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第一章 呪殺の王と盲目の剣

新生活が教える高校一年の春

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 朝起きて、けたたましいアラームを鳴り響かせる携帯をひっつかんだ俺は、休日の安息が五日後にまた会おうと去っていったことを知った。

  パジャマ代わりのスウェットのまま洗面台へ行くと、顔を洗う。覗き込んだ鏡には、無愛想な顔つきに三白眼の男が映っていた。不細工というわけではないが、彫りの深い顔立ちに白い肌、鋭い目つきも相まって酷薄という表現がよく似合う。当然、お世辞にもイケメンとは言えない。容姿を褒められたのは母方の婆ちゃんに「良い男になったねえ」と言われた限りである。
  試しににこりと笑顔を作ってみると、鏡の中の男がひどく引きつった笑みを披露して見せる。率直に言って気持ち悪く、オブラートに包んで気味が悪かった。

 「‥‥」

  俺は無言で緩くカーブを描く癖っ毛を適当に水であしらうと、朝食を食べるために居間へ向かった。
  これが高校に入学したばかりの俺、七瀬凛太郎(ななせりんたろう)の普段通りの朝である。

      ◆ ◆ ◆

「朝から面倒くさいからってステーキはどうなんだステーキは‥‥」

  清々しい朝日の下を、胃もたれした腹を抱えて歩く俺は酷く不格好に見えることだろう。まあ歌舞伎町に居るような顔の時点ですでに清々しい朝が似合うとはとても言えないのだが。

  暫く歩いていると、見慣れた制服を着た歩行者が多くなってくる。五芒星に「陵」の一文字が入れられた校章の陵星高校は、この田舎とも都会とも言えない地域ではそれなりに有名な学校だ。別段偏差値も高くなければ進学率も良いわけではないが、随分と昔からある学校のようで地元の人は大体この陵星高校出身である。俺の両親は結婚してから仕事の都合で越して来たので違うが、まあ子供のころから見慣れた制服だ。

  この陵星高校、校舎の裏には敷地と接するようにして陵星山という小高い山があり、生徒たちからは親しみを込めて裏山と呼ばれている。初めて聞いた人は確実に某猫型ロボットを思い出すだろう。考えてみれば安直なネーミングだけど、きっと大雷山とか宙山とかにしない限り著作権ではうるさく言われまい、ハハッ。

 「‥‥さむっ」

  もう春も中盤といった四月の終わりだが、ブレザーだけだと風が吹くと寒さを感じる時もある。だというのに、視界に入る女子生徒たちのなんと寒そうな格好か。

  ちなみに陵星高校の制服は男子がブレザーで女子は黒のセーラー服という珍しい取り合わせをしている。比較的服装に関する規則は緩いので、好きなパーカーやカーディガンを着ている生徒も珍しくない。

  ただお洒落は我慢だとどこかで聞いたことがあるが、そんなもののためにスカートを短くしなければならないというのなら、俺は男に生まれたことを喜ぶべきに違いない。きっと女子に生れていたら短いスカートを凝視することも出来ないだろうし。そう、寒そうと思うことと見ないことは同義ではない。お洒落最高。生足最高。

  そんなしょうもないことをつらつら考えていると、件の陵星高校の校門が見えてきた。

  校門を潜り、朝連に精を出す運動部を横目に俺の向かうクラスは一年C組。まだ入学してから一月も経っていないので目新しさの消えない下駄箱で靴を履き替え、年季の感じる校舎を歩いて教室へと向かった。

  扉を開けて教室に入ると、すぐ近くにいた数人がこちらを向いて、そのまま何事もなかったかのように視線を戻してそれぞれ談笑を再開する。

 「‥‥」

  おは、と言いかけた口を閉じて、俺は自分の席を目指す。

  おい朝の挨拶、なんて狭量なことは言わない。これは致し方ないことだ。俺の顔は初見ではどう考えてもなるべくお付き合いしたくないタイプである以上、新学期早々初対面の人間と仲良くなれるとは思っていない。

  ああ、だから別に悲しくなんてないし何とも思っていない。そもそもクラスの全員から挨拶されるような人間の方が稀だし、なんなら目が合っちゃったから一応しとくか、みたいなよそよそしい挨拶なんてされない方が、ましですらある。

  机に鞄を置いて、取りあえず読み終わっていない本の続きでも読むかと鞄に手を突っ込むと、隣に誰かが立つ気配がした。

  顔を上げた先に居たのは、陵星高校のブレザーをやけにスタイリッシュに着こなした男だった。薄茶色の髪はサラサラとした直毛で、その下にある顔立ちはおおよそ俺とは真逆、柔和で優し気なもの。

  朝っぱらから何がそんなに嬉しいのか笑みを口元に浮かべているそいつは、整った顔立ちに良く似合った爽やかな声で言った。

 「おはよう七瀬。今日は一段と顔つきが悪くないか?」

  第一声にして失礼な物言いに、恐らく俺の顔つきは本当に悪くなったことだろう。

  どうやら今朝は深窓の令嬢よろしく朝から読書と洒落込むことは出来ないらしい。まあ読もうとしていたのは詩集とかじゃなくて、異世界転生モノのライトノベルだったのだが。

 「ああ、おはよう伊吹。言っておくが悪いのは顔つきじゃなくて顔色だ。昨日夜遅くまで本を読んでたからな」

  大体なんだ顔つきが悪いって。不細工なのか人相が悪いのが分かり辛いわ。

  「別に些細な問題じゃないか?」としれっと応えるこの男の名は、伊吹連(いぶきれん)。誠に遺憾ながら、俺とは中学の頃からの腐れ縁とでも言うべき男である。腐れ縁とか幼馴染とかの心躍るワードはなるべく女の子相手に使っていきたいものだが、今のところこの単語で称せるのはこの男だけだ。腐ってるのは縁じゃなくて世の中かもしれない。

  それでこいつは一体なんの用で話しかけてきたのだろうか。普段は別に朝見かけたからといってわざわざ挨拶に来るような殊勝な人間ではない。というかそこまでいったら俺たちの関係はきっと友達と称するべきだ。そうならないから腐れ縁なのである。
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