美形令息の犬はご主人様を救いたい

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ソバキン家にて

4.ヴェルナ様にご挨拶

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『僕の、新しいご主人様になってください!』

 僕がそうお願いすると、イサク様とアリサ様はしばし沈黙した後、こんなことをおっしゃいました。

『そんなこと言わないでくれ』
『私たちはヴォルコ家の人たちとは違う』
『私たちは君のご主人様じゃない』

 その言葉達を、すぐに理解することができませんでした。



 《そんなこと言わないでくれ》
 僕の望みは言ってはいけないことだったのでしょうか。
 僕の望みは間違いだったのでしょうか。
 僕がなにかを望むことが間違いだったのでしょうか。
 望みはないという返答が正解だったのでしょうか。

 《私たちはヴォルコ家の人たちとは違う》
 それは、その通りです。
 お父様が亡くなって、ヴォルコ家の使用人さんたちや家庭教師も、みんなどこかに行ってしまいました。ソバキン家には、ヴォルコ家の人は一人もいません。
 ヴォルコ家で過ごした幸せな日々は跡形もなく壊されてしまって、もう戻っては来ないのです。

 《私たちは君のご主人様じゃない》
 じゃあ、
 じゃあ、は、
 もう、誰にも必要としてもらえないの。



 そうやって、ゆっくりと時間をかけて言葉を飲み込んでいる間に、他にもなにか言われていた気がしますが、頭に入ってきませんでした。
 なにも言わなくなってしまった僕に、イサク様とアリサ様が困った顔をしていたことだけ、かすかに覚えています。



 僕は屋敷を案内されたようで、気が付くと、大きな部屋の中にいて、綺麗な椅子に座っていました。
 部屋にはイサク様もアリサ様もいなくて、男性の使用人さんだけが扉の隣にいました。
 ……。
 ちょうど、お父様と同じくらいの背丈。
 …………。



 僕の望みは、イサク様とアリサ様には否定されてしまいましたけれど。
 違う人なら、違う考えを持っているかもしれません。

 この人なら。



「僕の、新しいご主人様になってください!」



 結局、その人にも、次に来た女性の使用人さんにも、その次も、その次も、その次も断られてしまって、その人たちがイサク様とアリサ様に報告して、僕はまた『やめなさい』『ヴォルコ家の使用人とソバキン家の使用人は違う』『誰も君のご主人様にはならない』と言われました。
 イサク様とアリサ様は、きっと、怒っていました。
 でも、僕のご飯を抜いたり、僕を叩いたり、閉じ込めたりはしませんでした。

 この家の人たちにとって、僕は犬ではないから。

 なんの役にも立たないのに、人として扱わなきゃいけない、迷惑な異物だから。



 あるとき、ソバキン家の庭で、赤茶色のふわふわした髪とぱっちりとした金色の瞳を持つ女の子に出会いました。僕と同じくらいの歳の女の子。
 きっと、ソバキン家のご令嬢のヴェルナ様です。

「ねぇ」
「わっ!?」
「僕のご主人様になってください」
「……え?」
「命令されたらなんだってします」
「……え、」
「たくさん殴っても絶対に泣きません。ちょっとのご飯で生きていけます」
「……ひ、……や、やだ、こないでくださ……」
「貴方に全てを捧げます!」

 怯えた顔のヴェルナ様に手を伸ばすと、「やめなさい!!」と大きな声で言われて、首を掴まれて引き離されました。
 イサク様でした。

 わっと泣き始めるヴェルナ様を、遅れてやってきたアリサ様が抱きしめていました。
 アリサ様は、ヴェルナ様を隠すように抱きながら、恐ろしいものを見るような目で僕を見て、こう言いました。

 お願いだから、ヴェルナにだけは近づかないで。



 またダメでした。
 この家はもうダメそうです。
 イサク様とアリサ様が僕を犬にしないように言っているのでしょうから。



 でも、もうすぐ、国立学園に入学です。

 国立学園の人なら、ご主人様になってくださるかもしれません。



 ======



 『前』の記憶が蘇ります。
 そうでした。『前』は、ご主人様になってほしいと迫ったせいで、ヴェルナ様から完全に遠ざけられてしまったのでした。
 その後、またヴェルナ様とお話しできる機会もありませんでしたから、ヴェルナ様とちゃんとお話しできるのは、『前』も含めて初めてのことです。今更ながら、少し緊張してきました。
 『前』のような振る舞いをすることは絶対にありませんが、それだけで『前』のようにソバキン家の全員から気持ち悪がられることはないだろうと断言することもできません。
 例え多少気持ち悪がられたとしても、せめて勉強だけはさせてもらえるといいのですが。



