友達の妹が、入浴してる。

つきのはい

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(来るなら来るで連絡してくればいいのにな……)

 201号室の呼び鈴を鳴らした人物。
 それが、てっきり洋平か秋乃あたりだろうと踏んでいた夏弥は、のぞき穴も見ずに玄関のドアを開けてしまった。

「……あら? ……夏弥くん?」
「っ!」

 玄関先に立っていたのは、気立ての良さそうな美人さんだった。

 夏弥は思わず言葉を失う。

 ゆる~く巻かれたミディアムヘアの茶髪。
 その茶髪自体は、夏弥も初めて見た。

 しかし、それ以外の部分。
 例えば、やや目が細い点や、スタイルが良い点。洋平や美咲のように顔立ちが綺麗で、モデルさんのように優れている点は、何度も見たことがある。

 ワイシャツにジーンズ姿というカジュアルな服装なのに、彼女が着るだけでそれは気品あふるるおめかしファッションのよう。

 夏弥の記憶の引き出しに仕舞われていた人物と、その面影はしっかりと重なっていて。

 そう。この女性、鈴川雛子すずかわひなこは、美咲のにあたる人だった。

「ひ、雛子おばさん?」

「あら~、やっぱりそうよね? 夏弥くん、久しぶり~」

「お久しぶり……です」

「え、お母さん……?」

 玄関で会話する二人に対し、リビングでくつろいでいた美咲が反応する。

 落ち着いたトーンではあったけれど、美咲は少し動揺していた。

 雛子がアポなしでやってくるだなんて、考えもしていなかったのだろう。目を丸くさせたまま、玄関の方へふらっと近寄ってくる。

「あら、美咲?」

「ど、どうしたの? なんでお母さんがこっちに……ていうか、来るなら連絡してよ。びっくりするじゃん」

 美咲はあくまで慌てず、冷静な対応を心掛けようとしているようだった。

 取り乱すとこの母親に余計なことを突っ込まれる。
 そんな懸念があったのかもしれない。

「何よ、そんな邪険にしなくてもいいでしょう? うふふっ。洋ちゃんとあなたの生活が今どうなってるのか、少し気になったの。……でも、そうね。連絡したほうがよかったかしらねぇ」

 雛子はそう言いながら、ちらっと夏弥に目を預ける。

「っ……!」

 流し目。いや、〇ッチェス目とでも言えるかもしれない。
 その眼光に含まれる色気だけで、一体何人の男を悩殺し、手玉に取り、泣かせてきたのかわからない。これは百戦錬磨、前科者の目である。

「それで……洋ちゃんは、まだ帰ってきてないのかしら?」

「アイツは……その……」
「えっと……まぁ……」

 夏弥と美咲は口ごもる。
 一体どこから説明すべきか、一瞬わからなくなる。

 五月ごろからスタートしたこの交換生活は、すでに四か月目に突入している。
 そのあいだ、ずっと二人(四人)は両家の親に知らせたりしていなかったわけで。

「ふふっ。どうしたのかしら……?」

 雛子は自分の右手の指先を口元へあて、どこか含みのある笑みを浮かべていた。

 どうしたの? と、その目で問いかけつつも、まるで事情を把握しているかのような微笑みかけだった。

「と、とりあえず立ち話もアレなので……中でお話します?」

「……そうね。お邪魔しようかしら」

 洋平達が借りていたはずのアパートで、夏弥から「中で話します?」などと言われる。
 このシチュエーションの妙なおかしさに、雛子はまたしてもクスッと微笑みを浮かべるのだった。


◇ ◇ ◇

「――ふぅ~ん、なるほどね。やっぱりそうだったのねぇ」

「え、やっぱり……?」

 夏弥がこの交換生活の経緯をざっくり説明しても、雛子はあまり驚いていないようだった。

 リビングのソファに浅く腰を掛け、色気満載なその目をさらに細め。
「へぇ~」と、どこか他人事のような感想を述べるのみだった。

 雛子がリビングのソファに座っている間、夏弥はベッドの上。美咲は床に敷いていたクッションの上に座っていた。

「だって表札が『藤堂』になってたわよ? 初めは何かのいたずらかしらとも思ったのだけれど、……じゃあアレは、そういうわけでもないってことよね?」

「「……表札っ!」」

 雛子の発言に、夏弥と美咲の二人はハッとする。
 お互い顔を見合わせ、あの時のことを思い出す。

 完全に忘れていた。
 夏休み初めごろに自分達で表札を張り替えて以来、ずっとそのままにしていたのだ。

 まど子がやってきた時に変えて以来なので、ほぼ一か月近くこの201号室は『藤堂』という表札を提げていたことになる。

「いや……あれはちょっとした余興で……」

「余興……?」

 夏弥は気転を利かせ、すぐにそれらしい理由を口にする。

 取ってつけたような理由でもいい。
 ここで答えを濁らせるより、ずっといい。

 彼は思わずそう判断したのかもしれない。

「同居人を変えた暁に、というか、景気づけと悪ふざけが悪魔合体したんです」

「へぇ~、本当にそうなのかしら?(悪魔合体?)」

「そ、そうですよ」

 美咲の母・雛子は、依然として疑いの眼差しを夏弥に向ける。

(ああ、そうか……。そういえば前から疑り深い人だったな、雛子おばさんは。この嘘はちょっとマズかったかもしれない……)

