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初等部
12.入学式
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「平民の暮らしも碌に知らない貴族に、平民を救えるわけがない」
それは、ルスラン様の犬になった後のことでした。
ルスラン様が吐き捨てる様子を、ドゥフ寮の床に転がりながらぼんやり見ていました。
「貴族には平民が見えていない。見えていないから、救おうなんて考えもしない。国を変えようなんて思いもしない。格差は放置されて、平民の暮らしは苦しいまま。平民の暮らしをよく知る教会は、政治に関わるなと言われて王家と侯爵家に拒絶される。この国の仕組みはイカレてる」
どんどん熱が入って、美しい顔を歪めるルスラン様。
僕は、ルスラン様がそう言うならそうなんだろうな、それにしてもルスラン様は下から見ても怒ってても美しいな、と思いました。
ルスラン様の言葉遣いは平民に近くて、貴族なら絶対に言わないようなスラングも使います。
それは、ルスラン様が幼いころから教会に出入りしていて、平民の口調に慣れ親しんでいたからです。
「平民を、あるいは平民の暮らしを知る教会の人間を、政治に参加させるべきだ」
ルスラン様は神の遣いの血筋であり、今の聖女様の甥。生まれたときから教会関係者であるために、政治に携わることは禁じられています。この国では、宗教と政治は分けなくてはいけないから。
ルスラン様は政治家になってこの国を変えたいのに、平民の暮らしをよりよくするために活動したいのに、国の決まりのせいでできないのです。
可哀想なルスラン様。きっと鬱憤が溜まっているのでしょう。
僕で発散していただかないと。
そう思って、「わん」と小さく声を上げると、ルスラン様は僕を睨んで、腹を蹴り飛ばしました。
痛みに呻き、せき込む僕を見て、「っはは。貴族のくせに無様だな」と笑うルスラン様は、とっても楽しそうでした。
お役に立てて幸せです。
======
目を覚ませば、そこはドゥフ寮の床ではなく、アツェ寮の自室のベッドでした。
『前』の夢を見たようです。
今日は入学式当日。時間を見て、ゆっくり用意しても間に合う時間であることを確認すると、僕は準備をしながら、『前』に、そしてこれからに思いを馳せました。
僕がどのようにしてルスラン様の犬になったかは未だに思い出せませんが、他のことはだんだんと思い出せるようになってきています。
ルスラン様はずっと、平民のために努力していました。どうしたら国を変えられるだろうと、そればかり考えていました。
だけれど、どれだけ頑張っても、どれだけ考えても、国の決まりのせいで何もできなくて、そのことに憤りを感じていらっしゃいました。
イライラして仕方なくなった時は、僕を痛めつけて発散して、なんとか気持ちを落ち着けていました。
僕を痛めつけるその姿がお父様と重なり、ようやく使ってもらえて、お役に立てて嬉しくて、僕は幸せでした。
……でも、もうただ痛めつけられることしかできない愚鈍な犬ではいられません。それでは、ルスラン様は僕の忠告を聞いてくれないからです。
僕は何より、ルスラン様に生きてほしいのです。あの日の先を生きてほしいのです。やりたいことをやりたいようにして幸せに生きてほしいのです。
愚鈍な犬のままでいては、破滅を繰り返すだけです。だから僕は、賢い犬になって、ルスラン様によりよい道を示すのです。
そのために勉強してきて、これからも努力し続けるのです。
それに。
『シエノークにいさまに、痛い思いしてほしくなかったのに……』
『かなしいお顔、しないでください』
『ヴェルナ、シエノークにいさまが怖いの、悲しいです』
