぶん、仕事の話でもあるのだろう。
そう、仕事だ。女と二人きり、とは言え仕事だ。仕事の邪魔なんてしたら嫌われる。
わかってはいるのだが、二人がモールのバックヤードではなく、同じフロアのカフェに入って行くのが見えて、つい足がそちらに向いてしまった。
いかにも今風な壁の少ない開放的な間取りの店内の中央に、ふうちゃんたちはいた。大晦日のカフェは、人の入りがまばらなようで、従業員たちも浮足立っているように見える。
少しばかりの罪悪感を抱えつつ、俺はコーヒー一つを持って、ひとテーブル分離れた、ふうちゃんの背後側の席に座った。
「何度も同じこと言われるのは不快でしょう。あのクソマネは長谷さんの為とか言いながら、結局自分の思うように人事操作したいだけじゃないすか」
怒りまじりのふうちゃんの声がよく聞こえる。愛おしい声を間近で聞けることは嬉しいが、それが自分に向けられていないことは面白くない。
「確かに、マネージャーは人時を使わずに人員を増やしたいって欲張った考え方なの、よくわかります。でも、私も人のことは言えません」
ハセさんが苦しげに押し黙った。しばしの沈黙。客の少ないカフェ内には雑音がなく、店内には落ち着いたボサノバが流れている。
「俺に言いづらい話なら別にしなくていいんです。ただ、愚痴くらいなら聞けます。それだけっすよ」
涙が混じっていないのが不思議なほど震えた溜め息をついた後、「井上さんは優しい店長ですね」とハセさんは小さくこぼした。
「私、井上さんに嫉妬してるんです」
「は?なんでですか?」
乱暴にも聞こえるふうちゃんの言葉に、ハセさんは小さく笑ったようだった。
「本当は私、新店の店長になりたかったんです。子供に合わせて今の働き方を選んだのは自分なのに、マネージャーに元の働き方に戻さないかって言われる度に惨めな気持ちになるんです。馬鹿でしょう?」
「何が馬鹿なのか全然わかんねえっす。大事な家族がいて、仕事も好きって、それこそ俺は羨ましいですけど」
「…井上さんは仕事嫌いですか?」
ハセさんの声がまた暗さを増した。たぶん、自分の欲しい地位にいるふうちゃんが、それを軽んじているように受け取ったのだろう。
「そっちじゃないっすよ。愛着ある仕事より優先する家族がいるのが羨ましいって話です」
「井上さんにも、大事な彼女がいるでしょう?」
「いませんよ」
「え、あ、すみません!タイミングの悪い、いえ、無神経な話をしてしまいましたね。本当にごめんなさい」
彼女と別れたのだと解釈したらしい、ハセさんが慌てて謝罪をした。
ただ、もちろん俺とふうちゃんは別れていない。俺はふうちゃんが何を言わんとしているのか、なんとなくわかってしまった。盗み聞いてしまっている気まずさを誤魔化すように、俺はコーヒーに口をつけた。
「彼女じゃなくて彼氏です。俺、ゲイなんで。だから、どんなに家族になりたくても結婚は出来ないし、もし相手が望んでも子供も持てません。だから、俺はあなたが羨ましいんです」
「そう、なんですね」
「無いものねだりでしょう?」
「そんな…」
そんなことない、なんて言えないだろう。特に“それ”を持っている人からは。
「俺があいつと結婚したいって思うのは無いものねだりです。でも、長谷さんが新店の店長になりたいって思うのは無いものねだりじゃないんすよ。長谷さんにはなれる実力も時間もあるじゃないすか」
理屈ではどうしようもない部分の葛藤もあるだろう。そこに踏み入らないあたり、ふうちゃんらしいな、と思う。その辺は当人が大事な人と片付けた方がきっといい。
「…そうですね。ありがとうございます、井上店長」
「俺の愚痴も今度聞いてください」
「もちろん。私、店長が夢中な彼氏さん、すごく気になります」
「……また今度」
照れ隠しするふうちゃんの声が可愛くて後ろ髪引かれつつ、俺はできる限り静かに席を離れた。
ふうちゃんも、俺と家族になりたいと思ってくれている。それが何より嬉しくて、何かを返したい思いに駆られる。まあ、今俺に返せるものなんて大してないんだけど。
気が急きつつ、俺はショッピングモールを出て駅へ向かった。
ふうちゃんの家の玄関扉が閉まった瞬間、俺は無言で歴代最高レベルのガッツポーズをした。
かわわわわわい可愛過ぎた。ふうちゃんの可愛さが限界突破した。可愛さで人を死ぬぞ。
