美形令息の犬はご主人様を救いたい

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ソバキン家にて

7.お父様の証

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 イヴァン様がソバキン家に訪れた日の翌日。
 まだ傷跡の治療ができるお医者様が見つかっていないため、安静にするように言われていましたが、お借りしていた書斎の本を戻すくらいはいいだろうと廊下を歩いていると、使用人さん達が話している声が聞こえてきました。



 ところで僕は、一人で歩いているとき、なるべく息を殺して、物音を立てないように、人の目に入らないように注意して動いてしまう癖があります。これは、ヴォルコ家で過ごしていたとき、人に見つかるたびに嫌がられていたためについた癖です。

 つまりそれは、僕に関わる話をしているとき、僕が聞こえる場所にいても、気づかずに話し続けてしまうということで。



「……負傷した騎士が、稀になるやつですね。そんなひどい怪我を負わされてたのか……」

 僕のことだ。と、直感します。
 そうして、次に吐き捨てるように発された言葉で、僕は凍りついてしまいました。

「外道だな、ヴォルコ伯爵は」



 違う。



 叫びたい衝動に駆られて、でも、喉まで凍りついていたおかげで声を出さなくて済みました。
 とはいえ、足も動きません。固まっている僕の耳に、使用人さんの言葉が届きます。

「本当ですよ。シエノーク様が本当に可哀想で……。火傷痕も切り傷も、鞭の痕も酷くてね。せめて体重は増えてきているようでよかったですが、……子供を皆してあんな姿にさせるなんて、ヴォルコ家は何かに取り憑かれていたのでしょうかね……」
「少なくとも、ヴォルコ伯爵、……元伯爵か。元伯爵は、どこかおかしかったんでしょうねぇ」
「そうですね。実の息子を死にかけるまで虐待する精神なんて、まるで理解できませんよ」
「……あぁ、そういえば王都でも……」

 ここで、王都にある別の家の話に移り、ようやく足が動くようになりました。
 僕は、気配を消しながら走り、自分の部屋に戻りました。



 扉を閉め、ずるずると座り込みます。
 使用人さんが言っていた言葉が、頭の中で何度も繰り返されて、グラグラと眩暈がします。
 走ったせいか、炎症を起こしていた傷跡も酷く痛み始めました。



 僕にひどい怪我を負わせたから外道?
 取り憑かれていた?
 おかしかった?

 違います。
 そんなはずはありません。
 お父様は教育しただけ。
 間違っていたのは僕。
 間違った子供に正しいことを教えるのは、正しいことです。
 おかしくなんてありません。
 お父様は、いつだって正しかったのです。
 正しく、愛をもって、僕を躾けてくれたのです。



 あぁ、傷が痛い。
 でもこれは、
 お父様が生きていた証。

 

 胸が空っぽになるくらいまで、息を吐き出します。
 冷静にならなくてはいけません。
 確か『前』は、こういった場面で衝動的に動いて、事態を悪化させたのです。

 ここで、『前』の記憶が鮮明に蘇ります。



 ======



 僕がヴェルナ様にご主人様を要求し、拒絶され、アリサ様からヴェルナ様に近づかないよう懇願されてから数日。
 使用人さん達がこんな話をしているのを耳にしました。

「シエノーク様は、父親に洗脳されてああなってしまったんですよ」
「可哀想にねぇ……」
「信じられません。なんて酷い親なのかしら」

 頭に冷や水を浴びせられたような感覚。

 何を言っているのか一瞬わからなくて、……遅れて、お父様が悪く言われているのだと理解しました。

 何故?
 ヴォルコ家の人に、お父様を悪く言う人なんていなかったのに。
 みんな、お父様を慕っていて、お父様が大好きで、お父様が絶対だったのに。

 そこまで考えて、僕は、あることに気が付きます。
 よく見てみたらこの人たちは、僕がご主人様を要求して拒絶されたきり、関わっていない使用人さんたちではありませんか。
 そうか。
 この使用人さん達は、僕がどれだけ悪い子なのか、知らないのです。

