繰り返す日常と化け物と親友

緑黄色野菜

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二人の女子高生

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 「また、この風景か」

 いつもの通り、私は貧血を起こして倒れた。3ヶ月前までは見知らぬ天井だったが、この天井には高校入学してからお世話になりっぱなしだ。私は学校のベットの硬さと上から包み込む掛け布団の温もりを感じつつ、天井を眺めた。

 「あ、綾子あやこちゃん。気が付いた?」

 近くから声が聞こえた。声の主は私の傍で丸イスに座りながらこちらを眺めていた。彼女は小さい頃からの私の親友の恩田知美おんだともみだった。彼女とは付き合いが長く、いつもこのように倒れた際に保健室に立ち会うことが多かった。

 私は幼い頃に両親を亡くし、残された財産を遠い親戚に管理してもらい、昔から一人でこの街で両親が残した一軒家で暮らしてきた。家のことは親戚のおじさんおばさんが雇ってくれた人たちが家のことをしてくれたが、私はとても寂しかったし、暮らしていて心を開ける存在がいなかった。そんな不幸な少女に現れたのが、小学校で知り合ったこの知美だった。だから、私はそんな彼女の存在にとても感謝している。

 「また私、貧血で倒れちゃったの?」

 「……うん。授業前にお手洗い行く途中でね」

 「この貧弱体質は嫌になるわね」

 私は毎度毎度、すぐ倒れるこの体に愚痴をこぼした。

 「体質だからね。そればっかりは仕方が無いよ」

 「そうだけどさ――」

 優しく語り掛ける知美に私はふて腐れながらもベットから起き上がった。

 「今、何限?」

 「もう4限の数学が終わりそうなとこ」

 「1時間近く眠ってたのか。ほんとにいつも知美ごめんね」

 「私なら今日の範囲は予習と自習済みだから大丈夫よ。問題は綾子ちゃんよ」

 うっ、さすが勉強のできる子は違う。私はもともと勉強ができる方ではないし、この貧血持ちのおかげでペースを乱されることが多々あるため、常に赤点予備軍である。

 「また勉強を教えてもらってもいい?」

 猫撫で声でわざとらしくお願いをする私。

 「もちろん。親友に赤点を取らせるわけにはいかないからね。いつもどおり、ちゃんと教えるよ」

 いつもの笑顔で了承する知美。

 「お、お手柔らかに」

 知美は勉強モードになるといつもの朗らかなイメージとうってかわって、スパルタ派なので、今から期末テスト前の勉強を今の言葉で私は改めて覚悟をした。と、知美と話をしていると4限の終わりを知らせるチャイムが学校中に鳴り響いた。

 「よし、ご飯を食べに戻ろう」

 「さっきの数学の範囲を軽く勉強しながら食べようね」

 今から鬼教官の片鱗を見せる知美に私はアッハイと返事をし、私と知美は教室に戻ることにした。
 



「ねえねえ、綾子ちゃん。スワンプマンって、知ってる?」

 昼間の教室。皆は持ち寄った弁当や購買のおにぎりやパンに舌鼓を打ちながら談笑しながら仲良く食べている光景が見える。私は教室の窓側の一番後ろの特等席に座って日常を眺めている。教室の窓から見える海の地平線は去年行われた校舎の耐震補強のための鉄筋で半分姿を隠していた。もう少し早く入学したかったなと、残念がっているそんな私に向かい合って一緒にご飯を食べている知美が唐突に聞きなれない言葉について話してきた。

 「スワンプマン?なにそれ。新しい芸人?」

 「違う違う。芸人さんじゃなくて、アメリカの哲学者が考えた空想の話」

 と、少し笑いながら話す知美に私は口を尖らす反応をしながらも知美の話を聞き続けた。

 「ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう」
 「その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマンと言う」
 「スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。
 「沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく」