 そう。鈴川雛子はである。
 いや、これには少々語弊があるかもしれない。

 彼女は元々、うふふのふの字を寝言ですら囁いてそうな、そんな母性と色気のかたまりみたいな女性だった。

 しかし、小中学校時代の四人がそれを変えてしまったのだ。

 夏弥達は昔、割とあちこちで些細なトラブルを起こしていた。

 そのトラブルが起きるたび、彼女は保護者として一番頭を下げてきた人物でもある。(※その節で言えば、四人は本当に頭があがらない)

 そして出先で謝ったあとは、帰ってきた鈴川家でよく四人にお説教をしたものだった。

 普段温和で優しい雛子は、不敵な笑みを浮かべたまま、四人の言い訳や嘘を鋭く見破ってきた。

 そういう意味でも、彼女は百戦錬磨と言えるかもしれない。

 だからこういう尋問シーンにおいていえば、雛子はさとり妖怪もかくや。メンタリストもかくや。心の読み合いで彼女の右に出る者はいない。……と言えるかもしれない。

「表札変えてみるとか、そういう意味のないアホなことをやるんです。それが俺達高校生なので……」

(この人の前で嘘をつくと、なぜかすでに見透かされてる気がするけどな……。刷り込みってやつ……?)

「そうなのね。まぁ……あなた達くらいの年頃なら、私もそういう無意味なことをしてた気がするわね。ふふっ」

「……」

 表札を上から張り替えていた件については、正直に話しても特に問題はなかったのかもしれない。

 けれど夏弥は、それをむやみに話すのも不用心な気がしていた。

「――それで、事情はわかったわ。今ここで美咲と一緒に暮らしてるのは、小さい頃から知ってる夏弥くんだってことね。……ふぅん。……まぁ夏弥くんでよかったのかもしれないわ。少し、安心してる私がいるもの。ふふっ」

 雛子の言葉に、夏弥と美咲がとりあえず「うんうん」と頷いていると、

「……でもね、二人とも?」

「な、何? お母さん」

「一つだけ、心配してることがあるわ」

「心配してること……?」

 美咲と雛子の二人で会話が進んでいく。

「それはね、『食事』よ、食事。あなた達がちゃんとしたものを食べてるのかって、それがここ最近で一番心配だったのよ。……この、テーブルにあがってる料理はすごくおいしそうだけど……他の日はレトルトとかコンビニのお弁当とか、そういうのばかり食べてるんじゃない?」

「……」

 どれだけ見目麗しい雛子といっても、こうして美咲を心配する姿は全国のどこにでもいる「お母さん」そのものだった。

「それに最近気温が下がってきて、体調も崩しやすいってニュースでやってたし……大丈夫? ちゃんと寝る時はお布団かけて寝てるのかしら?」

「だ、大丈夫だから……そんな心配しないでいいって。お母さん」

 夏弥の前だからか、美咲はとても恥ずかしそうに答える。
 思春期と親心は、いつの時代でも水と油なのである。

「そう……? でも美咲、あなた料理は全然してなかったじゃない」

「うん。あたしはできないけど……夏弥さんがすごく上手だから」

「夏弥くん……?」

「……あ、えっと、そうですね。上手かはわからないですけど、そこそこ自炊はできてると思ってます」

 急に話題を自分にふられ、夏弥は慌てて答えだす。

 嘘をついてるわけじゃない。
 ちゃんと、夏弥は二人分の料理をこの家で作ってきたつもりだ。

 たまに出来合いのものを買ってきたり、外で食べたりすることはあっても、そっちがベースじゃない。あくまで自炊がベース。
 そこは夏弥も胸を張って言えると思っていた。

「ふぅーん……。夏弥くんが料理を、ねぇ~」

「え。……なんですか?」

 若干胡散臭そうな目で夏弥を見る雛子。
 彼女からすればまだまだ夏弥も子供に見えるので、その眼差しは致し方ないものなのだろう。

「もしかして疑ってますか? でもこのポタージュスープとか、こっちの炒め物とか…………。一応、俺が作ったんですけど」

「……そうだったのね。……いいわ。それじゃあ夏弥くん、ちょっとキッチンに立てるかしら?」

「い、いいですよ?」

(どういうつもりだろう、雛子おばさん……。今すぐ俺の料理の腕前チェックでもしたいのかな……?)

「美咲はちょっとそこで待ってなさいね」

 雛子は美咲をリビングに残し、夏弥と二人でキッチンへ向かったのだった。
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