僕にはもう、僕が傷つくことを悲しんでくれる人がいます。
ルスラン様のためにも、ヴェルナ様のためにも、痛めつけられるだけの愚鈍な犬ではなく、吠えることで役に立つ賢い犬にならなくてはいけないのです。
考えながら準備をしていたら、いつのまにか全ての準備が完了していました。
詰め物が少し入った正装を着ていますが、もう傷が擦れて痛むことはありません。ソバキン家にいる間に、すっかり癒えました。
僕は入学式に参加するため、学園に向かいました。
******
式は滞りなく行われました。
ルスラン様の姿はありません。貴族嫌いのルスラン様は、全ての学年の生徒が集まり貴族で溢れかえるイベントには参加しないのです。
おそらくルスラン様は、初等部一年の教室で待機しているのでしょう。
ルスラン様はテオスの家の人間なので、そんなわがままが通るのです。
生徒代表挨拶は、第一王女のエリザヴェータ様が行っていました。式典用のドレスを身に纏ったエリザヴェータ様の堂々とした振る舞いは、すでに次期王の威厳と気迫を感じさせていました。食堂の時に僕に明るく話しかけていた彼女とは別人のようです。
先生の挨拶なども一通り終わり、ルスラン様が今年から入学することが軽く伝えられ、いよいよ教室に向かうことになりました。
流石にもうルスラン様を見ただけで何も考えられなくなることはないと思いますが、やはり緊張はします。
ドキドキしながら教室に入ると……、ルスラン様は、後ろの隅の机で、窓の外を眺めていました。
陽の光がプラチナブロンドの髪に当たり、一層輝いています。
横から見ると、すっと通った鼻筋や口元の凹凸がよく見えて、正面から見たときとはまた違った趣があります。
彼は、パチリ、とまつ毛を揺らして瞬きすると、僕らの方に視線を移しました。
目が合います。
絶対合いました。
絶対こっち見ました。
周囲には他の子もたくさんいるのに、僕は何故かそう確信してしまって、喜びが溢れ、頬が緩みまくります。
だらしない顔を晒していると、先生が「あそこにおられるのがルスラン様だ」と子供達に軽く紹介して、好きな席に座るように言いました。
そちらに気を取られて視線を外し、次にルスラン様を見たときには、ルスラン様はまた窓の外を見ていました。
僕はふらふらと誘われるようにルスラン様の隣の席に向かいます。ほとんど無意識でした。今の僕は犬というよりは、本能のままに光に群がる蛾でした。
僕が隣に座る音で僕の存在に気づいたようで、ルスラン様がまたこちらを見て、わずかに目を見開きました。
……そういえば、イヴァン様が『毎日顔を合わせるたびにおはようとかこんにちはとか言っとけ』みたいなことを言っていた気がします。
確かに、挨拶は大切です。僕はイヴァン様に言われた通りに、「おはようございます」と声をかけました。
さて、先生の話を聞かなくては、と僕が前を向くと、
「……ぉはよ」
?
幻聴?
……いえ、今のは明らかにルスラン様の実在する美声……。
……ルスラン様が僕の挨拶に返事してくださった……?
……貴族嫌いで同級生のありとあらゆる挨拶を無視していたあのルスラン様が……?
一拍遅れてルスラン様を見ると、ルスラン様はまた窓の外を見ていらっしゃいました。
先生の言葉は、ルスラン様の挨拶の衝撃でまるで頭に入ってきませんでしたが、『前』も聞いた記憶が蘇ってくれたので事なきを得ました。
******
先生の説明や勉強道具の配布が一通り終わると、本格的に授業が始まるのは明日からだから、今日はもう自由にしていいと言われました。
ちらほら教室から出る生徒もいましたが、大半は教室に残って初めましての挨拶をしています。
ここで、ヒソヒソとした話し声が聞こえてきました。
「……ルスラン様、かっこいいですね……!」
「きれいです……!」
でしょう?