 知美は右手に持つスマホでwikiを見ながらスワンプマンについて説明した。私は知美の言葉を聞きながら売店で買ってきた紙パックジュースにストローを差し、ちびちびと飲みながら、またネットで面白いものが見つかったから話したいんだなと思った。説明し終わった知美は満足げにスマホをポケットに戻した。

 「で、どう思う?」

 「何が!?」

 私は知美の言葉のあまりにもの少なさに反射的に言葉を返した。

 「このスワンプマンは本人かそうじゃないかってことよ。綾子ちゃん、ちゃんと聞いてた?――」

 そう言われると半分で聞き流していたが、私は今の話の内容を整理してから自分なりの答えを切り出すことにした。

 「うーん、同じ構造の体で知識も変わりなく、記憶も途切れたりしてないんでしょ?なら、それで別に問題ないんじゃない?死んだ男の方が誰かに見つかったら問題だろうけど」

 だが、私の見解に珍しく知美が反論してきた。これには少し驚いた。いつもなら、そうだよねーうふふっと彼女が微笑む場面だからだ。

 「で、でも。雷に打たれた人は死んじゃってるんだよ。だから、新しく産まれてきた人はその人じゃないよ。その人は傍で亡くなっているんだから」

 でも、知美の声からどんどん力強さがなくなっていった。自分の主張に自信が無いからだろうか。それでも、私は自分の考えを続けて話した。

 「私の考えは、『自分』として認める者は自身ではなく、自分を見る他人だと思うの。例え、元の人間が雷に打たれて死のうと、社会で必要とされる私の役割に問題がなければ、それは私なのよ」

 そして、私は勉強しながらご飯を食べるといったまま、机に置かれていた4限の数学で配られたプリントを手にとって、

 「このプリントもコピー機で作られたけど、これが先生が作った原本だろうとなかろうと、私たちには問題ないでしょ?ね?」

 と、笑顔で知美に語りかけた。知美は腑に落ちないようだったが、こくりと頷いた。そして、私は知美らしからぬ話題に目を丸くさせたままであった。その上、何故か私の返答に気を落としている知美を見て、話題を変えることにした。

 「でも、知美は優しいねえ。そういう死んだ人のことも考える優しさがあるから男子にモテるのかな?」

 私は椅子を上下に揺らしながら知美のことをいじり始めた。

 「い、今はいいでしょ……そんなこと」

 「二組の斉藤も『露骨に恩田から避けられてる気がする』とか、四組の川辺も『話しかけようとしたら逃げられた』という内容を幼馴染だからといって私に相談してくるのよ?別に全員に愛想よくしろとは言わないけど、もう高校生になるんだし、男子を避けるのはやめてあげたら?」

 私は窓の外を眺めながらジュースをちゅうちゅうと吸い、残りを飲み干す。

 「最近は慣れてきたら、そんな酷い扱いはして……。はい、善処します……」

 男子が知美に近づきたい気持ちは良く分かる。知美は可愛い。女の私も可愛いと思うし、妹にできるなら妹にしたいぐらいだ。髪はすらっと絹のように長く綺麗な黒髪で目鼻は整い、まるで日本人形と西洋人形を足して二で割ったような感じだ。理想的で綺麗なバランスなのだ。

 「アンタのその男嫌いはもう物心ついた頃にはあったわよね。いったい、それどこから来てるのよ」

 私は純粋な疑問とモテ具合に対する少量の嫉妬を加えて聞いてみる。

 「別に男の子が嫌いなわけじゃなくて、気になる人がいるからあまりそういうのには関わらないほうがいいかなと思って……」

 「他に好きな人がいるの!?」

 私は身を乗り出して、気になる人というワードに食いついた。知美から恋愛話を自分から話したのは初だったからだ。知美は、あははっと私の勢いに押されて戸惑いながらも話を続けた。