あれが俺の恋人だなんてたまらない。会えない間は、いつ誰に取られてしまうか不安で不安でもういっそ腹が立ってくるってのに、会えばふうちゃんの言葉ひとつ笑顔ひとつで俺の機嫌などどうとでもなってしまう。
ただ正直、「同棲したい」とねだった瞬間の寂しそうな表情が気にかかる。
強がりだけど、寂しがりなのだ。
もっと大事にしたい。そばに置いておきたい。でもその為には準備が必要だ。
隣室の扉をちらりと見てから、俺は寮に急いだ。
その後まもなく十二月に入り、ふうちゃんからの連絡は少し減った。忙しいのが文面からも見て取れて、何もしてあげられないことが歯がゆい。
それでも、おはようとおやすみはいつも送ってくれるふうちゃんが愛おしくて、これをスマホ越しじゃなく、面と向かって毎日言い合える生活を夢見る。
「たぶん、狙われてるんすよ」
「なんだよ急に。何が何に狙われてんだよ」
「ふうちゃんが、バイトの男に」
「かーっ。またふうちゃんかよ。お前の頭の中ふうちゃんばっかりだな」
寮の食堂で一緒になった草野先輩に、真面目な心配事を吐露したが、返ってきたのは呆れ返った顔だった。
「当たり前じゃないですか。毎日ふうちゃんのことしか考えてないです」
「はいはい。そのふうちゃんがバイトの男に言い寄られてるのが嫌だって?ふうちゃんにその気がなけりゃ問題ないんじゃねえか?」
「四ヶ月前は職場で頭おかしい既婚者に粘着されてたんですよ。その前は客だったそうです」
「…可愛い子は大変だな。守ってやれよ」
深刻さが伝わったらしく、痛ましい表情をされた。俺らは仕事柄そういった被害者にもよく関わるが、結局俺らにできることは少ない。
「素直に守られてくれる子じゃないんですけど、素直じゃないとこも可愛くて燃えるんすよ。過保護し過ぎると照れて怒るんですけど、罵り方も容赦無くて可愛いんです」
「…お前の方がヤバいヤツっぽいんだけど。本当にふうちゃんとはお付き合いしてるんだよな?職失うような真似はやめろよ」
「実はふうちゃんに内緒で合鍵作ってるんですけど、まだ三回しか使ってないんでセーフっす」
「どう考えてもアウトだろ」
「一回だけ侵入ついでにパンツ持って帰りましたけど後でもっといいヤツ返すつもりなんでセーフっす」
「窃盗成立してるじゃねえか」
飯を食う手を止めてドン引きしている先輩に「わかってないなあ」と、したり顔で笑い返す。
「どんなに忙しくても、ふうちゃんって洗濯機はきっちり二日に一度必ず回すし、洗濯物もきっちり畳むし、掃除機も三日とあかずにかけるし、ゴミも出し忘れたりしないんです。神経質なんで」
「だからなんだよ。尚更お前の出る幕ねえじゃねえか」
草野先輩がいかにももう相手をしたくなさそうに「そんなことよりさっさと飯食え」と促してくるが、勢いづいている俺はそれくらいじゃへこたれない。
「そんな神経質なふうちゃんが、俺のやってる犯罪行為に気付いてないわけがないんです」
「ん?それはー…てかお前犯罪って自分で言うなよ…まあいっか。んで、全部黙認されてるって話な。もったいぶったくせに結局ただの惚気かよ。アホくさ」
「お粗末さまです」
再び箸を動かしつつ特大の舌打ちを寄越した先輩に、俺はにんまりと笑い返すと、今度はドデカ溜息を吐かれた。
ふうちゃんは元々、自分の内側に他人を踏み込まれたくないし、他人の都合で構われたくない。自分のことは自分でできるし、一人で立てる人間だ。
それでも、いつも俺に世話を焼かせるし、身の回りを好き放題させている。それが愛じゃなくて何なんだって言うんだ。
『今日は大晦日で早閉めだからバイトたちと飯食いに行ってくる』
「俺への愛は!?」
ふうちゃんから電話口で告げられた内容に俺は思わず叫んだ。
『…うるっせえ。急にでけえ声出すな。つうか愛ってなんだよ』
「俺クリスマスもふうちゃんに会えてないのに、なんでいつもふうちゃんに会えてるヤツらがふうちゃんと年越しできんだよ」
『年越しまでいねえよ。飯食ってすぐ解散だ。本社から激励で飯代出たから駅前の居酒屋で軽く飯食うだけだ。お前は今日実家行くんじゃないのか』
労働環境の改善は全然しねえくせに、半端な現場のご機嫌伺いだけはするのかよ。
「実家は別にいいんだよ」
