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第一章 呪殺の王と盲目の剣

綾辻日々乃が教える隠された現実

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 世の中には、冤罪という言葉がある。
  今でこそ冤罪という単語が有名ではあるが、元々は冤の一文字で同様の意味を持ち、即ち無実の罪を意味する言葉だ。人間が法治を持って一個の社会集団を作り上げた時から付いて回る社会問題であり、永遠の命題の一つとも言えるかもしれない。

  人間、切羽詰まったり予期せぬ局面に遭遇すると、どこから引っ張り出したかも分からない記憶を思い出すもので、俺の脳裏には昔飯を食いながら見たTVの受け売りが流れていた。

  そして俺は何度目になるか、同じ言葉を繰り返す。

 「だから何度も言うが、俺はそのモグリとかいう犯罪者じゃない」

  そう今俺は、絶賛冤罪をかけられている最中である。

  何故こんなことになっているのか現状を整理すると、現在俺が居るのは陵星高校一年A組の教室。そこで椅子に鎖で縛りつけられている。ご丁寧に背もたれを抱くように後ろ手で拘束され、両足も椅子の脚にしっかり縛られている状況だ。ちなみに亀甲縛りではない。

  そして、そんな俺の真正面には椅子を持ってきて座る一人の少女がいた。
  トレードマークのアッシュブロンドの髪に、男を惑わせる美しい顔は今朝見た時とは違い、一片の油断も無い毅然とした表情を作っている。

  まるでそれはおかしな光景だった。窓から見える風景は暗闇に覆われていて、学校の施設も当然黒の景色に沈んでいる。そんな中、この教室だけが煌々と明かりを灯し、俺は決して交流することのないと思っていた人間と顔を合わせているのだから。

  一年A組、いや学年のマドンナ綾辻日々乃がそこにいた。

  夜の教室という条件下ではゾッとするほど美しく見える翡翠の瞳がこちらを覗き込む。それは見る者を惹き込むような、けれど踏み入ることを決して許さないような凄絶な光を放っていた。

  ちなみに縛られているのはいかがわしいプレイをしているわけではなく、突如として現れた綾辻日々乃に唯々諾々と付いて行った結果、こうしていきなり縛り付けられたのだ。弁護士を呼べ、俺は弁護士が来るまで一言も喋らんぞ。

  そんな俺の頑強な様子に、険しい表情をしていた綾辻日々乃は呆れた顔になって言った。

 「だから、別にあなたが犯罪者だと言っているわけではないでしょう。場合によっては罪に問われることもあるって説明しただけで」
 「とりあえず鎖を解いてもらえないと、少しも説得力がないんだが」

  椅子に鎖で縛りつけられた上で尋問されるこの状況は、明らかに犯者罪に対する対応だと思う。
  しかし、綾辻日々乃がこの鎖を解く気は一切ないらしい。

 「何度も言っている通り、あなたに素行に問題がないならともかく、それが分からない現状だとこうして縛っておくことがお互いにとって一番いいのよ。今調査班がここら一体の事件やあなたのことを調査しているはずだから、すぐに報告が届くと思うわ」
 「なにそれ怖」

  これが国家権力か‥‥。なんか裏の仕事っぽくて格好いいじゃないか。
  そう驚くべきことに、この目の前で太々しい態度のまま人を縛り上げている女は、国家権力に属する人間らしい。一応公務員と呼んでいいいのだろうか、自衛官学校の生徒みたいな奴だな。

  そしてそれだけでなく、更に驚愕すべき事実を俺は先ほど知ることになった。
この綾辻日々乃は秘言と魔物の存在を知っている。いや、それだけじゃない。こいつは紛れもなく俺と同じ側の人間。
 超常の力、秘言を持った人間だ。

  どうやら綾辻日々乃の話を聞くに、秘言を扱える人間は随分昔から秘密裏に世界で認められているらしく、同様に魔物の存在も確認されていた。

  ただ、この世界では当然ながら前世とそれぞれ名称が異なっているそうで、秘言は『コード』、秘言を使用できる人間を『フォルダー』、魔物を『アウター』と称されているらしい。中学生で習うような安直な単語だが、分かり易さを優先したのだろうか。

  そしてこれは前世でも同じことなのだが、このフォルダーは場合によっては強大な力を持つため、国家によって厳格にその存在が保護されている。多くの場合フォルダーとなる者は生まれながら、もしくは物心ついたころからその力の片鱗を見せるため、その時点で国家で保護、もしくは認知した上で必要な教育を施すことになっているのだ。

  勿論将来的に普通の職業について生活する人間もいるが、人によってはアウターを倒すための訓練を受け、『守り人』と呼ばれる職につくこともあるのだと綾辻日々乃は語った。

  つまり、綾辻日々乃はその守り人としてこの学校でアウターを倒す任を受けているということになる。本来俺が倒した『朽ち木の従僕』はこいつが倒す標的だったわけだ。

  いつの世、どの世界でも魔物は人類の天敵だ。放っておけば一般人など紙切れのごとく殺される。だからこそ、守り人が必要とされるのだ。

  更に世界的にアウターの次に問題とされているのが、国家に認知されていないフォルダー、所謂モグリと呼ばれる存在である。
  つまり俺のことだ。

 「最近、フォルダーによる犯罪が問題になってきているの。認知している連中がやることもあれば、あなたみたいな人による犯罪もね。普通の科学捜査じゃ犯人を特定できないことも多いから、それだけ対応が過敏になってるというわけ」