 「でもね、その気になる人は、『気になっていた』になっちゃったって言えばいいのかな。なんてね」

 知美は笑顔でごまかしながらも、私に気になってた人の存在を教えてくれた。どこか遠くに行ってしまったのだろうか、もしくは亡くなられたのだろうか。だから、さっきもスワンプマンなんて死んだ人間が関わってくる話題を持ち出したのだろうか。私はそう捉えた。

 「知美、私でよければその気になってた人の話をしたくなったらいつでも聞いてあげるわよ。あっ、食後用に買ったプリン食べる?コンビニの高い奴」

 「どうしたの?改まっちゃって」

 知美は急に優しくよそよそしい態度をする私に笑いながら答えた。

 「ありがとね。綾子」

 そう言うと、知美は私から献上されたコンビニの高いプリンを幸せそうに食べた。



 同日の夜。私は知美と一緒に通う学習塾へ行く待ち合わせをしてバス停で知美を待っていた。しかし、知美はいつもの時間になっても現れないままバスの時間が近づいて焦りはじめた。

 「もう、何してるのよ。いつもなら私より早く来ている癖に」

 普段の私の行いは棚に上げつつ、携帯の連絡にも出ない知美を心配する。そして、いつものバスが到着する。運転手さんに少しだけ待ってもらうようにして知美を待っていると、全力疾走してバス停に走ってくる女の子が見えた。案の定、知美だった。

 「早くしなさい!!バスが少し待ってくれたのよ。ありがとう、運転手さん」

 「ありがとう……ございます」

 私とへとへとになって息切れしながら乗り込んできた知美は運転手さんに感謝しつつバス乗り込む。

 「携帯ぐらい出なさいよね。最悪事故に巻き込まれたかと思ったじゃない」

 席に座り私は怒り気味に話すと、知美は私の言葉に気づいて鞄から携帯を取り出してた。私の着信履歴が十数件入っているのを確認して、ごめんと謝った。

 「でも、事故じゃなくてよかったわ。でも、本当はなんで遅れたの?いつもなら私よりもはやく待ち合わせ場所に来ているのに」

 私の質問に知美は言いにくそうな様子で少し考えた後、

 「ちょっとお腹が痛かったから今日の塾は休もうと考えたんだけど、よくなってきたからやっぱり行こうと思ったら、遅れました」

 しょぼんとする知美。

 「え?大丈夫なの?授業中にまた痛くなったら大変じゃない」

 そのように心配する私に知美は、

 「大丈夫大丈夫。本当に大丈夫だから、本当に……」

 まだ調子が悪いのか心なしか元気が無い知美を気遣いつつも私たちは塾へ向かった。
 だが、塾に着くと同時に知美はトイレに駆け込み、全ての授業を受けられないまま帰宅する時間になってしまった。



 「無理して塾なんて行くものじゃないわよ」

 私は自分の鞄と知美の鞄を抱えてバス停まで向かった。後ろには調子が悪そうな知美がとぼとぼととついて来ていた。彼女の息は乱れて不規則に呼吸を行いとても苦しそうであった。

 「ほんとに知美、大丈夫?バスじゃなくて家族の人に迎えに来てもらう?」

 振り返って心配する私に知美は俯いたままで無言で頭だけを横に振る動作をしてそれを拒否した。

 「がんばれそうなら私は止めないけど……」

 私は腑に落ちぬまま二つの鞄を持って改めてバス停まで歩き始めた。道を曲がり、バス停が見える道を眺めたとき、私は乗る予定であったバスがもう既に到着している光景を目の当たりにしてしまった。

 「待って!!」

 思わず叫んだ私はそのまま全速力でバス停に向かって走るが、運転手は知ってか知らずか私に気づかないまま、ほとんど乗客を乗せてないバスを走らせ次の目的地まで向かった。私はハザードランプで照らされる後部の広告を凝視しながら、暗闇に消えていくバスを眺めるしかできなかった。