 使用人さんがヴェルナ様を呼びに行ってからそう待たずに、扉がノックされる音が響きました。

「ヴェルナです!入っていいですか?」

 少し舌足らずな、幼い声です。アリサ様が「えぇ、おいで」と声をかけると、ゆっくりと扉が開いて、動きやすい部屋着を纏った少女が入ってきました。ヴェルナ様です。

 ヴェルナ様は、『前』の記憶と変わらず、赤茶色の髪と金色の瞳を持っていました。アリサ様の髪は薄茶色ですから、どちらかというとイサク様に似ていらっしゃいます。

 ヴェルナ様は、イサク様とアリサ様を見た後、その奥のベッドにいた僕の姿を見つけ、



 ぱっと瞳を輝かせました。



 思ってもみなかった表情に、僕は動揺しました。

 こんなに綺麗な瞳を向けられたことは、『前』も含めてありません。誰からも、向けられませんでした。

 いつだって、綺麗な人間からはなるべく遠ざけられてきました。出会う人の大半に汚いものを見る目で見られ、綺麗な人間を慕う人から、お前みたいなのがあの方に近づくなと言われてきました。

 そんな僕はきっとすごく汚い犬で、
 それなのに、どうしてかはわかりませんが、ヴェルナ様はまるで宝物を見つけたかのようにキラキラした輝く瞳を向けてくださっていて、

 ……僕は、こんな綺麗な瞳を持つヴェルナ様に、近づいてしまってよかったのでしょうか。




 そう思ったところで、今更引き返すことはできません。もう会ってしまったのですから。
 僕は動揺を表に出さないように気を付けながら笑顔を浮かべ、ヴェルナ様に挨拶をします。

「初めまして。ヴォルコ伯爵家のシエノーク・ヴォルコです」
「……あっ!ヴェルナです!えっと、ヴェルナ・ソバキンです!ソバキン伯爵家の!」

 少し遅れて、ヴェルナ様がご挨拶を返してくださいました。
 しかしその後、なぜかヴェルナ様のお顔が赤くなっていきます。

 どうしたのだろう、と少し考えて、……挨拶が上手くできなくて恥ずかしくなってしまった可能性に思い至ります。
 慌てていたせいか、挨拶の順番が逆になっていましたから、それを気にしているのかもしれません。

 僕は汚い犬ですから、せめて挨拶だけでもちゃんとするようにと、挨拶の仕方を授業でたくさん習いましたが、ヴェルナ様はこんなにも綺麗ですから、僕ほどは習っていなかったのでしょう。そんなヴェルナ様が間違えてしまうのは仕方がないことです。
 あまり気にしないでいただきたいですが……、それを僕が言ったら何様のつもりだと思われて不快にさせてしまうかもしれません。
 こういうときは、すぐに次の話題に移るのが最良です。

 俯いてしまったヴェルナ様を見ながら、僕は次に言うべきことを考えました。

 先ほどは綺麗な瞳を向けてくださいましたが、ヴェルナ様からすれば、僕は突然家に侵入してきた異物です。
 ……もしかすると、先ほど目を輝かせていたのは、新しいものを見つけた新鮮さのためだったのかもしれません。
 それならば、後から僕が家に不利益をもたらす可能性に思い至って、不安に感じてしまうかもしれません。実際、『前』の僕は酷くご迷惑をおかけしましたし、『今』の僕だって、家の前で倒れて現在進行形でご迷惑をおかけしてしまっています。

 しかし、『今』の僕には、『前』のようにソバキン家に無理な要求をするつもりはありません。家庭教師に話をつけてくれるとまで言ってくださったのですから、僕がソバキン家の方々に望むことはもうありません。離れろと言われればすぐに離れますし、嫌われないように、大人しくしているつもりです。

