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虐げられた令嬢の決意 1

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フローラ・エンゲルハルト。
豊かなサンディゴールドの髪に神秘的なヘーゼルの瞳と汚れ一つない白磁の肌を持つ美しい少女だか、それを知るのはほとんどいない。

満足に身だしなみも整える暇が無いほど予定を詰め込まれている身では、髪を整えることもできず伸ばしっぱなしの髪は目にかかってしまっている。綺麗な瞳も隠されて、地味な印象を与えていた。

エンゲルハルト家は古くからの歴史を持つ侯爵家だ。

その長女であるフローラは御年17歳になる少女だが、まだ社交界に顔を出したことはなく、その妹アンドレアばかりが知られている。
噂では、顔に醜い傷があるから顔を見せられないやら、妹と比べて不出来で外に出させてもらえないやら好き勝手言われている。

そして、フローラは外での自分の噂を知っていた。

(いつまでこうして私はこの家に囚われ続けるのだろう)

今日はエンゲルハルト家と懇意にしている侯爵家で夜会が開かれている日だ。
もちろんフローラに参加資格はない。

家族のいない広い家で一人、侍女に入れてもらったホットミルクを片手に貴重な息抜きの時間を過ごしていた。

私に与えられた部屋からは遠くの街の明かりが見える。
今日はとても冷える日で、窓の外には雪が舞っていた。
夜のうちに積もるかもしれない。

こうして窓の外を眺めながら想像を膨らませるのが好きだ。
街へは行ったことがないけれど、いい匂いがする屋台が並び、可愛い小物を売る小さなお店や、色とりどりのお菓子の並ぶショーケース、様々な装いのショーウィンドウがあると聞く。

自分がそこを歩く想像は何度もしてきた。

母や妹はそんな庶民の暮らしを卑しいとバカにするけれど、私にとっては憧れの一つだ。

辺りを照らす月がてっぺんに登る頃、父と母、妹を乗せた馬車が帰ってきたのが窓の外に見えて、そっとカーテンを閉めてベッドに潜りこんだ。

明日からまた同じ日々が続いていく。

想像は心を休ませてくれるけれど、同時に苦しくもさせるものだ。
そっと目を閉じて全てを頭から追い出したかった。





次の日の午後。

数年ぶりに父の執務室に呼び出された。

きっとろくでもない話をされるか叱責が待っているに決まっているのだけれど、父からの呼び出しを無視する訳にもいかなかった。

重い足取りで執務室の前に立ち、震える手でノックをする。

「入れ」

そっと踏み入れた部屋の中には母もいて、ソファに深く腰を下ろして紅茶をすすっている。
二人の様子がどこか浮き足立っている様子を感じ取って、首をかしげる。

父の座る執務机の前にそっと立つと、父が顔を上げた。ギラリと熱を宿した父親の目にいやな予感が胸に広がり、それはすぐに現実になる。

「フローラ、お前の婚約が決まった」

「・・・え?」

告げられた言葉が想像を遥かに超えた内容だったせいで、思考が一瞬止まった。
言葉を失う私を気にもとめず父が語ったのは昨日の夜会での出来事だった。

昨夜の夜会に招かれていた大物貴族の一人、ケスマン侯爵。
外国との貿易に大きく貢献し、莫大な資産を持っているとされるケスマン侯爵と、以前から父が親交を持ちたがっていることは聞いていた。

「ケスマン侯爵はお前を迎えてもいいとおっしゃってくださっている」

「待ってください、お父様……。ケスマン侯爵に子息がいるとは聞いたことがないのですが......」

「何を言っているんだ。ケスマン侯爵とお前との婚約に決まっているだろう。これでお前も侯爵夫人ということだ」

私は父の言っていることが信じられなかった。
ケスマン侯爵とは、たしかもう60歳を超えられた方ではなかったか。

「そ、その、私とケスマン侯爵との間には二回り以上の年の差が......」

「そんなものなんとでもなる」

私の懸念はぴしゃりと遮られる。
これは私への婚約の打診ではない。すでに決まった婚約の報告なのだ。
結婚という私の一大事は、私のいないところで、私の意思などそっちのけで、いつのまにか決まってしまっていた。

気づいたときには父の執務室を飛び出していた。

所作も礼儀もないその行為に背後で母の叱責の声が聞こえていたが、今はそれも耳には入らなかった。

逃げ帰るように自室にたどり着くと、内側から鍵をかけてそのままベッドへ身を投げ出す。

頬を伝う涙がシーツを冷たくぬらした。

甘いとか、夢を見すぎだとか、そんなことを言われるかも知れないが、私にとって結婚は最後の希望だったのだ。

今までこうして理不尽な仕打ちに耐えてきたのも、両親のいう立派な令嬢になれたなら素敵な結婚をしてこの家を出て、幸せになれると信じていたから。

こうして縛り付けられている私がこの家を出るには結婚をするしか無かったから。

その結果がこれだった。
心がすり切れるほど頑張って、耐えて、涙をこらえて、我慢して。

ケスマン侯爵のことをしっかり知っている訳ではないけれど。

本当はすてきな人なのかも知れないけれど。

それでも自分の祖父のような年齢の男性と結婚するなんて。

そんなのあんまりだ。

その夜は気を失うようにして眠りに就くまで、ずっと泣き続けた。
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