 「……明日クレームいれてやる」

 悪態をついていると、突然痛みに堪えて悶える様な声が聞こえてきた。後ろを見ると知美が倒れていた。

 「知美!?」

 私は知美に駆け寄り、

 「その痛み方、尋常じゃないよ。今から救急車呼ぶから」

 と、携帯を取って電話を掛けようとした瞬間、

 「駄目。絶対、駄目!!」と私の腕を掴んできた。普段の華奢な風貌の知美からでは想像ができないような強い力で握られ痛みを感じるほどであった。

 「何言ってるのよ。そんなに苦しんでるじゃない」

 再度電話を掛けようと試みると、知美は止めて!っと叫ぶと同時に私をおもいっきり突き飛ばした。思わぬ突き飛ばしに私は驚き、体勢が崩れて尻餅をついた。知美の自分の状況を理解していない行動はさすがに堪忍袋の緒が切れてしまった。

 「知美、いい加減にしなさいよ!!」

 私が知美に向かって言った瞬間、私に不可思議な光景を目の当たりにしてしまった。
 突如、か細い知美の左腕が大きく膨らみ始めた。腕が赤くはれ上がってしまったという言葉では説明がしがたいほど膨張し、血液と体液が噴出し筋肉繊維が浮き上がり痛々しく脈を打ちながら、痙攣しぴくぴくと動いていた。そして、腕が変化し始めて触手となり、何本も巻きつきロープのような絡まりあって一本の腕のように形を変えていった。

 「なによ……」

 私は絶句し、足と膝を震わせながら親友の左腕の変貌を眺めるしかできなかった。すると、重たい左腕にバランスを取られながら、ゆっくりと知美が立ち上がり始めた。足を一歩一歩まるで歩行訓練でリハビリをしている入院患者のような足取りで私の方へ歩いてきた。

 「あ、綾子ちゃん……」

 疲れきり、息が絶え絶えな様子の知美。私はいつも聞きなれているはずの知美の声だったが、

 「ひぇっ……!?」

 ぞっと背筋が凍り、思わず私は逃げ出してしまった。

 「お、お願い。ま、待って!!」

 一気に距離を離れた私は後方を振り返ると、知美は重い足取りで追いかけてきた。知美は力いっぱい必死になって追いかけているようだったが、速度は三輪車を漕ぐ幼児ほどの速さしかなかった。知美の荒い息遣いが十数メートル離れた先でも聞こえてきた。私は当方に暮れながら、どうしたらいいか分からないでいた。必死に歩いていた知美は地面のくぼみに躓いて転倒し、動けなくなってしまう。

 「知美!!」

 私は思わず知美に傍に走っていった。蹲った知美を抱きかかえると、酷く衰弱し呼吸も浅く、ぐったりとしていた。

 「大丈夫!? ……とりあえず、どこか人がいないところに行くわよ」

 今の知美の姿をほかの誰かに見られるわけにはいかない。知美のその腫れ上がった腕のようなものを私の制服のジャケットで隠し、知美に肩を貸した。虚ろな目で知美が自分の左腕を見つめる。

 「ダメ……綾子ちゃんの制服が汚れちゃう」

 「この状況で制服の汚れなんてどうでもいいわ!それより知美は意識をちゃんと持ちなさい」

 その言葉に私は外見は変わっても中身は知美のままだと感じて少し安堵しながら、人気のない落ちつける場所を探した。



 運よく近くで公園を見つけた。敷地には公衆トイレと数個のベンチが設置されており、公園には誰もいないようだ。知美は意識が朦朧として、私は半分引きづりながら背もたれ付きのベンチを見つけたのでそこに腰掛けさせた。まるで紐が切れた操り人形のように知美は動かない。私は鞄に入れていたペットボトルのお茶を取り出し、知美に優しく飲ませてあげた。げほげほと気管にお茶が入ってむせたたりもしたが、先ほどよりも呼吸は安定し、汗も引いていっているように見えた。
 お茶を飲ませた後はしばらく二人でそのままベンチに座り続けて同じ夜空を見上げた。数分前とはうってかわって、静寂が二人の女子高生を迎え入れてくれた。風で公園の草木が触れ合う音が鮮明に聞こえてくる。いつもと変わらない自然の情景。もしかしたら先ほどの騒動は夢だったのではないかと思ったが、知美の腕に巻いた血と液体が染み付いた私のジャケットを見て、現実に送り返された。