ルスラン様への賞賛に共感と誇らしさを感じ、未下僕の分際で『僕のご主人様はすごいでしょう』みたいな顔になってしまいます。
隣で、ルスラン様がガタリと席を立つ音がしました。そのまま、勉強道具を持って教室を出てしまいます。
おそらく、ドゥフ寮に戻るのでしょう。
貴族嫌いのルスラン様は、授業が終わった後も教室に残ったりはしないのです。
ルスラン様も戻ってしまったことですし、僕も戻りましょう。ここに残ってもいいのですが、僕はまだ同年代の子と話すのが苦手です。
僕も荷物をまとめて教室を出ると、アツェ寮に向かいました。
******
アツェ寮には、一人一人に郵便受けが割り振られています。家からの手紙などはここに入れられるので、こまめに確認する必要があります。
僕が郵便受けを開けると、そこにはソバキン家からのお手紙が入っていました。
きっとヴェルナ様からのお返事です。僕はお手紙を大切に取り出すと、急いで自室に戻りました。
手紙を開くと、イサク様からの形式的な短いお手紙と、ヴェルナ様からの個人的なお手紙が入っていました。
ヴェルナ様のお手紙には、貴族らしい挨拶の後、『寂しくなりましたが、夏季休暇を楽しみに頑張ります』『この手紙が届く頃には学校が始まっているでしょうか。お友達はできそうですか』『嫌なことがあったら教えてください』といったことが書かれていました。
ヴェルナ様が実際に話しているときより、ずっと大人びた文章です。
それでも、読んでいるうちにこれを書きながらウンウン唸っている可愛らしい様子が自然と頭に浮かんできて、僕は微笑みました。
きっと、たくさん考えて、書いては書き直してを繰り返しながら一生懸命書いてくださったのでしょう。
僕は早速お返事を書こうと筆を取りました。
手紙が来て嬉しかったこと、僕も夏季休暇を楽しみに頑張ろうと思っていること、この手紙を書いている今日が入学式だったこと、嫌なことは起こっていないこと、ヴェルナ様も嫌なことがあったら教えて欲しいこと。
……美しい人に会ったこと。
少し考えてから、その人と親しくなりたいと思っていることも書きました。
ヴェルナ様なら、きっと応援してくれると思ったから。
書き上げてみると、少し長くなってしまいました。
でも、ヴェルナ様ならきっと、長い手紙に喜んで、たくさん読み返してくれるのでしょう。
寮の入り口に向かい、職員さんに手紙を預けていると、ちょうど外から戻ってきたイヴァン様と出会いました。隣にはレイラ様もいます。
「イヴァン様、こんにちは。今終わったのですか?」
「こんにちは、シエノーク。いえ、式の後は軽く説明があってすぐに解散だったのですが、その後書物を漁っていたのでこの時間に。……お手紙ですか?」
「はい。ソバキン家からお手紙が来ていたので、早速お返事を書いたんです」
「いいですね。ヴェルナ嬢も喜ぶでしょう」
「イヴァン様もヴェルナ様にお手紙を書きませんか?喜ぶと思います」
僕がそう言うと、イヴァン様は困ったように微笑みました。
「僕の手紙はいろんな人に見られてしまうので、窮屈なんです。……ヴェルナ嬢の手紙が大勢に確認されてしまうのもあまり好ましくありません。……その分、夏季休暇を楽しみにしていますね」
僕は瞬きして、レイラ様を見て、少し考えて……。「そうですか。なら仕方ありませんね。……そうだ、この後お部屋に遊びに行っていいですか?」と尋ねました。
イヴァン様はすぐに僕の『ここでは話せないことがあるので個室に移動しましょう』という裏の意図に気づいたようで、「えぇ、構いませんよ。今からでも大丈夫です」と言ってくださり、僕たちはイヴァン様の部屋に向かいました。
「いくら仲良いからって、僕のお手紙は見られないんですよね?」
「……そうだけど、俺が書いた手紙をお前の封筒に入れるのは規則違反だから。バレたら俺もお前も謹慎な上に、バレやすいからやんねーよ?」
部屋に入って扉を閉めた後、イヴァン様に尋ねると、先手を打たれました。
もちろん、それが可能ならそれが手っ取り早いのですが、できないのはわかっています。