実家には兄ちゃん姉ちゃん一家がそれぞれ帰省してるはずだ。うちの親は孫に会えることを何より楽しみにしてるから、正月休みのない独身次男はいてもいなくても何も思わない。
俺が実家に行こうかと思ったのは、ふうちゃんの話を親に軽く通して置きたかったからだ。ふうちゃんの仕事が落ち着いて、いつか俺の親に会っても良いって思ってくれたら、いつでもすぐに行けるように。
そんな話、今の多忙なふうちゃんにしても負担になるだけだから聞かせないけど。
『暇なら実家行けばいいじゃん』
「暇ならふうちゃんに会いたいじゃん」
口真似して返せば、電話越しのふうちゃんが楽しそうにくすくす笑った。
『残念だな。次会えるのは来年だ。そろそろ俺家出るから切るな。良いお年を』
「え!待ってよふうちゃん!」
『俺も会いたいよ』
咄嗟にスマホ画面を見るが、案の定通話は終了している。
またやりやがった。なんであいつはまた最後の最後に不意打ちで可愛いやつねじ込んでくるんだ。
でも、そのおかげで心を決めた。
俺はすぐさま身支度を整えると、ふうちゃんの勤務するショッピングモールに向かうべく寮を出た。
ふうちゃんの職場までは電車で一時間程の距離で、さして遠くもない。その十倍遠くても、ふうちゃんに会う為ならば苦ではないが、それでも店に寄り付かないようにしていたのは、単純に社会人としてのふうちゃんの邪魔になりたくなかったからだ。
でも、もっと早く見に来ておけば良かった。
誰にでも爽やかに笑いかける、仕事モードのふうちゃんの破壊力がすごい。
見た目だけなら俳優顔負けのふうちゃんが、笑顔デフォルトで優しく話しかけて来るのだ。雰囲気に流されやすい女だったらコロコロ落ちるだろう。俺が思っていたよりふうちゃんにガチ恋してるヤツは多そうだ。
そして、ふうちゃんにガチ中のガチで恋してる俺への威力は、言わずもがな文句無しの致命だ。男なのに透明感があるってどうなってんだ。延々見てられる。
「もしかして、カンジさん?」
振り向くと、前にふうちゃんを迎えに来た時、一緒に従業員口から出てきた男が立っていた。休憩中なのか、手にはタンブラーを持っている。
「あー。カドワキくん、だったっけ?」
「覚えてもらえて光栄です。井上店長に会いに来たんですか?」
前会った時はだいぶくだけた話し方をする印象だったが、あれはふうちゃん相手だからだったようだ。非常に感じ良い笑顔としっかりした口調の好青年だった。
「正直言うと、井上には内緒で来たんだ。覗き見してやろうかと思って」
「店長、カンジさんが来てるの知ったら喜ぶと思いますよ。この後俺と入れ違いで店長が休憩出るんで声かけてみたらどうですか」
「そうか。ありがとう。ちなみに、マスダってどいつ?」
その名を出した時点で察したらしく、カドワキくんはそれはそれは楽しそうに笑った。
「増田は今日休みなんですけど、19時から駅前のミサラ屋で忘年会するんでそれには来ますよ。カンジさんもぜひ一緒に行きましょう」
「カドワキくん、面白がってる?」
「まあ、正直言うとそうですね。あと、増田仕事中も目に余ることが増えたんで、鼻っ柱折って黙らして欲しいってのもあります。ちなみに昨日は裏で店長をセフレにしたいって言ってましたよ」
「まかせろ。殺す」
ひと笑いした後「わくわくしますね。ではまた後程」と店に戻っていくカドワキくんを見送る。
カドワキくんに踊らされている感がすごいが、彼が嘘をついて俺を焚き付けているわけでは無いだろう。
元々ふうちゃんから聞かされていた愚痴は「新規採用したバイトが馴れ馴れしい」「マスダがカドワキの指示を聞かない」「マスダが無駄にラストまで残りたがる」というのが主な内容だった。マスダがカドワキくんの指示を聞かないのは、ふうちゃんと仲いいことへの嫉妬だろうし、ラストまで残りたがるのは、ラストにはほぼ毎日ふうちゃんがいるからだろうと当たりはつけていた。それが、まさか恋心より性欲からくるものだったのは。
俺自身も性欲に負けてふうちゃんにセフレ扱いされていたなんて黒歴史もあるのだが、それはこの際一旦忘れる。
結果的には肉体関係から始まってしまった俺らだが、あの時だって、俺はふうちゃんを大事にしたくて仕方がなかった。その気持ちは今だって同じだし、たぶんこの先もずっと変わらないんだろう。