 「綾子ちゃん、ありがとう……」

 細々と知美が声を上げた。

 「落ち着いた?」

 「うん、さっきよりは良くなったよ」

 「なら、よかった……」

 知美の様子がよくなってよかったと思った。だが、その後2人は会話を途切れさせてしまい、無言が続いた。まだ受け入れ切れていない現実に対してどう話を切り出したらいいか分からなかった。そんな重苦しい空気の中、知美が口を開いた。

 「この腕のことを話さないといけないよね……」

 私は頷いて、知美の話を聞いた。

 「この腕について私もよく分からない。こうして現れたのは今回で三回目かな……。一回目は幼稚園児の時だった。外でひとりで遊んでいたら今回みたいに急に腕がおかしくなって酷く私を混乱させた。そして、腕が痛くて熱くて苦しくて泣いてた。でも、泣きつかれたのか気を失ったのか何時しか私は眠っていた。気が付いて起きたときには両親が傍にいて私を抱きかかえいた。私が倒れていた地面は血と液体でびちゃびちゃだったけど、腕はいつの間にか元に戻っていた。私もその時は悪い夢かと思った。そして、こんな夢はやく忘れてしまおうと考えた……」

 「でも、昔あった悪夢のことを忘れた小学校4年生の頃、深夜自室で眠っている時にまた現れた。あまりの痛みと異変に声を上げてしまった。私の声に気づいて母が私の部屋に向かってくる足音が聞こえた」

 「でも、そのときも元に戻ったんでしょ?なら今回も時間が経てば戻るんじゃ……」

 私は知美の話を遮り、今回の現象も時間が解決してくれるのだと決め付けたかった。が、知美の反応は違っていた。とても言いにくそうで自分の口から話すのをかなり拒んでいる様子だった。

 「……一回目の時みたいになればよかったんだけどね。でも、二回目は違っていたの」

 そして、知美は一度、私の顔を見て何かを決心したのか話の続き続けた。

 「母は私の部屋の扉を叩いて私の安否を確認しにきたわ。でも、私は扉を開けさせないために押し続けたわ」

 「なんで、お母さんを入れなかったの……?」

 私の言葉に一瞬知美は言葉を詰まらせたが、続けた。

 「……食べたかったから」

 「食べたかったから??」

 私は知美の言葉を理解できなかった。なぜ、その場面で食事の話になるのか。

 「あの腕が現れて、無性に母を……食べたくて食べたくてしょうがない衝動に駆られていた。このまま母と会えば私の理性を置き去りにして、この変化した腕で食べてしまうと直感して、扉を開けさせなかったの」

 「母には悪夢をみて大声を出したといって寝室に戻ってもらった。まあ、本当に悪夢を見ていたんだけどね……」

 私は知美の言動に現実味が無さ過ぎて、そのまま聞き続けるしかなかった。

 「この空腹感を満たすために台所へ向かった。台所にあるお米や魚や野菜、調味料を全て集めてこの腕に食べさせた。でも、効果はなかった。そして、私はふらふらと深夜の街に向かった。で、そこで酔って倒れているサラリーマンを見つけたの……」

 私は思わず、まさか……呟いた。

 「ええ、そうよ。彼をこの腕で食べたの。でも、台所の食材と同じだった。いやむしろ、余計なものを食べてより空腹感が増してしまった。だから、私は母が待つ自宅に帰ったの。……続きは話さなくてもいいよね?」