「えぇ。……でも、僕がイヴァン様と一緒にいて起こった出来事を思い出話として書いて送るのは、例え後から見られたとしても、規則違反ではないですよね」
「…………ま、ぁ、そうだな」
「僕が強く印象に残ったイヴァン様の言葉を『このとき、イヴァン様がこんなことを言っていました』って勝手に語るのはセーフなわけです」
「……ウン」
「ヴェルナ様、きっととっても寂しがっていますから。少しでも、寂しい気持ちが減ればいいなって思うんです」
「…………言いたいことはわかった」
僕が「次、僕がソバキン家にお返事を書くまでに、『印象的な言葉』を考えておいてくださいね」とイヴァン様に微笑むと、「お前、さては悪いやつだな?」と愉快そうに笑われました。
「規則は守ってるじゃないですか」
「……はは、いいな。頭が柔らかいやつは好きだぜ」
次のお手紙は、もっともっと長くなりそうです。
「平民の暮らしも碌に知らない貴族に、平民を救えるわけがない」
それは、ルスラン様の犬になった後のことでした。
ルスラン様が吐き捨てる様子を、ドゥフ寮の床に転がりながらぼんやり見ていました。
「貴族には平民が見えていない。見えていないから、救おうなんて考えもしない。国を変えようなんて思いもしない。格差は放置されて、平民の暮らしは苦しいまま。平民の暮らしをよく知る教会は、政治に関わるなと言われて王家と侯爵家に拒絶される。この国の仕組みはイカレてる」
どんどん熱が入って、美しい顔を歪めるルスラン様。
僕は、ルスラン様がそう言うならそうなんだろうな、それにしてもルスラン様は下から見ても怒ってても美しいな、と思いました。
ルスラン様の言葉遣いは平民に近くて、貴族なら絶対に言わないようなスラングも使います。
それは、ルスラン様が幼いころから教会に出入りしていて、平民の口調に慣れ親しんでいたからです。
「平民を、あるいは平民の暮らしを知る教会の人間を、政治に参加させるべきだ」
ルスラン様は神の遣いの血筋であり、今の聖女様の甥。生まれたときから教会関係者であるために、政治に携わることは禁じられています。この国では、宗教と政治は分けなくてはいけないから。
ルスラン様は政治家になってこの国を変えたいのに、平民の暮らしをよりよくするために活動したいのに、国の決まりのせいでできないのです。
可哀想なルスラン様。きっと鬱憤が溜まっているのでしょう。
僕で発散していただかないと。
そう思って、「わん」と小さく声を上げると、ルスラン様は僕を睨んで、腹を蹴り飛ばしました。
痛みに呻き、せき込む僕を見て、「っはは。貴族のくせに無様だな」と笑うルスラン様は、とっても楽しそうでした。
お役に立てて幸せです。
======
目を覚ませば、そこはドゥフ寮の床ではなく、アツェ寮の自室のベッドでした。
『前』の夢を見たようです。
今日は入学式当日。時間を見て、ゆっくり用意しても間に合う時間であることを確認すると、僕は準備をしながら、『前』に、そしてこれからに思いを馳せました。
僕がどのようにしてルスラン様の犬になったかは未だに思い出せませんが、他のことはだんだんと思い出せるようになってきています。
ルスラン様はずっと、平民のために努力していました。どうしたら国を変えられるだろうと、そればかり考えていました。
だけれど、どれだけ頑張っても、どれだけ考えても、国の決まりのせいで何もできなくて、そのことに憤りを感じていらっしゃいました。
イライラして仕方なくなった時は、僕を痛めつけて発散して、なんとか気持ちを落ち着けていました。
僕を痛めつけるその姿がお父様と重なり、ようやく使ってもらえて、お役に立てて嬉しくて、僕は幸せでした。
……でも、もうただ痛めつけられることしかできない愚鈍な犬ではいられません。それでは、ルスラン様は僕の忠告を聞いてくれないからです。
僕は何より、ルスラン様に生きてほしいのです。あの日の先を生きてほしいのです。やりたいことをやりたいようにして幸せに生きてほしいのです。
愚鈍な犬のままでいては、破滅を繰り返すだけです。だから僕は、賢い犬になって、ルスラン様によりよい道を示すのです。
そのために勉強してきて、これからも努力し続けるのです。