 使用人さんたちが間違っているのです。

 知らないから。
 僕がどれだけ愚鈍で汚くて迷惑な生き物か知らないから。
 だから、お父様が間違っていると思ってしまうのでしょう。

 だったら、知ってもらわなくちゃいけません。
 僕がどのような存在なのかを。
 そうしたら、きっと、お父様は正しいことをしていただけだと理解してくれるはずです。

「わん!」

 僕が言葉を発したことで、使用人さん達がようやく僕に気がつき、小さな悲鳴をあげました。
 怖がらなくていいんですよ。ただ、愚かな犬が吠えただけ。
 だらしなく笑って、しゃがんで、四つん這いで歩いて。

「わん!」

 使用人さん達が更に悲鳴をあげて、辞めるように言っても、辞めませんでした。
 騒ぎを聞きつけたイサク様がやってきて、僕を捕まえて部屋に戻すまで、辞めませんでした。
 悪いのは僕だと、理解してもらいたかったから。



 僕は可哀想なんかじゃありません。
 間違えていたから正されていただけ。

 お父様と共に過ごした日々は幸せでした。
 だって、躾の時は、僕だけを見てもらえて、お父様の手で触れてもらえたのです。
 お父様は、僕のためを思って躾をしているのだと言ってくれました。
 これがお父様の愛なんだって思いました。
 お父様も楽しそうで、愛されるのと一緒にお役にも立てて、嬉しかった。

 かけがえのない、幸せな記憶。

 お父様が間違っていたというなら、僕の幸せも間違っていたというの?



 ……考えるのを止めて、周りに誰もいないのに、「わん」と一回鳴きました。



 ======



 しかし、僕がどれだけ愚かな行動をしても、誰も、やっぱりお父様が正しかったんだ、なんて言ってくれませんでした。
 むしろ、僕が馬鹿なことをすればするほど、お父様の評判が落ちていきました。

 今回は、そんな間違いは犯しません。
 お父様が悪く言われていても、黙ってやり過ごしましょう。
 苦しいけど、辛いけど、否定したくて仕方なくなるだろうけど、それが一番、お父様の評判を保つはずなのです。
 ……認めたくはありませんが、お父様はもういないのですから、どうせ、苦しいのも辛いのも僕だけです。
 僕が我慢すればいい話なのです。
 大丈夫。僕ならできます。
 我慢は慣れっこです。

 また、ずきりと傷が痛みました。
 より痛くなるように、こっそり傷を押さえました。

 ……ヴェルナ様とお庭で遊ぶために、早く傷を治したいのは本当です。
 でも、この痛みがなくなれば、お父様との繋がりがなくなるような気がして、……それは嫌だと思ってしまう自分も、確かにいるのでした。

 昨日『シエノークにいさまに、痛い思いしてほしくなかったのに』と涙をこぼしていたヴェルナ様の顔が浮かんで、……頭を振って消しました。



 ******



 二日後、傷跡の処置に詳しいお医者様が見つかりました。
 お医者様は僕に炎症と痛みを抑える魔法をかけ、塗り薬と痛み止めを出してくださいました。
 その際、しばらくは激しい運動を控えるように言われてしまいましたが、庭をゆっくり散歩するくらいなら構わないそうです。

 その日の夕飯の時間、そのことをヴェルナ様に伝えると、ヴェルナ様は喜んで、「なら、明日お散歩しましょう!イヴァン様のとこ遊びに行くです!」とおっしゃいました。僕が断るわけもありませんから、二人でイヴァン様のところに行くことになりました。



 よく晴れた次の日。僕はヴェルナ様に手を引かれ、庭を歩いていました。
 強く引っ張るのではなく、ゆるく導くような優しい引き方です。

「離れ、こっちです!」

 庭には雪が残っていて、陽の光を受けてキラキラと輝いていました。

「そうだ、もっともっと元気になったら、雪遊びもするです!」
「雪遊び……、……どんなふうに遊ぶのですか?」
「えっとえっと……、うさぎさん作ったり、雪にお絵かきしたり……、そりで滑ったりするですよ!」

 僕は、うさぎさんを作ったり、雪にお絵かきしたり、そりで滑ったりしているヴェルナ様を想像してみました。
 ……きっと、とてもかわいらしいのでしょう。思わず、ふふ、と笑みをこぼします。