 知美は申し訳なさそうな口調で話した。私は親友が隠していた秘密をただただ受け入れることしかできなかった。そして、私は一つの疑念が湧いてきた。

 「今はその、食欲はどんな状態なの?」

 「食欲はある、ね」

 私は前回と同じ状況であることを知ってしまった。

 「で、それは誰?」

 私はささやき声で聞いてみると、知美はゆっくりと腕を動かして指を差した。私だった。私は頭の中がまっしろになった。まさか死ぬにしても親友に食べられるなんて想像していなかった。

 「今日、腕の様子がおかしかったから包丁で切り落とそうとしたけど、筋肉も皮も硬くなってて歯が立たなかった。自殺もしようと思ったけど、怖くて怖くてできなかった。弱くてごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 知美は涙を流しながら大泣きした。私は自分の中で大きな決断をして大泣きする知美に言った。

 「食べればいいじゃない、私を」

 「そんなこと、できるわけないじゃないっ!! 何言ってんのよ!!!」

 反対する知美。

 「なら、これ以上関係ない人たちを巻き込むつもり?知ってるでしょ、私には親しい家族はいないし、誰も悲しまないわ」

 「でも、私は悲しいよ。だからやっぱり、いやだよ……」

 「私はね、知美がみんなに化け物扱いされて嫌われる方がもっと嫌よ」

 私も本当は死ぬのは怖い。でも、私が生き残って待ち受ける未来の方がもっと怖く感じく感じた。

 「綾子ちゃん……」

 今度は鼻水も流して知美が泣き始めた。

 「あんたが泣いてどうするのよ」

 そういうと、私は知美の頭を撫でた。




 「いつでもいいよ」

 心の決心もう、ついていた。

 「綾子ちゃん、確認させてほしいの?」

 「何?」

 「私、こんな化け物だけど、まだ綾子ちゃんの友達?」

 知美は鼻水と涙でぐしょぐしょになった顔で聞いてきた。

 「そうだよ、大切な友達」

 「……ありがとぅ。綾子ちゃん」

 知美の笑顔とその言葉のあと、私の意識が途切れた。




 夜の小さな公園で女の子が一人泣いてた。彼女はまるで、遊園地で両親と逸れてしまい途方に暮れてないてしまっている子どものようであった。

 「綾子ちゃん、おいしかったよ。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」

 感謝と懺悔の感情が入り混じったなんとも言いがたい口調で彼女はいなくなってしまった親友に向けて話した。

 「綾子ちゃんは『いつも』私のために犠牲になろうとする。感謝しているし迷惑かけているのは私だけどやっぱり、綾子ちゃんの行動は理解できないよ。なんで……なんで……拒否してよ、拒絶してよ」

 「でも、そんな綾子ちゃんを。私は、また騙してしまった……」

 彼女の独り言は静まり返った公園の狭い空間をかすかにこだまする。誰も彼女の苦悩を聞き、理解してくれる人はいない。虚しくこだまは暗闇の中へ消えていった。ベンチで数十分間、石像のように座り込んでいる彼女に異変がおき始めた。

 「あぁ、もう、そろそろか」

 彼女は慣れた反応をして、大きくなった左腕を眺める。左腕は粘土のように形を変えていった。その変化の過程で少しずつ肉が零れ落ちて、肉片が地面に貯まっていった。何度も何度も変化を重ねて、いつしか彼女の腕は昼間の時のようなか細い女子高校生の腕に戻っていた。彼女はもとに戻った左腕を自分が出せる力で右手で掴んだ。握られた左腕は赤くなっていた。
 左腕からそぎ落とされた肉片で地面は沼のようになっていた。肉片は熱を持ち、細胞はまだ生きているようだった。すると、驚いたことにその肉片も周りの肉を絡めあうように変化を始めた。しばらくすると、それはいつしか人型となっていき、変化が終わる頃には完全な人間となっていた。

 そして、それは綾子になっていた。

 知美は綾子を抱きかかえると、自分の膝に頭を乗せて膝枕をさせた。眠っている綾子は穏やかな表情を浮かばせて、気持ちよく眠っていた。そんな綾子を見て知美は安堵した表情を見せた。