  とは綾辻日々乃の弁である。
  つまり、俺は犯罪者ではないけれど、綾辻日々乃としては確証が持てないためにこうして拘束しているということになる。

  なまじ生まれた時から力の使い方を身体が覚えていたせいか何なのか、これまで秘言が暴発することやそもそも使う機会がなかった。故に俺はフォルダーとして認知されることはなかったわけだが、それだけで準犯罪者扱いとはふざけた話だ。

  ちなみにそれとなく綾辻日々乃に探りを入れたが、前世の世界について知っている様子は一切なかった。どうやら世界的に見ても別世界と同じ力や魔物が現れているという見解はまったくなさそうなので、俺はフォルダーの中でもイレギュラーということだろう。

  まあ、なんで秘言やら魔物やらがこちらの世界に現れているのかは俺にも全く分からないので、なんの意味もないと言ってしまえばそれまでである。当然言う必要もない。なんか今の比じゃないくらいの勢いで拘束される気がするし。

  それにしても、まったく‥‥こんな守り人とかいう輩がいるなら下手に首を突っ込むべきじゃなかった。恐ろしい速度で面倒事に巻き込まれている感が半端じゃない。
  というかだ。

 「まさか学校の有名人がこんな漫画みたいなことをしてるとはなあ」

  思わずしみじみと呟いてしまう。
  改めて見れば、綾辻日々乃の容姿、存在感はまさしく別格と言えた。ただ顔立ちが端正だとか、スタイルがいいといった次元の話ではない。たとえ百人の中に埋めようと、必ず人の目を集める、そういった引力を彼女は持っていた。

  そう考えると、ある意味こういった非日常の世界に住んでいるのは納得できる話かもしれない。
  当の本人は有名人だということは自覚があるのか、その点については触れずに応えた。

 「私としては、こんな身近にフォルダーが居たことの方が驚きだけど。七瀬君、これまでの人生よく誰にもバレなかったわね」
 「日常生活生きていくのに使うような力でもないしな。魔も‥‥アウターとやらに会わなきゃ一生使わなかっただろうよ。あと、七瀬でいいよ」
 「なら、私も呼び捨てでいいわ」
 「了解」

  ちなみに、俺は綾辻のことを知っていたが、当然の如く綾辻は俺のことを知らなかったので、自己紹介済みである。むしろヤバい顔の奴とかで噂になっていなくて良かったと思おう。
  俺が一人自分を納得させていると、綾辻日々乃はなにやら難しい顔をしていた。

 「どうかしたのか?」

  そう問うと、向けられたのは訝し気な視線。なにか変なこと言ったか、俺。

 「いえ、ただこれまでまともにコードを使ってこなかった人間が、どうやってあの『木偶』を倒したのかと不思議に思っただけ。あなた、格闘技経験者か何か?」
 「‥‥」

  この疑問は、とてもまずくなかろうか。
  確かに考えてみれば、こちらに居るフォルダーたちは秘言――コードこそ持っていても、その本質は現代の人間。あちらの世界のように戦う力がなければすぐに死ぬような環境ではないのだから、訓練を受けていない人間は戦えなくて当然だ。

  故にこそ特殊な訓練を受けた綾辻たち守り人が必要とされているのだから。

  ところがどっこい、俺は事情が異なる。確かにこちらの世界で戦闘訓練などしたことはないが、夢の中で幾度となく実戦経験をこなしてきたのである。あんな枯れ木同然の輩に負けたりはしないらしい。
おかしな感覚だ。自分のことなのに、どこか他人事のようにそれを客観視している。今思い返してみても、あんな怪物に立ち向かう方がありえないと感じるのに。ただ純然たる事実として、あの程度の魔物に後れを取ることはないことを俺は知っていた。

  しかし、そんなこと露とも知らぬ綾辻から見れば俺の存在はひどく奇異に映ることだろう。従僕を倒したと言う俺にはじめに言った言葉が「あなたが倒したの? 本当に?」だったことからもその驚きが分かる。

  なので、ここは口から出まかせで乗り切ることにした。咲良も言っていたではないか、全て自分で作れるからこそ、都合のいい方向に進められるのだと。

 「あー、俺の能力はほら、あれなんだ。特に戦闘に特化してる感じでな。なんかこう、戦い方が分かるというか。だからこれまで使う機会もなかったんだが」

  正直、苦し紛れだ。助けてください咲良先生。あの天然少女の口の回転数が今は羨ましい。
  ただ、苦し紛れとは言っても嘘は言っていない。確認する術も持たない綾辻は、

 「‥‥そう」

  とだけ呟いてこの会話を打ち切った。
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