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第一章

007 ルゥナとユーリ

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「結局、引き受けてしまいましたね」

 明かりを消して眠りにつこうとしていたら、隣のベッドからユーリのため息混じりの声が聞こえた。
 ユーリは、変態紳士の野望を打ち砕くにはアレクシアの力が必要だとあの場では納得したが、マルクから得た資金で別の地区に店を出せば良いだけだったのではないかと思い悩んでいた。

「でも、正直に話すと、会長さん、目が本気だったの。凄く気持ち悪かったのよ」
「はい?」
「あっ。た、多分よ。そんな事より、嫁ぎたくもない相手の元へいかなきゃいけないだなんて、アレクシア様が可哀想でしょ? それに、お慕いしている方だっていらっしゃるのに。だから引き受けて良かったのよ」
「ですが。マルク様のお陰で、お店の方は何とかなりそうだったのに、わざわざ危ない橋を渡ろうとしなくても良かった気がして……」

 ユーリの意見は正しいけれど困っている人を放っておくことも胸が痛む。人は助け合って生きていくものだと、ルゥナは幼い頃から両親に教わってきたから。
 それに――。

「借金が無くなれば、ユーリだって自由になれるでしょう?」
「私……ですか?」
「そう。これは私の借金なのに。ユーリまで縛り付けてしまっていて、ずっと負い目を感じていたの。でも一人になるのは怖くて、何も言えずにユーリの善意に頼ってしまっていたから」

 ユーリはルゥナが三歳の時、ルゥナの両親に拾われてパストゥール家に来た。ルゥナは当時のことをよく覚えていないけれど、二歳年上のユーリにルゥナは一目見て打ち解け、今日に至るまで姉のように慕っている。
 二年前に生家を追い出された時も、ユーリだけは一緒についてきてくれた。他の使用人のように、借金を背負ったルゥナなど見捨てても良かったのに。
 しかも、中央区よりも治安が悪い第四地区で安全に店を営めるように、長かった黒髪を切って男装し、用心棒をしてくれている。

「私は、ルゥナの為に側にいるのではありません。私を拾って育ててくださったパストゥール夫妻へのご恩を返す為にここにいるのです」

 ユーリは寝返りを打ち、ルゥナへ背を向けると早口で言い切った。これは隠し事をしたり嘘を付くときのユーリの仕草だとルゥナは知っていた。

「そっか。それなら良かったわ。私、頑張るから。人を観察は私の趣味だし、アレクシア様には色々考えがありそうだから、きっと上手くいくわ。ユーリは私が任務を完遂して、無事に戻ることを祈って待っていてね!」
「……それは出来ません」
「へ?」
「私もついていきます。これは借金返済の為の任務ですから、ルゥナだけに任せることなど出来ませんし、お人好しで人を騙すことなんて出来ないルゥナが王女のフリをして過ごすなんて……。何処かで失敗していないかと、心配で夜も眠れなくなります」

 ユーリはベッドから身体を起こし、ルゥナをキッと睨みながら言った。心配性なのは昔からだけれど、今こうしてルゥナを本気で心配してくれるのはユーリだけだ。

「大丈夫よ。私はやる時はやる子なんですから」
「その根拠の無いところが心配で堪りません。一人になんて、させられませんから」

 ユーリはまたルゥナへ背を向けてベッド潜り込んだ。ルゥナはその背に小さく呟いた。

「……ユーリが、本当のお姉様だったら良いのに」
「別に、頼っていただいて結構ですよ。血の繋がりなんて……」
「うん。でも、ユーリはいつも私を、まだお嬢様みたいに扱っているから」
「これからは……お姫様として扱いますよ」
「どうして!? って、そっか。替え玉になるんだものね。でも、この任務が終わって、借金も全部無くなったら、その時は……」
「その時は?」

 ルゥナの方へくるりと寝返りを打ち、じっと見つめるユーリに、ルゥナはつい本音を胸の奥へとし舞い込んだ。

「……従者はおしまい。ユーリは自分の好きなところで自由に生きてね」
「はぁ。何を言っているんだか……。アレクシア様は、パストゥール伯爵家の爵位もどうにかしてくれると言ってましたよ」
「それは……お断りするわ。パストゥールの屋敷には両親の思い出がたくさんあるけれど、思い出すと寂しくなってしまうし、小さな領地だけれど、きっと叔父様の方が経営は上手いもの。私は今みたいに小さな雑貨店でお客さんと触れ合いながら過ごしたいから」

 ユーリは少し納得のいかないような瞳でルゥナを見つめた後、寝返りしながら早口で言った。

「そうですか。分かりました。では、変態王子の不貞を暴いたら、一緒に雑貨店を開きましょう。おやすみなさい。ルゥナ」
「うん! えっ? 今なんて? 一緒にって……」
「早く寝ましょう。明日は変態紳士を追い払わなくてはいけませんからね」
「……ええ。分かったわ。おやすみなさい。ユーリ。それからモッキュ」
『……モキュ』

 枕元で眠るモッキュは既に夢の中のようだった。
 

 ◇◇

 翌朝、開店時間と同時にマルクは店に現れた。
 その姿は普段と違い、蒼い近衛騎士の正装姿だった。

「ルゥナ。依頼を受けてくれて助かったよ。約束通り、君の借金を返済しよう」

 マルクは硬貨の詰まった布袋を二つ、ルゥナへと掲げて宣言した。あれだけの重量感と膨らみ。金貨ならば五百は入っているだろう。

「それって、依頼が上手くいってからではないのですか?」
「借金返済は前金みたいなものかな。成功報酬は一番街の店舗ってことで良いだろう? 後は爵位についても成功したらって事になるかな」
「爵位は結構です。ですが、本当に良いのでしょうか?」

 普通、報酬とは後で貰う物だと思っていた。
 マルクはフっと軽く笑うと、一歩後ろへと下がった。

「それを決めるのは――」

「これは、信頼の証ですわ。お気になさらず。この方が遣り甲斐がありますでしょう?」

 マルクの後ろから現れたのは、顔を隠すベール付きの帽子で顔を隠し、優美なドレスを纏った銀髪の少女だった。



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