 まずはそのことを伝えて安心していただこうと思い、僕は口を開きました。

「……なるべく、ご迷惑はおかけしないようにします。ヴェルナ様の邪魔は絶対にしません。ヴェルナ様がお嫌でしたら、近づかないようにいたしますので……、」
「え!?」

 言葉の途中でヴェルナ様が大きな声を出して、僕は思わずびくりと震えました。
 なにか、間違ったことを言ってしまったみたいです。反射的に『わん』と言いかけて、すんでのところで飲み込んで、代わりに「申し訳ありません」と言いましたが、声が小さくなってしまいました。返事も失敗です。

 なにかいけなかったのでしょうか。なにがいけなかったのでしょうか。やはり話し過ぎたのでしょうか。大人しく黙っていた方がよかったのでしょうか。

 ぐるぐる考えていると、ヴェルナ様が手をぱたぱたと動かして、僕にこう言いました。

「ヴェルナ、シエノークにいさまのこと嫌じゃないです!」

 あまりにも思ってみなかった言葉に、一瞬、思考が止まります。

「近づかないなんてやです!シエノークにいさまと一緒にいたいです!」

 近づかないなんて嫌、一緒にいたい……、
 一泊遅れて、僕の頭にゆっくりとヴェルナ様の言葉が染み込みます。

「シエノークにいさまにヴェルナのおにいさまになってほしいです!」

 『おにいさまになってほしい』

「だから、だから……」

 ……それは、つまり、
 『兄』として、僕を必要としてくれているということ?
 ヴェルナ様は、僕に、『役割』を与えてくださるの?

「大丈夫です!ヴェルナ怖くないです!」

 ……あぁ、そうか。
 もう、怯えなくていいのだ。

 ヴェルナ様の言葉に、僕の思考が追いついて、ごく自然に理解しました。



 必要とされたかったのです。
 誰にも必要とされない現実に、怯えていたのです。



 ヴォルコ家で犬として扱われる生活は、辛くて痛くて怖くて苦しかったけど、でも、必要とされていました。お父様がストレス発散のために僕を使って、役立ててくれていました。
 それだけでよかったのです。必要としてもらえれば、それだけで幸せだったのです。
 幸せだったのです、僕は。
 それなのに、必要としてくれるたった一人の人を失って、ソバキン家にはは必要なくて、僕の幸せは砕け散りました。

 必要としてくださるお父様が特別だっただけ。

 僕が本当は何の役にも立たないことなんて、僕が一番理解していたのに、その現実を突きつけられるのが恐ろしくて、きっと誰かはを必要としてくれると思い込むことで、恐怖から逃げたのです。

 それが間違いだったことを、今、ようやく理解しました。



 僕は、必要とされていたのです。
 現実に怯える必要なんて、最初からなかったのです。

 だって、現実ヴェルナ様は、僕を必要としてくれていて、
 こんなにも綺麗で、優しい。




「……ぁ、……ヴェルナ様は、僕に……、兄になってほしいの、ですか……?」
「えっ、あっ、そうです!!おにいさまになってほしいです!!」
「…………」

 あまりの喜びに思わず口を閉ざしてしまうと、ヴェルナ様は不安になってしまわれたようで、「……、……ぅ……、あの、その……、ヴェルナのにいさま、やだったら……おともだちから、でも……」と、ぽそぽそとおっしゃいました。

「あっ、嫌じゃありません!ヴェルナ様がそうしてほしいなら、僕は兄になります!」
「ほんとですか!?」

 慌てて伝えた僕の言葉に、ヴェルナ様は飛び跳ねて喜びます。

「うれしいです!とってもとってもうれしいです!ヴェルナ、きょうだいほしかったんです!シエノークにいさま大好きです!」

 僕は、自然に顔を綻ばせていました。



 きっと、最初からこうしていればよかったのです。
 ただ、穏やかに望みを聞けばよかったのです。そうすればきっと、『前』のときだって、ヴェルナ様は僕に『兄』を望んでくださったはずです。

 『前』の出来事を、今更変えることはできませんが。
 せめて、今、気づくことができてよかった。

「おとうさま、おかあさま!ヴェルナ、おにいさまできました!」
 
 二度目の生は、一度目の生よりも、ずっとずっと幸せなものになりそうです。
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