 「今回も無事に元に戻ってよかった」

 知美は寝ている綾子に微笑みかけて、優しく頭を撫でた。綾子に話した母と酔っ払いのサラリーマンもこの綾子のように何もなかったかのように知美からそぎ落ちた肉片が形作り、2人とも何不自由なく日常に戻っていった。

 「でも、あなたは、『本当』の綾子ちゃんなの?」

 と寂しげに、そして心配そうに知美は語りかけた。



 しばらくすると、綾子がゆっくりと目を開けて目覚めた。

 「えっと、あれ?知美ここはどこ?」

 「塾の近くの公園だよ」

 知美は答えた。

 「もしかして、また私倒れちゃった?」

 「……うん」

 「そっか、また迷惑かけちゃったわね。ありがとう、知美」

 綾子ちゃんは目覚めたときには私との一部始終を忘れている。綾子ちゃんの中では貧血を起して気を失って倒れたという記憶になっている。幸か不幸か、この記憶の改変が今日まで私を私として生かせてもらえている要因であった。綾子ちゃんは私の左腕のことだけすっぽりと忘れているのだ。
 そして、私はそんな綾子ちゃんに真実を話さずに利用している。何度も何度も私に対する彼女の勇気を利用して、心も体も醜くこの世に留まっている。その利用は綾子ちゃんと仲を深めるたびに回数が多くなっていた。始めは2年に1度、今に至っては2ヶ月に1度にまで増えていった。綾子ちゃんへの好意が回数を増幅させていると考えた。
 でも、綾子ちゃんから離れるなんて私には考えられなかった。そんな自己中心的な自分が憎いし、綾子ちゃんからの拒絶されるを恐れ、自分の死を恐れるただの化け物だ。

 「気にしないで。綾子ちゃんは私の大切な人だもん」

 その大切な人をつい先ほど、食い物にしたのは私だ。

 「おお、いい言葉だね。知美が女の子じゃなくイケメン男子なら完全に恋に落ちてたよ」

 「ふふふっ、イケメン男子じゃなくて残念ね」

 女の子でもイケメン男子でもない私はただの化け物だ。

 「真っ暗だね。そろそろ帰らないと」

 綾子ちゃんは起き上がり、背伸びをして立ち上がった。屈託の無い笑顔で振り向き、未だ座り込んでいる私に綾子ちゃんが左手を差し出してきた。

 「知美、帰るわよ」

 私は綾子ちゃんの左手を一瞬掴もうとか躊躇したが、だが私はまた綾子ちゃんの優しさに甘えてその左手を掴み、彼女の力を借りて起き上がった。にしししっと笑う綾子ちゃんを尻目に私はこれから何度彼女を苦しめないといけないのか、何度嘘をつきながら生きていかないといけないのか、そのようなことばかり考え、とても胸が痛い。張り裂けそうだ。この日常を装った悪夢を終わらせたい。でも、死ぬのも本当の化け物になるのも怖い、とてつもなく怖い。私はいつしか悪夢の泥沼にはまっていた。

 「そういえば、最近おいしいって話題のお菓子が出たみたいだからさ。近くのコンビニに寄っていかな?」

 いつもの他愛の無い話が始まる。

 「いいよ。でも前もそんなこと言って、おいしくない!騙された!!って怒ってたじゃん?」

 私はにやにやしながら以前の失敗談のことを綾子ちゃんに話した。

 「う…、今度こそはおいしいんだから、絶対!!」

 「そうかな――?」

 「そうよ!!今度こそ、うまくいく!!」

 そんな彼女の姿を見るたびに、この日常のような悪夢の続きがダメだと思っても気になってしまう。もっと見たいと感じてしまう。彼女の笑顔は悪夢の中の唯一の幸せだった。だから、弱い私はその幸せにすがって、いつまでもこの悪夢を彷徨い続ける。

 今度は自分が夢から覚めることを信じて。
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