「とっても素敵です。いっぱい雪遊びしましょうね」
「わぁい!たのしみです!」

 そんな話をしていると、あっという間に離れの入り口までたどり着きました。離れとはいえかなりの大きさで、住むのであれば使用人が数人は必要そうですが……、イヴァン様はこの中で、一人で過ごしているそうです。

 しかし、離れの近くには騎士がいます。間隔をあけて数人。イヴァン様の護衛のため、イヴァン様と共にやって来た王国の騎士達です。離れに誰も近づかないように言っても、護衛を外すことはできなかったのでしょう。
 その騎士が、離れを監視しているみたいで、……なんだか、イヴァン様が離れに閉じ込められているように見えてきました。

 ヴェルナ様が扉をノックし、「ヴェルナです!シエノークにいさまも居ます!」とイヴァン様に呼びかけました。



 イヴァン様を待っている間、『前』のイヴァン様がどのような人だったか思い出そうとしてみます。

 ……思い出せません。

 僕が13歳の時から関わるようになったこと、それなりに交流があったことは辛うじて覚えているのですが、どのように出会ったのか、どんな会話をしたかは、何度思い出そうとしても、まるで思い出せないのです。僕が彼のことをどう思っていたのかもわかりません。

 もしかすると、『前』の記憶は、その出来事があった時期に近づかないと詳しく思い出せないのかもしれません。
 少なくとも、僕の意思で好きなときに好きな情報を思い出せるわけではないことは確かです。



 扉はすぐに開き、イヴァン様が顔を出します。平民も着るような、ゆったりとした動きやすい衣服。わずかに光を反射する凝った装飾だけが、イヴァン様の身分を物語っていました。
 イヴァン様は、一瞬だけ護衛に視線をやると、綺麗な笑顔を作りました。

「二人とも、お越しくださってありがとうございます。中で話しましょうか」
「はいです!」

 イヴァン様は扉を押さえ、僕達を招いてくださいます。貴族らしい、優雅な振る舞いです。

 僕達が中に入り、イヴァン様が扉を閉めれば、イヴァン様はすぐに作り笑顔を消して毒づきました。

「……ったく。あんなに見んなっての……」

 ヴェルナ様が、不思議そうに首を傾げました。イヴァン様ははっとして、慌てて付け足します。

「あ、悪い、今のは……、怒ってるわけじゃなくて……護衛辛いな~みたいな……弱音というか……」
「……護衛つらい、ですか……?」
「え?……ヴェルナ嬢は辛くない……、……か。……そうだよな、産まれたときから貴族だもんな……」

 イヴァン様は気まずそうに目を伏せて、少し考えるような間を置いてから、口を開きます。

「……なんだ、その、平民には使用人とか護衛とかいないからさ、平民の生活に慣れきってる俺はそういう人たちがいると息苦しくなっちゃうんだよ。……そういうもん」

 ヴェルナ様は、ヴェルナ様なりにイヴァン様の言葉を理解しようとしたのか、顔にきゅっと力を入れて、「んむむ……」と唸りました。

「……でも、護衛はいないとだめ、だから……、イヴァンさま、ずっと息苦しくてつらい、ですか?」
「……や、ここにいる間は休めてるよ。王城にいると部屋の中にまで入ってくるけど、ここだと中では一人で過ごせるし、会話も聞かれない。迎え入れてくれてありがとな、本当」

 イヴァン様はそう言うと、自然な動きでヴェルナ様の頭を撫でました。ヴェルナ様は瞬いて、それからぱぁっと笑顔になります。

「よかったです!どういたしましてです!」
「……あ、護衛辛いな~って話は護衛には内緒な?ほら、その、嫌がられてたって知ったら……嫌だろ」
「はいです!ないしょします!」

 ヴェルナ様の元気な返事を聞いて、「いい子」と口の片端を上げて笑うイヴァン様は、すっかり気を抜いている様子です。
 イサク様と握手していたときや僕たちを迎え入れたときはもう少し均等な笑顔でしたが、あれは作っているように見えました。こちらの笑顔が本当の笑顔なのでしょう。
 イヴァン様はヴェルナ様の頭から手を放し、奥に体を向けます。