それに。
『シエノークにいさまに、痛い思いしてほしくなかったのに……』
『かなしいお顔、しないでください』
『ヴェルナ、シエノークにいさまが怖いの、悲しいです』
僕にはもう、僕が傷つくことを悲しんでくれる人がいます。
ルスラン様のためにも、ヴェルナ様のためにも、痛めつけられるだけの愚鈍な犬ではなく、吠えることで役に立つ賢い犬にならなくてはいけないのです。
考えながら準備をしていたら、いつのまにか全ての準備が完了していました。
詰め物が少し入った正装を着ていますが、もう傷が擦れて痛むことはありません。ソバキン家にいる間に、すっかり癒えました。
僕は入学式に参加するため、学園に向かいました。
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式は滞りなく行われました。
ルスラン様の姿はありません。貴族嫌いのルスラン様は、全ての学年の生徒が集まり貴族で溢れかえるイベントには参加しないのです。
おそらくルスラン様は、初等部一年の教室で待機しているのでしょう。
ルスラン様はテオスの家の人間なので、そんなわがままが通るのです。
生徒代表挨拶は、第一王女のエリザヴェータ様が行っていました。式典用のドレスを身に纏ったエリザヴェータ様の堂々とした振る舞いは、すでに次期王の威厳と気迫を感じさせていました。食堂の時に僕に明るく話しかけていた彼女とは別人のようです。
先生の挨拶なども一通り終わり、ルスラン様が今年から入学することが軽く伝えられ、いよいよ教室に向かうことになりました。
流石にもうルスラン様を見ただけで何も考えられなくなることはないと思いますが、やはり緊張はします。
ドキドキしながら教室に入ると……、ルスラン様は、後ろの隅の机で、窓の外を眺めていました。
陽の光がプラチナブロンドの髪に当たり、一層輝いています。
横から見ると、すっと通った鼻筋や口元の凹凸がよく見えて、正面から見たときとはまた違った趣があります。
彼は、パチリ、とまつ毛を揺らして瞬きすると、僕らの方に視線を移しました。
目が合います。
絶対合いました。
絶対こっち見ました。
周囲には他の子もたくさんいるのに、僕は何故かそう確信してしまって、喜びが溢れ、頬が緩みまくります。
だらしない顔を晒していると、先生が「あそこにおられるのがルスラン様だ」と子供達に軽く紹介して、好きな席に座るように言いました。
そちらに気を取られて視線を外し、次にルスラン様を見たときには、ルスラン様はまた窓の外を見ていました。
僕はふらふらと誘われるようにルスラン様の隣の席に向かいます。ほとんど無意識でした。今の僕は犬というよりは、本能のままに光に群がる蛾でした。
僕が隣に座る音で僕の存在に気づいたようで、ルスラン様がまたこちらを見て、わずかに目を見開きました。
……そういえば、イヴァン様が『毎日顔を合わせるたびにおはようとかこんにちはとか言っとけ』みたいなことを言っていた気がします。
確かに、挨拶は大切です。僕はイヴァン様に言われた通りに、「おはようございます」と声をかけました。
さて、先生の話を聞かなくては、と僕が前を向くと、
「……ぉはよ」
?
幻聴?
……いえ、今のは明らかにルスラン様の実在する美声……。
……ルスラン様が僕の挨拶に返事してくださった……?
……貴族嫌いで同級生のありとあらゆる挨拶を無視していたあのルスラン様が……?
一拍遅れてルスラン様を見ると、ルスラン様はまた窓の外を見ていらっしゃいました。
先生の言葉は、ルスラン様の挨拶の衝撃でまるで頭に入ってきませんでしたが、『前』も聞いた記憶が蘇ってくれたので事なきを得ました。
******
先生の説明や勉強道具の配布が一通り終わると、本格的に授業が始まるのは明日からだから、今日はもう自由にしていいと言われました。
ちらほら教室から出る生徒もいましたが、大半は教室に残って初めましての挨拶をしています。
ここで、ヒソヒソとした話し声が聞こえてきました。
「……ルスラン様、かっこいいですね……!」
「きれいです……!」
でしょう?