カドワキくんが店に戻って行ってからしばらくすると、ふうちゃんが年上らしき女性従業員と連れ立って出て来た。共に休憩を取るにしては女性が手ぶらであることに違和感がある。たぶん、仕事の話でもあるのだろう。
そう、仕事だ。女と二人きり、とは言え仕事だ。仕事の邪魔なんてしたら嫌われる。
わかってはいるのだが、二人がモールのバックヤードではなく、同じフロアのカフェに入って行くのが見えて、つい足がそちらに向いてしまった。
いかにも今風な壁の少ない開放的な間取りの店内の中央に、ふうちゃんたちはいた。大晦日のカフェは、人の入りがまばらなようで、従業員たちも浮足立っているように見える。
少しばかりの罪悪感を抱えつつ、俺はコーヒー一つを持って、ひとテーブル分離れた、ふうちゃんの背後側の席に座った。
「何度も同じこと言われるのは不快でしょう。あのクソマネは長谷さんの為とか言いながら、結局自分の思うように人事操作したいだけじゃないすか」
怒りまじりのふうちゃんの声がよく聞こえる。愛おしい声を間近で聞けることは嬉しいが、それが自分に向けられていないことは面白くない。
「確かに、マネージャーは人時を使わずに人員を増やしたいって欲張った考え方なの、よくわかります。でも、私も人のことは言えません」
ハセさんが苦しげに押し黙った。しばしの沈黙。客の少ないカフェ内には雑音がなく、店内には落ち着いたボサノバが流れている。
「俺に言いづらい話なら別にしなくていいんです。ただ、愚痴くらいなら聞けます。それだけっすよ」
涙が混じっていないのが不思議なほど震えた溜め息をついた後、「井上さんは優しい店長ですね」とハセさんは小さくこぼした。
「私、井上さんに嫉妬してるんです」
「は?なんでですか?」
乱暴にも聞こえるふうちゃんの言葉に、ハセさんは小さく笑ったようだった。
「本当は私、新店の店長になりたかったんです。子供に合わせて今の働き方を選んだのは自分なのに、マネージャーに元の働き方に戻さないかって言われる度に惨めな気持ちになるんです。馬鹿でしょう?」
「何が馬鹿なのか全然わかんねえっす。大事な家族がいて、仕事も好きって、それこそ俺は羨ましいですけど」
「…井上さんは仕事嫌いですか?」
ハセさんの声がまた暗さを増した。たぶん、自分の欲しい地位にいるふうちゃんが、それを軽んじているように受け取ったのだろう。
「そっちじゃないっすよ。愛着ある仕事より優先する家族がいるのが羨ましいって話です」
「井上さんにも、大事な彼女がいるでしょう?」
「いませんよ」
「え、あ、すみません!タイミングの悪い、いえ、無神経な話をしてしまいましたね。本当にごめんなさい」
彼女と別れたのだと解釈したらしい、ハセさんが慌てて謝罪をした。
ただ、もちろん俺とふうちゃんは別れていない。俺はふうちゃんが何を言わんとしているのか、なんとなくわかってしまった。盗み聞いてしまっている気まずさを誤魔化すように、俺はコーヒーに口をつけた。
「彼女じゃなくて彼氏です。俺、ゲイなんで。だから、どんなに家族になりたくても結婚は出来ないし、もし相手が望んでも子供も持てません。だから、俺はあなたが羨ましいんです」
「そう、なんですね」
「無いものねだりでしょう?」
「そんな…」
そんなことない、なんて言えないだろう。特に“それ”を持っている人からは。
「俺があいつと結婚したいって思うのは無いものねだりです。でも、長谷さんが新店の店長になりたいって思うのは無いものねだりじゃないんすよ。長谷さんにはなれる実力も時間もあるじゃないすか」
理屈ではどうしようもない部分の葛藤もあるだろう。そこに踏み入らないあたり、ふうちゃんらしいな、と思う。その辺は当人が大事な人と片付けた方がきっといい。
「…そうですね。ありがとうございます、井上店長」
「俺の愚痴も今度聞いてください」
「もちろん。私、店長が夢中な彼氏さん、すごく気になります」
「……また今度」
照れ隠しするふうちゃんの声が可愛くて後ろ髪引かれつつ、俺はできる限り静かに席を離れた。
ふうちゃんも、俺と家族になりたいと思ってくれている。それが何より嬉しくて、何かを返したい思いに駆られる。まあ、今俺に返せるものなんて大してないんだけど。
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