「向こうの部屋にデッカいソファあったからそっち行こうぜ。立ちっぱなしだと疲れるだろ」
「でっか……?……はいです!シエノークにいさま、いきましょう」

 ヴェルナ様が僕の手を優しく引いてくださいます。僕はこくりと頷いて、ヴェルナ様と共にイヴァン様についていきました。



 部屋に入ると、三人がゆったり座れるほど大きなソファがありました。イヴァン様に座るように促されてヴェルナ様と共に座ると、イヴァン様は僕の隣に座ります。

「二人は普段何して過ごしてんだ?暇潰しの方法知ってたら教えてくれよ」
「普段……。……今は、お勉強いっぱいしてます!」
「へぇ。楽しい?」
「はい!」
「そりゃァいい。……勉強……は、俺もしてーけど……図書館遠いんだよな……」
「イヴァン様も、家庭教師の先生に見てもらうといいです!」
「……あー……。んや、俺はもう春から高等部だろ。家庭教師が見れる範囲を超えてるから、やるなら一人で勉強するしかねーんだよな……」
「あう……そうなのですか……」
「……あ、でも、二人に教えるのならできるぜ」
「え!それ、とっても楽しそうです!ヴェルナ、イヴァン様にも授業してほしいです!」
「おー。やるやる。休暇中はいつでも暇だし。呼びに来てくれたら俺がそっち行くよ。勉強道具運ぶの大変だろ」

 床に視線を落とし、二人が楽しそうに会話しているのをぼんやり聞いていると、

「シエノークも、わかんねーとこあったら聞いてくれよ」

 僕の名前が出て、慌てて顔を上げてイヴァン様を見ます。

「……はい」

 反応が遅れてしまいました。
 そんな僕を、目を細めてじっと観察するイヴァン様。
 僕は居心地が悪くなって、また目を逸らしてしまいました。

 この人のことが、苦手です。
 ヴェルナ様はもう苦手じゃなくなっているだろうに、僕の方が苦手になってしまいました。
 この人の目があまりにも鋭いから、僕の悪いところも、汚いところも、弱いところも、もう全部見透かされているのかもしれない、と思ってしまうのです。
 もしかするとこの人は、いつでも僕の柔らかい部分を抉ることができるのかもしれない……。

「……俺のこと苦手?」

 ほら、お見通し。

「……いえ。……、……人と話すのに慣れてなくて、なにを話したらいいかわからなくて。僕が静かだったせいで、不安にさせてしまったでしょうか。申し訳ありません」
「そう?……、」

 きっと、この嘘も、嘘だと気づかれているのです。

「……や、違うならいいんだ。変なこと聞いて悪かったな。人と話すのは、ゆっくり、自然に慣れてけばいい。無理すんなよ」

 嘘だと気づいた上で、嘘に乗ってくれているのです。

 お腹にずっとナイフを当てられてるみたい。
 いっそのこと全て暴いてぐちゃぐちゃにしてくれた方が楽なのに。なんて、やけっぱちな気持ちになります。

「……そうだ、ヴェルナ嬢。ソバキン伯爵と話すときに、この家にある本の中で俺でも読めそうな本がないか聞いといてくれよ」

 イヴァン様が話を逸らして、ヴェルナ様が「あ、はいです!」と返事をして、僕との会話はそれで終わりました。
 ……話を逸らしてくれたのは、僕が、居心地悪そうにしていたから?

 イヴァン様の行動の全てが、僕の心を読んで行ったことかのように感じます。
 人の心を読める人なんていませんし、もし仮に心が読めるのならヴェルナ様の勘違いにも気づいたでしょうから、そんなはずはないとわかっているのに……。

 イヴァン様が訪れたあの日、隠していた傷のことを見破られていた事実が、僕を不安にさせるのです。
 隠しているあれも、それも、これも、見破られているのではないかと……。

 わかっています。
 イヴァン様が鋭いのが悪いのではないのです。
 ……ちょうど、今の僕が、ソバキン家の皆様に知られたくない考えを持っているのが悪いのです。
 傷跡が治ってほしくないなんて、考えているのが悪いのです。
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