ルスラン様への賞賛に共感と誇らしさを感じ、未下僕の分際で『僕のご主人様はすごいでしょう』みたいな顔になってしまいます。
隣で、ルスラン様がガタリと席を立つ音がしました。そのまま、勉強道具を持って教室を出てしまいます。
おそらく、ドゥフ寮に戻るのでしょう。
貴族嫌いのルスラン様は、授業が終わった後も教室に残ったりはしないのです。
ルスラン様も戻ってしまったことですし、僕も戻りましょう。ここに残ってもいいのですが、僕はまだ同年代の子と話すのが苦手です。
僕も荷物をまとめて教室を出ると、アツェ寮に向かいました。
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アツェ寮には、一人一人に郵便受けが割り振られています。家からの手紙などはここに入れられるので、こまめに確認する必要があります。
僕が郵便受けを開けると、そこにはソバキン家からのお手紙が入っていました。
きっとヴェルナ様からのお返事です。僕はお手紙を大切に取り出すと、急いで自室に戻りました。
手紙を開くと、イサク様からの形式的な短いお手紙と、ヴェルナ様からの個人的なお手紙が入っていました。
ヴェルナ様のお手紙には、貴族らしい挨拶の後、『寂しくなりましたが、夏季休暇を楽しみに頑張ります』『この手紙が届く頃には学校が始まっているでしょうか。お友達はできそうですか』『嫌なことがあったら教えてください』といったことが書かれていました。
ヴェルナ様が実際に話しているときより、ずっと大人びた文章です。
それでも、読んでいるうちにこれを書きながらウンウン唸っている可愛らしい様子が自然と頭に浮かんできて、僕は微笑みました。
きっと、たくさん考えて、書いては書き直してを繰り返しながら一生懸命書いてくださったのでしょう。
僕は早速お返事を書こうと筆を取りました。
手紙が来て嬉しかったこと、僕も夏季休暇を楽しみに頑張ろうと思っていること、この手紙を書いている今日が入学式だったこと、嫌なことは起こっていないこと、ヴェルナ様も嫌なことがあったら教えて欲しいこと。
……美しい人に会ったこと。
少し考えてから、その人と親しくなりたいと思っていることも書きました。
ヴェルナ様なら、きっと応援してくれると思ったから。
書き上げてみると、少し長くなってしまいました。
でも、ヴェルナ様ならきっと、長い手紙に喜んで、たくさん読み返してくれるのでしょう。
寮の入り口に向かい、職員さんに手紙を預けていると、ちょうど外から戻ってきたイヴァン様と出会いました。隣にはレイラ様もいます。
「イヴァン様、こんにちは。今終わったのですか?」
「こんにちは、シエノーク。いえ、式の後は軽く説明があってすぐに解散だったのですが、その後書物を漁っていたのでこの時間に。……お手紙ですか?」
「はい。ソバキン家からお手紙が来ていたので、早速お返事を書いたんです」
「いいですね。ヴェルナ嬢も喜ぶでしょう」
「イヴァン様もヴェルナ様にお手紙を書きませんか?喜ぶと思います」
僕がそう言うと、イヴァン様は困ったように微笑みました。
「僕の手紙はいろんな人に見られてしまうので、窮屈なんです。……ヴェルナ嬢の手紙が大勢に確認されてしまうのもあまり好ましくありません。……その分、夏季休暇を楽しみにしていますね」
僕は瞬きして、レイラ様を見て、少し考えて……。「そうですか。なら仕方ありませんね。……そうだ、この後お部屋に遊びに行っていいですか?」と尋ねました。
イヴァン様はすぐに僕の『ここでは話せないことがあるので個室に移動しましょう』という裏の意図に気づいたようで、「えぇ、構いませんよ。今からでも大丈夫です」と言ってくださり、僕たちはイヴァン様の部屋に向かいました。
「いくら仲良いからって、僕のお手紙は見られないんですよね?」
「……そうだけど、俺が書いた手紙をお前の封筒に入れるのは規則違反だから。バレたら俺もお前も謹慎な上に、バレやすいからやんねーよ?」
部屋に入って扉を閉めた後、イヴァン様に尋ねると、先手を打たれました。
もちろん、それが可能ならそれが手っ取り早いのですが、できないのはわかっています。
「えぇ。……でも、僕がイヴァン様と一緒にいて起こった出来事を思い出話として書いて送るのは、例え後から見られたとしても、規則違反ではないですよね」
「…………ま、ぁ、そうだな」
「僕が強く印象に残ったイヴァン様の言葉を『このとき、イヴァン様がこんなことを言っていました』って勝手に語るのはセーフなわけです」
「……ウン」
「ヴェルナ様、きっととっても寂しがっていますから。少しでも、寂しい気持ちが減ればいいなって思うんです」
「…………言いたいことはわかった」
僕が「次、僕がソバキン家にお返事を書くまでに、『印象的な言葉』を考えておいてくださいね」とイヴァン様に微笑むと、「お前、さては悪いやつだな?」と愉快そうに笑われました。
「規則は守ってるじゃないですか」
「……はは、いいな。頭が柔らかいやつは好きだぜ」
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